『読売新聞・歴史検証』(0-31)

「特高の親玉」正力松太郎が読売に乗り込む背景には、王希天虐殺事件が潜んでいた!?
四分の三世紀を経て解明される驚愕のドラマの真相!!

電網木村書店 Web無料公開 2003.12.1

序章:「独裁」「押し売り」「世界一」 1

「読売改憲論」批判には「彼(敵)を知り」の基本戦略があるか

 「読売改憲論」そのものについての議論は、すでに盛大に行われているので、本書の目的とはしない。本書が撃破すべき目標は、改憲論を唱える読売そのものである。効果的に撃破するためには、その相手の歴史的な検証による本質の把握が不可欠である。相手の真の正体が分からない戦いでは、勝利の展望は、とうてい見いだせないのである。

 ただし、ほかの大手メディアを持ち上げるつもりは、一切ない。むしろ、読売を批判すると同時に、日本の大手メディア全体の歴史的な問題点をも明らかにすることを望んでいる。新聞業界には、「読売ヨタモン、毎日マヤカシ、朝日エセ紳士」という起源不明の古いダジャレがある。この「ヨタモン」「マヤカシ」「エセ紳士」の、それぞれの性格は、比重が違うだけで各社、または各メディア系列に共通して伝わっているのではないだろうか。

 読売の場合はとくに、「ヨタモン」という形容だけでは不十分である。読売は、最初の半世紀を別として、「中興の祖」とされる正力松太郎の社長就任以後、戦前、戦後を通じて、今回の改憲論に見られるような、政治的策動に関しての度重なる前科者なのである。

 そのような読売の、露骨な政治的策動を可能にしてきた要因には、読売独特の「独裁主義」の「政治的スタンス」と、読売で特徴的に発達した「拡張販売」、ありていにいえば「押し売り」による「経済的基礎」の確保の伝統がある。これらの伝統は、「言論の自由」と相対立するものである。

 再度強調すると、本書の特徴的な狙いは、読売の「政治的スタンス」と「経済的基礎」への疑問提出にある。これまでの、いわゆるジャーナリストやジャーナリズム研究者による読売批判、またはジャーナリズム一般への批判には、記者個人向けの根性論が多い。ほとんどの場合、巨大メディアをめぐる経済学、政治学、歴史学などの視点が欠けている。それらの弱点を、いささかでも補いたいのである。

 以下、まずは、現状の問題点を整理してみたい。


(0-3-2)「新聞セールス近代化センター」を在京六社で設立の社告