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ユーゴ戦争:報道批判特集/Racak検証(13)
「真偽めぐり論争」KLA制服?

メディア批判
ユーゴ戦争
5Racak検証その他

(1):ユ−ゴ「民族浄化」
(2):農民虐殺デッチ上げ
(3):何とまた『読売新聞
(4):朝日は遅れてローマ
(5):Racak共同全配信、裁
(6):Racak事件発生当初の
(7):セルビア内務省声明
(8):最も扇情的だった読
(9):共同通信「ラチャク
(10):『ル・モンド』
(11):『リベラシオン』
(12):『ワシントン・ポス
(13):「真偽めぐり論争」
(14):ペンは剣より酷い
(15):市民を汚染する作為
(16):ラチャク「虐殺」発
(17):ラチャク「虐殺」

(18):待望の『ル・フィガ
(19):仏疑惑報道を国際行
(20):NHKユーゴ「虐殺」
(21):NHK&東大教授が陥
(22):待望の紙ゲリラ反撃
(23):NHK「現地ルポ」採
(24):先のユーゴ戦争

(25)『週刊プレイボーイ
』ユーゴ戦争連載一括

1「虐殺」デッチ上げ
2『プレイボーイ』連載
3一覧表型一括リンク
4コソボの運命




1999.6.25.mail再録。

「ラチャク村の『虐殺』事件/真偽めぐり論争/欧米メディア」(朝日1999.1.29)

 上記の題名の記事は、すでに送りました。下記ホームページにも入れました。

 http://www.jca.apc.org/‾altmedka/ron-24-asa.html

 中身はともあれ、この記事にはキーワード、「真偽めぐり論争」がありました。

 そうなのです。この事件を、ぜひとも「真偽めぐり論争」の対象にしたいのです。

 そんなことを考えながら、別途、テレヴィの録画の申し込みをしていたら、ちらっと写った画面は、あの、「ワイドショー」でした。あの、「サッチー」とかの、あの、クリントンvsモニカ・ルインスキーのスキャンダルと、あの「モニカ戦争」と言われたユーゴ戦争と同時代の、あの、和風スキャンダルについて、何度も、何度も、同じ画面を写しながら、何人もの「証言」を次々に突き合わせては、その相互の矛盾を発見する度に、なぜか、oh my god! などと信心深く叫びながら、面白おかしく追及しています。

「ウム。コレ。コレ。コレをやってほしいのよ!」

 とはいうものの、「ラチャク村『虐殺』事件」は、遠い外国の複雑な民族紛争、政治がらみの野暮な議論にもなるから、すぐに、「頭が痛くなるから止めてよ!」となるのが必定。しかも、この「必定」(手元の安物辞書では「そうなるにきまっていること」)が、ワープロ変換では出てこない時代。長い話は嫌いな若者が増えた経済大国ニッポン。

 でもでも、諦めずに、一応、一番易しそうな「死体がKLA制服を着ていたか否か」、さらにはそれがKLA判定の絶対条件か否かに、ここでアタックしてみます。

 ラチャク村の死体は合計で46とされています。これが、村民の「虐殺」か、KLA掃討作戦による戦死者かどうかが、基本的な争点です。NATOは、「村民の虐殺」と決め付けて、「人道的介入」と称する空爆を決定したのです。この決定的な「戦死者かどうか」の判断の一つの根拠として、「死体がKLA制服を着ていたか否か」が問われているわけです。

 ところが、この基本的な争点に関しては、まるで真っ逆様の報道、報告が入り乱れたままなのです。以下、すでにmailで送り、ホームページに入れてある記事から、その主要部分を並べます。

 セルビア政府内務省発表(1999.1.16):「テロリスト数十人(several dozen)が死亡し、その大多数が、いわゆるコソボ解放軍(KLA)の徽章のついた制服を着ていた」

 全欧安保協力機構検証団(OSCE)団長(アメリカ人・元外交官)発表

(【ベオグラード16日共同】):「解放軍の制服は着ていなかった」

 ところが、このOSCE団長がKLAの案内で見た死体の状況について、『ル・モンド』(1999.1.21):「KLAの戦闘員に案内されて、検証団と報道陣は、溝に、20人ほどの遺体が積み重なるように横たわっているのを発見した」

 つまり、合計で46と発表されている遺体の内、検証団が見たのは、この「20人ほど」だけなのかもしれません。残りは、26人ほど、となり、そちらの方が多くなります。これが、「セルビア政府内務省発表」では「大多数」と表現されているのかもしれません。

 一方、『読売新聞』(1999.1.24):「『コソボ解放軍』(KLA)は、犠牲者の数を『46』人とするとともに、うち8「解放軍の制服人がKLAのメンバーだったことを認めた。(この点は【ベオグラード16日共同】でも「解放軍8人を含む」としています)

 ここで、コロンボ刑事なら、こう聞くでしょう。

「どうして8人についてだけKLAのメンバーだったことを認めたのでしょうかね」

 そうなのです。「認めた」理由が、まるで報道されていないのです。もしかすると、その8人の遺体は、「コソボ解放軍(KLA)の徽章のついた制服を着ていた」のではないでしょうか。

 さて、これほどに矛盾だらけ、謎だらけの報道状況なのですが、すでに私がmailで送っているように、私服のままの「コソボ解放軍」(KLA)戦闘員が多数いたことは、誰しも否定しません。私の手元には、ほぼ同時期のKLAの写真報道例もあります。『朝日新聞』(1999.1.22)のAP提供の写真の「コソボ解放軍の兵士たち」は4人ですが、厚手の冬向きの迷彩服と徽章付きのベレー帽を被っているのは、いかにも「アフガン・ゲリラ」風の先頭のおっさんだけで、後に続く若者は私服です。

 もう一つ『信濃毎日新聞』(1999.1.29)の共同通信提供の写真の「コソボ解放軍のメンバーたち」は、目と口の位置だけ穴を開けた漫画チックな黒覆面の2人ですが、一人は私服の上に薄い迷彩ベストを羽織っているようで、上着の袖は黒、ズボンも黒の私服です。もう1人は上下とも迷彩服に見えますが、どうやら、私服の上に、中間の季節向きの薄手のトレーナーを羽織っているようです。つまり、2人とも、厚手の冬向きの迷彩服を貰えずに、私服の上に薄手の迷彩服をまとっているようです。ベレー帽は被っていません。

 この姿でも、戦闘場面なら、「コソボ解放軍(KLA)の徽章のついた制服を着ていた」ように見えるのではないでしょうか。また、これなら、遺体から薄手の迷彩服だけを剥がせば、流れた血は下の私服にも浸透しているでしょうから、私服の「住民」の遺体と見分けが付きません。

 以上で6人の内、本式の冬向きのKLA正装をしているのは、たったの1人ということになり、本式の冬向きのKLA正装をしたままの遺体が、6分の1という可能性をも暗示します。もちろん、地区や部隊が違えば、本式の冬向きのKLA正装の比率が違うのは当然でしょうが、この6分の1という比率を、46人に適用すると、8人弱になります。「8人弱」、つまり、上記の「解放軍8人を含む」と、まさに「ニアミス」になったのです。

 さて、真相は、いかに?

 以上。「真偽めぐり論争」は次回に続く。

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