『週刊プレイボーイ』《迷走のアメリカ》ユーゴ空爆編

ユーゴ戦争:報道批判特集 / Racak検証

『欧米マスコミによる悪魔の情報操作』

1999.10

Racak検証より続く / 本誌(憎まれ愚痴)編集部による評価と解説は別途。


『週刊プレイボーイ』(1999.10.5)
《迷走のアメリカ》第4部 「ユーゴ空爆」編・第5回

アメリカが行ってきた悪魔の情報操作

「第3の兵器」マスコミを使ったアメリカと
NATOによる謀略の仮面が今、暴かれる!

写真説明:

1) ラチャク村の虐殺事件。様々な不審点があるにもかかわらず、マスコミはアメリカ側の「セルビア警察軍犯人説」を鵜呑みにした

2) 戦闘におけるアルバニア人の死は常に「虐殺」と報じられ、KLAによる反ユーゴ運動のく糧>となった

3) ボスニアの難民施設が「死の強制収容所」として報道されるようになったのはなぜか?

4) NATOの空爆が児童公園までも標的にしていたことを示す写真

5) アメリカによる情報操作の詳細を暴き続けるイギリス生まれのセルビア人、マルコ・ガシソク氏

6) ベオグラード市内には、いたるところに空爆の傷痕が残っている。左は筆者

写真提供/ロイター

 犯罪マフィアやイスラム原理主義者たちを寄せ集めて作った危険集団KLAを「正義のゲリラ」に仕立て上げ、セルビア警察軍による虐殺事件を捏造し、到底受け入れることのできない和平条件をミロシェビッチに提示、ユーゴを空爆に追い込んだアメリカとNATO。彼らの戦略の綿密さには驚かされるばかりだが、誰よりも彼らに利用され続けていたのが「マスコミ」と呼ばれる報道機関だったのだ……。

(取材・文/河合洋一郎)

ある日突然、セルビア人は“悪魔”にされた

 9月3日、ロンドン、夜11時。

 私はキングス・クロス駅の近くにあるホテルのラウンジに座り、ユーゴ取材の資料に目を通していた。すでに客は私の他にはカウンターにひとり座ってビールをなめている老人しかいない。明朝、ブダペストヘ飛び、そこからクルマでセルビアの首都べオグラードに入ることになっていた。

 しばらくすると髪の薄い童顔の男がブリーフケースを小脇にかかえてラウンジに入ってくるのが目に入った。彼は歩み寄りながら、

「こんな時間になって済まない。ジャーナリストたちの会合に招待されてね」

 上品なブリティッシユ・アクセントで言った。

「相変わらず忙しそうだな」

「本当なら私のような人間は忙しくないほうがいいのだがね」

 と苦笑した。確かにそのとおりだった。ユーゴのセルビア人たちが平和に暮らしていれば、彼もイギリス政府からハラスメントを受け、仕事を頻繁に変えねばならないようなこともなかっただろう。

 彼の名はマルコ・ガシック、42歳。イギリス生まれのセルビア人で、7年ほど前から、ここロンドンでユーゴ紛争の真の姿を訴え続け、アメリカやイギリス政府、そして主要マスコミが仕掛けてくる反セルビア・プロバガンダと戦い続けている男である。

 彼とは2ヵ月ほど前にロンドンで知り合ったが、ユーゴの現地取材の前にもう一度会っておきたかった。現地の最新情報を仕入れるためと、すでにこの連載でも何度か述べたセルビア人のデモナイゼーション(悪魔化)がこれまでいかにして行なわれてきたかを取材するためである。

 すでに夜も更けていたので、近況報告もそこそこにさっそく本題に入った。彼はカプチーノを頼んだ後、ブリーフケースから書類を取り出しながら話し始めた。

「セルビア人のデモナイゼーションは今回のコソボ紛争に始まったことではない。旧ユーゴの崩壊とともに始まったことなのだ。それを最初に行なったのは、1991年に連邦から離脱したスロベニアとクロアチアだった。

 連邦からの離脱は、当時、違憲だった。離脱を正当化するには、ユーゴスラビアで最大の勢力だったセルビア人を徹底的に悪役にする必要があった。そのため、彼らはセルビア人たちが大セルビアを実現させ、ソ連のような全体主義国家を作る野望を持っているというブロパガンダを流し始めた。セルビア人を悪魔化し、自分たちはその悪魔から逃げ出そうとしている哀れな犠牲者という体裁をとろうとしたのだ」

 すでにスロベニアとクロアチアの分離独立の真の原因は、実は民族対立などではなく経済的な理由だったことはよく知られている。両国の独立宣言の後、彼らの反セルビア・プロパガンダは第3者によってその信憑性が高められていくことになる。

 バルカン半島に再び覇権を拡張しようとしていたドイツである。

 ドイッ政府はスロベニアとクロアチアの独立を即座に承認したが、その後、他のEC諸国もドイツに引きずられる形で独立を認めた。その時にドイツ政府が各国の説得に使ったのが、スロベニアとクロアチアの主張していた反セルビア・プロバガンダだったのである。

「セルビア人側は、それに対してカウンターを打たなかったのか」

「ほとんどなかった。まず、当時の連邦政府はまだユーゴの存続を願っていたことが挙げられる。だから、セルビア人のみの立場に立つわけにはいかなかった。それに、スロベニアとクロアチアの独立当時にはまだそれほどダメージは被っていなかった。セルビアのデモナイゼーションが本格化するのはボスニアからだからね」

アメリカの介入がすべての元凶だった

 ボスニア・ヘルツェゴビナ戦争。1992年から1995年のデイトン合意まで続いたユーゴ紛争の中でも最も凄惨な死闘が繰り広げられた戦争である。この戦争中、セルビア人による民族浄化、システマティック・レイプ(集団レイプ)、また死の捕虜取容所などが次々と世界中に報道され、セルビア人は徹底的に悪魔化されていった。現在、一般人が持つセルビア人に対するネガティブな印象はすべてこの時期に作られたものと言っていい。

 ボスニアでは、その後のユーゴ情勢に大きな影響を与えるひとつの変化があった。アメリカの本格的介入である。

 スロベニアとクロアチアの独立では主導権はドイッを先頭としたECにあり、アメリカはそれに追随するという態度をとってきた。実際、アメリカはヨーロッパ諸国とは一線を画し、当時の国務長官のジェームス・ベ-カーはユーゴ分割に否定的な発言さえしている。それがぼスニアでは一転して独立承認に向けて動き始めたのである。

 その理由はふたつあった。

 まず第1に、スロベニアとクロアチアの独立で積極的に動き、バルカン半島に勢力を伸ぱしつつあったドイツを牽制すること。次にボスニアで戦争が勃発した際、ムスリム陣営の支援に駆けつけるであろうイスラム産油諸国との関係が考慮されたことである。

 しかし、このアメリカの動きはボスニアを血で血を洗う凄まじい内戦に突入させる結果となってしまう。スロベニアやクロアチアとは異なり、ボスニアの人口構成はムスリム人、クロアチア人、そしてセルビア人の数が拮抗している上、各民族が混在して住んでいたからだ。そして、この独立によって引き起こされたボスニアの大混乱がセルビア人のデモナイゼーションをさらにステップアップさせることになったのである。

 ガシックはこう説明する。

「ボスニアで内戦が勃発したのは、アメリカとヨーロッパ諸国が安易に独立を認める方向に状況を進めてしまったのが原因であることは誰の目にも明らかだった。

 しかし、誰もその責任をとろうとしなかった。もちろん、アメリカのせいにするわけにはいかない。それでは誰に責任転嫁すればいいか。それには格好の人間たちがいた。ボスニアの独立に反対したセルビア人だ。

 結果として、この時点からヨーロッパもセルビア人のデモナイゼーションに全面的に参加するようになった。責任を回避するためにね。そして、死の強制収容所、システマティック・レイプなどの嘘が作り上げられていったのだ」

 セルビア人を悪役にせねばならないこの新たな理由に加えて、もうひとつ反セルビア・キャンペーンを急激に加速させる要素がこの時期にユーゴの戦場に登場したことも見逃せない。

戦争を演出するPR会社の存在

 情報操作のプロであるアメリカのPR会社が初めてユーゴで活動し始めたのだ。アメリカ政府の斡旋でニューヨークに本社を置くルーダー・アンド・フィン社がボスニア政府に雇われたのである。

 湾岸戦争の時、アメリカのブッシュ政権は戦争を正当化するため、PR会社を使ってイラク軍のクウェ-トにおける残虐行為を世界中に喧伝させたことは有名な話である。問題は、こういったPR会社の仕事は情報の真偽を判断することではないということだ。彼らの仕事は情報を使ってクライアントの立場を有利にすることを目的としている。使える情報であればデマであろうと関係ない。それどころか情報を捏造することさえ厭わないことで知られている。

 事実、湾岸戦争の時には、連邦議会でのクウェート人少女の証言をPR会社が“演出”し、イラク軍兵士が病院で赤ん坊を殺したなど事実ではないことを言わせたことが判明している。

 ルーダー・アンド・フィン社の社員が、ボスニアの仕事は大成功だったと語っていることから、彼らが反セルビア・キャンペーンで大きな役割を果たしたことに疑問の余地はない。

 そして現在、彼らはユーゴで520万ドルの契約で新たなクライアントのために仕事をしている。

 そのクライアントとは言うまでもない。コソボのアルバニア人(末尾に注)たちだ。

集団レイプ事件のあいまいな根拠

 ここから話題は、セルビア人のイメージに決定的なダメージを与えたシステマティック・レイプや死の収容所などの実態に移った。ガシックは両方とも情報操作によって作られた虚構に過ぎないと断言する。

 システマティック・レイプとは、民族浄化の手段として多数のボスニアのムスリム女性を強姦してセルビア人の子供を生ませようとした事件である。

「システマティック・レイプは、ECその他の国際機関が調査して実際にそれが行なわれたことが証明されたことになっている。が、彼らの調査方法を見れば、まったくのデタラメだったことがわかる。

 例えばECの調査委員会の委員長は現地に赴き犠牲者から聞き取り調査を行なったが、その数といえば、たったの4人だ。しかし委員会は『犠牲者2万人』という数字を出してきた。その情報源は敵側であるクロアチアだった」

 この調査委員会は、セルビア人によるレイプを調査する権限しか与えられていなかったという。それ以外のレイプを調査する場合、EC諸国すべてから許可を得ねばならなかったというから、彼らが何を意図していたかは明らかだろう。

 ガシックは友人とともにECの事務局に電話を入れ、本当にレイプが行なわれた確固たる証拠があるのか訊いてみた。すると、証拠を持っているのはドイツ政府だという答えが戻ってきた。そこでドイツ外務省に電話を入れると、結局、彼らもボスニアとクロアチア政府から入手した情報しか持っていなかったという。セルビアと血みどろの殺し合いをしていた相手から得たものしかレイプを証明する情報は存在しなかった、というわけだ。

 ガシックは続ける。

「もちろん、私はセルビア人兵によるレイプがなかったなどと言うつもりはない。戦争では必ずレイプの犠牲者が出るものだ。が、マスコミによって報道されたような計画的なレイプなどなかったのだ。

 国連もボスニアのレイプについて調査しているが、彼らがはじき出した犠牲者数は約3千人。それもセルビア人、クロアチア人、ムスリム人全部含めてだ。この数字だけ見てもシステマティック・レイプの虚構がわかるはずだ。

 それに子供を生ませるために大量のレイプを行なったというのなら、生まれた子供たちは今どこにいるのか知りたいものだ。誰も私にそういう子供を見せてくれたことがない。

 こういう話がある。あるムスリム女性はセルビア人に強姦されたと主張したが、子供が生まれたのは戦争が始まった半年後だった。もちろん未熟児などではない。スイスで出産した女性のケースでは、生まれてきた子供はなんと黒人だった。白人のセルビア人に強姦されたはずなのに、だ。そういう例なら山ほどある」

難民施設を強制収容所に仕立て上げたTV会社

 レイプ同様、セルビア人の悪魔化を決定的にした死の捕虜収容所となると、さらにひどい情報操作が行なわれたという。死の収容所の存在が初めて世界で報道されたのは1992年夏だった。イギリスのテレビ局がボスニアに入り、トノポリャ捕虜収容所の取材に成功したのだ。

 この時、彼らが撮影した1枚の写真は世界中に衝撃を与えた。鉄条網の前に立つ、ガリガリに痩せこけ、肋骨の浮き出ている男の姿は、まさにアウシュビッツを連想させる写真だった。

 だが、これは完全な偽物だったのである。

 ガシックはカップの中に残っていたカプチーノを飲み干し、皮肉な笑いを浮かべて言った。

 「あの写真はジョーク以外の何物でもなかった。なぜなら、鉄条網の内側にいたのは、あの痩身の男ではなくカメラマンのほうだったからだ。

 実際、収容所の建物の周囲には鉄条網などなかった。あれは、近くに建っていた倉庫の周りに張り巡らされていたものなのだ。テレビ局の連中は倉庫の前にいたのだ。

 私はITN局がその時、撮影したビデオを入手し、そのすべてを見てみた。その中で鉄条網の外側から男たちがリポーターの質問に答えている場面があった。

 彼らは口々にこう言っていた。ここは難民キャンプだ、身分証明書を提示すれば自由に出入りできる、外は戦争で危ないからここにいる……。

 笑ってしまったのは、あの肋骨の浮き出た男にリポーターが、なぜあなたはそんなに痩せているのかと聞いた時だ。

 彼は、こう答えた。

“いや、俺は太らない体質で、ガキの頃がらこうだった”(大爆笑)」

 実際、トノポリャ収容所には、ムスリムのみならずセルビア人やクロアチア人も多数いた。つまり、戦争で行き場を失った男たちを収容していた場所だったのだ。それが死の捕境収容所に仕立て上げられてしまったわけだ。

 もちろん、私はガシックの証言だけでセルビア側の残虐行為がなかったと断言するつもりは毛頭ない。しかし、ECとアメリカがユーゴ紛争の初期の段階から、かなり強引なやり方で彼らがデモナイゼーションを行なってきたことに疑問の余地はない。

 そして、現在のコソボ情勢でも、“現代に甦ったナチ”というセルビア人のイメージが最大限、利用されているのだ。

(以下、次号)


本誌(憎まれ愚痴)編集部注:「コソボのアルバニア人」という表現は、この『週刊プレイボーイ』連載記事の前回の記述から見ても不正確である。少なくとも、「そう称しているアルバニア人」とすべきであり、さらに付け加える事実としては、経済崩壊中のアルバニアからの流入者、ドイツにいる30万人や、アメリカにも30万人いて政治ロビーを形成し、若者の「義勇軍」を送ったアルバニア人も含まれる。外国在住のアルバニアの多くは元ナチス・ドイツ協力者の系統である。

 以上。

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