
| ようこそ、「日本の子どもたち」のホームページへ。 「日本の子どもたちの抱える問題」を中心テーマに取りあげていきたいと思っています。 ただし、不本意ながら、方向音痴と呼ばれています。興味の赴くまま歩き回っているうちに、とんでもなく寄り道したり、違うところに出ちゃったりすることもあるかも・・・。 とくに、「わたしの雑記帳」では、あまり枠組みにとらわれずに、誤解や批判を恐れずに書いていきたいと思っています。なんてったって、“わたしの”ページですから・・・。 「日本の子どもたち」は 私が所属する世界子ども通信「プラッサ」のサイト(http://www.jca.apc.org/praca/index.html) のなかで 武田さち子が作成・運営させてもらっている個人サイトです。私の思っていることや伝えたいことを表現する私のための場所です(「日本の子どもたち」というネーミングは、ただ単に、このサイトで扱っている内容を表すためのタイトルです。公的な立場でつくっているサイトではありません)。 従って、そのことを充分考慮に入れて、偏った見方であるかもしれないことを承知のうえで読んでいただくようお願いします。 なお、当サイトはいかなる政治・宗教組織・営利を目的とした団体にも、属していません。 一市民による自発的な活動です。 |
| S.TAKEDA |
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| 2010/2/8 | 文部科学省の有識者会議と、第三者調査の検討について |
2010年2月7日(日)、朝日新聞の教育欄「きょういく特報部2010」で、「我が子はなぜ死んだのか 子どもの自殺 第三者調査検討」という紙面の約半分を使った大きな記事が掲載された。 NPO法人ジェントルハートプロジェクトでは、一昨年、文部科学省に質問や要望書を届けたことをきっかけに、その後も度々、文科省に出向き、話し合いを続けてきた。 そのなかで、ようやく実現したのが、記事にもある昨年9月15日に行われた「児童生徒の自殺予防に関する調査研究協力会議」(有識者会議)のヒアリングだった。 会からは理事4人が出席して、発言したのは、小森美登里さんと、武田さち子の2人。時間は2人あわせてわずか30分。 (そのあと、委員からの質問時間が20分) 時間オーバーはできないということだったので、2人とも原稿をつくりこんでいった。 私は、あとからでも読んでもらえればと、大量の資料を添付した(賛否両論あったが)。 私が当日用意した資料は ・子どもの自殺予防のための提案 PDFファイル ・資料1 子どもの自殺 ・文部科学省統計と報道、警察庁統計との比較 ・資料2 いじめが原因と疑われる自殺・事件概要 (239例) ・資料3 教師の体罰やしっ責によると思われる自殺一覧 (39例) ・指導死記事 (世界子ども通信「プラッサ」/大貫隆志) プラッサ28号 ・資料4 事件事故直後のアンケート案 親の知る権利2008/6/23付け 「自殺、事件、事故後の調査書」案参照 ・資料5 調査機関実施例一覧 PDFファイル ・新聞記事 そのなかで、とくに資料5「調査機関実施例一覧」では、第三者機関の主な問題点をとりあげた。 ●構成メンバーの問題 ・メンバーに誰を選ぶかによって、中立性に疑問が残る。 ・地域によっては、人材が限られている。 ・メンバーが現代のいじめや学校の実情、事故の仕組みなどを知らなかったり、人権意識が低かったりする。 ・児童生徒への聴き取りには、人権意識とノウハウが必要。 ●権限の問題 ・学校に入って事情聴取する、証拠を出させるなどの捜査権がない。 ・「勧告」「警告」「要望」に法的強制力がない。 ●当事者との関係 ・調査委員会設置を理由に、学校との交渉が閉ざされてしまう。 ・被害者や遺族が何を望むかを聞かない。要望に応えない。 ・被害者や遺族が望む調査をしてもらえない。調査方法について意見が言えない。 ・調査の中身を当事者や遺族が知ることができない。 ・当事者や遺族にとって報告内容に納得がいかなくとも、第三者が調べたのだから客観的というお墨付きのもと、事件に終止符が打たれてしまう。結果を覆すだけの情報や証拠が当事者側にない。 ●その他の問題 ・調査委員会が立ち上がることで、他の調査がストップしてしまう。 ・メンバー選出や会議等で、調査開始まで時間がかかる。 そのため 児童生徒や当事者の二次被害が防げない。 加害者の指導の機会を失う。 口封じや隠ぺいが先行し、事実が出てこない。 ・学校教師に当事者意識が生まれず、再発防止につながりにくい。 ●もし、第三者機関をつくるなら ・先に当事者や親の知る権利を保障。 ・知る権利を補完するために、調査を依頼できるシステムにする。 ・調査方法、その他に当事者や親の意見を反映させる。 ・当事者や親に情報を開示することを前提で行う。 ・外部にどの程度、情報を開示するかは、当事者や親の意向を第一優先とする。 ・構成メンバー選出、調査方法に透明性をもたせる。 過去の事例をもとに、正確な第三者委員会とはいえないまでも、何らかの調査委員会が立ち上がった17事例について、結果が被害者の望むものであったかどうかを一覧にした。(PDFファイル) 結果、多くが、委員の選定に不透明さがあったり、調査方法に疑問が残ったりした。 そして何より、調査に遺族が関与できない、遺族の意見を聞いてもらえない、調査内容を知らされないなかで、結果だけがひとり歩きすることに、再び、遺族が傷つくということがあった。 調査委員会が立ち上がるのは、報道で大きく取り上げられるような世間の耳目が集まる事件にほとんど限られている。 多くの被害者や遺族にとっては、経験がないので、「第三者委員会さえ立ち上がれば、事実を知ることができる」と思い込んでいたりする。 しかし、過去にうまくいっていないものを、十分に内容を検討せずに制度ととり入れることはかえって危険ではないかと、私たちは懸念する。 一度、制度ができてしまえば、それを変えることは難しい。 当事者が内容を知ることができない調査はないほうがマシだと思う。 第三者委員会を法律で規程してつるより前に、当事者や親の知る権利を法律できちんと認めてほしいと思う。 なお、朝日新聞な高校教師の言葉として、「自殺の背景を調べれば、家庭内の問題に踏み込む必要も出てくる。教師にどこまでできるだろうか」とある。 事件・事故の調査委員会メンバーからもよく、背景調査ができなかった原因としてあげられる。 しかし私は、家庭のことまでを学校関係者や第三者に調べてもらう必要はないと思う。 学校で何があったのか、事実だけでいい。それが自殺の原因になったかどうかの評価はいらない。 まずは、亡くなった子どもの周辺で何があったかを丁寧に拾い上げて、そのなかで、子ども自身が、あるいは教師が、学校が、反省すべき点はないか、改善すべき点はないかを考えてほしい。 学校は学校ができることをまずやってほしい。そして、その情報を親に伝えるだけでいい。 親は親で、自分たちのもっている家庭内での情報とつきあわせて、わが子がなぜ死ななければならなかったかを真剣に考えるだろう。 学校に責任があると思えば、もしかしたら裁判になるかもしれない。しかし、不当な行為によって被害を受けたら、被害を受けた人間には損害賠償を請求する権利がある。 裁判を恐れて情報を開示しないのは、それ自体が被害者の権利を奪う不当なことだと思う。 そして現実に起きている裁判の多くは、遺族たちは裁判など起こそうとは思っていなかった。 しかし、学校との交渉の窓口が絶たれ、みんなが知っている事実を知らされず、何があったか知るために裁判を起こしている。 今回、NPOジェントルハートプロジェクトと、全国学校事故・事件を語る会の内海千春さん(発言は内海さんだけだったが、同行したのは弁護士と大学教授)が、ヒアリングに参加した。 そこで、驚いたのが、自殺防止策を話し合う有識者会議のメンバーのほとんどが、今までに、遺族からの話を直接、聞いたことがなかったということだった。 また、この会議のメンバーに私たちもしくは、子どもの自殺遺族をせめて一人を入れてほしいと再三、文科省にはお願いしてきた。しかし、それは叶わなかった。 よく言われるのは、遺族が入ると委員たちが萎縮して、思うことがいえなくなるという理由。 しかし、そこで決定されたことに影響を受けるのはほかでもない遺族だ。影響が自分たちの目に見えなければいいということだろうか。 今回、ヒアリングが実現したことの意味は大きいと思う。しかし、あまりに時間が短かった。 今後は、定期的、もっと何人もの遺族の話を時間をかけてじっくりと聞いてほしい。 そこには、二度と自分たちと同じ悲劇を繰り返したくないという強い思いと、なぜわが子が死ななければならなかったを真剣に考え続けてきたなかでの知恵がつまっている。それを無駄にしてほしくない。 2009年度の有識者会議の結論が直、出されることだろう。 私たちとしては、法律を変えることも、予算をつける必要もなく、すぐに実行に移せて、効果が大きいこととして、 @事件事故直後(3日以内)の遺族に内容を最初から公開することを前提とした調査 A学校事故報告書に当事者や親の意見を併記すること の2点をあげた。 話し合うだけで何もしないのであれば、事態は何もかわらない。せめて、この2つだけでもすぐに実行に移してほしい。 導入できないのであれば、なぜ導入できないのかを明らかにし、どこをどう配慮すれば、変えれば可能なのかも示してほしい。 |
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| 2010/2/5 | 七生養護学校「こころとからだの学習」控訴審第3回、傍聴報告 |
2010年2月4日(木)、午後3時から、東京高裁101号法廷で、平成21年(ネ)2622号 七生養護学校「こころとからだの学習」裁判の控訴審第3回目の口頭弁論が行われた。(1回目と2回目は都合がつかず、傍聴できなかった) 裁判長は大橋寛明氏、裁判官は佐久間政和氏、見米正氏。 前の裁判が長引いたとかで、約5分遅れで開廷。 一審で、七生養護学校が勝っている。(me090324参照、3都議らの行為を「教育に対する不当な支配」として、旧教育基本本10条1項違反と認定し、かつ、このような不当な介入から教職員を保護すべき都教委が保護しなかったして、「保護義務違反」を認定)ので、控訴人(控訴した側)が東京都と3人の都議で、七生は被控訴人(控訴された側)だと思っていたが、傍聴席の右側(通常被告席)に東京都と都議らの代理人ら9人が座り、左側に七生の原告代表と代理人弁護士ら20人前後(?)が座った。 これは、単に一審原告側の人数が多いのでとられた措置なのか、一審で全面的に認められたわけではなく、原告側も控訴したので、控訴人となっているのかはわからない。 裁判官の呼び方も、「一審原告」「一審被告」という言い方だった。 最初に、今回提出された書類の確認と、原本確認が行われた。 そのあと、七生側の代理人・橋詰譲弁護士から口頭で、今回提出された「準備書面2」の要旨が述べられた。 裁判が始まる前に、支援者らに「概要」を書いた用紙が配られたので、実際にはそれにもう少しプラスした内容だったが、その資料を引用させていただく。 ●「準備書面2」の要旨 「第1では、 @七生養護の「こころとからだの学習」が特異な教員集団によって突如てして始められた特異特殊なものではなく、1970年代以降、全国各地の小中学校(とりわけ障害児学級・障害児学校)において、様々な現実的な必要性から、多くの教員らにより様々な実践が行われていたこと、 Aまた、都議や都教委らが七生養護の「こころとからだの学習」を問題視する以前から、全国各地の小学校・中学校(とりわけ障害児学級・障害児学校)で実践された中の、様々な公刊物に掲載されたものの一部を紹介しつつ、これらの先行的な実践が、いずれも七生と同様に、子どもたちの実態からその必要性に迫られた教員が、それぞれ試行錯誤を繰り返し工夫しながら実践を創り上げていったものであり、「性交」(セックス)教育ではなく、「性と生」(セクシュアリティ)教育であるという点でも共通していること、 Bそして、これらの先行実践例は、マスコミはもちろん、文部省や教育委員会で問題にされたことは全く無いのに、都教委がこれらの多くの授業実践について検討して問題点を論議したり、総括をしたりすることもせず、突如として七生の「こころとからだの学習」について否定したことは、被告都教委による厳重注意処分が本来の教育的要請によらない極めて不合理なもので、政治的意図を背景とした「不当な支配」にあたることは明らかである。 第2では、 @現場の教育実践を評価していた都教委が政治的意図によって動かされ、主体的に不当介入をして教育課程を破壊したこと、 Aその不当介入で破壊された教育課程という損害の法的主体は現教師や保護者だけでなく、教育課程を実質的に形成して事件当時は辞めていた教員や卒業生の保護者らも含まれること、 B被告都教委の教育内容の管理強化は、本来の指導・助言ではなく、憲法、教育基本法、学校教育法の観点から許されないこと、 C本件の都議、都教委の一連の行為が国連や条約、国際基準の流れからみて違反していること。 また、都教委は、単に被告都議らの介入行為を「容認」「放置」して「こころとからだの学習」を破壊したものではなく、都教委自身が、教育の自主性や教育の自由、学校の自治をつぶし管理体制を強化・確立するという外在的な政策目標を追及し、明確な目的意識のもとで、自らが「不当な支配」の主体として主体的に本件介入行為をしたのであり、ここで破壊されたものは、教職員集団が一体となって共同の責任を分担して実行されていた教育課程であった。 この一連の都議、都教委による教育的破壊行為は、国連や世界の条約(障害者の権利条約や子どもの権利条約)、国連基準の流れからみて、明らかに違反する、などが述べられている。 第3では、 金崎満前校長の分限処分と懲戒処分の取り消しを求めた裁判(「金崎裁判」)で、地裁・高裁が処分の取り消しを認め、そこで鮮明に描き出された被告都教委による教育行政の変質した姿が、「ここから裁判」にも全く共通する。 「金崎裁判」の地裁・高裁判決は、 @学校教育における自主性の尊重と教育行政(教育条件整備)の協力関係により教育が創造されていく本来あるべき姿と、 A学校教育の自主的創造的実践を教育行政が合理的理由もなく否定する理不尽な姿とが、 丁寧な事実認定を踏まえて鮮明に描き出されています。 そして、「情緒障がいを持つ子への対応に悩む中で重度重複学級の制度を使って柔軟な対応を施行することに積極的な役割を果たした都教委が、それを「不適正な学級編成等」を理由に処分した金崎裁判」と「現場が子どもと向き合う中で創意工夫をし、それを都教委も受けとめて研修対象になるなど、評価し励ましていたのに、手のひらを返したように否定し処分をした本件裁判」とは、教育の自主性尊重という教育行政のあるべき姿と、突如としてそれを否定した誤った都教委の姿という点において、本質を共通にする事件といえます。 いずれの裁判においても、教育の自主性を尊重し、教育条件を整備するという教育行政の本質的役割を壊した都教委の反教育的、権力的な姿は、教育内在的な要因により生じたものではありません。 被告都議らの特定の主張に基づく性教育批判という教育的要因により、「こころとからだの学習」への積極的評価を否定評価に急変させ、教育行政が不合理に変質したものと言わざるを得ず、「不当な支配」にほかならない。 第4では、 教育の自主性を問うこの裁判の歴史的意義について、戦前の反省から生まれた憲法の「教育の自主性尊重原則」が、教育基本法及び最高裁旭川学力テスト判決を通して、現在の教育行政にも徹底されるべきものであり、被告都教委の主張がこの自主性尊重原則を全く無視した不合理なものである、などが述べられています。 一審原告が問題とする政治家、教育行政、マスコミの教育破壊行為における不法性の本質は、単に一教員の名誉感情や社会的評価を傷つけたというレベルに留まるものではなく、教育の自主性尊重の原則を破壊し、教育現場を萎縮させて教育現場から創造性を奪い、教育そのものを破壊する、反憲法的、反教育的な不法なのです。 この不法に対して、原告らは、子どもの教育に責任を持つ親として、また教育の自由を子どもたちの健やかな成長発達に生かす権利と責務を負った教員として、自らの権利・利益を侵害されたものとして、被告らの責任を問うものです。 なお、今回、提出されるはずだった新潟大学教授の意見書はできあがりが延びているということで、2月16日までに提出されることになった。 次回は、4月20日(火)、午後3時から101号法廷だが、1週間前までに、東京都のほうは反論を提出するということになった。 ****************** 私は法律の専門家ではないので、わからないことが多い。最高裁旭川学力テスト判決について、ネットと手持ちの資料で少し調べてみた。 フリー百科事典「ウィキペディア」には、 『旭川学テ事件(あさひかわがくてじけん)とは、1956年から1965年にかけて行われた「全国中学校一斉学力調査」を阻止しようとした反対運動派が公務執行妨害罪などに問われた事件。最高裁判所昭和51年[1976年]5月21日大法廷判決。旭川学力テスト事件とも言う。 1956年から1965年に亘って、文部省の指示によって全国の中学2・3年生を対象に実施された全国中学校一斉学力調査(学テ)について、これに反対する教師(被告人)が、旭川市立永山中学校において、学テの実力阻止に及んだ。被告人は公務執行妨害罪などで起訴された。 一審(旭川地方裁判所昭和41年[1966年]5月25日判決)、二審(札幌高等裁判所昭和43年[1968年]6月26日判決)ともに、建造物侵入罪については有罪としたが、公務執行妨害罪については前記学力調査は違法であるとして無罪とし、共同暴行罪の成立のみを認めた。検察側、被告人側双方が上告。一部上告棄却、一部破棄自判・有罪。 この裁判では、子どもの教育を決定する権限(教育権)が誰に所属するか、教育を受ける権利としての学習権の存在、教師の教育の自由の保障が問われた。 最高裁判所は、 ・教育権の帰属問題は、「国家の教育権」と「国民の教育権」のいずれの主張も全面的に採用できない(折衷説) ・児童は学習をする固有の権利を有する(学習権の肯定) ・教師に教育の自由は一定の範囲において存在するが、合理的範囲において制限される。 と判示し、学テは合憲であると結論付け、その実施を妨害した被告人に公務執行妨害罪の成立を認め、原判決および第1審判決を破棄して執行猶予付き有罪判決を自判し、被告人側の上告は棄却した。』 とある。 これを読むと、教師側が負けて有罪になっており、教育の自由にも制限があるとされて、あまりよい判決ではないように思える。 しかし、別冊ジェリストNo.118「教育判例百選(第三版)」、「教育を受ける権利と教育権 ―学テ・北海道事件」/兼子仁(かねこ・まさし)氏の解説によると、 「本判決はきわめて複合的な内容をもち多様な評価を現にうけてきているが、教育人権・教育権能などに関する一般的法解釈の部分にあっては、さらに論旨について異なる読み取り方・解釈の余地を残しているようである」としつつ、「最高裁による初めての教育人権的宣言を含むものと読まれ、かなり高い評価を与えられることになる」という立場を兼子氏においてはとっている。 すなわち、「本判決は表現上、「子ども」をはじめ国民各人が人間・市民として成長・発達していける「学習をする権利」、という1960年代後半いらい現代教育学に依拠して教育法学説が唱えてきた「学習権」説を採用したものと見られ」る。 「本判決は、権力介入を全く受けない「完全な教授の自由」が学校教師に有るか、と問い、これに否定的に答えるとともに自由の制約を強調している。しかし、教師の教授の自由は最高裁判決上かつて肯認されたこことがなかったのであるから、本判旨におけるその存在の原理的承認は、その制約論以前に重視されてしかるべきであろう」 「つぎに判決が「教師の教授の自由」の憲法的保障根拠を、人格関係性をもち子どもの個性に応ずべきであるという「教育の本質的要請」に求めていることが注目されよう。」 などと書いている。 つまり、旭川学テ最高裁判決で、制限はあるものの、原則として「教師の教授自由」が認められているという論理をつかったのかなと、私は解釈した。(間違っているかもしれないが・・・) |
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裁判後、場所を移して報告会が行われた。 今回の法廷でのやりとりの内容の説明のあと、「ここから裁判」を支援する全国連絡会のほうから、当時の七生養護での「こころとからだの学習」風景を映したDVDが放映された。 これまでも、報告集会などで、いろいろな教材がどのように使われたのかを先生方が実践してみせてくれていた。 DVDに映る子どもたちの顔はぼかされていて、表情ははっきりは読み取れない。それでも、体の動きや満面の笑顔でむき出しになった歯の様子から、子どもたちが本当に生き生きと授業を受けていたことがわかった。 私はかつて、この実践を知ったときに、なるほど知的障がい、情緒障がいのある子どもたちにとって、本当に必要な授業だと実感した。 今、小学校での暴力行為が問題になっている。現場では、暴力をなくすために、どのように子どもたちの自己肯定感を高めていけばよいかと試行錯誤している。養護学校だけでなく、全国の小学校でこのプログラムがあれば、いいのにと思った。 NPO法人ジェントルハートプロジェクトが、子どもたちに発しているメッセージ「すべての子どもたちへ 生まれてきてくれて、ありがとう」と同じメッセージがここにも感じられた。 小学校のうちにきちんとこのプログラムを学んでいたら、そして、高学年用の「望まない妊娠」などのプログラムが、全国の中学校、高校の授業でしっかりと行われていたら、今、問題になっている若者のデートDVも減らせるのではないかと思う。 2009年1月から2月にかけて、愛知県半田市の市立中学校で、男子生徒16人(中1)が、妊娠5か月の女性担任に対し、「先生を流産をさせる会」を結成し、いすのねじを緩め転ぶように仕組んだり、給食にミョウバンと食塩を入れる、砕いた赤チョークをはみがき粉などと混ぜたものを車に投げつけるなど悪質な行為を継続して行っていた(2月下旬に給食への異物混入を目撃した生徒が別の教諭に報告して発覚)事件があった。(女性教師は無事) 「先生を流産させる会」に参加していたのは、1人、2人の子どもではなく、16人もの男子生徒。しかも、「情緒障がい」があると診断されていたわけでもない。この子どもたちがもし、小学校時代に七生養護学校で実践していた「こころとからだの学習」を受けていたとしたら、女性担任のお腹のなかに、命が育っていることを実感できていただろうし、母親と子どもの命を危険にさらすような行為を遊び半分で行うようなことはけっしてなかっただろうと思う。 七生養護学校をはじめ各地の養護学校を中心とした学校で、先生方の自主的な努力で、暴力をなくすための素晴らしいプログラムが実践されていた。本来であれば、教育委員会や文部科学省は、これをモデルケースとして、全国に普及させるべきだった。それを逆に潰してしまった。 今からでも、ぜひ見直して、児童虐待が多く、自己肯定感を持ちにくくなっている今の子どもたちに、幼稚園、保育園、小学校のうちから、「こころとからだの学習」を実践してほしい。それくらい素晴らしい実践プログラムだと思う。これは「性と生」「命」の教育だと思う。 |
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| 2010/2/3 | 千葉県浦安市立小学校養護学級でのわいせつ事件裁判が結審 |
2010年1月25日(火)、午前11時30分から、東京高裁822にて、千葉県浦安市立小学校養護学級でのわいせつ事件の口頭弁論が行われた。 裁判長は、一宮なほみ氏。裁判官は田川直之氏、始関正光氏。 高裁では、一審被告の浦安市のほうが控訴人になっているので、入って左側、一審原告のAさんを支援する人たちは主に右側に座るが、今回も、Aさんを支援する人たちで傍聴席はかなり埋まっていた。 浦安市側の法廷の内側の席には、千葉県、浦安市、の代理人とおそらく教育委員会の人間、K元教師の代理人とK教師の計8人が座っていた。K元教師は冤罪をアピールするためか、毎回、法廷に来ている。 Aさんにとっては、K元教師の顔を見るだけでも辛いと思うが、一切の反省はなく、民事裁判一審で認められたわずかな暴力行為さえ否定、堂々と冤罪を主張する姿に、どれだけ傷つけられることかと思う。 補助参加人であるK元教師の代理人からは今頃、裁判長に「まとめの反論をこれから出したい」という要望が出された。一宮裁判長が、「何か、新しい主張があるのか」と問うと、「新しい主張はない」と言う。結局、今回で結審となり、次回、3月24日午後1時10分から判決言い渡しとなった。 裁判長からは、どうしても書類を出したいならば、それまでに出すようにということだった。 ********* 裁判終了後、弁護士会館に場所を移して、説明会が行われた。 前回、裁判長からも触れられたが、この裁判では専門家の意見書が8通も出されている。争点は、知的障がい者の証言は信用できるか、どうかというもの。 しかし、市側の専門家の意見書は可能性のみを並べているが、原告側の出した意見書は具体的であるという。 慶応大学病院でのビデオ撮影された専門家による聞き取りでは、女児が被った25の被害のうち9割方がこのなかに入っているという。その内容はぶれていない。 Aさん弁護団の悩みは、一審でわずかに認められた3点 ア.(2003年)6月27日ころプール授業後、(被告Kが)原告A子(当時小6・11)の頭を殴打した事実。 イ.原告A子の手が眼鏡に当たった際に拳骨で原告A子の頭を叩いた事実。 ウ.7月4日に原告A子の乳房を触った(掴んだ)事実 をなんとしても死守しなければならない。一方で、もっとひどい被害についても認めてほしい。 どちらに力を注いだほうがよいのかということだったという。結局、冒険ではあるが、後者に力を注いだ。 弁護士は言う。被害者となった障がい者は4重苦を負わされると。 1.加害者は無罪放免となり。 2.被害者はウソを言っていると言われる。 3.被害者は早くケアされなければいけないのに、ケアされない。 4.親も被害を受ける。 一方で、浦安市長は、被害者救済や再発防止に力を注ぐより、訴えを封じるほうを選んだ。もし、高裁で負けたら、最高裁に上告すると言っていると聞いた。千葉県のほうは、一審判決後、控訴したくなかったが、当事者である浦安市が闘う気満々なので、仕方なく控訴したとも聞いた。そこまで意固地になる理由はなんだろうかと思う。 3月24日(水)午後1時10分から判決には、30分前に傍聴券配布になると思う。 |
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