Racak検証(22) 兼『週刊プレイボーイ』ユーゴ空爆編

掲載時の都合で「Racak検証」と『週刊プレイボーイ』連載が入り組んでいます。

ユーゴ戦争:報道批判特集 / Racak検証

待望の紙ゲリラ反撃はワシントン取材
『捏造された民族浄化事件 ラチャク村「虐殺」』

1999.9.3

1999.8.29.mail再録。

 臍曲りの私が、ユーゴ戦争「Racak検証」シリーズを、むしろわざと、ほとんど電子空間のWeb週刊誌『憎まれ愚痴』のみにて、日々コツコツ展開すること久しく、何と、古風な紙印刷空間においても、この報に接した某女性平和運動家が、ついつい反射的に、「でも、あの嫌らしい裸の写真の雑誌でしょ。めくって見る見る気にもならないわ」などと口走ってしまう『週刊プレイボーイ』誌上において、ついに待望のゲリラ(注)反撃が始まったのであります。

[編集部注]:
 ゲリラの語源はスペイン語のguerrilla(小戦闘、小部隊、民兵、不正規軍)。正規軍が降伏した後に展開された抵抗運動がナポレオンの甥っ子の追放に成功し、初めて常勝将軍旗下の国民兵型フランス軍を破ったという画期的な軍学史上の教訓に照らすと、もともと降伏の度が深い大手メディアどころか、写真週刊誌までがNATOに胡麻擦る情けない状況下、斜に構えた軟派「裸」雑誌が、最後の民衆の砦となったという事実は、もしかすると、裸の猿の歴史の法則の典型なのではないでしょうか。つまり、裸は正直?

 しかし、ここではあえて人類史上の複雑な議論を避け、以下、わが読者Aの通報により、わが読者Bが、その部分のみの白黒コピーを拙宅に届けてくれた(つまり、幸か不幸か、私は問題のカラー写真頁を見ることができない)記事を、文字のみにて紹介することにします。わが情報を上回る特筆部分は、ワシントン取材情報と、その分析にあります。


『週刊プレイボーイ』(1999.9.7)
《迷走のアメリカ》第4部「ユーゴ空爆」編・第2回

捏造されていた民族浄化事件

アメリカ国務省とコソボ解放軍の「闇」の結束。
すべては陰謀から始まった……

(取材・文/河合洋一郎)

[上記文字を含む第1頁の写真合成など]コラージュ/村上光彦

[各頁の写真説明]:

1. 2月に行なわれたフランス・ランブイエでの平和合意の内容は、セルビア側にはとても受け入れることのできない内容だった……

2. 現在のコソボで最も「厄介な男」と称されるコソボ解放軍リーダー、ハシム・タチ

3. 今回の戦闘で一躍ヒーロー扱いされたコソボ解放軍だが、その実態は、かなりキナ臭く危険極まりない集団だ

4. ランブイエの和平交渉で英仏両外務大臣と挨拶を交わす米国オルブライト長官。彼女のシナリオは完壁だった

5. NATO軍の発表より遥かに多くの民間施設が空爆によって破壊され、多くの民間人が殺されていた……

6. NATO軍による空爆は、まる11週間以上も続けられまさに「狂気」と呼ぶに相応しい攻撃だった

[以下、本文]:

[最初にゴシック大文字リード]:
 空爆のきっかけとなったラチャック村でのセルビア警察軍によるアルバニア住民虐殺事件は、「ミロシェビッチ政権=民族浄化運動を推し進める狂った独裁政権」を印象づけるための、コソボ解放軍とアメリカによって捏造された民族浄化事件だった……。「人道的武力介入」という仮面をかぶったユーゴ空爆の真実を、国際ジャーナリスト河合洋一郎が綿密な取材をもとに暴いていく新シリ‐ズ。堂々の第2回。

アメリカが虐殺事件をセットアップした理由

 今年1月にコソボで発生したラチャック村虐殺事件について続ける。

 40人以上のアルバニア系住民が犠牲となったとされるこの事件ほ再びセルビア人の残虐性を世界に印象づけることとなった。

 が、前号でも説明したように、状況証拠をつぶさに検討するとKLA(コソボ解放軍)がセルビア警察軍との戦闘で死んだ戦闘員の死体をひとつの場所に集め、虐殺現場をセットアップしたとしか考えられないのである。

 なぜKLAは虐殺事件を捏造するような真似をしたのか。当然、こういった事件が起きれば、セルビア側との闘争で彼らに有利に働くという面はある。さらにセルビア人をデモナイズ(悪魔化)し、国際世論を味方につけることができるからだ。しかし、事件発生から空爆へとエスカレートしていった過程をたどってみると、これが単なるブロパガンダ作戦などではなく、空爆実施のために周到に準備されたプランの第1段階だったことが浮かび上がってくるのだ。

 私はワシントンでラチャック村虐殺事件の調査を進めるうちに、そのことを示す爆弾証言を諜報筋に近いある政府関係者から入手した。絶対にオフレコを約束した手前、ここでは彼をBと呼ぼう。

 Bは言う。

「ラチャック事件は完全なセットアップだった。あの虐殺事件が起きる前、国務省の高官がKLAのリーダー、ハシム・タチに電話を入れている。そこで彼は、虐殺事件をひとつデッチ上げてくれ、とタチに依頼したのだ。虐殺事件らしきものが起きれば、空爆をチラつかせてミロシェピッチを脅し上げ、ランブイエ交渉にユーゴを引きずり出す大義名分ができるからだ」。

 確かにその後の展開を見ると、そういった要請がKLA側にアメリカからなされた可能性は十分にある。アメリカは事件発生当初から虐殺はセルビア人の犯行と頭から決めつけ、あたかも予定されていたかのように矢継ぎ早に手を打ち、ランブイエ交渉、そして空爆へと突っ走っているからだ。

 ホワイトハウスの閣僚会議でミロシェビッチがコソボの和平に応じなければ空爆を実施することが決定され、それをNATO軍総司令官ウェズリー・クラークがベオグラードでミロシェビッチに伝えたのは1月19日。ラチャックで死体が発見されたわずか3日後である。

 この時点では、まだ死体の検死さえ始まっておらず、セルビア人の犯行である法医学的証拠はまったくなかったにもかかわらずにだ。あったのはKVM(コソボ検証団)ウイリアム・ウォーカーが現場の記者会見で語った言葉だけである。7月にコソボ発生した14人のセルビア人虐殺事件で彼らが見せた慎重な態度とは大違いだ。

 さすがのミロシェビッチもこの強引なやり方にはよほど腹をすえかねたらしく、ラチャック虐殺の写真を振りかざして恫喝してくるクラークを戦争犯罪人と罵ったといわれている。そしてその10日後、6ヵ国からなる連絡調整グープが、2月6日からフラスのランブイエで始まる和平交渉に参加しなければ空爆に踏み切るとミロシェビッチに最後通牒を叩きつけるのである。

オルブライトが付け加えた《マル秘》和平条件

 それにしてもタチに電話を入れた国務省高官とは一体、誰だったのだろうか。Bからその名を聞いて私は驚愕した。オルブライト国務長官の秘蔵っ子といわれる若手官僚だったからだ。同時にすべての疑問が氷解する思いだった。ランブイエ交渉以後、その男とタチが個人的に親しい関係にあることがアメリカのマスコミで報じられていた。それはタチが彼の依頼した仕事を見事にやり遂げたためだったのだ。

 オルブライトといえば、アメリカ政府内でも最大の対ユーゴ強硬派として知られている。今回の空爆が、“オルブライトの戦争”と一部で囁かれているのもそのためだ。ある連邦下院議員から聞いた話だが、彼女のセルビア人に対する敵愾心は異様なほどだったという。

 その子飼いの男がタチに虐殺の提造を依頼する。

 オルブライトが中心となりアメリカがミロシェビッチに仕掛けた罠の構図は、ラチャック虐殺が引き金となって開催されたランブイエ和乎交渉を検証すると、さらに明らかになっていく。

 結論から言おう。

 ランブイエ交渉とはコソボ和平のために開かれたものなどでは断じてなかった。ラチャック同様、セットアップだったのだ。ユーゴをズタズタに引き裂く空爆のための……。

 今年2月6日から23日まで行なわれたランブイエ和平交渉は、ユーゴ側が合意文書にサインすることを拒否したのが原因で決裂したと信じられてきた。当時のマスコミの報道を見ると、拒否の理由は、大方、NATO軍による平和実施部隊のコソボ進駐をミロシェビッチが嫌ったためとなっている。

 しかし、事実はまったく違う。ユーゴ側がサインを拒否したのは、合意文書が事実上、NATO軍によるユーゴ占領を意味するものだったからなのだ。

 詳しく説明しよう。

 当初、連絡調整グループが作り上げた草案は基本的にコソボの自治権に関するものだった。交渉はこれを叩き台にして進み、期限の20日にはユーゴ側は合意を受け入れるつもりでいた。が、最終日がきてもKLAのハシム・タチを含めたアルバニア代表団は合意文書への署名を拒否し続けた。

 そしてその日、それまで交渉に参加していなかったオルブライトがランブイエに到着する。彼女は即座に交渉を3日間延長させ、アルバニア側との折衝に入った。事態が急展開したのはその2日後である。オルブライトは合意文書に新たな事項を付け加えてきたのだ。それを一読したユーゴ代表団は愕然とした。

 ここにアネックスBと呼ばれる追加事項の問題の部分を要約して記す。

「NATO軍はユーゴ連邦全域を自由に制限を受けずに移動でき、いかなる場所、施設をも、その後方支援、訓練、作戦のために使用することができる。また、NATO軍の人員による犯罪行為はユーゴの法律で裁くことはできない」。

 敗戦国でない限り、このような文書にサインする国は世界のどこを探してもないだろう。太平洋戦争勃発を前にアメリカが日本に叩きつけたハル・ノートのようなものだ。こんなものに署名すれば、NATO軍の部隊に大統領府から書類をごっそり持ち出されても、それどころかミロシェビッチを殺害されてもユーゴ政府はなんの文句も言えないことになるのだ。そもそもなぜコソボの平和実施部隊がユーゴ連邦の領内(セルビアとモンテネグロ)を自由に移動する必要があるのか理解に苦しむのは私だけではないだろう。

タイミングだけが問題だつた空爆

 オルブライトの描いたシナリオは明らかである。

 最初からアネックスBのようなものを草案に入れようとすれば、連絡調整グループの間から異論が出てくるのは必至である。仮に草案に含めることに成功してもユーゴ側は交渉初日から断固受け入れを拒否する。そうなれば交渉中に必ずマスコミに漏れ、さすがにこの理不尽な要求に世界から囂々たる非難が浴びせられてしまう。

 それを避けるには、最終日まで交渉を長引かせ、最後の土壇場で追加事項を加えればよかった。そして、ユーゴ側が拒否したという事実だけを残して交渉を終わらせる。オルブライトの芸が細かいのは、アネックスBを付け加えるためにランブイエ入りした時、表面上はアルバニア代表団を説得するふりをしたことだ。

 アルバニア側が署名を拒み続けたのは予定の行動だった。彼らが当初の合意をすぐに受け入れてしまえば、ユーゴ側も文書にサインしアネックスBを追加する間もなく交渉が終了してしまうかもしれなかったからだ。そういった事態に陥らないように手は打ってあった。アルバニア代表団にアドバイザーとしてアメリカ人弁護士16人が送り込まれていたのである。

 結局、ユーゴ同様、アルバニア側もランブイエでは合意文書に署名しなかった。が、3月半ばにパリにおいてアルバニア側はサインしている。これでユーゴ側だけが合意を拒否した形になった。これが空爆の大義名分となったのは周知のごとくだ。

 ここでひとつの疑問が出てくる。なぜオルブライトはアルバニア代表団にランブイエ交渉の最終日にサインさせなかったのかという点だ。これは空爆の時期を調整するためだったと考えられる。NATO軍はすでに去年の7月にユーゴを空爆する態勢を整えていたというから、交渉終丁後に空爆にゴーサインを出してもよかったはずだ。

 それではなんのタイミングを計っていたのか。

 アメリカ国内の政治危機を空爆によって回避するためである。これはすでにクリントンの18番と言っていい。去年夏、モニカ・ルインスキーが大陪審で証言するその日にアフリカのアメリカ大使館爆弾テロ報復のためにスーダンとアフガニスタンにミサイルをブチ込み、12月のイラク空爆は彼の弾劾審議が連邦下院で始まる日だったことはまだ記憶に新しいだろう。今回もクリントン政権に危機が訪れていた。

 中国の核スパイ事件である。

 今春、米国下院は1年間の調査結果に基づいて報告書を発表した。コックス・リポートである。この報告書は、実は去年の末にすでに完成していた。すぐに発表されなかったのは、ホワイトハウスに、どの部分を国家機密として報告書から削除するか打診する必要があったからである。

 すでにクリントンは中国からの政治献金や衛星技術不正供与スキャンダルなどに悩まされており、コックス・リポートも相当、現政権に批判的だった。そんななかでどの部分を極秘扱いにするかはクリントンにとって非常にセンシティブな問題だった。削除する部分によっては、敵の共和党に絶好の攻撃材料を与えてしまうからだ。クリントンはこの決定を引き延ばし続けたため、とうとう下院は3月末までに返答がなければ全文をそのまま発表すると最後通告を出し、そのための審議の日程を決めた。3月24日からの3日間である。

 言うまでもなく24日はユーゴ空爆が開始された日だ。即日、クリントンは空爆用の臨時予算を組むことを議会に要請、リポートの審議は延期された。そして、空爆のドサクサの中で発表されたコックス・リポートは、特にユーゴの中国大使館誤爆事件以後、マスコミからはほとんど顧みられなかった。

 このリポートが空爆のメインの理由ではなかったのは明白だが、空爆のタイミングをうまく調整することで再びクリントンはスキャンダルによる自分へのダメージを最小限に抑えることに成功したわけだ。1石2鳥とはこのことだろう。

実態が明らかにされない虐殺事件

 話を戻そう。

 アネックスBがアメリカの仕掛けた罠だったことを示す事実がもうひとつある。ランブイエ交渉は、ユーゴ側がNATOのコソボ進駐を嫌いサインを拒否したと当初、世界の主要マスコミは報道してきたと述べたが、これはマスコミ側の責任ではない。

 驚くべきことだが、ランブイエ協定の内容はすぐに公開されなかつたのである。アネックスBとともにその全容が明らかになったのは、なんと空爆開始後の4月だったのだ。それも発表されたのは、一般の人々の目にはほとんど触れないアルバニア系のウエブ・サイトだった。

 交渉の最後の最後になってユーゴ側が到底受け入れることのできない事項を付け加え、その内容を隠し続けるなど、もうこれは確信犯としか言い様がないだろう。オルブライトがアネックスBを付け加えた時、連絡調整グループ諸国にはひと言も相談しなかったというのだからアメリカの傲慢ここに極まれりである。

 しかし、ここにきてアメリカのこうしたやり方にボロが出始めている。アメリカは空爆の最中、しきりにアルバニア系住民でセルビア人に殺されたり行方不明となっている者の数は10万人から20万人と言ってきたが、これが明らがに大幅な誇張だったことがバレつつあるのだ。

 Kfor(コソボ平和維持軍)はコソボに進駐してすぐ、虐殺された人間の数は約1万人、調査が進めばその数は数倍に膨れ上がるとの見積りを発表した。しかし、すでに8月初めに1万人という数字もまだ確認されたものではないと彼らの発表内容もトーンダウンしてしまっている。

 Kforの発表によると、現在までにコソボで見つかったマス・グレイブ(虐殺墓地)の数は約100。そのうちの半分で発掘作業が行なわれているが、住民の証言では350の死体が埋まっているはずの場所から7体しか出てこなかったりするケースが続出しているという。

 その上、死体が出てきても、それが虐殺されたものなのか戦闘で殺されたものなのか、また空爆の犠牲となったものなのか明確にはわからず、民族の特定もできないことが多いというのだ。コソボではセルビア人のマス・グレイブも発見されている。こ点ではセルビア人によるシステマティックな虐殺が行なわれたかどうかさえも疑わしくなってくる。事実、セルビア人による虐殺などなかったと証言するアルバニア人の政治リーダーもいるのである。

 問題はもうひとつある。アメリカがコソボのフリーダム・ファイターとして育て上げたKLAがその本性を剥き出しにし、コソボの非アルバニア系住民に対して本物のエスニック・クレンズィングを開始したという事実である。

(以下、次号)


 以上。

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