ようこそ、「日本の子どもたち」のホームページへ。

「日本の子どもたちの抱える問題」を中心テーマに取りあげていきたいと思っています。
ただし、不本意ながら、方向音痴と呼ばれています。興味の赴くまま歩き回っているうちに、とんでもなく寄り道したり、違うところに出ちゃったりすることもあるかも・・・。
とくに、「わたしの雑記帳」では、あまり枠組みにとらわれずに、誤解や批判を恐れずに書いていきたいと思っています。なんてったって、“わたしの”ページですから・・・。

「日本の子どもたち」は
私が所属する世界子ども通信「プラッサ」のサイト(http://www.jca.apc.org/praca/index.html) のなかで
武田さち子が作成・運営させてもらっている個人サイトです。私の思っていることや伝えたいことを表現する私のための場所です(「日本の子どもたち」というネーミングは、ただ単に、このサイトで扱っている内容を表すためのタイトルです。公的な立場でつくっているサイトではありません)。
従って、そのことを充分考慮に入れて、偏った見方であるかもしれないことを承知のうえで読んでいただくようお願いします。 

なお、当サイトはいかなる政治・宗教組織・営利を目的とした団体にも、属していません。
一市民による自発的な活動です。

 
 S.TAKEDA




Photo by S.Takeda





2009/11/17 NPO法人ジェントルハートプロジェクト主催、第4回目「親の知る権利を求めるシンポジウム

2009年11月15日(日)、東京・田町にあるキャンパス・イノベーションセンター(CIC)の会議室で、NPO法人ジェントルハートプロジェクト主催、第4回目「親の知る権利を求めるシンポジウムが行われた。

当初、民主党の参議院議員千葉景子さんが、シンポジウムにいらしてくださるということだったが、直前になり、スケジュールの都合から、午後は出席できなくなったということで、午前中の総会に来てくださった。
千葉議員は、法人が2003年に設立したときからの会員で、今までもたくさん応援していただいた。総会やジェントルハートプロジェクトのコンサートにも、ご自身もしくは秘書の方が来てくださっていた。
今年もぜひいらしていただけるよう連絡をとってはいたものの、法務大臣となられて超多忙の今、総会に来ていただくのは無理とあきらめていた。それが、スケジュールの合間を縫ってわざわざいらしていただき、心のこもったごあいさつまでいただいた。
当初、来られてもせいぜいが5分か、10分程度と秘書の方にお聞きしていたが、30分を超えて、総会にいてくださった。
大臣になられても変わらぬご厚誼に感謝、感謝!

そこで、午後のシンポジウムで発言いただく、4人の被害者の親御さんたちも、直接、それぞれの事件事故の資料をお渡しすることができた。

午前の総会と午後のシンポジウム・多くのマスメディアに知らせたが、事前広報もなければ、当日もわずか数社、知り合いを中心に参加してくれただけだった。この問題に対するメディアの関心のなさに、毎度、がっかりする。
一方、民主党議員・首藤信彦氏の秘書さんが、シンポジウムにいらしてくれていた。

午後から、最初に2009年9月15日に、文部科学省の「児童生徒の自殺予防に関する調査研究協力者会議」にジェントルハートプロジェクトが呼ばれて、小森美登里さんと、武田さち子が当日、話した内容を中心に、これまで、文部科学省に対して、法人としてどのような働きかけをしてきたかを説明。(学校事故・事件の当事者と親の 「知る権利」参照)
その後、バレー部合宿中の死亡事故・草野恵さんのお母さん、いじめ自殺したの中井佑美さんのお母さん、いじめ自殺した近藤絢(けん)くんのお母さん、奈良中学校、柔道部顧問による傷害事件のお母さんから、親の知る権利の現状について、報告していただいた。

当日、感想アンケートはとくに取らなかったが、「想像していた以上だった」「まるで、小説のなかのできごとのようで、現実にこんなことがあるなんて信じられない思いだった」などと、何人かの知人から声をかけていただいた。

なお、奈良中柔道部傷害事件の資料のなかに、検察審査会に提出した書類があり、そこにはご両親の思いがあふれていたので、サイトに掲載することの許可をいただいた。(041224参照)


2009/11/10 千葉県浦安市養護学級わいせつ裁判 控訴審第3回目。

2009年11月9日(月)、東京高裁822号法廷にて、午前11時から、千葉県浦安市養護学級わいせつ裁判控訴審の第3回目が行われた。
裁判官は、一宮なほみ氏、田川直之氏、始関正光氏。
法廷入り口の案内には、K元教師は補助参加人と書かれていた。一審原告の氏名は匿名となっていた。わいせつ事件における裁判所の配慮かと思われる。
傍聴席は、平日にもかかわらず、千葉から駆けつけた支援者たちを中心に7割方は埋まっていたと思う(しっかり確認しなかったが)。

裁判のなかで、控訴人の浦安市のほうから、一審で証拠提出された(祖母の)日記を裁判所に見てほしいとの要望があった。それに対して、一宮裁判長は、裁判所が必要と判断したら見ますという内容の回答をした。
被控訴人(一審原告)の弁護士が、次回、専門家の意見書を提出したいと申請したことに対しては、一般論がいっぱいあっても、本件についてはどうなのかということは別もの。そういうことにお金や時間を費やすのはいかがなものかという疑問が投げかけられた。対して、すでに依頼を済ませてあるので、提出させてほしいと弁護士が要望。12月25日までに意見書を裁判所に提出することになった。
次回は2010年1月25日(月)、東京高裁822号法廷で、11時30分から。

裁判後、弁護士会館に場所を移して、裁判の報告会が行われた。
控訴人の千葉県。浦安市、補助参加人らは、一審でわずかに認められた3点の暴力やわいせつ行為さえ、ひとつも事実はなかったと主張しているという。
対して、一審原告で二審被控訴人のAさん側は附帯控訴をし、一審で認められなかった多くの被害について、認めてくれるよう働きかけているという。

*********

裁判支援には、障がい児者に関わる活動をしている人たちや親たちも多くかけつけている。
そのなかのひとりが情報提供してくれた新聞記事には、日本の司法の障がい者に対する偏見や意識の低さが如実に現れていた。(2009/9/30毎日新聞、2009/9/30宮日新聞を参考)

2009年2月11日、宮崎県西臼杵郡で、知的障がいのある女性(20歳代)を無職・男(60)が知人を介して誘い出し、車で自宅などに連れ去り、約1時間半にわたって車内で、下半身をさわるなどのわいせつ行為をしたとして、3月30日、男はわいせつ誘拐、強制わいせつ罪で起訴された。男は起訴内容について、「合意のうえだった」と無罪を主張。検察側は懲役2年6月を求刑していた。
しかし、9月16日、宮崎地裁延岡支部の福島雅幸裁判長は、「女性に告訴能力がない」として、検察側の起訴を無効とする控訴棄却の判決を言い渡していたことが判明。


強制わいせつ罪の立件には、被害者や親族からの告訴が必要となる。
告訴には、@被害の認識、A処罰感情、B犯人に対し、公の制裁を求める感情などの構成要件が必要になるという。
同支部は、「被害女性の知的障がいの程度をかんがみた場合、告訴能力がない」と判断したという。
一方、検察側は、未成年者や知的障がいを抱える場合、代理人を立てて告訴することができるものの、捜査段階で「女性に告訴能力はある」と認定していたため、代理人を立てていなかったという。

立命館大学名誉教授の井戸田侃(あきら)氏によれば、親告罪を巡っては過去に11歳や13歳の知的障がいのない少女が被害者として本人の告訴能力が認められた判例があるという。(2009/9/30毎日新聞)
事件や事故の目撃証言については、幼児の証言も採用されている。
しかし、知的能力が○○歳程度と医師が診断した障がい者の証言は、認定された知的水準に関係なく、一律で信用ならないものと判断されることが多い。
知的障がい者の個人差、個別能力について、あまりに無知、無理解だと思う。
まして、感情面では一般の人たちと変わらない。いやだと思う気持ち、みじめさ、悲しみ、喜び・・・。
知的能力が劣れば、かえって周囲にどう思われるか、これはどのような表現すれば効果的など、他人の思惑を考えることなく、正直に出てくると思う。むしろ、嘘をつきたくても、上手に嘘をつくことができない人たちは、一般の人たち以上に正直で、本人が強く主張することに信用性があると思う。

ただ、聞き方は配慮を要する。誘導したり、脅したりすれば変わることもある。また、何度も同じ質問を繰り返すなどすれば、学校での授業を思い出して、先生が二度同じ質問をするのは、前の答えが間違っていたからだと思い、違う答えを言う場合もある。
きちんと知識をもった人間が尋問すれば、一般の人たち以上に、事実が出てきやすいはずだ。門前払いするのはおかしい。

幼児に対して、障がいのあるひとに対して、高齢者に対して、どのように尋問すればよいのか、もっと専門家として知識を身につけてほしい。でなければ、法の下の平等は守れない。
平等とはけっして、一律同じ条件で行うことではなく、それぞれの特性を理解し、ハンディをハンディと感じさせないことだと思う。その努力は、ハンディがあるひとに課すのではなく、ハンディを持たない人間にこそ課せられるものだと思う。

被害にあっても告訴する権利さえ与えられない。人としての権利がないがしろにされる。それを法を守る人たちがするべきではないだろう。弱者の権利が守られない社会では、一般の人々も安心、安全には暮らせない。
そして、経済価値が全ての社会では、金を儲けることのできない人間の価値はゼロと換算される。
病人も、障がい者も、高齢者も無価値と。犬、ネコでさえ、交通事故の賠償ではモノとしての価値が与えられているときくのに。
それぞれに、ひとつしかない命。金になど換算できない、はかりしれない価値がある。そこからスタートしてほしい。
命を傷つけた代償として、もし自分の命で償わなければならないとしたら、自分の命にいくら出すか。心を傷つけた代償を自分の心の傷に換算したらいくらになるのか。

まずは相手の立場にたって、考えてほしい。


2009/11/10 中井佑美さん(中1・12)いじめ自殺事件民事裁判の進捗状況

2009年11月6日(金)、東京地裁536号室で、中井佑美さん(中1・12)いじめ自殺事件の民事裁判の弁論準備手続きが非公開で行われた。
裁判官は、志田博文氏、藤岡淳氏、今村あゆみ氏。
非公開で、傍聴できないにも関わらず、536号室の前には10数人の支援者が集まった。

数十分のち、部屋から出てきた弁護団から説明があった。
現在、原告の中井さん側と、被告の北本市、国側とのそれぞれの主張の争点整理を行っているという。
すなわち、何が争いになっているのかをはっきりさせて、誰を証人尋問に呼ぶかを整理しているという。
当時に、必要な書類については提出を要請している。

次回は、12月22日(火)、午前11時半から。東京地裁535室。同じく非公開で行われるが、その後、弁護団から進捗状況について説明がある予定。
今の流れからすると、来年の春から夏にかけて、教育委員会や学校教師らの証人尋問が行われるだろうとのこと。
公開裁判が再開されたら、101号の大法廷を支援者でぜひいっぱいにしたい。
とくに
国(文部科学省)を訴えている裁判は、中井さんの裁判というより、多くのいじめで亡くなった子どもたちの、苦しんできた子どもたちの、今も苦しみ続けている子どもたちの、そして親たちの代理裁判でもある。


2009/11/2 スクール・セクシャル・ハラスメント防止研修会(講師:精神科医 竹下小夜子さん)に参加して

 2009年9月27日、特定非営利活動法人スクール・セクシャル・ハラスメント防止関東ネットワーク主催の東京ウィメンズプラザで行われたスクール・セクシャル・ハラスメント防止研修会『親の二次受傷』に参加した。
 講師は、精神科医の竹下小夜子さん。とてもわかりやすい資料と内容だった。
 資料などもどんどん使ってくださいと言っていただいたので、少し時間がたってしまったが、そのときの内容をUPしたい。

1.性暴力の実態


被害者の実態
@1997年、竹下小夜子さんが沖縄で扱った性暴力相談112例のデータから。
・性暴力の約9割は、顔見知りや身近な人による犯行。
その3分の1は、同居あるいは家庭内に日常的に出入りする身近な加害者。「見知らぬ加害者」による犯行は11例、1割のみ。

A1998年、「子どもと家族の心の健康」全国調査から。
小学校卒業までに、女子の6.4人に1人、男子の17.5人に1人が身体的性被害にあっている。
女子の116人に1人は、小学校卒業までに強姦あるいは強姦未遂の被害にあっている。

B2004年、高校生の性被害の実態(アジア女性基金委託調査/野坂氏ほか)から。
女子 男子
  身体的性被害 4割弱 1割
  強姦未遂 13% 3%
  強姦既遂 5% 1%


C教育現場でのセクシャル・ハラスメント(2006/12 竹下小夜子氏 1997-2006年受診者データから)
受診者 性別
計46人 女性 男性
  幼稚園
  小学1〜3年生
  小学4〜6年生
  中学生
  高校生
  大学・大学院生 15 13
  教職員

2006年竹下氏個人データ概要は、
・全て、身体的性被害、強制わいせつ以上。
小学低学年までの子どもは、保護者が受診させており、保護者の心理的動揺が深刻。
中高校生では、養護教諭など、女性教師や警察関係者等、第三者に勧められての受診が多い。
大学生以上では、勧められた場合も含めて、自発的に受診している。


加害者の実態
加害者(1人を除き、全て男性)
加害者
  幼稚園  職員
  小学1〜3年生  教師、職員、塾講師(1人)
  小学4〜6年生  教師、部活関係者、養護学校の送迎を含む他児の保護者
  中学生  教師、部活関係者、先輩など生徒
  高校生  教師、部活関係者、先輩など生徒
  大学・大学院生  教官、先輩など学生
  教職員  上司、同僚


重症度および受診回数・期間 (人)
受診者 初診時重症度
計46人 軽傷 中等症 重症 4回未満 1年以上
  幼稚園
  小学1〜3年生
  小学4〜6年生
  中学生
  高校生
  大学・大学院生 15
  教職員
※沖縄では、警察経由の場合、3回まで受診が無料。


被害者の特徴

被害(受診)者 主な特徴
幼稚園〜
小学校3年生
・子を案じると同時に、診断書発行依頼を重要な目標に、親が半ば強制的に連れてくる。
・診察時に語りたがらない。無理せず、こちらになじませ、こちらがどのように協力できるかを理解させる。
・子どもがなじむまでは一緒にいさせるが、子どもが被害を語り始める様子を見せる際は、付き添いの保護者には退室してもらう。親の反応を気にして、口ごもる子どもが多い。
・診察時は特に治療行為を行わなくとも、成長後に自ら受診してくるケースは多い。特に異性との交際を機に受診するケースが多い。

子どもが被害にあった保護者に、正確な情報を伝えることが重要。
保護者、とりわけ母親への心理的サポートが長期間必要。
小学校高学年〜
中学生
・「自分は他の子たちと違う」「汚れてしまった」などと思いやすい。
・不機嫌な表情で沈黙する子もいる。(親や警察に同じことを語るのはもうイヤ)
・わざとはしゃぐなど、何とか「普通」を振る舞おうと無理をし、結果的に学校に不適応になりやすい。
・集中力低下、学業不振、いらいら、怒りっぽい、突然の動悸、生活リズムの乱れ、学校に行くのを嫌がる、母親に添い寝をしてもらうなどの心理的退行、自傷行為、窓から飛び降りようとする、腹痛や頭痛などの身体的訴え、抜毛癖やチックの出現など。
・本人が受診しなくとも、親が苦しんで受診することがある。

・その後、薬物非行や性非行等の問題行動を出現させる子もいるが、保護者自ら受診を重ね、子に適切に対応するようになると、子どもも安定化しやすい。
親が恨みがましい顔や不幸な顔をしていると、それを見たくなくて、外泊が続くことがある。
夫婦が痛みを共有する、親自身が小さな楽しみを手に入れるなど、自分の人生、日常を取り戻すと、子どもは安心して家にいられるようになり、自分のことを考える時間ができる。
高校生・大学生・教職員 ・高校生以上の受診者には、典型的なPTSD症状を認めることが多い。
・重症者は、自傷行為、自殺願望や自殺企図、性的問題、それまで適応できていた学校に不適応反応を生じ、結果的に不登校や退学につながるひとも多い。
・妊娠2例、STD(性的感染)罹患5例。(これらは傷害罪に問われる)
男 性 ・男性被害者の受診が増加。
・加害者も男性(教師、先輩、友人など)。1例のみ女性教師が加害者。
・加害者は同性愛者だったり、いじめで屈辱を与える手段だったりする。
・屈辱感と不合理な「恥」意識の強さから、後遺症が重症化しやすい。
・被害者自身にジェンダーの刷り込みが影響。(男は強くなければならないなど)
・加害者の「君も喜んでいる」の決め付けや、周囲にも同様の偏見が存在する。(「本人がその気にならないとありえない」と思っているなど)
・被害者は相手を「殺してやりたい」と思っていることもある。


※takeda私見
性的被害は一般に思われている以上に多い。ただ、被害を口に出しにくい環境にあるため、表面化しにくい。とくに、男性の被害は女性以上に偏見が多く、声をあげにくい。
竹下さんとお話した際、「報道されることはそれほど多くありませんが、じつは、いじめ被害に性的虐待がたくさんあります」「とても深い心の傷を残します」と私が話したところ、「私のところにもいじめによる性的虐待による心の傷で受診される方がたくさんいます」とのことだった。


2.子どもの性被害の特徴


@イヤと言えない
・子どもは大人の言うことは何でも素直にききなさい」と教えられている。立場が上の人、特に大人に対して「イヤだ」と言っていいと教えられていない。
CAPの「NO」「GO」「Tell」には意義と価値がある。(CAPの本を親が子どもに読み聞かせるとよい)

・加害者が圧倒的な権力を持つ場合、声も出せず、抵抗しない傾向が大人以上に顕著。

・暴力を伴う場合、いっそう従属的になりやすい。


A加害者による巧みな操作
・低年齢の場合、加害者が愛情と虐待を混同させているケースも少なくない。
「いやだった」という一方で、「やさしかった」などと言う。それを聞いた親の怒りが子どもに向かうこともある。

・秘密を共有することで、加害者に共犯意識を感じさせられ、罪悪感を抱いている場合も多い。
「ふたりだけで秘密にしておくことだよ」「知られたら、友だちもいなくなる」「話したら、みんなに信用されなくなる」「バラしたら殺す」などの脅しも。


B語れない状況に追い込まれている場合が少なくない。
・「そんな目にあったお前は恥ずかしい存在」「あんたがぼんやりしていたから」など、親から叱られると思い、沈黙する場合もある。

親を心配させ、悲しませることを恐れて話せないこともある。

・言っても、「信じてもらえなかった」「あんたの考えすぎじゃない?」と実際に言われたケースもある。
マッサージと称して触られたと訴えても「考えすぎ」と言われたり、夜布団に入ってきたと言っても、「寝ぼけて間違えたのではないか」と言われるなど。親が動揺して信じたくないためこのように言ってしまい、あとになって、冷静になって聞こうとしても言わなくなることもある。


C語れる言葉をもっていない場合もある。
・いやだと感じるが、性器について正しい名称も知らず、被害が説明できない。
子どもを狙う加害者は性器の名称をきちんと言える子どもを避ける傾向があるというデータがある。
幼稚園までに、性器の科学的名称を教えることは意義がある。
カナダのメグ・ヒックリング著『メグさんの性教育読本』 

・俗称で性器を呼ぶと、「そんなことを言うんじゃない」「下半身にまつわることは言ってはいけない」と思わされているため、性器に関することは「話してはいけない」と感じている。


3.被害の影響


@身体的・情緒的影響
 不安、恐怖感、憂うつ感、イライラ、易怒性、集中困難、睡眠や食事のパターンの乱れ、登校に支障をきたすほどの痛みや苦痛、動悸その他さまざまなストレスの兆候、自己イメージや自尊心への影響、性的関係や一般の対人関係での自信のなさ。

A対人関係の変化
 友人を避けたり、今までとは異なる人たちと付き合おうとする。

B日常生活上の変化
 欠席、不登校、成績低下。ただし、成績が上がることもある(被害を忘れたいために勉強に没頭)。

C性的な関係についての態度や振る舞いの変化。

D自傷行為、希死念慮や自殺企図、非行等の問題行動、その他。

E外傷後ストレス障害(PTSD)
・当時の情景が迫ってくるように感じ、それを繰り返し思い出す。リアルに追体験する。
 事件について何度も夢をみる、突発的なパニック、感覚や反応の麻痺、外部との関わりの減少、他者と疎遠になる、事件に関係する活動を避ける、事件を象徴する事物・状況等に過剰な反応を示す、過剰な警戒的態度、過度の驚愕反応、睡眠障害、その他
・感覚麻痺: 他人事のように淡々と被害を語るなど。
 ストレス反応のひとつ。 受けた衝撃が大きすぎるため、防衛のメカニズムとして、感覚の麻痺や記憶の脱落などが生じる。
 子どもに多い反応。
 ※警察も被害を疑うこともあるが、このようなケースほど心理的トラウマは一般的に大きいと考えられる。
・性的な障害: 成長後に顕著になるケースがある。多くの場合、加害者より強制された特定の性行為に対する拒否感。
 性行動に長期間嫌悪感を持ち続ける人は、個人経験では約25%。
 一部に、奔放な性行動(「喜び」より、スキンシップによる安心感への飢餓、セックスなんて大したことではないと、被害の「無効化」の印象。)

Fサバイバーのトラウマ
・トラウマは必然的に、その人の人間観、人生観、世界観、アイデンティティなどに影響を及ぼす。
・トラウマによる孤立無援感、他者や世間への不信感など。
・心理的回復の過程では、家族、友人、支援者との信頼関係の形成(=新たな体験)が重要な意義を持つ。

・平成13年4月の、厚労省「性的搾取及び性的虐待被害児童の実態把握・対策に関する研究班」調査では、
刑務所に収監された女性受刑者の7割以上が、18歳までに性的虐待を受けていた。
3割はレイプなどの深刻な被害。
2割が近親姦被害。(近親姦は、社会的地位、経済問わず。小児性愛とは別もの。)

後遺症がない場合もある 〜 Conte(1985年)「21%には後遺症なし」の調査結果を発表。
性的虐待を受けた369人対象(76%が少女、24%が少年)
性的虐待に伴う症状を示すのは、79%と多い。
しかし、残り21%は、後遺症などの問題が生じていない。
◎どうして、問題が起こらなかったか? その重要な因子は、虐待の事実を認め、支えた大人が一人でも存在していたこと。
※親の二次受傷ケアが大切。
再び人間を信頼できるようなるには時間がかかる。性を含めて、人間関係には温かさ、気遣い、優しさが不可欠であると強調。


4.親の二次受傷

@親の動揺と混乱
・一般的に被害にあった子ども以上に親、とりわけ母親の動揺が大きくなりやすい。
・被害の態様、そのときの子どもの心情について、親は最悪の想像をしたり、逆に、心理的防衛から否認や過小評価に向かうなど、混乱と動揺が大きい。
・一般的に、性暴力被害は、身体的暴力被害以上に、親の憤怒と屈辱感がより強い。
(例えば、強姦殺人の場合、強姦の苦悩のほうが大きいなど)
・高い共感能力に伴う必然的反応。
・被害の重大な後遺症について、子どもより親のほうが知識を有している。一方で、その知識が中途半端なことによる絶望感。
(乗り越えられる、回復可能という情報がない)
・性被害は多く、母親も被害体験を持つことが少なくない。自らの体験と重なることによる動揺の激しさ。子どもの被害をきっかけに、母親がフラッシュバックやうつ病発症など。
・子どもの回復の遷延化(せんえんか)につながりやすいため、臨床では母親のサポートが重要な場合が多い。(母親の不安定さが、子どもに影響しやすい)
・加害者が教師の場合、子どもを保護する立場にある者の犯行だけに、とりわけ、憤りとともにやりきれなさや無念の思いに親が苦しむ。(親の苦悩を見た子どもが、その後、事件について、親子に語りたがらないこともある)
・親の苦悩と動揺に対して、子どもが性暴力被害から心理的に回復することは可能な事実を伝え、子ども自身が援助を必要と感じるときは、こちらも力になりたい旨を伝えることは、親の心理的安定化に役立つ。

A加害者が地域で「いい人」と思われていた場合
・被害を受けた子どもが感じる「恥」や罪悪感、混乱はより大きい。
・母親の怒りはより激しく、無力感や自責感も強まりやすい。
・周囲の衝撃と動揺が大きい。
(例えば、「あんなに尊敬されている人がそんなことをしたなんて、本当だろうか」などと不用意な言葉を言われ、被害を受けた子どもと家族の孤立・疎外感が強まりやすい)

Bかなり後になって被害を打ちあけられた母親
・親が動揺のあまり、「なぜ、もっと早く言わなかったの」などと、自らの動揺を子どもにぶつけることがある。
・「気づいてやれなかった」「必要なときに守ってやれなかった」などの自責感。
・加害者に責任を問うことがより困難になったと感じる無力感。
・直後に打ちあけられた母親に比べ、「子どものために」被害について沈黙し、秘密にする傾向がある。
(母親の無力感や自責感、葛藤がより深刻化しやすく、母子ともに適切な支援を得られにくい。)


C子どもが性被害にあった親へのアドバイス(プリントを常備しておいて、口頭での説明後に手渡すとよい)

                    子どもが性被害にあった親へのアドバイス

・子どもが性被害にあうと、親は動揺します。話をさえぎったりせず、最後まで辛抱強く聴きましょう。

・子どもが語り終えたら、正直に話してくれて良かったと伝えてください。

・あなたは悪くないと、はっきり言ってください。

・被害にあったときの子どもの行動について、絶対に、責めたり、叱ったりしないでください。

・加害者を殺す、復讐するなどの言葉で、子どもを恐がらせないでください。

・これから先も、話したいときはいつでも聴くと言ってあげてください。

・「忘れなさい」「いつまでも泣いてばかりいず、学校に行きなさい」など、行動を強制しないよう気をつけてください。

・親の動揺を子どもにぶつけたりしないよう、気をつけてください。

・被害にあう前と変わらず、子どもを愛している事実を、言葉にして伝えてください。



D母親へのサポート
・適切な支援により、子どもの心理的回復は可能なことを話す。
(「本人の虐待の事実を認め、受け入れる大人がいるか否かが、回復の鍵になる」など。)
・サポートする人との関係では、母親自身、どんな感情もありのままに安心して表出してよいことを話す。
・一人ぼっちではない、こちらも力になりたいことを話す。
・情報の提供。(婦人科受診、法律相談、加害者に責任を問う方法など)
・Cの「子どもが性被害にあった親へのアドバイス」のプリントを渡す。
・支援機関や団体の連絡先。
・電話による紹介、依頼状、付き添い同伴。


5.支援のために知ってほしいこと


@被害者への二次加害の背景に、「男性生理」をめぐるウソ。
・「男性は強い性的欲求にかられると自らをコントロールできなくなる」はウソ。
「自動的」「衝動的」反応ではない。性的興奮から、公衆の面前で押し倒す人はいない。加害者が暴力や脅しの利用できる状況をしっかり選択している。
・「男性は女性以上に生理的にセックスを必要とする」はウソ。
射精は生身の女性を必要としない。

A恐怖と動揺と混乱とで、「抵抗どころか叫ぶことすらできなかった」被害者が多い。
・「逃げる」「叫ぶ」「抵抗する」のどれか一つでもとれた女性は、12%のみ。(1997年竹下氏のデータ)
・「抵抗すればレイプなどできない」「本当にイヤなら、最後まで抵抗するはずだ」の誤解。「抵抗どころか叫ぶことすらできなかった」人が大半で、「ケガもしていない」のが一般的。けっして「合意した」のではない。

B「抵抗」に関する男女意識差。アイオワ州立大学の研究。
・男子学生の大半は、レイプに直面した女性の激しい抵抗を肯定的に評価。
・女子学生の多くは、レイプに激しき抵抗する女性の行動に、否定的な評価。「抵抗し暴れれば、加害者のさらなる暴力を誘発し、殺されるかもしれないから、賢明で分別ある行動とはいえない」との回答が多数あった。

C「未遂」と「既遂」とで、重症度に違いはない。
・強姦及び強姦未遂との間で、心理的後遺症の重症度に違いはない。
・既遂か未遂かを問わず、心理的外傷は苛酷。
・膣へのペニスの挿入を意味する「姦淫(かんいん)」より、アナルセックスやオーラルセックスの方が、身体的・心理的外傷が重篤な場合もある。強姦罪より、強制わいせつ罪のほうが罪が軽い現行の司法判断の妥当性には疑問。

D多くの人が被害者に落ち度を見つけたがるのは、「安全神話」への願望。
自分や家族は気をつけてさえいれば、安心だと思いたい。「善良に誠実に生きていれば、努力は報われる」という人生への公平さへの願望が背景に存在する。
実際には、誠実に、善良に生きていようが、被害にあうことはある。性暴力自体、本質的に理不尽なもの。

E被害者に正しい情報を伝える
被害後、シャワーを浴びてはいけない。証拠となる残留物が全て洗い流されてしまう。
(沖縄では、110番すれば、私服女性警官が専用車両で婦人科に搬送。診察・診断書料が無料になる)

F婦人科の受診の必要性
緊急避妊ピルを72時間以内に2回服用すれば、妊娠を回避できる。
STD(性的感染症)の検査は、被害の約5日後からは、ほとんど可能になる。
HIVのみは、抗体ができるまでに3カ月かかるため、3カ月後からしか判明しない。
(保健所で匿名・無料で検査ができる。ただし、要予約)

G被害を打ちあけられたとき、かける言葉。
・「正直に打ちあけてくれてよかった」「正直に話してくれてありがとう」「話すのはつらかったと思う」の声かけ。
(「話してくれてよかった」+「あなたを信じます」のメッセージ)
・「(これだけはわかってほしい。)あなたは悪くない」(最も重要なキーワード)
・「あなたは一人ぼっちではない」
・「力になりたい」

Hしてはいけない、言ってはいけないこと。
禁止事項 具体例
責めない 「なぜ車に乗ったりしたの」
おどさない 「噂になるかもしれない」
軽視しない 「そのうち忘れられる」「犬にかまれたようなもの」
疑わない 「ほんと?」「うそー」「信じられない」
否定しない 「いい加減に許してあげたら」「そろそろ立ち直ってもいい頃」
他の人と比べない 「あの人よりまし」「あなたの場合はひどすぎる」
精神分析しない 「本当はそう思っていないはず」
指示や命令 「落ち着きなさい」
忠告・モラルのおしつけ 「家族に話すべき」「訴えるべき」
主導権を握る 「信じて。何でもやるから」「任せて。悪いようにはしないから」
非難・批判 「どうしてもっと早く言ってくれなかったの」「だから、言ったでしょ」
同情・気休め 「かわいそうに」「心配しないで。ぐっすり眠ればラクになる」


I自責感の軽減化をはかる  ※心理的回復支援ではとりわけ重要
・「怒り」はいちばん健康な回復
・「私がばかだった」「私も悪かった」「恥ずかしい」「情けない」など、自責感を伴う抑うつは回復が長引きやすい。
・「あなたは悪くない」「加害者だけに全面的な責任がある」と、断固たる姿勢を貫くことが重要。
 
J混乱と動揺、フラッシュバックに対して
・「決して気が狂ったのではありません。被害にあった人の一般的な反応です」
(どんなに激しい情動反応も、「被害にあった人の一般的な反応」と理解してもらうと、かなり落ち着いてくれる)
・「フラッシュパックが出現するのは、最悪の困難な時期を通りすぎて、目の前が安全なときだけです」
痛み刺激は即効性のある精神安定剤。
 パニックのとき、輪ゴムを手首にはめて、バチンとやる。手のひら、へその下、大腿部、でん部などを強くたたく。
 (リストカットを覚える前にこの方法を知っておくとよい。リストカットとは違い、傷跡が残らない)

K激しい怒り、怒りの拡散に対して
・激しい怒りや暴力をふるう夢に、本人自身が怯えることが多い。
・「怒りを感じるのは、順調な回復を記しています」
支援者は、本来加害者に向けるべき怒りの拡散の安全なターゲットになりやすい。個人的に受け止めないこと。
怒りを適切に方向づける。私はあなたの側に立つというメッセージを伝える。「ひどい仕打ちをした加害者に、私も怒りを覚えます」。

L「死にたい」と打ちあけられたとき
「死にたい」気持ちが納得いくまで聴く。
・なるべく、「なぜ」という言葉は使わない。「いつから、そう思うようになったの?」「何かきっかけでもあったの?」
・「死にたい」気持ちの徹底受容。「たしかに死にたくもなるよね」
死にたい人は孤独。孤独感へのアプローチ。「あなたは一人ぼっちではない」。
・勝手に死なない約束をする。返事をしない人、生返事は危険。「わかった」と言ってくれれば、信頼してくれている。
次の約束をとりつける。「○○に、どこかに行こうか」
・キーパーソンに理解を求めることの同意を得る。「お手伝いさせてほしい」。

M全ての感情は役立つ
・「怒り」は、心理的回復を最も促進させる。人間の創造性と密接に関連。自分の納得のいく人生、決意を固めるのに役立つ。
「どんなに怒っても当然です。ただし、行動を選ぶ際には、ご自分を守れるように、気をつけてください」
・「恐怖」は、自分を守るために用心深くなれる。
・「不安」「緊張」は、周囲に注意深くなれる。
・「退屈」は、新たな取組のときを気づかせる。
・「空虚感」は、過去の人生と決別し、新たな歩みを始める前の必然的プロセス

N自己分析は役立たない
・困難な時期、原因がわかれば問題が解決できるのではと自己分析する人は多いが、困難に陥る自分を上手に解釈・説明できる自己分析物語ほど、「自分がこうなるのも必然的」という宿命的無力感に縛られやすい。
・過去は大きな影響を及ぼすが、現在や未来を縛りはしない。


最後に、臨床家アリス・ミラーの言葉
「誰か一人でもいい。その人のほんとうの気持ちを理解し、受けとめてくれる誰かがいてくれたか、否かが決定的な違いを生む」。その「誰か一人」は、血のつながりの有無も問わず、性別も問わない。


※takeda私見
「支援のために知っておいてほしいこと」は、性的虐待被害だけでなく、いじめなどの相談をうけるときにも共通している。

2009/10/27 奈良中学校、柔道部顧問による傷害事件傍聴報告。 刑事事件としては、顧問教諭の不起訴処分が決定!?

2009年10月27日(火)、午前10時00分から、横浜地裁503号法廷で、奈良中学校、柔道部顧問による傷害事件の民事裁判第9回口頭弁論が行われた。裁判長は三代川俊一郎氏、峯俊之氏、塩田良介氏。

まず、裁判長がT顧問の代理人弁護士に、変更部分はないか確認した。
どうやら書類の一部に不明点(昏睡が5日なのか、50日なのか?)があり、それについて再度、裁判長が質問した。しかし、弁護士は何ページにあると書いたと返答。どこの部分に書いてあるのかと問われても、きちんと調べればわかるはずと突っぱねた。裁判長は丁寧な口調で、裁判所でも見てみたが、わからないので質問している。再度調べてわからなければ、また聞くかもしれないと、引き下がる形となった。
裁判官に対して、これだけ不遜な態度をとる弁護士も珍しい。ふつうは、心証を悪くすることを避けるものだが、ちょっと驚いてしまった。

神奈川県や横浜市からは、急性硬膜下血腫の原因と因果関係が、現時点のものではわからないので、鑑定が必要という意見と、MRIの画像を提出してほしい旨の要求があった。
それに対して、原告側は、一部、保管期限が切れてしまって廃棄され、入手できないものがあったが、検討して出せるものは出したいと答えた。

また、裁判長からは、検察庁のほうはどうなっているかと聞かれて、近く処分(結果)を出すといわれている。次回までには出ているのではないかと思うと原告代理人が答えた。
また、高次機能障がいについて、現状を報告してほしいと裁判長が要請した。

次回は12月8日(火)午前10時から、横浜地裁503号法廷にて。今回、被告側から出された反論に対して、原告側が再度、反論を行う。

**************

裁判後に、原告弁護士から簡単な説明があった。今日、検察から呼ばれていて、これから行くとのこと。前回は今年の3月。結論が出るはずだったが、延期になった。
通常は1年以内に結論が出るが、送付からすでに2年3カ月たっており、異例であるとのこと。さすがに、今回で結論が出るだろうとのこと。

そして、Kくんの母親が言った。今まで、自分たちは、医師からたくさんの同じような症例があることを聞かされてきた。しかし、そのほとんどが交通事故だった。ある方に指摘されて気づいたが、自分たちの息子の事件は、人間対人間。にもかかわらず、40キロ、50キロのスピードを出してぶつかった車対人間と同じように、ラベ静脈が切れている。これは何を意味するのか。
人間対人間の事故に詳しい、スポーツ事故の専門家に話を聞いてほしいと、検察にお願いしてきた。
そうすれば、単なる事故ではないことがわかるはずと。

帰宅後、Kさんからのメールで、不起訴処分が決まったことを知った。
ネットニュースでも詳細が出ていた。
讀賣新聞のサイトには、
「横浜市立奈良中学校(青葉区)で2004年、柔道部顧問の男性教諭(31)が部活動中、教え子だった当時中3の男性(19)に脳挫傷などの重傷を負わせたとして傷害容疑で書類送検された事件で、横浜地検は27日、「技をかけるときに傷害の故意があったと認めることはできない」として、男性教諭を嫌疑不十分で不起訴とする方針を固めた。
県警の発表などでは、事件は04年12月24日午後、同校の格技場で起きた。県警は07年7月、教諭が受け身の取れない状態の男性に大外刈りや背負い投げなどの技を続けて重傷を負わせたとして書類送検した。教諭側は「投げ技のスピードだけで脳の血管が切れることはあり得ない」などと反論。捜査関係者らによると、教諭は男性の頭を畳に打ち付けていないことなどが確認されたという。」とある。

しかし、多くの柔道事故で、脳の血管が切れて亡くなったり、重い障がいが残ったりしている。
顧問が、Kくんの頭を畳に打ち付けていないことをどうやって確認したというのだろうか。教師がやっていないと言えば、やっていないことになるのだろうか。
しかも、引退した3年生部員を下校時に待ち伏せして、無理やり道場に連れて行って、顧問が相手をした直後に意識を失って、救急搬送されている。

顧問には講道館杯日本体重別選手権で優勝経験がある。中学生との力量差は明白だ。
柔道の投げ技でさえ起きないというなら、いつ、どこで、交通事故でもないKくんの脳の血管は切れたというのだろう。学校側は電信柱に頭でもぶつけたのではないかなどと言ったというが、それこそ、その程度で切れる血管ではない。
柔道の猛者が意識的にやってこそ、可能な傷害ではないのか。

すもうの時津風部屋・斉藤俊(たかし)さんの事件でも、最初に検視した愛知県警はすぐには立件しなかった。解剖さえしなかった。新潟の実家に遺体が送られて、両親が新潟県警に相談して初めて、事件が動き出した。
県警と相撲界の関係も当時、いろいろ報道されていたはずだ。

同じことが、ここでも起きているのではないか。
とくに神奈川県警と柔道との結びつきは強い。最初から結論ありきで、ただ、ほとぼりが冷めるまで待っていただけなのではないか。これは当初から心配されていたことだった。
身内かばいと同じ意識が働いているとしたら、とんでもないことだ。
警察で、自衛隊で、リンチ殺人が起きても、立件されない。それが、学校現場にまで入り込むとしたら、これが先例となるとしとたら、武道にかこつけたら、何でもできてしまう。
交通事故死に関して、日本の科学捜査は優秀だと聞いたことがある。科学的な立証を重ねていけば、たとえ被害者が証言できなかったとしても、密室で行われたとしても、立件できるのではないだろうか。それためのヒントを、被害者の両親が必死になって提供してきた。ほんとうに、あらゆる手立てを尽くして、公正に審議された結果なのか、疑問に思う。

顧問は今も、別の学校で柔道の指導を続けている。真実を明らかにすることが、再発防止への唯一の道だと思う。
両親は審査会に不服申し立てを行うという。


2009/10/24 柔道事故・斉野平(さいのひら)いずみさんの民事裁判、控訴審が結審

 2009年10月22日(木)、午前10時30分から、東京高裁424号法廷で、高校の柔道部の夏合宿で、植物状態になった斉野平(さいのひら)いずみさん(当時高校1年生・現在23歳)の民事裁判が行われた。
 裁判長は渡邉等氏。裁判官は、橋本昌純氏、西口元氏、山口信恭氏の3名の名前があったが、内2名が担当。
 傍聴券の配布はなかったものの、法廷は満席で、何人か入れないひとが出た。

 前回の口頭弁論は2009年3月17日(me090328参照)。その間、裁判長による和解勧告で、非公開の話し合いがもたれていたが、学校、教育委員会側の意向で和解が決裂、今回の口頭弁論で結審。次回が判決となる。

 いくつかの書類について裁判長が、「陳述するか?」と確認。と言っても、「陳述します」と言うだけで、実際に口頭で述べられることはない。書類の提出をもって陳述したこととする。
 また、3月17日に一旦拡張した損害賠償額について、再度、請求の減縮(げんしゅく?)を申請した。
 損害額については、裁判官が一旦退出して、内容を検討した、

 原告代理人の原田弁護士から申請があり、いずみさんのお母さんが短い、陳述を行った。
 「合宿から7年以上経ち、いずみは23歳になりました。本当なら仕事や恋愛を謳歌している年齢です。いずみはそのような楽しい日々を奪われたのです。これほど重症な被害が発生しながら、顧問の管理責任は認められない。全て本人の責任という(一審)判決には納得できません。いずみから平凡に生きる日々を奪った人たちが、その責任を取らないのは、公平とは言えません。いずみのために、一審の間違った判断を取り消し、公平な判断をしていただけますようお願いします。」
 最後のほうは、涙声となっていた。

今回で結審し、次回12月17日(木)、13時40分から、東京高裁424号法廷にて判決。

*************

 裁判後に、隣接する弁護士会館で、報告会が行われた。
 同じように、柔道部の合宿や練習中に子どもを亡くしたり、障がいを負わされた家族が、私が知るだけでも3組参加していた。

●この日の裁判について、まず弁護士から説明があった。
 裁判所の仲介による和解の話し合いがこの間、進められていた。そのなかで、原告側は出せる書類は出していた。
 和解が決裂した段階で、証拠提出の手続きが法廷で、陳述するか、しないかという形で行われたという。

 また、損害賠償額の変更については、今回、いずみさんはH病院に入院できることになり、差額ベット代がなくなるということで、請求額を減らして、請求しなおしたという。請求額は約1億5千万円。高額なようでも、これから先もずっと完全看護が必要ないずみさんにとって、けっして十分といえる金額ではないだろう。

 和解が決裂した経緯については、1審判決で原告側の訴えが全面棄却されたことで強気の埼玉県側が、和解に応じなかったのが理由という。


●弁護団は、裁判の総括という形で、この裁判の争点について、説明してくれた。

1.法的争点
指導教諭の健康管理についての義務(合宿中であり、親とかがいない)
 @健康配慮義務(いずみさんの状況を把握する義務等)
 A健康体制確立義務(2人の顧問が合宿に参加していたが、主に交替でみており、教諭同士が引き継ぎを行っていなかった)
 B結果回避義務(医者に診せる、事故後救急車を呼ぶ等)
学校側の安全体制確立義務
過失相殺。被告の埼玉県側は、いずみさんが高校生であるにも関わらず自己申告しなかったと主張。原告はいずみさんは頭が痛いと訴えていたということを当時の生徒の聴き取りを根拠に主張。しかし、1審判決では教師に義務違反はなかったとされたので、過失相殺は問題にならなかった。

2.事実上の争点
 @事故原因発生はどの時点か。(直接的には、最後の乱取りの受け身の回転運動で、頭部への加速による静脈損傷)
 Aいずみさんは頭痛を訴えていたか?(休んでいたのは、足のけがだけか、疲労等か)
 Bいずみさんに嘔吐や泣き出したりするという状況はあったか?(事件後の原告による聴き取りでは生徒が証言。顧問2人は聞いていないと否定)

3.第1審の認定 = 原告側の全面敗訴
 @いずみさんが頭痛を訴えていたという事実はない高校生なら自分で体調の悪さを顧問に伝えるはずである。
 A顧問は、いずみさんが練習を休んでいたのは、足のけがだと思っていた。終わりのほうは、疲れただけだと思っていた。それ以上、顧問が聞いたりする必要はない
 Bいずみさんが頭痛を訴えていたか、泣き出したりしたかについて、事故から5年後の法廷での元部員2人の証言では、「当時話したことは覚えていない」という証言だったことから、当時録音したものは信憑性にかけるとして、事実はなかったと認定。

4.控訴審での活動
 @当時、部員への聴き取りは2回行われた(録取したテープは6時間ほど)。1審ではきちんとした形で証拠提出していなかったため、1回目、2回目の聴き取りのテープの反訳を提出。
 A@を前提に、状況と証言等との矛盾を指摘。
 B現在のいずみさんの状態に即して、損害額の綿密化。


●いずみさんの母親からは、植物状態になったいずみさんの受け入れ病院を転々としなければならなかった苦労が語られた。
 いずみさんがは2002年7月27日から31日までのI高校で行われた柔道部夏季合宿に参加した。
 合宿の最終日(7月31日)、教頭より、いずみさんの重態を知らせる連絡が入り、搬送先のA大学病院に向かった。
 9時間にもわたる緊急手術により、命はとりとめたものの意識は戻らず、植物状態になる。

 今日までの7年余りに、7回手術。その間、病院を転々とした。
 @ A大学病院 (4ヶ月)
 A B病院 (2週間)
 B A大学病院 (4ヶ月)
 C C総合病院 (3ヶ月)
 D A大学病院 (4ヶ月)
 E D総合病院 (5年)
 F A大学病院 (2ヶ月)
 G E総合病院 (2ヶ月)
 H F病院

 最初に入院したA大学病院は、斉野平さんの自宅から、電車のアクセスが悪く、車で往復4時間かかった。しかし、そこは三次救急病院であるため、早急に出なければならなかった。
 いずみさんは、病院で完全看護だったが、母親は心配で、ほぼ毎日、365日中340日は通ったという。
 6回目のD総合病院が5年間と長いのは、2003年の秋に母親ががんになり、翌年、手術したため、特別配慮してもらったとのこと。がんは、ストレスからも発症すると聞いている。学校事故・事件の遺族にも、がんを発症したひとの話を何人も聞いている。体調が悪くても無理してしまったり、心理的な影響だろうと考えて、発見が遅れたり、治療が後回しになってしまうこともある。

 通常の病院は3〜6ヶ月で出てくれと言われる。しかし、いずみさんのように、若くして全看護状態になった患者は受け入れてくれる病院がなかなか見つからないという。方々の病院をあたるも、どこも万床と言って断られる。空き待ちの順番に入れてもらえるよう頼むと、「年齢が若すぎる」「急変したときに対応できない」などの理由で断られたという。
 「病院からは早く出て行くようにと急かされ、いくら探しても受け入れてもらえる病院は見つからず、この時の私の気持ちは、何とも惨めで情けなく、何より世間からいずみの命が否定され拒絶されていることが悲しくて仕方ありませんでした。」と母親は話した。
 ようやくF病院が受け入れてくれることになり、医師から「お母さん、たいへんな思いをされてきたのですね」と声をかけられたときには、ボロボロと泣いてしまったという。今、いずみさんは、F病院に入院しながら、隣接する特別支援学校にも転入することができたという。

 子どもが大けがをして意識が戻らず植物状態になってしまったということだけでも、絶望的であるのに、さらに、安住の場所さえない。ならば自宅でみればよいと思うひともいるかもしれないが、現実には設備も整えなくてはならないし、ある程度の医療知識や技術をもった人間の24時間体制での介護も必要になる。そして、自分で体調不良を訴えることができない患者が、肺炎や様々な感染症を起こしたとき、死に至るリスクは大きい。
肉体的に、精神的に、そして経済的に大きな負担となる。

 医療報酬の仕組みで、次から次へと病院を替わらなければならない。せっかく、リハビリを熱心にしてくれる病院に入れてほっとしていても、自宅から比較的近い場所に入ることができても、またすぐ次の病院を探さなければならない。しかも、ケースワーカーも手伝ってくれるとはいえ、基本的には家族が次の病院を探してこなければならない。心理的な負担は大きい。
 きっといずみさんだけでなく、多くの患者やその家族が同じような思いをしているのだろう。
 救急医療の問題も深刻だが、せっかく命を取り留めても、安心できる居場所がない。これは、個人の力より、国の施策の問題だと思う。患者の家族が、「生きていてくれてありがとう」と心から言えるように、患者のこと以外に心を煩わせることがなくてすむように、なんとかしてほしい。
 とくに、学校で事故にあった場合、過失の有無を問わず、その自治体が責任をもって受け入れ病院を確保してほしい。でなければ、子どもだけでなく、家族の命までが削られてしまう。


2009/10/2 フライデーの記事から

2009年9月4日(金)発売の写真週刊誌「フライデー」(9/18号)に、
「教師6人で繰り返された指導の『行き過ぎた部分』というタイトルで、北海道稚内市の今野匠(こんの・たくみ)くんの指導死についての記事が掲載されています(子どもに関する事件・事故 2 参照)。
「いじめ自殺」ファイルに入れられたことに共感します。

9月11日(金)発売の写真週刊誌「フライデー」(9/25号)は、
「さいたま・中3女子「プロフ」首吊り事件 「和解を盾にいじめを認めない」学校との闘い」というタイトルで、2008年10月10日のいじめ自殺事件の記事が掲載されています(子どもに関する事件・事故 1 参照)。
現代のいじめのほとんどは、小学生であっても、教師にちょっと叱られたくらいでなくなることはまずないでしょう。その後は、チクったとして、もっと陰湿に、あるいは二度とチクらないようにと、恐怖心を植えつけるようないじめ・暴力が行われる確率は大です。報復はあって当然と思って、被害者を最後まできちんと守り通してください。

9月25日(金) 発売の写真週刊誌「フライデー」(10/2-9号)には、
大阪府茨木市の府立山田高校の男子生徒(高1・15)のいじめ自殺の記事が掲載されました(子どもに関する事件・事故 1 参照)。
(同居の義父が亡くなり、取り込んでいたため、雑誌は購入したもののサイトを更新することができませんでした)
この事件については、9月25日発行の季刊「教育法」(エイデル研究所発行)の「学校事故研究 近年のいじめ事件の傾向と課題」(武田さち子 執筆)のなかでも、ごく簡単に触れさせていただいています。

10月2日(金)発売の写真週刊誌「フライデー」(10/16号)に、
2007年9月13日にいじめ自殺した練馬区立三原台中学校の近藤絢(けん)くん(中2・13)の記事が掲載されています。両親は2年間、なんとか話し合いで解決する道を探って、学校にアプローチを続けてきましたが、学校や教育委員会は頑なな態度を変えようとはしませんでした。

なお、記事にある文部科学省が設置した「児童生徒の自殺予防に関する調査協力者会議」に9月15日、NPO法人ジェントルハートプロジェクトが呼ばれ、小森美登里さんと、武田さち子が話をしてきました。
事件・事故直後のアンケート調査の実施や親の知る権利(学校事故・事件の当事者と親の 「知る権利」参照)を認めてもらえるよう要望を出しました。


2009/8/26 奈良中学校、柔道部顧問による傷害事件傍聴報告

2009年8月25日(火)、午前10時00分から、横浜地裁503号法廷で、奈良中学校、柔道部顧問による傷害事件の民事裁判が行われた。
裁判長は三代川俊一郎氏、峯俊之氏、塩田良介氏。
今回、原告は、事件当日、Kくんが救急搬送された病院の医師の意見書を提出。Kくんの傷害について、柔道家の意見書を加えたうえで、原因のところで意見書を書いてくれたという。
すでに、Kくんの後遺症については、リハビリの主治医が意見書を出してくれていることから、裁判長は原告の主張、立証はほぼ出たと判断。次回は、10月27日(火)、午前10時00時から、被告の県と市の反論、反証が出る予定。
なお、今回も裁判長からは刑事処分についての問い合わせがあったが、今だ結果は出ていないという。

**************

Kさんが、裁判がはじまる前に、「うちと同じ状況に鳥肌が立ちました」と言って、ネットからとったニュース(2009/8/7朝日新聞 滋賀、2009/8/24 京都新聞)のコピーを下さった。
2009年7月29日、滋賀県愛荘町の秦荘中学校で、柔道部の練習中に、村川康嗣(こうじ)くん(中1・12)が、男性講師との乱取りで、2、3回投げられたあと、動かなくなり、「急性硬膜下血腫」で意識不明の重体になっていたが、8/24病院で死亡した。
康嗣くんにはぜんそくの病があり、母親は講師に激しい運動をさせないよう、再三にわたって訴えていたが、講師から「声が小さい」として、3人だけ残して練習を続けさせ、21本目からは康嗣くんだけを残して、講師自ら相手になったという。また、柔道部員が「落ちる(気絶する)まで絞め技を掛け続けるよう指示があった」と学校側に話しているという。

こちらの事件も警察が調べているというが、果たして起訴になるかどうか。
Kさんは言う。たとえ故意であっても、柔道の部活中に、道場で、柔道技によって大けがをさせられたり、死に至った場合、立件が難しいのではないかと。
実際、ほかでも、柔道や剣道などの練習にかこつけて、様々なところでリンチ(私的制裁)が行われているが、結局、証拠不十分で不起訴になってしまう。しかし、力差がある場合、力のあるものがコントロールして、相手に危険がないように投げるのは当然で、そこが曖昧にされたまま、不起訴がつづけば、同じことが繰り返されてしまう。

すもうの時津部屋の斉藤俊(たかし)さんの事件でも、すもうの練習にかこつけた「かわいがり」という名のリンチで殺されている。もし、遺体が新潟のご両親のもとに運ばれなければ、ご両親が遺体を解剖に回し、その結果を受けて声をあげ、マスコミにとりあげられなかったら、きっと不起訴になっていただろう。そして、伝統としてまた新たな犠牲者が生み出されたことと思う。

ひとが死んでも、現場の感覚はすでに麻痺しており、反省も、自浄作用も期待できない。
再発防止のためにも、練習にかこつけた暴力が見過ごされるようなことがあってはならないと思う。

もし、2004年12月24日に起きた奈良中柔道部の事件が、きちんと刑事事件として裁かれていたとしたら、少なくとも武道をコーチするひとたちに少しは教訓になっていたのではないか。講師にとって、気に入らないことがあったからといって、柔道の練習にかこつけて相手を気絶するまでいたぶろうという気持ちは、逮捕されるリスクを考えれば、抑止力になったのではないかと思うと、残念でならない。

2009/8/2 所沢高校井田将紀くん・指導死の控訴審判決と恐い流れ

2009年7月30日(木)、1時15分から東京高裁825号法廷で、平成20年(ネ)第4556号所沢高校井田将紀くん・指導死控訴審判決が出た。
約30分前に傍聴券の配布があったが、48席中18名が並び、全員が法廷に入ることができた。その後、少しずつ傍聴人が増えたが半分程度しか埋まらなかった。
地裁判決と同様、長崎の安達雄大くんのお母さん(040310)、兵庫の西尾健司くんのお母さん(020323)、ラグビー部の顧問にシゴキのターゲットにされ自殺した金沢昌輝くんのお母さん(020325)、井田さんと同じ埼玉で、お菓子を食べたことで指導された直後に自殺した大貫陵平くんのお父さん(000930)も傍聴席にいた。
一審被告の埼玉県の代理人席は空席で、誰も座っていなかった。教育委員会の職員らしきひとがひとり、傍聴席にいただけだった。

裁判官は園尾隆司裁判長、藤山雅行氏、藤下健氏。判決は「棄却」。そっけないものだった。
控訴審では、伊藤進氏の意見書が出るのを何度も待ってくれたこともあって、少しは井田さんの思いを汲んでくれるところがあるかもしれないと期待したが、みごとに裏切られた。最初から結論ありきだったのかと思わざるをえない。
一審のさいたま地裁判決(2008/7/30。偶然、7/30に地裁、高裁とも判決)よりさらに、学校側の言い分のみを上乗せした内容だった。(一審判決については me080731 を参照)

判決文は全部入れても、A4用紙で8枚。
学校・教師の「将紀くんはカンニングをしたに違いない」という主観に基づいた主張を、「当裁判所の判断」としてさらに付け加え。そこには一切、原告側の意見は入れられなかった。伊藤進氏の意見書にも、一言も触れられていない。学校教師と、何十年もこの問題に取り組んできた日本でも指折りの学者とではどちらが、教育法にのっとった視点をもっているかは明らかだ。よくも、完全に無視できたものだと思う。

将紀本人の弁解によりその疑いが払拭できない限り、客観的に見てカンニング行為の存在を認定されてもやむを得ない状況にあったと認められる」(P6)。
5人の教師による場当たり的で、長時間にわたる事情聴取についても、「現に行われた本件事実確認の内容は、以上のような必要性に沿うものであると認めることができるし、その態様も、次に検討するとおり、教育的見地からみても適切なものであったと認めることができる」(P6)。
本件事実確認に当った教諭らにおいても、将紀の弁解を聴いてもカンニング行為の存在についての疑念が払拭できず、単に教育的な配慮から将紀の弁解を受け入れることとしたにすぎないことからすると、カンニング行為の存在を前提とした処分がされる可能性も認められることから」(P7)

約2時間にわたる5人の教師による事情聴取は、試験監督の教師が、将紀くんが物理の試験中に見ていたメモが、「物理の記号に見えた」という思い込みから端を発している。
思い込みと、実際に提出された日本史のメモ。そのギャップを埋めるために執拗に事情聴取がなされた。
「将紀本人の弁解によりその疑いが払拭できない限り」というが、教師の主張する物理記号のメモは実際に、将紀くん自殺後も発見されていない。証拠がないのであれば、「疑わしきは被告人の利益に」というのが司法の世界でさえ常識だというのに、間逆の考え方になっている。まして、教師がその場で将紀くんが提出したメモを確認していれば、誤解は解けたはずだ。いわば、警察捜査で言われるところの「初動ミス」を教師がおかしたことによる。にもかかわらず、将紀くんに立証責任があるという。カンニングをしたことの立証と、カンニングをしなかったことの立証のどちらが難しいか、考えてみてほしい。

将紀くんは必死になって、カンニングをしていないことを教師たちに伝えようとしただろう。しかし、それができないとわかったから、絶望したのではないか。
「将紀の弁解を聴いてもカンニング行為の存在についての疑念が払拭できず、単に教育的な配慮から将紀の弁解を受け入れることとしたにすぎないことからすると、カンニング行為の存在を前提とした処分がされる可能性も認められることから」
まさしく、このことを肌で感じたからこそ、自殺にまで追いつめられたのではないか。
表面上では、将紀くんの言い分を聞いているように見えても、自分の言い分はほんとうには信じてもらっていない。やったことの範囲内で処分されるのであれば、納得もする。しかし、やっていないことを疑われて、どんなに言葉をつくしても、それこそ2時間という時間をかけても、しかも教師が5人もいながら、誰1人将紀くんの言い分を信じてはくれない。どれだけ絶望的な気持ちになっただろう。その5人の教師に説得されれば、たとえ自分を信じてくれている母親でも、もう信じてはもらえないのではないか。
たったひとりの教師に信じてもらえないのと、5人もの教師に信じてもらえないのとでは、絶望感はまるで違う。

そして、「現に行われた本件事実確認の内容は、以上のような必要性に沿うものであると認めることができる」「その態様も、教育的見地からみても適切なもの」というが、企業での上司から部下への指導にしても、犯罪の取調べであったとしても、ひとりも味方がいないなかで、5人もの人間が長時間にわたって事情聴取にあたることが「必要」で「適切」だと認められる世界がどこにあるだろう。大人の世界であれば、明らかにパワハラであり、不当な取調べであると思う。
まして、子どもは大人以上に傷つきやすいし、言葉でわかってもらえなければ、あとはもう行動で示すしかない。

たとえどのような聴取の仕方がされたにしても、事実確認後に、指導直後に、生徒が自殺するような指導が「必要」で「適切」なはずがない。結果が最悪の事態であるのに、経過が正しかったはずがない。
いじめ自殺があっても、学校は「教育配慮」のもとに、あるいは「学校は警察ではないので」、どれだけ目撃証言があっても、調査できないという。事実確認さえできないという。相手を死においやった重大事件では加害者が放置され、一切の処分も指導もされない。一方で、日常的なささいな違反行為に対しては、見せしめ的つるしあげる。事実確認が目的ではなく、聴取そのものが生徒に苦痛を与える罰と化している。
子どもは発達途中であり、様々な間違いをしてむしろ当たり前だ。生徒指導はいつ、いかなるときにでも、生徒の成長を目的に、結果を熟慮して行われなければならない。それをするのが教師の役割のはずだ。

5人の教師たちが、「カンニングをしたに違いない」という思い込みのもと、将紀くんの言い分を聞こうとせずに追いつめた。そこに新たに、3人の裁判官が加わって、「疑われることをしたのであれば、クロと判断されても仕方がない」と追い討ちをかけた。
これでは、たとえ将紀くんが生きていたとしても、やはり死に追いつめられてしまうと思う。

女児殺害の足利事件、菅谷利和さんへの冤罪はなぜ起きたのか、思い出してほしい。菅谷さんは取調べに耐え切れず嘘の自白をしてしまったが、将紀くんは最後まで「やっていない」と貫いた。それでも、教師たちの対応に納得がいかないから、死んだのだろう。
将紀くんが命をかけて伝えた大切なことが、学校教師、裁判所にも何も伝わっていない。教師たちに反省ひとつ促すことができない。母親はどれだけ悔しい思いをしていることだろう。
菅谷さんは冤罪を晴らすのに17年間かかった。亡くなった将紀くんの冤罪は、母親が訴えつづけるしかない。

思い込みによる見込み捜査と、自白の強要。警察の密室での取調べも問題になっているが、学校はさらに記録係りもいないなか、教師の一方的な意見だけが採用される。
将紀くんへの事実確認行為が不法ではないとされるなら、これからますます、教師の思い込みによる学校内冤罪事件は多発し、言葉で言ってもわかってくれない大人への不信感から、暴力行為や自殺が多発することだろう。

そして、恐いと思うのは、ここのところの教育界での、司法での、子どもの人権を無視して、大人の一方的な言い分のみを認めて、暴力行為さえ正当化されてしまう流れだ。

2007/2/5 文部科学省は、いじめ自殺の多発をうけて、「水戸五中事件」の判決文(※760512参照)を引用して、「児童生徒に対する有形力(目に見える物理的な力)の行使により行われた懲戒は、その一切が体罰として許されないというものではない」とわざわざ通知(18文科初第1019号)を出したこと。

2008/11/12 県立湘南高校定時制で、非常勤講師が、使った食器を片付けさせようとして男子生徒に約1週間のけがを負わせた行為が、「生徒指導上の行為で、正当な範囲を逸脱したものとは認められない」と、刑事裁判で横浜地裁が「無罪判決」を出したこと。

2009/4/28の最高裁の「体罰と認めず」の判決。(me090503参照)

いじめの定義に見られる「(被害にあった)児童生徒の立場にたって行う」ことなく、学校教師の言い分だけが一方的に採用され、児童生徒が、けがをしようが、PTSDになろうが、自殺をしようが、すべて正当な生徒指導の範囲とされてしまうことだ。
被害者の身になることも、子どもの味方になることもなく、大人の理論、強者の理論が優先されている。


指導死は、このサイトでもたびたび取り上げているし、具体的な例は子どもに関する事件・事故2(教師と生徒に関する事件)をみてもらえばわかるが、文科省の数値にはほとんど反映されていない。

文部科学省発表の児童生徒の自殺統計では、「教師のしっ責」を原因とする公立の小・中・高校の自殺者は、
1994年小学生1人、1995年中学生1人。(教育データランド 97→98 時事通信社 参照)
1996(平成8)年から、2005(平成17)年までずっとゼロ。2006(平成18)年からは項目が、「教職員との関係での悩み」となったが、2006年、2007年ともにやはりゼロ。

一方、警察庁は「教師のしっ責」を原因とする自殺は、警察庁の自殺統計の学生生徒の原因別では、1978(昭和53)年から1987(昭和62)年の10年間、「教師のしっ責」という項目があった。
毎年数字があがっていたにもかかわらず、1988年から項目に「教師のしっ責」がなくなった。「その他」に入っていると思われる。
2007(平成19)年から、「教師との人間関係」として復活。

学生生徒の原因別「教師のしっ責による自殺」  警察庁調べ

 

(全体に占める割合)

78

 (0.5%)

79

 (0.5%)

80

 (1.4%)

81

 (0.2%)

82

 (0.3%)

83

 (0.9%)

84

 (0.3%)

85

 (1.1%)

86

 (1.1%)

87

 (0.2%)

 

学生生徒の原因別 「教師との人間関係」による自殺    警察庁調べ

 

専修学校

07

(2)

(3)

(1、女1)

 (6、女1)

08

(2)

(1)

 (1、女2)

 

2005年調査までは、文部科学省の数字は公立のみが対象で、私立や国立は入っていない。
それでも、警察庁の統計で10年間、数字があがっていたということは、その後はゼロになったとは考えがたいし、現実に新聞等では報じられている。
教師が原因の自殺だったとしても、警察庁は責任が問われないので、本当の数字をあげやすいが、文部科学省は責任が問われるのであげたくないのが理由ではないかと考えられる。だとすれば、どちらの数字が正しいかは明らかだろう。
同じように、警察庁の職業別自殺理由の統計では、学校問題と家庭の問題では、常に学校問題のほうが多いが、文部科学省の統計では、学校問題で自殺する児童生徒より、家庭問題で自殺する児童生徒のほうが毎年、多いことになっている。
「教師との人間関係による自殺」とあいまいな形にはなったものの、2007年、2008年にもやはり数字はあがっている。
このことを考えると、教師のしっ責、あるいは指導、人間関係等で、自殺している子どもは毎年のように出ており、けっして少なくはないと思われる。

指導死は、いじめ自殺以上に遺族が声をあげにくい。
今回、棄却された井田さんの裁判もけっして無駄ではないと私は思っている。
いじめ自殺も、かつては同様に、声をあげるひとが少ないがために、いじめが自殺に結びつくということさえ認知されていなかった。いじめられる側に問題がある、自殺する子はさらに問題があると、専門家たちが大々的に書いてきた。そのときに刷り込まれたものは、今も人々の意識のなかに根強く残っている。
いじめ問題も、子どもの死と結びつくと認知されてはじめて、様々な対策が動き出した。
指導死の遺族が声をあげることで、教師の言動で子どもが自殺に追い込まれることもあるのだということが、世間に認識されれば、少しは真に子どもための指導がなされるよう、教育現場が自分たちの生徒との接し方を見直ししてくれるのではないか。
それがなれば、子どもたちはこれからも、教師に殺されつづけるだろう。


2009/8/2 指導死遺族が、文科省を訪問

2009年7月31日(金)、前日の所沢高校井田将紀くん・指導死の判決にかけつけた遺族たち(長崎の安達雄大くんのお母さん(040310)、兵庫の西尾健司くんのお母さん(020323)、東京の大貫陵平くんのお父さん(000930))が、文科省に陳情に行った。
遺族ではない私も同行させていただいた。(ほか2名の計7名)

担当者は丁寧に応対してくれた。時間も2時間ほどもたっぷりとっていただいた。
長崎の安達さんからは、前回、2008年9月29日に文科省を訪問した際(このときも同行させていただいた)、「事故」で報告されている雄大くんの死を自殺とし、原因を「教師のしっ責」として統計に反映させてほしいと要望したことについての、その後の長崎での動きが報告された。
そのときにもらった回答ではじめて、安達さんは、雄大くんの死が、遺族に知らされないままいつの間にか、「自殺」と修正報告されていたことを知った。
2005年9月に、安達さんが市教委に修正を求めたときには、市教委は「判断する権能がないため修正できない」として拒否していた。にもかかわらず、2007年1月10日に、市教委は県教委に「事故死」を「自殺」とする統計修正を出しながら、両親には伝えていなかった。

しかし、「原因不明のその他」に分類されている自殺理由を長崎地裁で敗訴したものの、指導と自殺との事実的因果関係が認められたことから、「教師のしっ責」への変更を求めたが、一度出た結論は覆せないと拒否されているという現状について報告された。
文部科学省の自殺統計は背景原因をさぐることで、再発防止に生かすためにあるはず。ならは、文部科学省のほうから、「新しい事実が出た場合には、修正をしなさい」と通達を出してほしいとした。
それに対して、文部科学省は平成18年により正確な数値があがるよう、それまで主たる理由をひとつしかつけられなかったのを置かれていた状況を複数選択する方式に変えるようにしたという。

井田さんからは、昨日、東京高裁で棄却判決が出た。しかし、まったく自殺の予兆など何もなかった子どもが朝、元気に家を出て、次にあったときには遺体になっていた。しかし、教師のやったことは間違っていなかったという。1対5の長時間の事情聴取をしてもよいとおすみつきがでることが恐い。教師の指導によって子どもが死ぬという現実があることを把握しなければ、再発防止はできないのではないかという話がなされた。

そして、自殺理由から「教師のしっ責」が消えて、「教職員との関係での悩み」になぜ変更されたのかという質問に対しては、より広く要因を捉えるためだとの回答があった。
しかし、家庭の問題の場合には、「父母等のしっ責」と「家庭不和」の両方があるし、学校問題のなかにも、「いじめの問題」と「友人関係での悩み(いじめをのぞく)とある。拾いやすいようにというなら、「教師のしっ責」を残したうえで「教職員との関係での悩み」もあってもよいのではないかと言ったがはっきりした回答はなかったように思う。
(あとで、みんなで、「教師からのいじめ」という項目があってもよいと話し合った。きっと数値としてはあがってこないとは思うが)

大貫さんからは、ある指導死を学校側が「父母等のしっ責」で提出しようとしていたという。その書類を開示請求したら、「目的外使用に当るため見せられない」という回答がきたという事例があげられた。
自分の子どもがどのように記録に残されているかは、遺族にとって、子どもの尊厳にかかわる大切なこと。正しい情報があがってくる仕組みをつくってほしいと要望した。

西尾さんからは、教師が教育委員会や文部科学省のほうを向いていて、子どもたちのほうを向いていないという指摘があった。子どものほうを向いていれば悲劇は起きないとした。

それに対して、文科省の担当者は、自殺予防に取り組んでいると話した。教師が日々の仕事に追われて子どものサインを見逃している。昔は先輩から後輩へ、自殺にどう対応してよいか伝えられたが、今は期待できない。
自殺はいろんな要因がからまりあって引き起こされる。次に起こらないようにするのが大変重要。精神科医や学者の意見をまとめた教師用のマニュアルをつくったという。
(「教師が知っておきたい子どもの自殺予防」マニュアル http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/046/gaiyou/1259186.htm )

それに対して、遺族からは、いじめは長期にわたるなかで様々なサインが出るかもしれないが、しっ責自殺はサインが出ない。
その日のうちに自殺をしてしまうという指摘が出た。

教師が自分のことを思って指導してくれると思えれば、信頼関係があれば子どもは死なない。
指導死は教育活動中に起きる教育の問題。逃げ場のない叱り方をしてはいけない。本当にまともな指導だったら子どもは死なない。
指導死がある。こういうときに子どもは死ぬとわかっていれば、指導による自殺は確実に減らせる
とした。

また、自殺があった学校にはスクールカウンセラーを手配しているという担当者の言葉に、遺族からは、スクールカウンセラーが事実隠ぺいに一役買っていることなどが報告された。
事実について語ろうとする子どもの口を封じて、早く忘れて。日常生活に戻れという。それを遺族も望んでいるという。あるいは、事実ではないのに、「前々から死にたいと言っていた」「うつ病」だったなどと、緊急保護者会でカウンセラーがいう。
あとで内容を知って問い詰めると、「一般論として言った」と言い訳をする。しかし、参加者は亡くなった子はそうだったんだと思ったと証言しているという。

自殺の理由を特定するときに、いつも使われるのが、自殺には様々な要因があり、ひとつに限定することはできないという精神科医の言葉だ。しかし、それを言ったらすべての自殺にあてはまるし、理由をあげることも無意味で、自殺予防など到底できないことになる。
いくつもの要因があるのであれば、それこそ、すべてをあげて、どこに問題があるのかしっかり分析すべきだろう。
あるいは、もっとも直接的な原因に焦点をあてるしかない。たとえば、指導死の場合、その教師の行為さえなければ、子どもは死ななかったと思えるかどうかで判断できるのではないか。

交通戦争と言われた時代から、交通事故死が激減した。交通事故も、運転手の問題、歩行者の問題、道路や車そのものの問題、同乗者の問題などいろいろあるだろう。いろんな原因があって、ひとつには絞れないなどと言っていたら、減らすことはできなかっただろう。
たくさんある原因をひとつひとつ丁寧につぶしていった結果、ここまで減らせたのだと思う。
子どもの自殺にしても同じだ。責任を問われることが恐くて隠していれば、いつまでたっても原因となるものはあがらず、対策も立てられない。

また、学校や教育委員会の隠ぺい体質について、西尾さんが、子どもがうそをつくときには何がそうさせているのか大人は考える必要がある。同じように、学校、教育委員会がなぜ嘘をつかなければいけないのかを文科省は考えてほしいとした。
正確な情報、本当の報告書があげられるような指導を文科省がしてほしいとした。
現在、被害者、当事者に対する調査がきちんと行われていない。事実が報告書に反映されていない。それは学校からみた事実にのみ偏っているからで、被害者の親と子どもからの聴き取りを記録し、報告書に反映させてほしい。それが再発防止になるとした。

担当者が「正確な情報があがるよう、努力している」と話したことに対しては、学校は子どもたちへの調査で、「不確かなことは言わないように」と言って口止めをする。しかし、この不確かなことの中にこそ、真実があるとした。
しかも、学校はいじめ自殺などでは、教師も子どもたちも混乱しているからと言って、事実調査をしようとしないが、わが子の指導死では、その混乱しているはずの6日内に事故報告書が提出されているとの指摘もあった。

話をしていて、さすがに役所のひとだなと思うのは、意見を求めても、「○○が肝要と思います」「自明のことと存じます」などのお役所独特の言い回しをする。すべてを一般論化して、言質をとられないようにしている。
不快な言い方はしないものの、うまく逃げていると感じた。
そして、きっと私たちの話をウンウンと聞きながら、ガス抜きさせておしまいにするつもりなのかなと感じた。

お役所は有識者や専門家の意見を重用する。しかし、当事者の言葉のなかにこそ、現実問題に対処できる、再発防止に実効性のあるヒントがたくさんある。それを無駄にしないでほしい。
7月27日つけの讀賣新聞が、第三者による調査委員会を文部科学省が検討していると報道した。
まだ、何も決まったわけではなく、第三者による調査委員会を含めて、自殺予防の観点からこれから検討するという。
しかし、親の知る権利が保障されないなかでの第三者はむしろ危険であることが、遺族らの口から語られた。
そして、事実調査を検討するのであれば、自殺予防の視点ではなく、むしろ、「犯罪被害者等基本法」の理念に基づいて、検討してほしいと要望してきた。
ここへきて、当事者の意見を無視して、専門家だけの意見で新しいシステムを作ろうというのは、今まで被害者の被害回復という視点を欠いてきていたことへの反省がまるで生かされない、逆行することになると思う。

※きちんとメモをとったわけではないので、内容の正確性については自信がありません。
違っているという指摘が同行者からあった時点で、少しずつ直していきたいと思います。おおよそ、このような要望が遺族らからなされました。次回、訪れたときに、きちんと私たちの言葉に耳を傾け、教育行政に反映させてもらったと実感できることを望んでいます。


2009/7/13 千葉県浦安市養護学級わいせつ裁判 控訴審第1回目

2009年7月13日(月)、午前11時から東京高裁822号法廷で、千葉県浦安市養護学級わいせつ裁判(平成21(ネ)第1491)の控訴審第1回目が行われた。
今回は、被控訴人(控訴されたがわ)がA子さん。控訴人は千葉県と浦安市、補助参加人としてK元教師の名前があった。
裁判長は一宮(いちみや)なほみ氏、裁判官は田川直之氏、始関正光氏。
52席の傍聴席は、A子さん支援の傍聴人でほぼ埋まっていた。

提出書類の確認があり、裁判長から控訴人代理人弁護士に、「話し合いはされないんですね?」との言葉かけがあった。
代理人弁護士はあいまいに流したようにみえた。

被控訴人であるA子さん代理人弁護士からは、8月3日に付帯理由書を提出。県の理由書に対する反論と、K元教師の補助参加に対する反論を9月中旬に提出。控訴人側の書類も9月14日に提出期限とした。

*********

裁判後に弁護士会館で、報告会が行われた。
支える会の代表から最初に、千葉県と浦安市に控訴取り下げの署名が、全国からそれぞれ7500筆集まったことのお礼が述べられた。にもかかわらず、県と市は控訴し、取り下げることはなかった(新しい千葉県知事である森田健作氏は、この件をどのように思っているのだろうか? 本来、弱い立場の人たちを守るのが、国や自治体、法律の役割だと思うのだが、それは幻想なのだろうか)。
しかし、当初、1000を目標にしていたにもかかわらず、これほど多くの署名が集まったことに、A子さんご家族はとても勇気づけられたという。

弁護団から、今回の控訴審について、説明があった。
控訴というのは、1審で認められた部分についてはできない。認められていない部分にのみ可能となる。
よって、県と市は、千葉地裁判決で認められた
ア.(2003年)6月27日ころプール授業後、(被告Kが)原告A子(当時小6・11)の頭を殴打した事実。
イ.原告A子の手が眼鏡に当たった際に拳骨で原告A子の頭を叩いた事実。
ウ.7月4日に原告A子の乳房を触った(掴んだ)事実
この3点に対してのみ、控訴が可能となる。

一方、K元教師に対する請求は、公務員の職務行為に基づく損害は個人として被害者にその責任を負わない(代わりに県と市が賠償責任を負う)という最高裁の判例をもって、1審で棄却されたため、K教師個人は勝訴の形となった。勝訴したK元教師は控訴できない。しかし、その主張が認められていない部分が大きいということで、補助参加の申し立てをしている。

1審原告のA子さん側は今回、刑事裁判で無罪とされたものが一部にしろ認められたことで、控訴しないことを決めていたが、市と県との控訴を受けて附帯控訴した。
しかし、1審で両親への慰謝料などは棄却されたために、市と県の控訴対象に両親は入っていない。そのため、今回の被控訴人はA子さんのみとなる。
A子さんがわは、1審で認められた3点以外の被害について、附帯控訴できるという。

控訴には、判決から2週間というルール以外にも、いろいろな条件があることを今回、はじめて知った。
控訴理由書は控訴して50日以内に出すことになっているというが、市は3月2日に出したものの、県は7月7日と、第1回控訴審間際だったという。それに対する反論をこれからA子さん側の弁護団は作成して提出する。


次回は9月28日(月)、午前11時から東京高裁822号法廷で、第2回が開催される。
1審で、証人調べなど、ほとんどの審議は尽くされている。高裁では、書面のやりとりが中心で、早く終結する可能性が大きい。
A子さんのご両親は長い戦いのなかで、心身ともに消耗している。同じ被害にあっている子どもたちのことを思えば、少しでもよい判決がほしいが、A子さん一家のことを思えば、一日も早く決着がつくことを望む。


2009/7/12 専修大学付属高校バレー部合宿中に亡くなった草野恵さん(高1・15)の裁判が和解。

2009年6月30日、専修大学付属高校バレー部合宿中に亡くなった草野恵さん(高1・15)の裁判が和解した。
その報告会が、2009年7月11日(土)、東京・虎ノ門で行われた。

恵さんが、新潟県南魚沼郡で行われた専修大学付属高校バレー部の合宿中に亡くなったのは、2003年7月31日。もう、6年になるが、両親の時計は止まったままだ。
娘を亡くした母親は今だに、
何か食べて「おいしい」と思うことさえ罪悪感を感じてしまう。シャワーを浴びて、「気持ちよい」と感じることさえ、「メグはあの暑い夏の日に、シャワーを浴びることさえできずに亡くなってしまった」と思うと、罪悪感を感じてしまうという。

恵さんの診断名は急性硬膜下血腫。駆けつけたご両親が病院のベットで見たものは、まるで殴られたかのような目の周辺のあざ。全身のあざ。しかも、救命救急や死亡後の解剖にあたったドクター2人までもが、恵さんの死に疑問を口にした。
しかし、合宿に付き添っていた顧問からは一度も、説明も、謝罪も受けることなく、学校は恵さんの死を「自己過失」として片付けた。「学校には何ら問題はない」という結論のみを持ってきた。

学校との交渉も一方的に打ち切られた。娘に何があったのかを知りたいと願う両親は民事裁判を起こすしかほかに、方法がなかった。「自己過失」という汚名をきせられたままでは、娘があまりにしのびなかった。
提訴したのは、不法行為の時効3年ぎりぎりの2006年7月25日。

今回、東京地裁で和解するに当って、ご両親は随分、悩まれたという。
これは、多くの原告が口にすることだが、「和解」という言葉そのものに第一、納得がいかない。
裁判での「和解」は、私たちが日常的に使っている、互いの納得のうえで仲直りする、というニュアンスからはほど遠い。
そもそも、裁判官の仲裁で仲直りできるようであれば、裁判など起きなかった。感情的にも、すでに修復できないところまでいっている。
弁護士が説明してくれた。民事裁判には、一般的には判決と和解しかない。ひとつの終結方法、落としどころなのだと。
そして、再び、両親に問うたという。何がこの裁判の真の目的だったのか、何があれば納得感が得られるのかと。

それが金銭でないことは明らかだった。だいたいからして、学校相手に裁判を起こしても、印紙代や弁護士費用、その他裁判にかかるもろもろの出費を考えれば、たとえ勝訴して賠償金が入ったところで、出費のほうが多くなる。金銭的にはほとんど割があわない。まして、学校事故・事件の原告勝訴率はけっして高くなく、支払われる金額も、企業相手の訴訟とはちがって、驚くほど少ない。

両親としては、もちろん、謝罪もほしかった。元気に合宿に旅立った娘が、遺体で帰されて、申し訳ありませんの一言さえなかった。むしろ、自己過失とされ、学校や部はかえって迷惑をかけられたというニュアンスだった。
しかし、心のこもっていない謝罪の言葉をもらって何になるだろう。

判決か、和解を選ぶのかも悩んだという。地裁で万が一、負けても高裁がある。勝てる可能性にかけて判決を選ぶのもひとつの方法だった。しかし、両親が考えたのは、判決が出れば、それがどういう形であれ、学校との縁は切れてしまう。学校はきっと何も変わらないだろう。娘の死という、ありえない悲劇。このようなことが二度と起きないためにはどうしたらいいのか。自分たちに何ができるのか。それを考えたときに、学校に変わってほしいと願い、「再発防止」のために和解をすることに決めたという。
「和解条項」も、実質的には「今後の取り決め事項」なのだと弁護士にいわれて、踏み切ったという。

私自身、多くの和解条項をみてきた。しかし、ここまで具体的かつ細部にわたって、再発防止のための取り決めをした事例を知らない。
弁護士からの説明があったように、なるほど、和解条項には、盛り込まれることの多い、「謝罪」「陳謝」「遺憾の意」「学校の責任」などの言葉が一切入っていない。

主な内容は
1.学校側が、原告(草野さん)に金銭を支払うこと。
2.事件当時の顧問教諭2人を1年間、女子バレー部の活動に関与させないこと。
3.学校行事として行う競技・球技大会に「草野恵杯」と名づけて、草野さんの親族を来賓として招待すること。
4.保健体育教育及び運動部活動指導における安全確保。
5.学校は草野さんに対して、毎年、学校の年間行事予定表及び女子バレー部の年間スケジュール表を送付すること。
6.学校長や関係者、事件発生時の女子バレー部顧問らが仏前で口頭や文章で心情等を報告することを、遺族らが希望していることを厳粛に確認すること。
7.原告・被告ともに第三者に発表する際、和解に基づく金員の金額と名目、顧問らの個人名に触れないこと。
などが盛り込まれた。
(030729に和解条項全文あり)

なかでも、4の「安全確保」については、かなり具体的に、体育安全対策委員会の設置や安全対策マニュアルの策定、安全対策講習会、事故報告と事例リポートの作成などが規程された。
その内容すべてに、恵さんの事故死が具体的にを教訓化されている。ここで示されている「安全確保」が、もし実施されていれば、恵さんは亡くなることはなかっただろうという原告の思いが込められている。

とくにここでは、部活動において、生徒自身が体調不良を口に出せない、自分で自分の安全を守れないことを前提に、きめの細かい配慮がなされている。
部活動で事故があると必ずのように学校側は主張する。中学生、高校生ともなれば、体調を自分で管理するのが当たり前。本人が体調の悪さを申告しないのがいけない。顧問が気付かなかったのは無理がない。
しかし現実には、多くの体育会系の部活動で、子どもたちは「体調が悪いので、休ませてください」とは言えない。実際に言ったとしても、顧問や先輩に受け容れられないどころか、「甘えている」「たるんでいる」として、かえって制裁の対象になったりさえする。「根性がない」として、今後のレギュラーの道さえ閉ざされかねない。

部活動の事故は1年生部員が多い。(子どもに関する事件・事故 3(学校災害ほか) 参照)
その理由として、体力がついていない、技術が未熟。とくに1年生では、経験者と未経験者とで体力・技術にばらつきがあり、顧問や上級生もそれを把握していないことが多い。、
休憩になっても1年生部員には様々な役割が与えられており、先輩にタオルや飲み物を持っていったり、ウチワであおいだりしなければならず、自分自身の休憩にはならない。場合によっては水分補給する時間さえとりそこなってしまう。
体調が悪くても、顧問や上級生が怖くて、口に出せない、あるいは言っても、「甘え」と判断されて、かえってしごかれる。場合によっては連帯責任として、他の同級生部員にまで累が及ぶ。

また、多くの部活動事故の裁判で露呈することは、指導者に驚くほど生徒の安全に関する科学的な知識がないこと。ただ、自分たちがやってきた経験知のみで生徒を指導している。自分たちもやってきたのだから大丈夫と。
これは、学校の部活動だけでなく、 日本のスポーツ界の問題だと思う。あまりに全体主義、根性主義に走り、スポーツ科学的な目が無視されている。無茶な練習で選手が障がいを負ったり、死亡してさえ、むしろ英雄視される。まるで、戦時中の日本の軍隊だ。

今回の和解条項は、部活動のあり方やスポーツ界の安全対策にも一石を投じるものだと思う。ほんとうはもっとスポーツ界の指導的立場にあるひとたちから、こういった指針が早くからでるべきだと思う。そうすればきっと、優秀な人材を芽が出るまえにつぶしてしまうことも少なくなることだろう。最終的にそれは、日本のスポーツ界全体のレペルアップにつながるものだと思う。
今の日本で、命を大切にしようと思ったら、部活動など、子どもにやらせられない。安全に楽しく、スポーツをする権利が子どもたちから奪われている。

残念ながら、学校に自浄作用はないことは、今回の民事裁判の証人尋問でも明らかだ。
それでも、今回の和解条項を学校側がよくここまで呑んだと思う。しかも、3の「草野恵杯」の提案は学校側からなされたという。
ご両親の思いが、ここまで学校を変えた。草野さんは、娘を見殺しにし、しかも「自己過失」とまで言い切った学校と対立関係を続けるのではなく、学校とともに、子どもたちの命を守り続けていく道を選んだ。
和解条項により、これからは学校に出向き、先生方と話をする機会も増える。それは遺族にとって、想像以上に苦痛を伴うことだと思う。それでも、パレーボール部を愛した恵さんの、ひとと争うことが嫌いだった恵さんのそれが願いだと思えば、ご両親は幾多の困難もきっと乗り越えることだろうと思う。

裁判をして、たとえ勝訴したとしても、ここまでの結果は得られなかったと思う。お金を払っておしまい。あるいは、もう謝罪しましたでおしまい。
このような結果が得られるのであれば、裁判もけっして不毛ではないとさえ思える。
しかし本当は、裁判など起こさなくても、学校には、死亡事故に対して、何があったのかを様々な角度からきちんと調査し、それを納得がゆくまで遺族に報告をし、その調査報告のなかから、どこに問題があったのかを分析して、再発防止に務めるべきだった。そうすれば、娘の死を納得することはできなくとも、受け容れて、そこから新たな人生を歩みだすことができたはずだ。

バレー部の元部員たちとも、ご両親は話をする機会が持てたはずだ。
ご両親が今、一番心配しているのは、当時の部員たち。亡くなった恵さんの全身はあざだらけだった。そして、その恵さんの死に立ち会った子どもたち。事故後にそのことを口にする、語り合う機会さえ与えられずに、真実から目を背けて生きざるを得なかった。今だ、語ることのできない子どもたちの心の傷を心配する。
学校とは、恵さんの死を教訓として具体的に生かしていくことで和解した。これをきっかけに、元部員たちにも自宅に訪ねてきてほしいという。そのために、ご両親は今の住まいを移ることなく、居つづけるつもりだという。

今は7月。もうすぐ恵さんの命日が来る。
夏休みになるたびに、今年も、部活動でいったい何人の子どもたちの命が奪われるのだろうと思ってしまう。
「生きて帰れたら、お祝いしてね」。もう、この言葉を子どもたちから聞くことがなくてすむように、専修大学付属高校だけでなく、すべての学校、すべての教師、部活動に関わる児童生徒たちに、この和解条項を生かしてほしい。
正しい知識と安全に対する意識。これを徹底するだけで、事故は確実に減らせる。草野さんと同じ思いをする遺族を生み出さないですむ。


2009/7/8 トーキング・トゥ テロリスト

今日、劇団ガイアディズファンクショクバンドの演劇「トーキング・トゥ テロリスト」(東池袋 あうるすぽっとにて、7月/5日―12日)を観てきた。
元々、解散した劇団一跡二跳が好きだった。脚本家の古城十忍氏をはじめ、奥村洋治氏などメインの役者さんがそのまま今の劇団のメンバーになっている(吸収合併?)。

テロリストたちへのインタビューを再現したかたちのドキュメンタリー・シアター。
劇団一跡二跳時代にも、「自殺」をテーマに「誰も見たことのない場所」というタイトルで、同様の手法をつかっていた。
私自身、たくさんの事件・事故の被害者・遺族にお会いするなかでいつも感じるのは、当事者たちから発せられる言葉の重み。「事実は小説より奇なり」というが、頭のなかでつむぎだそうとして出てくる以上の珠玉のことばの数々をきく。それをもっと多くの人たちが触れられる形で再現できないかと、私も考えていた。最初にドキュメンタリー・シアター形式の演劇をみたときに、こういうやり方もあったんだと思った。

今回、衝撃的だったのは、「テロリストたちは話したがっている」ということば。
言葉を用いずに、対話を拒否して、いきなり暴力行為に訴えるのがテロリストではなかったのか。
そこで語られたのは、自分たちの主義主張や大義名分ではなく、自分たちの抱えてきた痛みや苦しさについて。

車という移動手段を持たないテロリストたちが、手っ取り早く、メンバーを補充する方法。通りすがりの村で子どもをさらってきて兵士に仕立てる。いつもの間にか子どもたちは、トップに気に入られようと、殺戮に精を出す。女の子は、性の吐き出しとして使われる。笑いもしない、泣きもしない。感情を表さない子どもたち。仲間さえ平気で殺す。それは、劇画やドラマ、小説ではない現実の世界。

私の脳裏によぎったのは、アフガニスタンやイラクではなく、日本の秋葉原、ほかの無差別殺人。そして、子どもの親殺し。
あれは、若者たちのテロではなかったか。彼らは、共に闘う仲間さえ持たない孤独なテロリストではなかったか。
心を深く傷つけられる体験を経て、自分で自分の心を殺した。自分の感情を麻痺させることで、現実の痛みから逃れようとした。
自分の心を殺した人間に、他人の痛みは伝わらない。あるのは、いつまでたっても癒されることのない自分の痛みの記憶だけ。

加害者は被害者の一面を持ち、被害者もまた加害者の一面を持つ。ただし、被害者は無関心さゆえに、自分たちが間接的な加害者であるという意識はないと思うが。
互いに自分の痛みしかわからない。繰り返される負の連鎖。

しかし、テロリストたちは、話を聞いてもらいたがっているという。
もし、テロに走る前に、誰かが、痛みに寄りそっていたら。何かを変えることはできなくとも、ただ、話を聞いて、「辛かったね」と言ってあげていたら、もしかしたら、テロはおきなかったかもしれない。

耳をふさぐこと、無関心でいること。それが、痛みを抱える人たちの怒りの導火線に火をつける。話を聞いてくれ、こっちをむいてくれ、気持ちをわかってくれ。
「トーキング・トゥ テロリスト」。日本の国内にもテロリスト予備軍はいっぱいいる。
ふつうの人々がなぜオウムに走ったのか。なぜ、彼らは平気でひとを殺せたのか。どうすれば、同じ過ちを私たち社会は繰り返さずにすむのか。
加害者あるいは加害者になりそうな人たちが話をすること。自分たちの抱える痛みについて、怒りについて語ること。そして、被害者もまたその被害について語ること。痛みについて、怒りについて、様々な思いについて。
そして、互いに相手の話に耳を傾けること。受け容れること。そんな単純な行為のなかにこそ、問題解決の鍵はあるのではないか。

ただ、いじめでも、虐待でも、最初、声をあげていた子どもたちが、誰も真剣にはとりあってくれない、救ってはくれないとわかると、裏切られつづけると、最後はもう話したくないという。何も話してくれなくなる。そうなってしまったらもう、打てる手立ては限られてくる。そうなる前に、話したいという気持ちが残っているうちに、私たちはもっと耳を傾けなくてはいけないと思う。

演劇をみて、そんなことを考えた。


2009/6/29 遺族の二次被害。誤報のこわさ。

ずいぶん久しぶりにある方から、メールをいただいた。
きっかけは、テレビ朝日が6月20日(土)と21日(日)に二夜連続で放映した「刑事一代 平塚八兵衛の昭和事件史」。
(http://www.tv-asahi.co.jp/ichidai/)

じつはかなり以前、2001年1月31日付けの「わたしの雑記帳」(me010131)に、「加害者の言い分と被害者遺族の言い分」というタイトルで、昭和21(1946)年3月16日歌舞伎俳優12代目の片岡仁左衛門さん(65)方で、仁左衛門さんやご家族、使用人の計5人が惨殺された事件の続報についてとりあげた。
当時、私が関心をもったのは、事件そのものではなかった。この事件の加害者で同家に世話になっていた男(22)が、刑を軽くするために「食べ物のうらみによる犯行」と供述したことで、その後、残された家族が長い間苦しめられてきたということを東京新聞の記事で知ったことだった。
本当は借金返済に追いつめられての犯行だったらしい。しかし当時は戦後間もない、食糧難の時代。警察官に「食べ物のうらみ」ということにすれば刑が軽くなる」と教えられて、食べ物の恨みはなかったにもかかわらず、「日頃、1日2食しか食事を与えられなかったことを恨みに思っていた。また、前日に書き上げた原稿を「これでも作家か」と投げつけられたことがきっかけになった」と供述したという。そして彼は実際に、強盗殺人罪で起訴され死刑が求刑されたが、無期懲役刑が確定。恩赦もあって13年後に出所したという。

このことをサイトでとりあげたあと、実は私のところに、片岡仁左衛門さんの血縁の方からご連絡があった。長い間、被害者であるにもかかわらず、まるで非があったかのように周囲からみられ、苦しんできたこと。それが50年以上たってようやく、東京新聞の小さな記事になったこと。その小さな記事を再び、サイトにとりあげたことで、感謝のメールをいただいた。
新聞記事はたった1日。目にするひとは限られるだろう。その記事を偶然、読んだ私がサイトに書きこむことで、またほんの少し多くのひとがこの事実を知ってくれた。実際、その方は知人に、私のサイトに片岡仁左衛門さんのことが載っていると教えられて知ったという。
そのメール内容は、パソコンが不調になって新しくするときに失われてしまって、私の手元に残っていない。
自分が書いた内容さえすぐに忘れてしまう、忘れっぽい私だが、このメールのことは特別印象深かっただけによく覚えている。

そして、それから8年。同じ方から、再び、メールをいただいた。
じつは、テレビ朝日の放映のなかで、平塚八兵衛氏が新米当時、はじめて扱った事件ということで紹介されたのが、この片岡仁左衛門さんの事件だったという。
私は、テレビでこの番組が放映されることは知ってDVD録画予約をしていたが、2話あるとは知らず、私が録画できたのは後半部分で、この事件がどういう取り上げられ方をしたのかはみていない。なにしろ、平塚八兵衛氏があの事件を担当したなどとは思ってもいなかった。

一方、ご遺族は「まさかうちの事件を取り上げるとは思わないけど、八兵衛さんの回想場面などでもしも、もしも『食べ物の恨みで殺された』とか『一家惨殺』とか、ひとことでもセリフにあったら、直ちにテレビ朝日に抗議に行く勢いで居りました。でも幸いに『歌舞伎の仁左衛門殺しの凄惨な現場で吐いた』と、それだけに止まり、正直ホッとしました。」という。

ながい間、そして今だに、当時の間違った情報は生き続けている。
「まだまだ当時の記事のまま、それだけを資料に見てあたかも自分が見てきたように書いてる文献を見ると腹が立って仕方ありません!」という。存命している二女の方も一緒に殺されたことになってるものもあるという。
死者の名誉、自分たちの名誉を守るために、どれだけ時間がたとうと、今だ遺族は間違った情報に怯え続けなければならない。

私は今回、雑記帳に当時、書いたのとはまた別の思いを抱いている。私自身が今は、間違った情報を流してしまうかもしれない側にいるということだ。
私自身、サイトを運用するにあたって、事件事故の情報の多くを新聞や雑誌、書籍などに頼っている。しかし、実際に当事者にお話をうかがってみれば、ここはちがう、あそこもちがうということも多い。元の情報が間違っていることもあれば、私自身の入力ミスもある。なかには、事実であっても、もう触れてほしくないということで、内容を削除してほしいといわれることもある。載せたと非難されることもある。
もちろん、そのような連絡が当事者からあった場合、できるだけ対応しているが、きっと私自身が知らないところで、傷つけていることも多いだろう。

私は、事件・事故の情報は、当事者だけのものではなく、再発防止のための社会的財産だと思っている。一方で、間違った情報を流してしまうことのこわさ。一旦出てしまった情報の回収や訂正の難しさも感じている。
何度も、こんなことをしていて何か意味があるだろうか、だれかを傷つけてしまうくらいならやめたほうがいいのではと思ったりもした。そのなかで、「このサイトの情報に助けられました」と言ってくださる方たちのことばをはげみに、なんとか今日まで続けている。そのなかのひとつに、この方のメールもはいっている。

今回、改めてご連絡をいただいて、ご遺族の方の心の傷の深さを思う。一次被害、二次被害の大きさを思う。
そして、正確な情報を収集する努力を怠らないことの大切さと、画面の向こうにひとがいて、つながっているのだと改めて思う。(これは、ネットいじめ、ケイタイいじめ防止に生徒向けに私が使っている言葉)
そして、2000年11月にはじめたこのサイトが、今も存在していることで、再びつながれた。思い出してもらえて、私はうれしかった。落ち込むこともあるけれど、もう少し続けて行こうと思う。


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