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『1946年、北京から引揚げ船で送還された“少年A”の物語』4-3

戦争に敗けてサンキューベリマッチもないものだ

 収容所の建物は学校のようだったが、部屋の大きさは色々だった。以前は日本軍の駐屯地だったという話だ。僕等が入った所は講堂のように広いコンクリートの部屋で、そこに運んできた畳を敷き、荷物を壁がわりにめぐらせて区切っていた。

 隣には父と同じ会社の、近所にいたこともある人の家族がいた。いつもニコニコしている小父さんと、口数の少ない小母さんに、僕より一年下の女の子の三人家族だった。その女の子はいつもメソメソして扱いにくかったので遊ばなかった。二年の時まで同じ組で、絵の上手な少しお転婆の女の子とは仲良しだったが、三年になってからは男の組と女の組とは別になったし、それにもう何処にいったのか分らないのだ。収容所でまた一緒になった友達もいたが、大部分は別れてしまった。内地に帰る友達のために送別会をやったこともあったが、僕等は何も言わずに別れてしまったのだ。

 隣のニコニコしている小父さんは、よく小母さんに叱られていた。小母さんの方が強いようなので僕は驚いた。それでも小父さんは平気で、外に出ると僕等に、

「坊や達、喧嘩なんかしないで仲良く遊ぶんだよ。」

なんて言ってニコニコしていた。他の大人達は大抵、父やチカラさんのように黙りこくって不機嫌だった。イライラしているようだった。そのくせやはり、僕等に喧嘩するなと言うのだった。

 そのうち隣の小父さんは、日本は戦争に負けて、みんなアメリカやイギリスと仲良くしなくてはいけなくなったのだから、英語を教えよう、と言い出した。他の大人達も賛成したらしく、畳を少しずつ集めて教室を作った。子供達は最初からみんな集った。学校がなくて退屈を覚えだしていたのだ。先ず、サンキューベリマッチ、というのを教えてくれた。有難うございます、という意味だった。僕は外国の言葉を覚えるのは面白いと思った。だがチカラさんは、

「あんな奴が英語を教えるかね。戦争に敗けてサンキューベリマッチもないものだ。」

と呟いているのだった。僕はチカラさんが他人の悪口を言うのを初めて聞いて、よほど不愉快なのだろうと思った。考えてみると、チカラさんは前から隣の小父さんが嫌いだったようにも思えた。それで僕はなんとなく、英語を習うのを止めてしまった。


(5)正月になって、浮き立った雰囲気が生れたへ進む┃


資料編 第7回(メルマガ2008年9月18日号分)

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写真1:『図説北京 三〇〇〇年の悠久都市』村松伸・文 浅川敏・写真 河出書房新社 1999年10月 94頁より引用 写真説明:「無邪気」に遊ぶ「淪陥時期」の日本人小学生たち。(「淪陥時期」:本文より「(前略)日本軍が北京を占領するのは(1937年)七月二九日、いわゆる「北支事変」である。このときから日本の敗戦までの約八年間、中国人たちは北京の『淪陥(りんかん)時期』と呼んでいる。(後略)」)

写真2:著者の幼年時代(北京に渡る前のものです)

図版3:『カムカム エヴリバディ 平川唯一と「カムカム英語」の時代』平川 冽 日本放送出版会 1995年5月30日

図版4:『みんなのカムカム英語』平川唯一 毎日新聞社 昭和56(1981)年4月5日
182頁より引用
《カムカム英語の特色   福田 昇八
平川唯一講師担当のNHK英語会話講座は不思議な魅力を備えた番組であった。証誠寺の狸囃子のメロディにのってカム・カム・エブリバディで始まり、レッオール・カム・エン・ミータゲン、シィンギング・ッラ・ラ・ラで終わる夕方の15分間は、いながらにして生きた英語を楽しく学べる時であった。毎週の教材は平川講師苦心の作で、ユーモアに満ち、ほのぼのとした情感があり、講師の声はやさしく、暖かく、情熱にあふれ、聴く者の心をつかんではなさなかった。実際この15分間には、「英語を教えること」と「世の中を明るくすること」の2つの願いがこめられており、この目標は両方とも達成されたのであった。当然ながらこの番組は圧倒的な人気をもって迎えられ、これは全ラジオ番組のベスト3に入り、平川唯一の名は当時、マッカーサーと吉田茂に次いで3番目に有名であったという。
昭和21年2月から5年間続いたこの番組は、26年2月まででNHKの放送から消え、それから30年の歳月が流れた。(以下略)》

http://blogs.dion.ne.jp/ bunsuke/archives/2945569.html(現在不通)
『ことば・言葉・コトバ』より以下を引用
《「希望をくれたカムカム英語」
私の手元に、ぼろぼろになった一冊のテキストがある。講師・平川唯一、放送3月、定価3円、送料30銭と表紙にある。
「カムカム英語」として全国放送され、当時一世を風靡したラジオ英会話のテキストである。このラジオ講座は昭和21年2月から26年3月まで続いた。講師の平川先生は滞米20年の体験を元に、日常生活の生きた会話を重視したテキストを作製された。一週間単位の小話を月4回程度にまとめた、実践的な英会話であった。》

『みんなのカムカム英語』16頁より「テーマソング」を引用
(注:ふり仮名は当初のテキストには無かったようです。また、KITTEN→キクンなど、スペルとは違うふり仮名は入力ミスではありません。)

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COME COME EVERYBODY
カム  カム  エヴリバディ
1. Come come, everybody.
カム カム エヴリバディ
How do you do, and how are you?
ハウ ドゥ ユ ドゥー エン ハワー ユー
Won't you have some candy,
ウォウンチュー ハェヴ サム ケァンディ
One and two and three,
ワンネン ツー エン スリー
four, five?
フォー ファイヴ
Let's all sing a happy song,
レッツ オール スィンガ ハェピー ソング
Sing tra-la la la la.
スィン ツラ ラ ラ ラ ラ

2. Good-bye! everybody.
グッ バーイ エヴリバーディ
Good night, until tomorrow,
グッ ナイ アンティル ツマロゥ
Monday, Tuesday,
マンディー テューズディー
Wednesday, Thursday,
ウェンズディー ソェーズディー
Friday, Saturday, Sunday.
フライディー サェトェディー サーンディー
Let's all come and meet again,
レッツ オール カム エン ミータゲーン
Singing tra la la.
スィン ツ ラ ラ

カムカム の 歌
(こい こい、みんなこい)
1. こいこい、みんなこい
こんにちはーで、ごきげんさん。
おかしを めしあがれよ
ひとつに ふたつに みつ
よつ いつ
みんなで うたおうよ、
うれしい うたを。

2. さーよなら みなさん
おやすみ、またあした。
げつよう、かよう、
すいよう、もくよう、
きんよう、どよう、にーちよう。
またきて うたおうよ
たのしい うたを。
(『証誠寺の狸ばやし』のメロディにのせてうたう)

*************************
18~19頁より引用
LESSON 1
A KITTEN(子ネコ)
ア キクン
Kitty, kitty. Kitty, kitty.
キリ キリー キリ キリー
Come on, kitty. Come here.
カ モァン キリー カメーァ
Oh, the door is shut.
オー ザ ドーァ イズ シャッ
Can't you open it?
ケーン チュー オウプネッ
Wait a minute.
ウェイ ラ メネッ
I'll open it for you.
アール オウプネッ フォー ユー
There!
ゼーァ
Good morning, darling!
グッ モーニン ダーリン
Where have you been all night?
ホェア ヘァヴュー ビーン オールナーイ
I say, where have you been?
アイセー ホェア ヘァヴュー ビーン
Don't you understand?
ドン チュー アンダスタェン
Oh, you don't speak English,
オー ユー ドン スピー イングリッ
you say.
ユ セー

玉(たま)や, 玉。玉, 玉。
いらっしゃい玉。こっちへいらっしゃい。
あー、戸がしまってるの?
あけられないの?
ちょっとまってね。
あけてあげますよ。
ほーら。
おはようちゃん。
どこへ行っていたの、夜通し?
どこへ行っていたのっていうの。
わからないの?
あら、英語はできないんですって?
(以下略)


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