『読売新聞・歴史検証』(11-1)

第三部「換骨奪胎」メディア汚辱の半世紀

電網木村書店 Web無料公開 2004.2.9

第十一章 侵略戦争へと軍部を挑発した新聞の責任 1

「満州国の独立」を支持する日本全国一二〇社の「共同宣言」

 正力の読売経営は商売としては成功しているが、質の評価では明らかに低下した。「文学新聞」どころか「読売ヨタモン」への電車道である。アメリカの真似をしたイエロー・ジャーナリズムの採用は、正力の没理想主義経営の必然的な結果であった。

 ともかく下品な新聞になった。警察とのコネは最強だったから、いわゆる「サツネタ」のどぎつい犯罪報道で、何度もスクープを放った。プロ野球チームの結成は、一面で、高校野球の主催で朝日に遅れを取ったための巻き返し策でもあったが、やはりアメリカの真似に相違ない。「二頁増大ラディオ(その後の表記は「ラヂオ」)版の特設」に先駆けたことなどは、商売上手の自慢にはなっても、教養人からは見下されたものである。

 好戦的な戦争報道は、最も積極的に奨励された。「売れる」からである。読売は、満州事変がはじまると、それまでは控えていた夕刊の発行に踏み切った。正力は、その決断に際して、めずらしく夜も寝られないほど悩んだというが、いかにも正力らしく、人員増なしの「読売魂」の強要による業務量倍加であった。拡大された紙面は、当然、「満蒙の権益を守れ」という好戦的な怒号で埋めつくされるようになった。もちろんそのころには、戦争協力報道は読売だけのことではなくなっていた。

 正力以後、最初は社説もなおざりにされ、出たり出なかったりだった。象徴的な「社説」として注目すべきなのは、一九三一年(昭和6)一一月二六日からの常設で復活した時の最初のものである。

 その社説の題は、しかも、まるで官報そのまま、「強く正しく国策を遂行せよ」であった。満州事変以後の日本を非難する国際世論への猛反撃である。「日本の権益は武力によってでも確保しなければならない」とし、「国際連盟の問題についても、日本の主張が通らなければ脱退もやむを得ない」という趣旨の主張であった。

 翌年の一九三二年(昭和7)一二月一九日には、さらに進んで、おなじ趣旨の文章が、「満州国の独立」を支持する「共同宣言」に発展する。この「共同宣言」は、読売だけではなく、全国で一三二の新聞に掲載された。現在のガリヴァー広告代理店、「電通」の前身、「日本電報通信社」を筆頭とする大手メディア挙げての「共同宣言」である。この恐るべき大手メディアの共犯による罪状は、意外に世間に知られていないので、以下、全文を紹介しよう。ただし、漢字の一部は当用漢字に改め、当用漢字がないか現在通用しないものは、ひらがなに代える。

共同宣言

 満州の政治的安定は、極東の平和を維持する絶対の条件である。しかして満州国の独立とその健全なる発達とは、同地域を安定せしむる唯一最善の途である。東洋平和の保全を自己の崇高なる使命と信じ、かつそこに最大の利害を有する日本が、国民を挙げて満州国を支援するの決意をなしたことは、まことに理の当然といはねばならない。いな、ひとり日本のみならず、真に世界の平和を希求する文明諸国は、ひとしく満州国を承認し、かつその成長に協力する義務ありといふも過言ではないのである。

 しかるに国際連盟の諸国中には、今なほ満州の現実に関する研究を欠き、従って東洋平和の随一の方途を認識しないものがある。われ等は、かかる国々の理解を全からしめんことを、わが当局者に要望すると共に、いやしくも満州国の厳然たる存立を危うするが如き解決策は、たとひいかなる背景において提起さるるを問わず、断じて受諾すべきものに非ざることを日本言論機関の名においてここに明確に声明するものである。

  昭和七年十二月十九日

日本電報通信社  報知新聞社    東京日日新聞社
東京朝日新聞社  中外商業新聞社  大阪毎日新聞社
大阪朝日新聞社  読売新聞社    国民新聞社
都新聞社     時事新報社    新聞連合社

                  外百廿社(イロハ順)」


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