Racak(ラチャク)村「虐殺報道」検証(7)

ユーゴ戦争:報道批判特集 / コソボ Racak検証

セルビア内務省声明訳文&訂正

1999.6.18

1999.6.13.mail再録。

 既報:「検証(6):セルビア共和国内務省の公式声明入手」に、英文のまま載せたものを、「翻訳業」(この表記をご本人も了解)の萩谷さんが、訳して下さいました。

 ご注意としては、「スティムリエが不明です」とありましたが、他にも急ぎ訂正したいこともありますし、たったの3人でキリキリ舞いしているユーゴ大使館は、電話を掛けても出ないので、多分「郡」でしょうということにして、取り急ぎ、送ります。

2018.11.8追記「スティムリエ」:wikipediaより「ShtimeまたはStimlje(アルバニア語:Shtime、Serbian:Stimlje/Штим?е)はコソボのフェリザイ地区にある町と自治体です。」


在東京ユーゴスラビア連邦共和国大使館

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ユーゴスラビア調査日報

情報理事会選・発行

1999年1月16日
ベオグラード第2004号

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特別号

セルビア共和国内務省公式声明

 昨日、1月15日早朝、5日前にスヴェティスラフ・プルジッチ巡査を殺害したテロリスト集団を逮捕しようとしていた警察は、スティムリェのラチャク村を封鎖した。ラチャク村に通じる道で、テロリスト集団は塹壕、遮蔽物、防壁から機関銃と携帯用手榴弾発射装置で警察を攻撃してきた。

 ゴラン・ヴチツェビッチ巡査が負傷し、セルビア内務省の車数台が損傷された。警察は撃ち返し、テロリスト集団を全滅させた。この戦闘で、テロリスト数十人が死亡し、その大多数が、いわゆるコソボ解放軍(KLA)の徽章のついた制服を着ていた。

 警察は、12.7mm口径の「ブラウニング」機関銃1挺、軽機関銃2挺、自動式ライフル36挺、狙撃用ライフル2挺、およびさらに多量の弾丸と手榴弾を押収した。無線放送装置その他の軍事物資も押収された。

 戦闘の直後、警察の調査班は、調査判事であるダニツァ・マリンコビッチ(プリシュティナ軍法廷)およびイスメット・スフタ副検察官に率いられて、現場に来たが、近隣の山地に集結していたテロリストの銃撃によって、現場調査の遂行を妨げられた。

 全欧安保協力機構検証団(OSCE KVM)は、テロリストの逮捕が始まったと伝えられて、戦闘現場に到着した。

 今日、1999年1月16日、OSCE KVMが、調査判事が調査を遂行するさいに警察がいては戦闘が再開されるから警察は立ち会わないとの条件に強く固執したので、現場での調査は行われなかった。

 内務省は、現場調査が適切な調査機関によって遂行されなかったため、メディアの操作と誤用がありうることを警告する。


「セルビア共和国内務省の公式声明」の方は以上ですが、実は私、この3日くらい、睡眠不足で、ユーゴ問題のにわか勉強の頭に混乱が生じ、本日早朝に送った下記mailで、日付と関連の内容が入れ違うという、とんでもない間違いを犯してしまいました。

 mailの題名は『勝利宣言うわずり鉄の女vs桶狭間ロシア軍

 間違いの部分は、次の箇所(下線部分)です。

「[前略]決裂に終わったフランスでの和平交渉では、今年の3月15日、『アルバニア系住民代表団は和平案の全面受諾を正式表明した』(『世界』1999.6.p.213)のですが、その案には「コソボ解放軍の解体」が含まれていたのです。

 私が、このところ『検証』を続けているラチャク村の『虐殺』発表と報道は、まさに、この同じ日の、3月15日に行われたKLA掃討作戦、翌日の16日のアメリカ人団長による『村民の虐殺』発表、CNN,BBC,スカイニュース(米、英)の『これでもか、これでもか』のhair-raising(身の毛もよだつような)『総ジャーナリズム報道』、翌々日の17日の遺体奪還作戦という順序になっているのです。ですから私は、ラチャクの『ドラマ』が、KLAを将棋の駒として操る筋による挑発の構図に、ピッタリ符合すると見ています[後略]」

「挑発の構図に、ピッタリ符合」は、そのままでいいのですが、この後段の方の日付は、「3月15日」ではなくて「1月15日」でした。疲れた頭の中で混乱したのは、別途、「3月」に関して、次のmailも送っていたからでした。

 題は、「検証(5):共同ラチャク『虐殺』全配信、裁判所規定入手

「[前略]共同通信の配信は、情報源が入り乱れ、発表側のニュアンスに相違があり、一見混乱していますが、法医学的鑑定という見地から見ると、さらに決定的材料が増えました。

 1999.03.10.『セルビア側の報告書は40遺体のうち37遺体から、銃を撃ったことを示す化学物質が見つかったほか、すべての遺体の傷が、処刑の際にみられる至近距離のものではなかったと指摘』。

 1999.03.16.『ユーゴスラビアの政府系紙ポリティカは、[中略]欧州連合(EU)調査団が、事件は虐殺ではなく、セルビア警官との銃撃戦によるものだという報告書をまとめた、と伝えた』。

 1999.03.17.『欧州連合(EU)調査団は17日、州都プリシュティナで、ユーゴ側の虐殺かどうかを断定できなかったとする最終報告書を発表した。[中略]会見したランタ調査団長は、[中略]適当な司法機関による調査を待つべきだと述べた』。

 この『会見』の一週間後、『適当な司法機関による調査を待つ』ことなく、空爆が開始されたのです。[後略]」

 この方の「3.16」と「3.17」の日付が、上記の「決裂に終わったフランスでの和平交渉」と同時期だったのですが、朦朧とした頭の中だけの「時系列」が入り乱れてしまいました。謹んで訂正します。

 実は、このところ、ワープロとはいえ、やはり「升目を埋める」仕事の、「はかがいかない」悩みを濃くしていたのでした。6.9.一水会の講座で、ユーゴ大使館公使に直接、この間の事情を聞いたら、お答えは、上記の「欧州連合(EU)調査団」は「大きな圧力の下にあった」という苦汁に満ちた表現でした。その状況を、いまだに報告にまとめ切れないのが、実情なのです。私が数十年財在籍したテレヴィの世界は、「速報性」という諸刃の危険性を持っています。適当な映像を写して、キャスターがしゃべり、政治家が演説すると、検証抜きの空爆に直行するのです。

「我に支点を与えよ。しからば地球を動かさん」とか、アルキメデスが言ったとか。

「我にテレヴィ放送局のキャスター席を与えよ。しからば世界史を動かさん」とか言っても、やはり、睡眠不足で焦っては、いけませんね。

 久米ちゃんも、環境業界用語の「葉っぱもの」で、少し失敗しましたが、やはり、念には念を入れないと、いけません。

以上。


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