Racak(ラチャク)村「虐殺報道」検証(8)

ユーゴ戦争:報道批判特集 / コソボ Racak検証

最も扇情的だった読売新聞

1999.6.18

1999.6.14.mail再録。

 実は先に、睡眠不足の朦朧mailで、もうひとつ、間違えていました。下記の読売新聞記事を、まだインターネット空間には送っていなかったのに、別途、パクリ印刷の資料として集会で配布していたものですから、すでに送ってあるかのように思い込んで、引用してしまったのでした。スキャナーで読み込んで化け文字だらけのまま、フロッピーに入っていました。慌ててスキャナーのミスプリを校正して、以下、送ります。

 結果として、またまた午前様の睡眠不足の悪循環となり、ますますアメリカ帝国主義への憤怒の火種を掻き立てられ、ますます若返ってしまうのです。人間様、動物様、飼い慣らされて怒らなくなったら、あとは下り坂をズルズル滑り落ちるだけとなります。皆さん、大いに怒りましょう。

 アメリカの首都ワシントンでも、「撤退受諾」の状況下、8日に傍受した米軍放送によると、ベテラン・メモリアル・デイ当日、ラムゼイ・クラークらと、ヴェトナム戦争ベテランのデモ隊2000名がペンタゴンを取り囲み、空爆を止めろ! 戦争を止めろ! これは勝利でなくて、記念すべき失敗(Memorial failure)だ! などと叫んだようです。


読売新聞(1999.1.17.)[注1:]

(本誌(憎まれ愚痴)編集部注1:以下のように「虐殺」と断定。「ウイーン」発で、現場は見ていないことも歴然。)

コソボ住民40人虐殺

(横大見出し。1段39行分。縦幅3cm.横幅17.5cm.薄黒地紋に白抜きゴシック文字)

セルビア側関与か

(縦2行見出し。縦に4段分。縦幅13.5cm.横幅4cm.明朝文字)

写真:縦3段分、横24行分、縦幅9cm.横幅11cm.

写真説明:16日、コソボ自治州のラチャク村郊外のアルバニア系住民虐殺現場を調査するOSCE検証団メンバー(左)=ロイター[注2:]

(本誌編集部注2:坂道に死体が3つ、いかにも順序良く並んでいる。見るからに不自然。同じ位置の映像が、1999.5.14.NHK3ch放映のBBC特集にも出てきた)

本文:

【ウイーン16日=佐々木良寿】

 ユーゴスラビア連邦セルビア共和国コソボ自治州の民族紛争で、武装勢力の撤退監視に当たる全欧安保協力機構(OSCE)のコソボ検証団は16日、同州南部の村ラチャクで約40人のアルバニア系住民の虐殺死体を発見した。他方、同州の分離・独立を目指し、セルビア側と敵対するアルバニア系武装組織「コソボ解放軍(KLA)」は、犠牲者の数を「46人」と発表するとともに、うち8人がKLAメンバーであることを認めた。同州で確認された集団虐殺としては最大規模で、国際非難が巻き起こるのは必至だ。昨年10月以来の停戦が事実上破たんしていることを浮き彫りにするとともに、非武装の国際監視活動の限界をも示した。

 現地からの報道によれば、死体は丘の斜面に散乱、ほとんどが銃撃されているが中には目をえぐられたり、頭部を切断されたものもあった。犠牲者のなかには、少年や高齢者が含まれているとの情報もある。

 同村周辺では、15日にセルビア軍・治安部隊とKLAの戦闘が発生。村人の証言では、犠牲者は同日村に入ったセルビア警察により家族から引き離され、連行されたという。検証団の米外交官は、「虐殺は15日に行われた。現場は処刑場の様相を呈している」と語った。

 0SCEによる監視活動は、昨年10月にホルブルック米国特使とミロシェビッチ連邦大統領が交わした事実上の停戦合意の一環だが、非武装の活動には限界があり、15日戦闘の最中にも虐殺が起きたラチャク村周辺に近づくこともできなかった。

 セルビア警察は16日、セルビア警官殺害の容疑者であるグループを逮捕しようとした際、攻撃を受けたので「数十人のテロリスト」を殺害したとする声明を発表した。同警察は、死者の大半はKLAの記章付きの制服姿である、と主張している。

 他方、同州では、昨年末に対アルバニア国境付近でKLAメンバー36人が死亡する戦闘が発生。以来、緊張が高まって。コゾボ検証団の活動が危険にさらきれた場合に備えて、隣接するマケドニアに2000人規模の兵力を駐留させている北大西洋条約機構 (NAT0)のウェスリー・クラーク最高司令官は15日、訪問先のボスニアで「(セルビアとKLAの)双方は、政冶交渉の可能性が消減する場合に備え態勢を整えている」と述べており、欧米は大規模な武力衝突に懸念を深めている。


以上。


Racak検証(9):共同通信「ラチャク」村事件の配信状況
緊急:ユーゴ問題一括リンク
週刊『憎まれ愚痴』25号の目次