憎まれ愚痴入口木村書店戻る┃  “少年A”の物語自己紹介項目別案内



(当時の写真は持ち帰りが禁止されたため残っておりません。これは北京に渡る前のものです。)

1946年、北京から引揚げ船で送還された“少年A”の物語

(その0)時代の始まり

03.8.25追記:「以下は、その冒頭の部分である」と書きましたが、文中の一節でした。
今回は予告編と解釈下さい。次回、冒頭より掲載致します。

“少年A”こと、私、木村愛二は、1937年1月17日の生まれである。1945年8月15日、8歳の夏、北京の国民学校の講堂で、当時の「国民型」ラディオ受信機から聞こえる意味の全く分からない「チン」で始まる奇妙な声を聞いた。その後、「チン」というのが天皇のことであり、日本が無条件降伏したのであり、戦争に負けたので、これは敗戦であると教えられた。

 以後、しばらくの間、わが一家は、セメント工場の技師の父親が働く北支那開発公社の社宅、社員の数家族が一緒に暮らしていた中国人の富豪の宏大な高い塀を巡らせた城郭のような屋敷の中に、閉じ籠もることになった。外出は禁じられた。

 その間の非常に印象的なある日の出来事に始まる自分の戦後史を、私は、15年後、8歳から10歳の頃の子供の文章として綴り、東京大学文学部英文科のタイプ印刷の同人誌、SPES誌上で発表した。以下は、その冒頭の部分である。
 
 以下の内、「顔見知りの朝鮮人の子供」を認識できた理由を注記して置くと、「重い鋲打ちの木の扉」には、手で持ち上げて外を見ることができる小さな覗き窓があったのである。

時代の始まり

 あの日、古びた重い鋲打ちの木の扉をパラパラと叩くつぶての音が、僕にとっての敗戦の知らせであった。その小石を投げていたのが、顔見知りの朝鮮人の子供であったことは僕を悲しい静かな怒りで満たしはしたが、僕はそれを誰に向ければいいのかは知らなかった。彼等の甲高い日本語の罵声、ぼんやりと、しかしなぜか、心の中ではっきりと意味が掴めたと思えるあの奇妙な、そして僕等の喧嘩のルールに外れた言葉、その激しい響きが最初から僕をうちのめしていた。

「お前等、アメリカ兵が恐くて外に出られないんだろう」

 僕はそれまでにアメリカ兵なんて見たこともなかったけど、そう言われて、何も言い返せなかったのだ。僕の手は、手垢で黒光りした鉄の把手をカタリと落としていた。


SPES(東京大学文学部英文科学生同人誌)1960年7月号初出
 時代の始まり ― 少年“A”の物語  征矢野愛二郎

(その1)に続く

“少年A”の物語に戻る

関連記事:亜空間通信649号(2003/08/17)
【アメリカ兵が恐くて畏縮したまま萎縮症日本人の対米従属と自虐の情けない58年目】

憎まれ愚痴総合案内
雑誌『憎まれ愚痴』
木村書店
亜空間通信
亜空間放送局

2003.8.19