『読売新聞・歴史検証』(5-1)

第二部「大正デモクラシー」圧殺の構図

電網木村書店 Web無料公開 2004.1.5

第五章 新聞業界が驚倒した画期的異常事態 1

第一声は「正力君、ここはポリのくるところじゃない」

「社長松山忠二郎君の引退するととともに、前警視庁警務部長正力松太郎君の、かわって同社長に就任した一事は、ひさしく読売新聞の復興の遅々たるをいぶかしんでいた斯界(しかい)をして、大いに驚倒せしめるものがあった」

 これが、『日本新聞年鑑』(24年版)による正力社長出現への「斯界」、つまり、新聞業界の評価である。おそらく当時の平均的認識だったのであろう。

 読売の経営の変化は、当時の新聞界の最大の話題だったはずだ。同年鑑では「読売の社長更迭」、「整理と社員不安」、「悪資本家の非難」という三つの見出しを使い、三ページにわたる記事で読売を中心的に取り上げている。社長の「交代」とせず、「更迭」として、いかにも背後の強権の圧力をにおわせる表現をしているところにも、新聞人仲間だった松山への肩入れの感情が、にじみ出ているようだ。

 最初に批判のまないたにのせる『伝記正力松太郎』は、すでに何度か指摘したように、御手洗辰雄が正力の提灯持ちで書いた本である。

 御手洗の提灯の持ち方には、講談に特有の乱暴な特色がある。というよりも、描く対象の正力自身が本当に「乱暴者」だったから、その特徴を逆手に取る以外に提灯の持ちようがなかったのかもしれない。利用の仕方によっては、正力の乱暴さを立証する同時代人の証言記録にもなりうるものだ。

 もしかすると、御手洗には「ふたごころ」があったのではないだろうか、という興味さえわく。御手洗は、読売に合併吸収される以前の報知の記者だったし、関東大震災の時期には社会部長にまでなっていた。新聞界では正力の大先輩に当たる。しかも報知は、小新聞(こしんぶん)の読売より二年前に郵便報知として発足した大新聞(おおしんぶん)である。当然、報知人は、読売を見下す気位の高さを誇っていた。関東大震災以前には、東京で第一位の発行部数を誇っていた。御手洗にも、そんな元報知記者としてのプライドがあったはずなのである。もちろん、関東大震災前後の新聞事情をも肌身にしみて味わっている。

 だから御手洗は、すくなくとも、『読売新聞百年史』のような不自然な脚色はしていない。一応は世間常識に従って、前警視庁警務部長の新聞界への乗り込みという、異常事態にたいする新聞人の反感を描いている。その反感に満ちた新聞人たちを相手にまわして、正力がいかに勇敢に戦ったかという描き方をしている。扇子をたたくような講談調で巧みに提灯を持っているのだ。しかも興味深いことに、この『伝記正力松太郎』は、同じく大提灯持ちの私史、『読売新聞八十年史』と同じ年に刊行されていて、記述にも共通点がおおいのである。

「正力君、ここはポリのくるところじゃない。生意気だよ、君が社長だなんて。帰れ帰れ」

 これが、乗り込みの当日、正力に向けられた最初の声であった。正力が読売の社内に入っても、誰も相手にしようとしないので、机のうえに立ち上がって強引に就任演説を始めたのである。御手洗は、その日の朝、読売へ向かう前の正力の姿を、目撃証人からの聞き伝えとして、つぎのように記している。

「その後、死んだ後藤圀彦が、筆者に物語ったことがある。いよいよ乗りこむ日の朝、工業倶楽部で河合良成と三人で会ったが、『いよいよこれから乗りこむんだ』といった時の正力の顔は、さすがに緊張して、あの太々しい男が武者振い(ママ)しておった、と」

 この朝の出陣前に正力が会っていたという後藤と河合は、正力の東京帝大時代からの友人で、ともに財界人だった。会合場所の日本工業倶楽部の会館は、いまもなお昔の姿で東京駅の丸の内北口にあり、経済団体のなかでも主に労務対策を任務とする日経連が事務所を置いている。第一次世界大戦後の一九一八年(大7)六月、戦争景気の勢いを駆ってつくられたものである。『財界奥の院』(新日本新書)では、つぎのように描写している。

「当時としては豪華をきわめた大建築で、『資本家御殿』とよばれていた」

『伝記正力松太郎』では、この「資本家御殿」を出た正力が、単身、読売に乗りこんだようになっている。その単独行動は、その日の朝だけのこととしては本当なのかもしれない。ただし、それ以前の警視庁時代の正力の単身乗りこみに関していえば、多数の部下を率いて群衆の規制に向かい、衆目の前で単身突入したのである。決してまったくの単独行動ではない。読売に乗りこんだときにも、旧部下にそれとなく身辺警護を頼んでいた可能性がある。というのは、御手洗が、つぎのような事実経過をも指摘しているからである。

 正力は社長就任の直後に、「社務の統轄をする総務局長には警視庁で当時特高課長であった小林光政、庶務部長には警視庁警部庄田良」を、「販売部長には警視庁捜査係長をしていた武藤哲哉」を任命するという、「腹心をもって固めるやり方」をとった。「これがため新聞界では、読売もとうとう警察に乗っ取られ、警察新聞になって終うのかと嘆声やら悪口やらが出た」のである。


(5-2)「千古の美談」に祭り上げられた「軍資金」調達への疑問