ようこそ、「日本の子どもたち」のホームページへ。 「日本の子どもたちの抱える問題」を中心テーマに取りあげています。 ただし、「わたしの雑記帳」では、あまり枠組みにとらわれずに、誤解や批判を恐れずに書いていきたいと思っています。なんてったって、“わたしの”ページですから・・・。 「日本の子どもたち」というネーミングは、ただ単に、このサイトで扱っている内容を表すためのタイトルです。公的な立場でつくっているサイトではありません。 一市民による自発的な活動であり、個人のサイトです。 従って、偏った見方であるかもしれないことを承知のうえで読んでいただくようお願いします。 |
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増長天 / Photo S.Takeda |
2019/12/11 | いじめPTSD裁判の傍聴報告 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2019年12月3日(火) 13時30分より、東京高裁822号法廷で、学校設置者である千葉市といじめ加害者を訴えた民事裁判(令和元年(ネ)第4120)の控訴審第1回が開催されて、傍聴した。裁判長は白石史子氏、ほか2名。 一審原告代理人は、牧野宏信弁護士と杉浦弁護士。杉浦弁護士は高裁から加わった。 第1回目ということで、原告側から申請があり、代理人弁護士と、一審原告の男性(現在、高校生)本人から、冒頭陳述が行われた。 読上げられた内容で事件概要がある程度把握することができた。 許可をいただいたので、下記に掲載させていただく。 (アルファベット、改行ほか、武田が一部改変) |
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令和元年(ネ)第4120号 損害賠償請求控訴事件 一審原告 A 一審被告 千葉市 外2名 控訴人(第一審原告A)代理人陳述要旨 東京高等裁判所 第2民事部 御中 2019年12月3日 A 代理人弁護士 杉浦ひとみ 一審原告の代理人からは、原審での事実認定の誤り、評価の誤りを簡潔に指摘し、この控訴審での主張立証点を明確に述べる。 1 本件は小学校5年時に、暴力行為の多い児童訴外Xに対して、担任Yがこれを放置するという方針の下、クラス全体も訴外Xを刺激しないという空気の中で、夏休み明けから一審原告Aが訴外Xから集中的に暴力を受け、不登校にいたり、自死の危険に追い込まれ、今もなお、通常の高校生の生活を送れなくなったという事件である。 2 原審においては、訴外Xの3つの暴力 ①(訴外Xの気に入らない事をしたのがAであると決めつけ手拳で殴る、②Aを通せんぼして右腕を振りまわしてAの耳を手拳で通院加療の傷害を負わせた、③クラスの後ろに席にいた訴外Xが複数回に渡り消しゴムをや鉛筆や筆箱を投げつけた)についてのみ責任を認めたが、それ以外の被害や担任や学校など市の責任は認めなかった。 本件は対等な児童間の暴力行為ではないにもかかわらず、原審はその構造を捉え誤っている。 3 訴外XからのAに対する攻撃は、仮に責任を認定された上記3点だけであっても被害を受けていたAにとっては、訴外Xは恐ろしい存在であり、クラスで穏やかに勉学を送れる状況でなかったのである。しかし、一審ではさらに、担任Yの陳述書から「11月頃には相対的にX君の暴力がA君に集中してきて(しまった)」との事実が明らかになっているのである。クラスの中でひとりの児童に暴力が集中する事実がどのようなものなのか。 これがクラス内でのいじめの構造になっていることは明らかである。 4 ところで、訴外XからのAへの暴力の集中はどのようにおこったのか。 学校の管理職は、訴外Xの暴力性については知っていた。また担任Yは前任教師から「保護者はそのこと(訴外Xの問題性)については真剣ではないようだ。刺激するとよくないので、ある程度好き勝手にさせたまま授業をしていた」と聞いているのである。 担任Yもまた、クラスの児童に対しては、訴外Xを刺激しないようにという方針をとったのである。 このような学校及び担任Yの方針の下で、夏休み明けの給食中(クラス一同が教室にいる)に、Aが担任Yに「(訴外Xを)何とかしてほしい」と訴えたことに対して「いちいちいいに来なくていい」と強く叱責をしたのである。 Aによれば、これをきっかけに、クラスが担任Yの方針に逆らうAに対しては、訴外Xの暴力も容認されるといった空気が作られていったと感じたという。 このような空気の中で、原審判決が認めた大きな攻撃と、11月頃からのAへの暴力の集中がおこったのである。担任Yがクラスにいて、Aが訴外Xからやられているときにも、担任は助けてはくれなかった事実は、Aに絶望感と、自分は殴られてもいい人間なのだという自己肯定感の喪失を与えていった。 5 では、このような教員、学校のあり方は責任を問われないものであるのか。 判決でも指摘されるように、教員は学校における教育活動より生ずる恐れのある危険から児童を保護する義務を負うことはいうまでもない。 しかし、当時、学校内のいじめが大きな問題となっているうえに、校内での暴力が問題になっており、平成23年7月には文科省から「暴力行為のない学校づくりについて」という報告書が出されているのである。本件事件の起きる1年前である。 当該小学校では、校内の暴力に関して敏感であり、その対策に対して様々な方策を模索してしかるべき立場にあった。 同報告書の中では、概略次のようなことがいわれている ① 他の児童生徒の学習を妨げる暴力行為に対しては、児童生徒が安心して学べる環境を確保するため」に取り組む ② 対症療法的指導や表面的な沈静化は適切でない ③ 加害者の抱える問題に対応しつつも毅然と向き合う ④ 一人で抱え込まない ⑤ 家庭や環境の要因にも目を向ける、 担任Yおよび同学校の方針は、これに真っ向から反し、被害を1人に集中させてしまったのである。 5 被害児の負った精神的苦痛については、原審は全く検討を尽くしていない。 日々暴力の恐怖にさらされ、担任にも見捨てられた中で親に言う事もできない子どもの心理を抱えながら、日々学校に通うしかなかった被害児の心の傷は、今も回復できないでいるのである。 高裁の審理の中では、この被害児の被害について、精神科医の意見書の提出と、証言による説明を法廷で尽くすことによって明らかにしたい。 |
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一審原告口頭陳述 2019年12月3日 一審原告 A 僕は、小学校5年の夏休み明けから、クラスでいじめに遭いました。いじめという名の精神的、肉体的暴力です。 先生には助けを求めても無視されました。クラスの中には教師の無視という、暴力に対する無言の容認によって「Aには暴力を振るってもいい」というクラス全体の空気ができていました。そして、自分ひとりが暴力のターゲットになり、それが教室での日常生活の光景の一部になりました。 それは、自分が日を追うごとにクラスの一員では無くなっていくかのような、クラスの皆にお前は人ではないと言われているかのような雰囲気でした。 僕はそれまで学校は行くものであり、大人になるための方法は学校に行くしかないと思っていました。 ですので、小中高と当然のように、皆と同じ様に大人への階段を登っていくものだと信じていました。 だから毎日がいくら辛くても、学校に通うしかありませんでした。それしか知らなかったからです。それしか知らなかったからこそ、どんな事があっても、命を削りながら必死に毎朝、学校に通いました。 親には自分がクラスでそのような対応をされていることは、辛くて話すことはできませんでした。話してしまった瞬間に何もかもが壊れてしまう気もしました。 毎日毎日、その日1日を何とかやっと過ごすのに精一杯でした。 辛い事を辛いと思わないように、自分の心を麻痺させ、気が付けば、自分は価値のない存在だと思うようになっていました。だから「何をされても仕方ない」とも思っていました。 そんな状態で学校に必死に通い続けた事で、「いつか自分は死ぬんだ」という気持ちを持つようになっていきました。 まだ学校に通えていた当時は、死にたいという強い気持ちがあった訳ではありません。 しかし、気が付けば自分が学校で死ぬという光景が浮かんでいました。暴力にあって学校内で死ぬことがあっても、学校は僕のことなど「そもそもこの学校には通っていた事実は無い」と言い、死体は夜に先生達によってグラウンドに埋められてしまうのではないのかという不安を感じるぐらい何が起きてもおかしくないような環境のなかで学校に通っていました。 そして僕は学校に行けなくなり、それから家で過ごしていた間は自分の心の苦しさに耐えられずに、暴れたり、大声を出したり、刃物やハンマーを持ち出したり、電気のコードを首に巻き付けたり、マンションから飛び降りようともしていたそうです。 僕は死ぬことが、それほど生活からかけ離れたことではないように感じていました。 なにかの弾みに、少し身動きしただけで今の世界と違うところに行く感覚が自分の中にありました。 その感覚は今に至るまで続いています。高い所に行くと柵から身を乗り出したり、駅ではホームの端を歩きながら、通り過ぎていく電車に向かって一歩踏み出しかけたりと、そういう衝動に無意識に駆られる事がよくあります。 そしてその度に、いじめによる自殺のニュースを思い出して「死んでしまえば学校はいじめを認めてくれるのかな」「裁判所はいじめを認めてくれるのかな」「少なくとも遺書ぐらい残しておけばいじめをニュースには取り上げてくれるのかな」「生きているから、いじめがあった事を信じて貰えない、たいした事だとは思って貰えない」それなら、無駄に生きて、戦って、苦しい思いをするなんて馬鹿馬鹿しいことなど止めてしまおうと、気持ちが傾きます。 子どもがいじめで自死する事件が無くならない中、その当時僕に関わった教師達は何事も無く教壇に立ち続けています。その事には、怒りを通り越して呆れています。 しかし、それよりも僕は、これからも先、自分と同じような思いをして、苦しみ、死んでしまう人が減らないのだろうなという、悲しみを抱いています。 けれどもまだ僕は生きていて、自分に起きた事を話す事ができます。いじめを受け、それがどれ程苦しくて、抜け出そうともがいても抜け出す事の出来ない生き地獄を経験したからこそ、知っている事が、伝えられる事があります。 それと同時に忘れてしまいたい記憶でもあります。こんな記憶を一生背負って生きていかねばならないと考えると、生きている事が苦しくなります。 しかし、自分自身が教師達と同様に、思い出したくもないような事だからって、無かった事にしてしまったら、何もせずに死んでしまったら、いじめを見て間違っていると思ったことに間違っているといえなかった傍観者と同様に、僕自身もこれから先、誰かの身に起こるかもしれない、いじめの傍観者であり続けてしまいます。 いじめられる苦しみを、傍観者に囲まれる苦しみを知っているのに、今度は自分が傍観者になってしまうのです。 だからこそ、誰にも自分の主張が認められなくても、自分自身がこのままでは間違っていると感じた事に声を上げなければならないと考えています。そして、それらのことは皮肉ながらも、いじめに遭う前までの学校生活の中で先生達から教えられていたことでもあります。 一審の裁判では、いくつかのX君の暴行を認めてくれましたが、でも、この事件はクラスの中の対等な友だち同士で、どちらも同じように先生から児童として尊重されている2人の間で、たまたま数回暴力を振るわれたという事件ではありません。 いじめの構造の中で僕は苦しみ続けたのです。 僕はPTSDになりました。PTSDは回復するかもしれないけど、完治する事は無いと言われています。生活にとても大きな影響を与え、今もなお、ごく普通の18才が送るような高校生活はおろか、日常生活すら送れていません。 一審では、僕のこの事件の構造、僕の受けた被害は正しく判断してもらえませんでした。 裁判を続けても無駄かも知れないという不安と再度の落胆への恐怖もありました。 でも、僕の傷つけられた人生はこのまま終わらせたくないし、僕と同じ事件が二度と起こらないように、うやむやにしてはいけない責任が、生き残った僕にはあると考えています。 どうしていじめが続いたのか、いじめられ続けることや見捨てられることが子どもの心に与える影響、医学的に証明されている被害、そして、10代のこの時期、多くの子ども達が通う学校という軌道をはずれてしまうことがどれほど自分にも家族にも辛く、苦しいことなのかについて、この裁判でもう一度判断してほしいと、控訴しました。 よろしくお願いします。 |
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法廷で、Aさんは涙を流しながらも、最後までしっかりと陳述書を読み上げた。 事件は平成24(2012)年。当時小学校5年生だったAさんも、今は高校生。他のいじめ被害者と同様、深い心の傷は年月を経ても癒えることがない。 いじめ被害者にとって、一つひとつの出来事は点ではなく、連続して起きているなかのエピソードにしか過ぎない。いじめが解決しない限り、ずっと被害を受け続けているのと同じだ。そして、本来、教室のなかで唯一、自分を守ってくれるはずの存在・教師に訴えても、とりあってもらえない、目の前でいじめられていても助けてもらえない。教師が変わっても、方針は変わらない。それがどれだけ絶望的なことか。 教師がいじめを見て見ぬふりをしたら、いじめ加害者は自分の行為が認められたと思い、いじめは必ずエスカレートする。 教師が見て見ぬふりをするのを見れば、周囲の子どもたちはいじめる側につくだろう。自分にも被害が及んだときに、教師が守ってくれないのがわかるから、自分を守るためには、むしろ誰かが犠牲になってくれているほうが安全でいられる。 そして、それが続けば、感覚が麻痺して、善悪の判断もつかなくなる。大人への信頼、仲間への信頼もなくなる。 小学校で解決されなかったいじめは中学校に持ち越される。小学校時代にいじめをしても放置された子どもは、自分で問題解決することができず、その後もいじめを繰り返すことが多い。年齢があがるほど、反省心は薄れ、いじめ・暴力がやめられなくなる。 小学校時代、教師がいじめを放置するのを見てきた子どもたちは、アンケートでも、自分や友だちへのいじめについて書いても無駄だと、書かなくなる。 大人たちは子どもたちに、「いじめられたら、勇気を出して相談するように」と言う。しかし現実には、いじめを訴えてもとりあってもらえないことがどれだけ多いことか。 2013年のいじめ防止対策推進法以降、いじめが原因と思われる自殺や自殺未遂の重大事態で、第三者委員会が立ち上がった81件事案のうち、半数以上の46件(57%)で本人や周囲が学校・教師に相談していた。また、17件(21%)で 本人や周囲がアンケートに記入していた。 もし教師たちが、子どものSOSを真剣に受け止めて対応していたら、死ななくて済んだ子どもたちではないかと思う。 そして、自殺や自殺未遂事案の原因となったと思われるいじめの68件(84%)で、有形暴力は確認されていない。有形暴力が確認されたのはわずか13件(16%)。肉体を傷つけられなくても、心を深く傷つけられれば、人は死ぬ。生き延びていても、死ぬほどの苦しみは簡単には癒えない。 ( http://www.jca.apc.org/praca/takeda/pdf/boushihou28-1%20ichiran%2020190818.pdf ) 生きて訴えている被害者の言葉に耳を傾け、救うことができなければ、自殺は減らせない。司法は、子どもが死ぬ以外のいじめ解決方法を明確に示してほしい。 次回は、2020年2月13日(木) 午前11時から、東京高裁822号法廷にて。 |
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2019/7/1 | スクール・ハラスメント 中学生の本人訴訟 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
中学生の少女(A子さん)が原告として、その両親が法定代理人として、小学校5年生時の男性担任教諭(X)と、運動会応援団担当教諭(Y)、当時の副校長(Z)と校長(W)、学校設置者である千代田区を民事裁判で訴えた。 少女は弁護士を代理人として立てず、家族3人での本人訴訟。請求額は1円。 その第1回口頭弁論が、2019(令和元)年6月28日(金)、東京地裁530号法廷で、午前10時から、行われた。 事件番号は平成31(ワ)8148。 沖中康人裁判長。合議制。傍聴者は十数名。被告席には弁護士が3名。 負けても1円払うだけですむからと軽くみているのか。あとから聞いたところによると、全員、千代田区の代理人で、教師個人の代理人弁護士は来ていなかったようだ。 裁判長から許可を得て、少女と母親が冒頭陳述を行った。 |
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A子さんの陳述書 (実際には2分という時間の関係から、⑧より読上げた。個人名等はアルファベットに変えている) (*)は武田註。 |
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① 平成29年4月、私は被告X(*5年生当時の担任)から、授業中に頭と顔を触られ、とても気持ち悪かったし、すごく嫌で吐きそうになるのを、一生懸命に我慢しました。そして学校にいる間、四六時中「また触られるのではないか」と嫌な気持ちと恐ろしさで学校にいる時間が苦痛の時間でした。 私の被害が、クラスメイトに気がつかれたら、変なうわさになるのか? 又は 私の被害を一緒に怒ってくれるのか? 色んなことを心配し、悩みながら、学校生活を送りました。 ② 私のうけた被害は、頭や顔を触られるだけではありませんでした。 授業中、ほかの児童たちがいるところで、被告Xは、突然私に対して、至近距離にいるときは「A子さん、かわいいですね」といい、少し離れた距離から言うときは「○○さん(苗字)、かわいいですね」と言いました。 ③ 至近距離に近づかなければならない時というのは、先生へ提出する物を、めいめいが一人一人席を立ち、被告Xに手渡さなければならないということでした。後ろの席から前に渡していくという、提出方法を、被告Xは、あまりしませんでした。 「できた子から先生に持ってきて」と、被告Xが授業中に言うと、私は「またか」と、とてもいやな気持になりました。 ④ 教室にいたクラスメイト達は、「A子ちゃんだけひいきされていいよね」「A子ちゃんだけかわいいっていわれていいよね」等と、私に言うようになり始めました。 そしてだんだんと私の前でひそひそ話や無視が始まり、小学校4年生の時まで仲良くしていた子たちからも、いじめられました。 ⑤ X先生のセクハラ行為が原因で、私は神経性胃炎と不眠症になり、2週間ごとの通院と処方薬を投薬しないと、普通に生活することもできなくなりました。 ⑥ 平成29年6月1日頃、私は被告Z(*当時の副校長)のところへ行き、被告Xのセクハラ行為がいやだと訴えました。すると被告Zは「よく話してくれたね。大丈夫。A子さんのことは、先生が守るから心配要らないよ」といいました。しかし全く守ってなんかくれませんでした。 ⑦ 母は、私の被害のことを警察署生活安全課へ相談に行きました。平成29年6月中旬から、何度か警察官が学校にも来ていました。警察官が来てくれるようになり、やっと少し安心することができました。 ⑧ 平成29年9月8日、その日は、健康記録カードは、私のランドセルから、応援団セットは、私の使っていたロッカーの中から、両方とも消えた日です。 応援団セットは、前日に被告Y(*運動会応援団担当教諭)から受け取り、自分のロッカーにしまってあるお道具箱の上に置き、下校しました。 しかし翌日、応援団セットは、朝登校したときに、自分のロッカーから消えてしまったことを知り、8日朝、登校後ランドセルにしまったはずの健康記録カードは、2時間目が終わったときに、ランドセルから消えた事を知りました。 そして被告Yは、「ロッカーから消えた」と私が訴えたのに、私の訴えを聞かずに、私がなくしたことにしてしまいました。 その後から私は、2人の教師へ、毎日どこをどう探したかを報告しなければなりませんでした。 そして毎回、被告Yは「毎回毎回見つかりませんとだけ言うな」「お前は卑怯者だ」などと、鬼のような顔つきで、私を大きな声で怒鳴りつけ、被告Xはニヤついた顔をして「まだ見つかりませんか?困りましたね」と、言いました。 ⑨ 2人の先生から怒られていることを、他の児童達へもだんだんと知れ渡るようになり、みんな私を避けはじめました。 健康記録カードと応援団セットは、どこを探しても見つかりませんでした。でも誰も助けてはくれず、毎日大声で怒鳴られ、ニヤニヤしながら「まだ見つかりませんか?困りますね」だけでした。 私は夜も眠れず、家の押入れや棚の中にある物も、すべて床の上にだし続けました。 母は「持ち帰っていないのに」といいましたが、当時の私は、持ち帰っているとかのことではなく、「どこからか浮かんできてほしい」という思いがありました。 学校内も探し尽くし、どこからも浮かんでこないので、もう限界でした。もう消えてなくなりたいと思うようになり、自殺を試みました。 ⑩ 2度目に自殺を試みたときは、夜でした。被告Xのニヤついた顔つきと「頭や顔を触ったときの気持ち悪かったこと」「私の髪の毛をつかんだときのこと」「健康記録カードは?応援団セットもないんでしょ」「「まだ見つかりませんか?困りましたね」と被告Yの鬼のような顔つきで怒鳴り声「毎回見つかりませんとだけ言うな。おまえは卑怯者だ」などが、何度もよみがえり、疲れてしまいました。 部屋にあった電気コードで首を絞めました。ぱっと親の顔が浮かび、首を絞めるのをやめました。 ⑪ 平成29年10月20日。私は千代田区教育研究所の不登校教室へ面談に行きました。 面談に行くと、被告Zの申し送りがあるため、私は不登校教室の、他の児童生徒さんがいる大教室への入室を禁止されていました。 個室はいやだ。一人になるのは怖い。と弁護士さんにお願いして抗議しましたが、かないませんでした。 ⑫ 母が千代田区の区政への一言で、不登校教室のことを抗議すると、翌日から私は大教室へ入ることができるようになりました。 その教室で、学習塾の宿題をすることにしました。しかし学習塾の教材が難しいときもありましたので、私は5年生の教科書の下巻がほしいと、弁護士さんから学校へ言ってもらいましたが、教科書の下巻をもらえませんでした。 仕方がないので、母に教科書の下巻を本屋さんで買ってもらいました。 ⑬ 教科書の下巻は、平成30年1月、転校先の小学校でもらいました。 ⑭ 平成29年、12月のはじめ、私は、友達をあきらめるのはすごくつらいけれど、●●小学校は、被告Xと被告Yがいるし、不登校教室へひどい申し送りをした被告Zもいるから、怖くて戻れないと思いました。 こんな学校に行くなら、どうせあと1年で卒業だから、他の学校へ転校しようと思いました。 ⑮ 平成29年12月13日、私は母と教育委員会にいきました。 そして転校手続きと私の1学期と2学期の被害を訴えました。教育委員会の指導課長さんと指導主事さん達ならなんとかしてくれるのかもと期待していましたが、同月22日、教育委員会にいた指導課長さんと指導主事さん達と●●小学校の被告W(*当時の校長)は、私たち親子を裏切りました。 ⑯ 平成30年3月、●●小学校は、警察署の●●警部補にSNSに書き込みがある事を、何故か私の名前を出し、被害相談をしたようでした。 私は携帯を持っていましたが、壊れて使えませんでした。 不登校中だったこと、親が塾の送り迎えをしてくれたので、携帯電話は必要ありませんでした。 ですからメールはできませんし、SNSなどのアカウントも持っていませんでした。 しかし、当時は、「自白強要後、起訴され有罪になり、刑務所を出た後に、実は無罪になった」という報道を見ていたので、私は外を歩くことが怖くなりました。 そして警部補さんの話によると、私の転校後の生活のことも、●●小学校の児童達が知っているとのことでしたので、転校した小学校のクラスメイトのことも「誰が何を話しているか、信用できない」と、怖くなり、転校した小学校にも通えなくなってしまいました。 ⑰ 平成31年3月、ほとんどいかなかった○○小学校を卒業しました。でも誰も信用できないから怖いと思い、卒業式は、卒業証書をもらうため、舞台のすみで自分の番を待ち、証書をもらい、すぐに両親と一緒に学校を出ました。 ⑱ 今でも、突然、私の頭に被告Xのセクハラ行為や、被告Yが私を怒鳴りつけた時の声や顔が浮かび上がり、恐怖感で動けなくなります。 それらが夜、私の頭の中によみがえると、学校からの課題をこなすこともできなくなり、夜眠るのも怖くなります。 そして警部補の「個人攻撃は困る」「○○小学校での生活や塾を辞めたこと」という、あの声がよみがえると、怖くて外に出られなくなります。 ⑲ 家にいて、母と一緒に読んだ日本国憲法から、誰でも裁判を起こせることを知りました。 ⑳ 高校生が本人訴訟をする記事を知り、私も自分の被害を自分の声で訴えようと思いました。 |
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A子さん母の陳述書 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
① 私は、小学校5年生に進級した我が子が、どんどん疲れ果てていくのを見ています。 4年生まで学校生活を楽しんでいた我が子。お友達をお互いの家庭が招き合い、外遊び、家族ぐるみのお付き合いもありました。 ② しかし被告達のせいで、我が子はお友達を失い、学校で学ぶ権利もうばわれました。 ③ 被告達が原因で、我が子は平成29年4月には、神経性胃炎と不眠症をわずらい、同年9月、我が子は2度の自殺未遂、そして現在はPTSDの治療を続けている状態です。 成長期の子供へ、たくさんの薬を服用させる親のつらさを、きっと被告達には理解できないと思います。 たくさんの薬がないと、生活できない子供の苦しさを、被告達は絶対理解しないと思いました。 その証拠が、千代田区教育委員会の勝手な調査の中断宣言でした。 ④ 平成29年4月に起きた、被告Xによる我が子への数々のセクハラ行為を、同年ゴールデンウィーク明けに、被告Z(*当時の副校長)に電話で訴え、「指導します」と約束したにもかかわらず、被告Xは我が子の髪の毛を触り、強くつかんで痛みを与えました。 我が子は真っ青な顔で帰宅し、自宅トイレで嘔吐したあと、寝込みました。 ⑤ 再び、同年5月中旬、私は被告Zへ電話で抗議をすると、被告Zは「Xも若いので許してやってください」と、謝罪の言葉もなく言いました。 ⑥ 同年5月の校外学習でも、乗り物酔いをした我が子を、バスに乗っていた大人達は、A子の隣の席に座っていた子が「A子ちゃんが、気持ち悪いと言っている。助けて」と訴えても、誰一人応急措置や乗り物酔い止めの薬を服用するのを助けずに放置しました。 ⑦ 今、私が、大変後悔しているのは、平成29年5月で、我が子に学校禁止令をいい、無理矢理にでも千代田区立●●小学校への登校を阻止すればよかったと思うことです。 そうしていたら、我が子は、同年2学期の被害で苦しい思いをしなくてすんだはずです。 ⑧ 平成29年9月8日、同時に2つの物が我が子のロッカーなどから消えました。 しかし、担任だった被告Xは、我が子が「ロッカーから消えた」と訴えていたのに「誰か、A子の健康記録カードを見なかったか」「誰かA子の応援団セットを見ていないか」などと、クラスの児童達に呼びかけさえもしませんでした。 同年9月27日朝11時、A子の母が学校に行き、A子の被害を被告Z、教育委員会の指導主事のまえで訴えたときに「普通なら『だれか見ていないか』などと声をかけるのでは?」と指摘した後、同日の午後又は翌日頃に被告Xが、当時のクラスの児童達に声をかけていることを知りました。 ⑨ 通常、同じ時期に原告の2つの物がなくなったら、教師であれば「いじめではないか」といじめの可能性を疑ってもいいはずです。 しかし被告達は、いじめ防止対策推進法を無視しました。 さらにA子が真面目に探して、毎日報告しているのに「おまえは卑怯者だ」と、複数の児童達がいる前でA子を侮辱し、怒鳴り続けました。 ⑩ 平成29年12月、千代田区教育委員会は、勝手に調査を終了するといい、それまでやりとりしてきたメールアドレスへも、私はメールを送信することができなくなってしまいました。 我が子の被害は、学校の外で起きたのであれば、間違いなくセクハラ行為や他の刑罰に該当するのに、学校で起きてしまうと、教育委員会と学校は「指導の範囲」といいます。 ⑪ 私たちは平成30年1月から被告Xの不適切極まりない行為だけでも、告訴しようと動きました。 すると、警察署の安全課ではない部署の刑事さん●●警部補が担当になりました。 告訴状受理については、私たちは代理人弁護士を雇いましたが、●●警部補は、なぜか原告に直接連絡し、告訴状不受理の説明をし続けました。 さらに刑事さんなのに民事裁判を勧めてきました。 ⑫ 同年5月、告訴状が受理されましたが、7月に不起訴になりました。 不起訴理由を検事さんへ問い合わせると「教育員会が懲戒していないから」と言いました。 捜査権のある人たちが、すべて学校のことになると、教育委員会へお伺いを立てるのかと知りました。 ⑬ 私は、我が子の心身を壊した被告達が許せません。 原告本人達が自分たちの口で、具体的に被害を訴えることを選びました。 判決がどう出るかは、わかりませんが、その判決内容で不適切な人たちへの懲戒処分と降格処分を求めたいです。 そうすることで被告達が原因の次の被害者が出ないのではないかと思うからです。 |
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武田私見ほか | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
原告から聞いた内容について、5年生時担任の行為は許しがたい。 スクールセクハラについて知識のない人は、胸や尻を触られたわけでもなく、頭や頬を触られたくらいで大げさだと思うかもしれない。 しかし、電車などの見知らぬ人をターゲットとするチカン行為とは違い、学校での教師によるセクハラ行為はいきなり胸や尻を触るわけではない。関係性を長く続けるためにも、相手が「ノー」と言えない状況を巧みにつくりだし、徐々にエスカレートさせていく。 教師が、必要性もなく、許可も得ずに、児童の頭や顔を触るのは、セクハラだ。これを許せば行為は必ずエスカレートすると直感的に感じたからこそ、少女は実際に吐くほどの嫌悪感を覚えたのだろう。 特定の個人を他の児童もいる前で、名指しして「かわいいですね」と何度も言うのは異状だ。そのようなことをすれば、どのような事態になるか、教師なら簡単に想像できるだろう。 いじめ加害者、DVの加害者、性的虐待者は、相手を心理的に支配するために様々な方法を使う。その一つが、被害者が相談したり、周りから支援を受けたりできないよう、孤立させること。 自分に従うときにはやさしく、逆らう時には罰を与えたり、強い叱責で恐怖を与え、逆らう気力をそいでいく。 また、他の児童生徒が見ている前で、セクハラ行為をするのは有りえないと思うかもしれない。 しかし、授業中や給食中に、教師が女子児童を膝に乗せていたということが、わいせつ行為が発覚して後の調査で判明することもある。 敏感な子どもは、相手の様子ですぐにおかしいとピンとくる。不快感を感じる。(なかには、わいせつ行為をする大人に「愛されている」と勘違いして、不快に思わない子どももいる。あるいは精神的に支配されて、物事を正しく考えることができないようにさせられていることもある) http://www.jca.apc.org/praca/takeda/number2/900326.htm 文科省の「わいせつ行為等に係る懲戒処分等の状況(教育職員)(平成29年度)」においても、 ○ わいせつ行為等が行われた場面 授業中 19人 ○ わいせつ行為等が行われた場所 教室 27人 運動場、体育館、プール等 8人 ○ わいせつ行為等の態様 体に触る 56人 会話などにおける性的いやがらせ 11人 となっている。 これは、あくまで、わいせつ行為で処分された教職員のデータで、氷山の一角に過ぎない。ほとんどの子や親は泣き寝入りし、そして今回のように、被害を訴えても取り合ってさえもらえない。客観的にも納得のいくような調査もされない。 そして、本来であれば、子どもを守るべき立場の大人たちが、子どもを守らず、むしろ見せしめ的な攻撃にさえ出ている。 「物隠し」は小学校でのいじめの典型例だ。それを全く疑いもしないこと自体、不自然だ。 それも、被害者が被害を告発したのちに起きている。「報復」だと被害者が感じるのは無理がなく、そうではないと児童と保護者を安心させる責務は、学校側にあるはずだ。 たとえ教師の報復でなかったとしても、仮に自分でなくしたとしても、ここまで児童を追いつめる必要がどこにあるだろうか。 まして、本人に責任がなかったとしたら冤罪であり、二重に苦しめる結果になると、学校側は思わなかったのだろうか。 教師によるセクハラ行為は、けっして特殊なことではない。児童を性的対象としてみる人間は、児童と日常的に接することのできる職業を選ぶ。あるいは、成人女性相手では反撃されたり、訴えられたりするリスクが大きいが、児童生徒であればごまかしがきくと思っているのだろうか。 そして、ひとりの教師が同時並行的に複数の児童にわいせつ行為をしていたり、問題を起こした教師を、そうと知りつつ、他の学校、とくに特別支援学校や学級配置して、そこでも繰り返すことも少なくない。 ( http://www.jca.apc.org/praca/takeda/number2/030521.htm ) 私の中学校時代にも、クラスで担任教師からひいきにされているとみられている女子生徒がいた。 あるとき、みんなで話をしてたときに、その女子生徒はぽつりと、「担任が、スカートのポケットに手を入れてくる」と話した。 当時は、その女子生徒ととくに親しかったわけでもなく、深く考えることもできなかった。ただ、教師にひいきにされて特しているように見える彼女にもいろいろ嫌なことがあるのだなぁ程度にしか思わなかった。 結局、このことは一切、表に出ることなく、その女子生徒と担任教師の表面的な関係もそのままだった。 性的被害にあっている子どもが大人にSOSを出すのには、どれだけの勇気が必要だろうか。 子どもに「何かあったら大人に言いなさい」という前に、まずは大人たちが子どものSOSを受け止めることのできる体制をつくるべきだ。 今、被害にあった子どもたち、その保護者が声をあげても、モンスターペアレント扱いを受けるだけで、救済の道がない。 いじめや学校事故だけでなく、教師からのセクハラ、パワハラについても、死亡事案だけでなく、せめて不登校事案では、第三者による調査検証の仕組みがほしい。 学校、教委に自浄作用は期待できない。被害者に寄り添う専門家、外部の目が必要だ。 なぜ、請求額が1円なのか。求めているのは、金銭ではないということ。そして、心からの謝罪も望めそうにないからこそ、しかるべき処分と実効性のある再発防止策を原告たちは望んでいる。 次回は、9月13日(金) 東京地裁530号法廷にて、午後2時からを予定。 |
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2018/10/3 | 隠された聴き取りメモ。兵庫県神戸市垂水区の女子生徒自死事案の学校・教委・調査委員会の対応。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
学校や教委の不祥事隠ぺいは、その一部が発覚しても、結局はうまく言い逃れられてしまうことが多い。 表に出るのはごく一部であると思っている。 神戸市垂水区の中3女子生徒の自死事案をめぐって、様々な問題点が浮き彫りになってきた。 幸い、市のサイトではかなりの情報開示がされていることで、その一旦を私たち一般の人間にも直接、目にすることができる。 【事案概要】 2016年10月6日、兵庫県神戸市垂水区の市立中学校の女子生徒(中3・14)が橋の欄干で首を吊って自殺。小川の中で発見された。 友人との交換ノートや「ツイッター」の記述などに、いじめを示唆する内容があり、「2年生のころから同級生に悪口を言われる、仲間はずれにされるなどのいじめを受けていた」という。 遺書らしきメモが残されていたというが、女子生徒が亡くなった当初、「家庭内トラブルを記した遺書があった」との誤った情報に基づく一部報道があったという。 2018年7月30日に放送されたNHKクローズアップ現代によれば、母親は当該生徒が亡くなったあと、同級生や教員など、のべ50人に自ら聞き取りを行い、そのなかで、「顔面凶器と言われていた」「消しゴムのカスを投げられていた」などの証言があがったという。 「いじめがあった」という生徒は10人以上いた。 また、聞き取りを始めて4か月後、事件直後に生徒たちが教員に話した際のメモがあることが判明。教育委員会に提示を求めたが、「記録として残していない」という回答だった。 (2018/7/30 NHKクローズアップ現代 “いじめ自殺”遠い真相解明 ~検証 第三者委員会 ~ http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4166/index.html ) 【第三者委員会の設置と報告書内容】 2016年10月20日、有識者による第三者委員会が詳細調査を開始。 そのことが公開されたのは、12月13日。「在校生や調査に影響がある」などとして、調査に入ったことを公表していなかった。 なお、当初は「公平中立な調査のため」として、調査委員の氏名を公開しない方針が伝えられたが、のちに、市教育委員会の付属機関である「神戸市いじめ問題審議会」(常設)が、第三者委員会として調査していることが判明している。 調査委員会は、2017年8月、遺族に対して報告書案を示したという。 それに対し、遺族は原因究明が不十分として2度にわたって質問書を送ったが第三者委は回答せず、調査終了の意向を示したという。 報告書は2017年8月8日に答申。 市の情報公開条例により、個人の特定につながるとして、全5章(165頁)のうち、自殺の経緯や要因、いじめの内容などを記した第3章(64頁分)は黒塗り。 具体的な内容がわかってこそ、身近な問題と結びつけて、再発防止にも役立つのではないかと思うが。 なお、遺族にはどの程度開示されているのは不明。 調査委員会の結論としては、 女子生徒の容姿を中傷する発言や、廊下で足をかけられたりしたことなどを「いじめ行為」と認定。 しかし学校側は全く気付いていなかったと指摘。他生徒らから女子生徒の異変の申し出がなかったことを理由に「(自殺の兆候を)教職員が察知するのは極めて困難」とした。 自殺の原因も「特定できない」とし、いじめとの因果関係は認めなかった。 学校や教育委員会の対応については、一部、処分された資料についてや、いじめ防止対策推進法や学校の基本的な方針にある校内いじめ問題対策委員会が設置されていなかったことなどが問題であるとしながら、全体的には「学級担任、学年団、学校全体のそれぞれの段階において、生徒の悩み、問題行動、生徒からのSOSを組織的に把握していこうという仕組みは整備されていた。いじめとして認知される前の、ささいな問題行動や悩みも含めて、網羅的・組織的に把握しようとしていた。」と評価している。 (日常的には実によくやっていたにも関わらず、なぜか今回の女子生徒の自殺事案に関しては、中学1年時から3年時まで、様々なトラブルがありながら、教職員は全く察知することができなかった。その主な原因を第三者委員会は、本人やその友人、保護者などが、学校を信用して打ち明けることをしなかったからだとしている。) 事後対応についても、「事案認知後の学校の初動体制としては、遺族の意向に配慮しながら対応がなされていたと理解できる」「教育委員会事務局は、遺族の意向及び当該校の事情を尊重するとともに、本委員会の公正・中立性が担保できるように努めてきたこと、本事案の真相を明らかにするために本委員会が必要とする調査の具現化に大きく貢献した」とあり(下記、「文教こども委員会資料」より)、自死事案の第三者委員会の報告書としては異例なほど、学校や教育委員会の事前、事後の対応を肯定的に捉えている。 学校や教委がメモを隠し持っており、校長に存在を指摘されてもすぐには公表しなかったと言う事実がわかった今となっては、この好評価に対して、第三者調査委員会の公正・中立性さえ疑いたくなる。 【処分されたとされた文書の作成経緯と第三者委報告書での扱い】 報告書では、文書の保管について、 ・いじめに関するアンケートの原本は、3年生時実施分しか保管されていなかった。 1年生時、2年生時実施分については、当該生徒の特記事項が記録に残っていないという情報しかもたらされていない。 ・10月11日の6名の生徒に対する聞き取り記録が破棄されており、メモも処分したとのことであったとしている。 ことが指摘されている。 「残しておくべきだった」としながら、一方では、「メモに書かれていた内容については、本委員会による一連の聴き取り等により、そのほとんどを復元できたと考えている」として、実質的な問題はなかったかのように書いている。 また、平成29年3月に文科省が出した「いじめ重大事態の調査に関するガイドライン」にも文書保管に関して書かれていることにふれつつも、このガイドラインは事案発生後であるから、適用外であることを暗に強調しているようにさえ見える。 ただ、ここには書かれていないが、こうしたアンケートやメモの開示や保存期間内や係争中の文書の処分については、これまでもたびたび民事裁判の争点となっており、学校管理職や教育委員会は、ガイドラインに書かれていなくとも、保存しておくべきだった。そうしなかった段階で、隠ぺいを疑われても仕方がないと私は考える。 このメモの経緯やアンケートの保管については、2018年4月の神戸市「文教こども委員会資料」「1.報告 垂水区中学生自死事案にかかるメモ等の存在について」に、詳細が出ている。 http://www.city.kobe.lg.jp/information/municipal/giann_etc/H30/img/kodomo300427-1.pdf 「生徒にとって、10月11日(火)が葬儀のあとの初めての登校日となった。この朝、ふたたび、臨時全校集会が行われ、校長が心のケアの説明をし、「気になることがあれば話してほしい」と生徒に呼びかけた。」 「その臨時全校集会の後、当該生徒が学んでいた教室に入れない生徒がいた。6名であった。 そこで、教員はこの6名を別室に移動させ。カウンセリングを行うことにした。この時の目的は動揺している生徒の気持ちに寄り添い、精神的に支援することであった。 教員は生徒が話す内容についてメモをとりながら聞いた。生徒たちは、当該生徒が学んでいた学習塾において、この前日に当該生徒の生前の様子や出来事についてそれぞれが知っていたことを共有」 「カウンセリングを受けた生徒によると、当該生徒のこと、事案にいたる原因と考えられること、などを教員に詳細にわたって述べたとのことである。」 「このような学校の対応は適切であったと言える。しかし、本委員会がこの時のメモの提示を学校に求めたところ、すでに破棄されていたとのことであった。学校側の説明によると、これらのメモはカウンセリングの一環としてとったものであり、調査目的の聴き取りメモではなかったので処分したとのことであった。」 「このメモに書かれていた内容については、本委員会による一連の聴き取り等により、そのほとんどを復元できたと考えている。しかしながら、教員を信頼して話した生徒の気持ちを考え、また、本委員会の調査等への協力のことを考えると、やはり、このときのメモは学校が残しておくべきだったと判断される。」 【隠ぺいされた文書と調査について気になること】 Ⅰ.カウンセリングか、事情聴取か? 生徒6名が教員(個人名は伏せられている)に話をしたのは、臨時集会の直後。 校長の「気になることがあれば話してほしい」という呼びかけに応えて、教員に話そうという気持ちになったのではないか。 しかし、教員はそれを「事実解明のための告発」とはとらえず、「辛い思いを吐き出したい」というカウンセリングの必要性と捉えたという。 そして、第三者調査委員会はそれを「適切であった」と評価している。 しかし、学校側の主張する「カウンセリング」と、生徒側が話した事実に関する内容とでは、大きく食い違う しかも報告書に書かれている文言は、「カウンセリングを受けた生徒によると」「詳細にわたって述べたとのことである。」。 これは、話を聴いた教員からは調査委員会に、聴き取った内容についての情報がほとんどなく、生徒側に聴いてはじめて判明したということを示しているのではないか。また、カウンセリングだったのでメモを処分したという学校の言い訳とも矛盾する。 実際に、その後、このメモに関連する記述では、「カウンセリング」ではなく、「面談」や「聴き取り」となっている。 仮にカウンセリングだったとしても、心の影響は時間が経ってから現れることもある。カウンセリングの資料として、引き継ぎが必要なはずだ。 なお、 他でも、自殺事案が発生したとき、「カウンセリング」という名称の聴き取りは、学校関係者にとって都合がよい。 カウンセリングと称して、学校関係者が生徒の話を聴けば、それはカウンセリングをした生徒の個人情報に当たり、自殺した生徒に関することではないとして遺族の情報開示請求を退けやすい。 話を聴いたのが、スクールカウンセラーだとしても、スクールカウンセラーの直接の上司は学校なので、学校長に内容を報告する義務が発生する。学校長に聞き取った内容を話すのは、守秘義務違反にならないという言い訳も成立する。 話を聴いたカウンセラーは、たとえば「自分がいじめたから、相手は亡くなってしまったのではないか」と自分を責めている生徒に対して、「自殺というのは、直前の行為が影響しているとは限らない」「この子は前から死にたいと言っていたというから、君のせいではないよ」と話す。 自分のせいだと思っていじめを告白した生徒は、「なんだ、自分のせいではなかったんだ」と安心する。 その後の調べで、いじめが原因で亡くなったと知らされても、「本当は自分のせいではないのに、自分のせいにされた」と反省よりむしろ、被害感情や怒りさえ感じる。 そして、守秘義務を盾に情報を出すことを拒んできた学校や教委は、いざ裁判になると、遺族や生徒のカウンセリングの内容から、自分たちにとって都合のよい部分だけを使用する。 Ⅱ.聴き取りは複数、他の教職員や教育委員会指導主事も情報共有していた 第三者委員会の報告書からは、まるで、一人の教員が6人の生徒から単独で聴き取りないしカウンセリングをしたかのように受け取れる。 しかし、後の2018年6月1日に提出された2人の弁護士による「垂水区中学生自殺事案にかかるメモ等の存在についての弁護士調査の報告について」 http://www.city.kobe.lg.jp/information/municipal/giann_etc/H30/img/kodomo300606-1.pdf で初めて、6人の生徒を3人の教員及びスクールカウンセラーの計4人で、面談したことがわかる。 これがもし、純粋なカウンセリングであれば、教員が同席する場では、生徒が本音で語りにくいのではないかという配慮がなされるべきだと思う(生徒が見知っている教師の同席を望んでいる場合は除く)。 まして、時期的には女子生徒の自殺直後であり、心のケアの体制は整えられていたはずである。 調査委員会に対しては、「調査目的の聴き取りではなかった」としながら、のちの弁護士の調査(上記)では、聞き取りをしたその日の学校で行われた「職員間の打ち合わせで写しが配布され、職員が当該生徒の自死事案についての共有する文書となった」とある。 こうなると、カウンセリングというのは全くの言い訳で、職員が共有すべき重大でかつ具体的な事実(と思われる)として取り扱われていたことがわかる。 この会議には、教育委員会事務局指導主事も参加していた。弁護士の聴き取りに対して、「記憶にない」と答えているというが、最も初期の具体的な氏名まで語られた内容を、学校の自殺背景調査の支援に入っている指導主事が「記憶にない」というのはあまりに不自然だ。 なお、第三者委員会の報告書では、指導主事の人数などはわからないので同一人物のことを指しているかどうかは不明だが、第三者調査委員会の調査員として、当該調査委員会が定めた聴き取りマニュアルによる1次聞き取り調査を行っている。 上記事実をみれば、学校や教育委員会ぐるみの組織的な隠ぺいの可能性は充分に考えられるが、メモについて調査した弁護士らの結論は、「同面談内容を学校が基本調査報告書において意識的に隠そうとしていたとは認められない」。 その根拠は、「校長が10月11日面談のことを意識的に省いたことはない」と述べているから。そして、このことを「学校から教育委員会に伝えられていたから」という。 また、この時の職員による打合せの後に、教頭がその内容をまとめてワープロ打ちしていたという。 こちらは、弁護士の調査で、「「教頭メモ」を教育委員会に当時日々送っていた事実は確認できなかった。」「第三者委員会に提出されていないようである。」と極めてあいまいな書き方をしている。 これはつまり、教頭は教育委員会に毎日のようにメモを送っていたと主張し、教育委員会はもらっていないと主張しているということだろうか。 教頭のメモが第三者委員会に提出された事実があるかないかは、7人の委員に確認したり、当然、保管されているであろう第三者委員会で使用した資料を調べれば、あるか、ないかは、はっきりわかるのではないかと思う。 Ⅲ.担当者がメモを隠蔽した理由 なお、弁護士らの報告書には、 1.平成29年3月6日に、当時の校長が遺族に対し、面談の資料乃至メモは存在しないと回答した理由について、 ①主席指導主事の指示に従った。 ②□□は、同メモの存在が明らかになれば遺族からの再度の情報開示請求等が出されることが考えられ、その場合の事務処理が煩雑であると考えていた模様であり、また、第三者委員会の報告完成について当時は平成28年度末(平成29年3月)が目標とされていたこともあって、同メモの存在を回答することにより教育委員会としての事務が増大することを避けたいという思惑を有していたと推測される。 一方、校長は、事故後5ヶ月近く経過した時点で同メモの存在を明らかにした場合の遺族の反応を心配し、できれば同メモがないことにしてやり過ごしたいという思いを有していた模様である。 このことの評価としては、 「上記の②の□□や□□の考えについては、事務量の増大や遺族の反応を心配するといっても、実際に遺族が求めている情報について同メモの存在を隠蔽することは誤った対応であることは言うまでもなく、このような対応は非難されるべきものである。」と、はっきり「隠蔽」という言葉を使って書いている。 2.平成29年8月、証拠保全の際にメモ等が提出されなかった経緯について □□が、□□に対してその際も提出しないように指示したため、同手続きの際に提出されなかった。 3.平成29年8月に、当時の校長が教育委員会に対して上記面談に関するメモが存在すると告げたにもかかわらず、その後の平成30年4月に至るまで同メモの存在が公表されなかった経緯 ①校長のメモについての申告をきっかけとして教育委員会では、教育長の命により調査が開始された。 しかし、調査を担当した学校教育課を中心として、これを総括する立場であった教育長や総務部としても、遺族が開示的に求めていたメモの物理的な存否を重要視せず、もっばら10月11日の面談における聞き取り内容が第三者委員会に伝達されているかどうかを重視していたため、調査は不徹底であり、また教育長や総務部もその進捗状況を積極的に把握し調査を徹底させるように強く促すこともなかった。 ②このような対応となった理由として、 ・教育委員会のメモの存否に関する重要性の認識の欠如 ・本件以外にも事件事故が多発してそれへの対応を優先した これらが原因と考えられる。 同報告書には、「10月11日に6名の生徒との面談があり、生徒らが当該生徒に関する1年、2年、3年時の出来事を教諭に話し、また、その内容について「いじめ」が疑われることが含まれていたという事実自体は、10月11日当日か、翌日ころには教育委員会に伝達されていたものと考えられる。」とあり、「トラブルの概要(いじめの疑いも含む)が第三者委員会にも伝えられている」「第三者委員会はこの6名の生徒から詳細な聴き取りを行っている」と書いている。 内容が伝わっているのであるから、結果的には影響はないというようにとれるが、多くの生徒や教師から聴き取りをする前に、具体的なトラブルや行為者の名前がわかっているか、どうかでは、調査の仕方は大きく変わってくる。 また、同級生が亡くなったばかりの時には、同情心や正義感から、自分にふりかかるかもしれないリスクを恐れずに真実を述べたいと思う気持ちも、日々の生活に流されるうちに、亡くなった友人より、今の人間関係を大事にしたい、生活に波風を立てたくないという気持ちに傾きがちになる。そして、記憶はあいまいになる。証言の信用性も薄れて行く。 何より、学校が自分たちにとって不都合な内容をもみ消そうとしたのであれば、亡くなった生徒、遺族、学校生徒への裏切りであり、同様事態の再発防止どころか、不当なことを行っても言い逃れをすれば責任を回避できると示すようなものであり、子どもたちに大人や世の中の正義を信じられなくさせる。今後のためにも、あいまいなまま終わらせてよいことではない。 Ⅳ.メモ調査の信用性 弁護士らの調査は、平成30年5月30日付けの「文教こども委員会資料」 http://www.city.kobe.lg.jp/information/municipal/giann_etc/H30/img/kodomo300531-4.pdf によれば、 1.調査内容 ①平成28年10月11日に教職員が生徒に聴き取りした内容を記載したメモの存在が確認されるまでの事実関係 ②教頭が作成した資料に関すること ③当該メモに関連するその他のメモや資料の存否 ④ご遺族からご要望いただいた調査項目 2.聴き取り対象者 平成28、29年度に在籍していた教職員 22名 (当該中学校、教育委員会事務局) 自殺の第三者調査委員会と同様、起きてしまった出来事・不祥事の経緯と原因を探り、再発防止をするための調査であると考える。 その調査によって、人々の信頼を取り戻すものでなければいけないはずだ。 しかし現実には、より深く、「第三者」あるいは「専門家」の「調査」に対する、あるいは行政が依頼した調査に対する不信感をさらに上塗りするものだったと感じる。 平成30年7月25日付けで、弁護士らは、「調査報告書についての追補」を出している。 http://www.city.kobe.lg.jp/information/municipal/giann_etc/H30/img/kodomo300730-4.pdf ここでも、結論を出すことは避けているものの、第三者委員会の委員への聴き取りの結果、メモがあっても、なくても変わらないというような証言内容が書かれている。 一方で、「本件メモ等に記載された生徒の固有名詞等の全てがそのまま情報として第三者委員会に伝わっていたわけではないが、生徒6名に対する聴き取り調査によって報告書を作成するにあたって必要となる情報は概ね把握できたものと考えられる。」とある。 たくさんの教師がメモを見たはずなのに、このような事実がもたらされたのは、生徒からだけだった。 文科省の自殺の背景調査の指針では、事案発生3日以内に全教師から聴き取りをすることになっている。 しかし、教師からそれまで保護者が知らなかったような事実が初めて出てくるようなことはほとんどない。 多くは児童生徒やその保護者から、学校に、あるいは遺族、メディアに、情報がもたらされている。 その情報をもとに調査してようやく、様々な言い訳とともに、教師からも証言があがってくる。 だから、第三者委員会の調査は「学校・教師は隠すもの」という前提で行わなければならないことを、実際に3件の自死事案の調査に関わった身としては、実感している。 どんなに努力しても、調査には限界がある。しかし遺族の亡くなったわが子に何があったか知りたいという気持ちに対して、「概ね」などというあいまいさが許容されてよいのだろうか。それで満足してよいのだろうか。 初期に情報があれば、もっと精査できたかもしれないのに、調査委員として悔しくはないのだろうか。 もし、生徒が大人への不信感や関わりたくないという保身などから、教師に話した内容について証言してくれなかったとしたら、1年、2年時の内容は明らかにならなかったかもしれない。(とはいえ、どのみち黒塗りのため、具体的に何が書かれているのかはわからないままだが) また、聴き取りで出てきた固有名詞が全て第三者委に伝わっていたわけではなかったとあるが、それによって、名前があがった生徒、あがらなかった生徒とで、その後の対応に差が生じる可能性がある。 名前があがった生徒が可哀そうというよりむしろ、彼等の今後の人生を考えたら、大人たちの隠ぺいにより、反省の機会を奪われた生徒のほうが気の毒に思う。 なお、メモの廃棄を報告書に書いたのは、生徒たちに事情聴取した3人の教員とカウンセラーに確認したうえでの結論かと思っていたが、第三者調査委員会はそう記述した理由を、「既に存在しない状況である、と教育委員会事務局から報告を受けていた」からと述べている。 つまり、「カウンセリングだった」「事実調査ではなかった」という言い訳も鵜呑みにし、教育委員会事務局の言葉のウラをとることもせず、関わった教員らに確認もしなかったということなのか。 可能な限り、伝聞ではなく、第一次情報に当たるというのは、調査の鉄則ではないのだろうか。 そして、おどろくべきは、追補に添付されている教員の2018年7月13日付け「陳述書」だ。 個人情報保護を理由とした黒塗り(白抜き)がアルファベットなどの表記の方法をとっていないため、どこの記述とどこの記述が同一人物のものなのかがわかりにくいが、内容からして、当時の校長が出したものと推測される。 メモ隠ぺい調査の弁護士に話したとされる内容について、本人が言っていないことが書かれていたり、重要な部分が落とされているという、いわば「告発状」の形を呈している。 7月6日の再調査の際、なぜこのような記述がなされたのかを弁護士に質問したところ、 ①これらの記述は当時の校長が述べたことではなく、弁護士らの推測を書いた。 ②推測のない内容は、校長が遺族に対してメモは存在しないと通知した以上、校長に何かそのようなことをする理由があったはずだ。 ③校長は、遺族から様々な非難を受けるのは辛いと述べていた。 ④だから、校長はメモが提出されることで遺族から非難されるのを避けたいと思ったはずだ。 ⑤これが、校長がメモをないものにしたいと考えた理由だと推測できる。 という内容だったという。 一方、校長は、「私がメモは存在しないと通知したのは一にも二にも教育委員会から「メモはなかったことにする」という指示があったから。それ以外の理由など存在しない。」と主張している。そして、「校長というのは、教育委員会に対して自分の考えや意見を述べることはできるが、教育委員会が決定した方針に従わないという選択を取ることはできない。」と書いている。 一見、言い訳にも聞こえるが、こちらのほうがより真実に近いのではないかと感じられる。 こうした内容を表明することにも、かなりの勇気がいったのではないかと思われる。 この陳述書の内容についての弁護士の見解や反論は何も書かれておらず、ただ陳述書が添付されている。 ある面、ここに書かれた認めているということだろうか。 たしかに、報告書の語尾に「模様である」「考えられる」「推測される」など、あいまいな書き方が多用されていることが気になっていた。 しかし、事実と自らの想像とを分けずに、誤解されるような書き方をするのは、弁護士としての専門性が問われるのではないか。 実際、報道等で、メモを隠蔽した理由は「事務が煩雑になるから」などと大きく報じられている。それを見て、ひどい言い訳だと感じていた。 Ⅴ.その他 1つ嘘をつくと、その嘘を合理化するために、次から次へと嘘をつかなければならなくなる。 まるで、そのことを示唆しているような神戸市、あるいは神戸市教育委員会対応の流れだ。 神戸市は、再調査を決め、平成30年7月16日から審議が始まっている。 http://www.city.kobe.lg.jp/information/municipal/giann_etc/H30/img/kodomo300730-2.pdf 神戸市長は、平成30年4月26日の定例記者会見で、再調査を決めた経緯について述べている。 http://www.city.kobe.lg.jp/information/mayor/teireikaiken/h30/300426.html 平成30年3月13日に調査報告書と遺族の意見書が添えられて提出され、 4月3日に遺族から再調査を望んでいる旨のの申し入れ書があった。 再調査を検討しているところで、調査報告書のなかで破棄されたとされていたメモが発見されるということが起きた。 (市教委は4月22日に、自殺直後に学校側が友人らに聞き取った内容のメモが残っていたと発表。) そして、再調査を行う理由として、 ①調査を行う調査委員会の設置、このスタートに当たって問題があったのではないか。 ②複数の弁護士に意見を聞いた結果、第三者委員会の調査報告書はいじめ防止対策推進法に求める調査の内容から見て不十分な点があるのではないかと指摘された。 ③再調査の検討をしているところにメモが見つかった。 などを挙げている。 一方、平成30年4月24日付で、文教こども委員会あてに、「第三者委員会がなぜ再調査を行わなかったのか、理由を文書で公表すること」と「市長による再調査が行われるか否かについて、早期に明らかにすること」を求める陳情書が出されている。 http://www.city.kobe.lg.jp/information/municipal/giann_etc/H30/img/kodomo300531-1.pdf それに対して、5月31日付けで、以下の回答をしている (私の知識では誰が回答しているのかが、よくわからない) http://www.city.kobe.lg.jp/information/municipal/giann_etc/H30/img/kodomo300531-3.pdf (1)第三者委員会は、「いじめ防止対策推進法」や「いじめの重大事態の調査に関するガイドライン」の趣旨を踏まえ、公正・中立の立場で慎重に調査を進めてきた。 (2)全ての関係者からの聴き取り調査を目指したが、二次被害防止や当人からの同意を得られないために、予定された全員からの聴き取りを行うことはかなわなかった。 (3)調査権・捜査権・指導権等が無い中、聴き取りに応じてくれた方々のお話を真摯に受け止め、得られた情報をもとに客観的かつ慎重に判断し、委員の専門的な分析も加えて報告書にまとめた。 (4)「追加調査申入書」は、調査方法、事案の要因分析及び事実の認定の結果、並びに学校の対応に関してご意見を述べられていると受けとめている。 (5)第三者委員会として本事案に関する見解やこれに係る説明は、調査報告書に記載したとおりであり、これ以上の追加調査は行わない。 (6)調査報告書に関するご意見等は、国のガイドラインに明記されているとおり、市長への所見として教育委員会事務局に提出していただきたい。 回答者は4月26日付けの市長の記者会見の内容を知らなかったのだろうか。 一次調査の第三者委員会が追加調査を行わないという回答は妥当だとしても、すでに市長は再調査委員会設置を決めていると回答してもよかったのではないかと思う。 市教委、教育長、神戸市の一連の対応を見ると、もし、聞き取りメモが存在することの内部告発がなければ、メディアがメモの隠ぺいに大きな関心を払わなければ、今まで通り、「第三者調査委員会の調査には不備はなかった。聴き取りメモはなくとも内容は調査に反映されているので問題ない。」として、再調査を行わなかったのではないかと感じられる。 文科省は詳細調査について、調査委員会を常設しておくことを勧めている。 しかし、いじめ防止対策推進法施行以降、再調査・再組織を要望された自死事案17件のうち、常設の委員会が約半分(8件)を占めていた。 常設の委員会以外にも、遺族と委員の摺合せをしなかったり、遺族からの要望をきかなかった調査委員会で多く、調査結果に不満、不信感が寄せられている。結果、再調査では、遺族側の、とくに委員に関する要望を受け入れて設置されるものが多い。 つまり、最初の第三者調査委員会で、遺族推薦を受け入れていれば、再調査をしなくてすんだかもしれない。 http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message.html http://www.jca.apc.org/praca/takeda/pdf/judaijitai%20saichousa%20youbou%20jian%20ichiran%2020180917.pdf なお、上記で引用した資料は、神戸市会のサイトの「文教こども委員会」 http://www.city.kobe.lg.jp/information/municipal/giann_etc/H30/kodomo.html のところで、見つけることができた。 このなかには、個人的に非常に気になっていた2017年12月22日に発生した神戸市六甲アイランド高校の自殺未遂事件についての学校の報告書も挙げられていた。 http://www.city.kobe.lg.jp/information/municipal/giann_etc/H30/img/kodomo300619-14.pdf 第三者委設置の報道も見当たらない。これだけで幕引きになってしまうのか、それで本当によいのか、大いに疑問を持つ。 そして、改めて情報公開は大事だと実感する。情報が公開されなければ、実際には何が行われているのかを、私たちは知ることができない。 第三者委員会の報告書のマスキングは、誰が判断しているのか。 「個人情報保護」と言いながら、自分たちにとって都合の悪い箇所を大幅にマスキングしているのではないか。 情報公開の不服申し立てで、そのマスキングが適正であるかどうかの判断を組織もそれぞれの自治体にある。 しかし、今回のように、チェック機能を持つ組織そのものが信じられないことも多々ある。 「中立」「公明正大」を言葉ではなく、可視化することで、立証してほしい。 |
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2018/6/13 | 日大アメフト部の危険タックル問題 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2018年5月6日、東京都調布市のアミノバイタルフィールドで開催された日本大学フェニックス 対 関西(かんせい)学院大学の定期戦で、日大のディフェンス選手が、関西学院大学のボールを持っていないクォーターバック選手に背後から強いタックルをしかけ、けがを負わせた。その後も、2回にわたり同じ選手が、反則を繰り返し、退場処分になった。 この時の動画がSNSで拡散され、大きな問題となった。 味方にボールをパスし終わって全く無防備な状態での、後ろからの猛烈なタックル。今回は幸い、ひざや腰などに全治3週間のけがを負った程度で済んだようだが、重い後遺障害が残ったり、命を失っていてもおかしくなかった。 監督、コーチは、教え子を殺人者にしてしまうところだった。 今回は証拠となる動画があり、ユーチューブにもアップされて世間の強い関心を集めた。 何度も繰り返される日大側の不遜かつ誠意のみられない対応。一般的には、被害者側の証言だけでは結局、加害者側のあのような強硬姿勢に押し切られてしまい、泣き寝入りをせざるを得ない。 5月22日、反則行為をした日大の選手(20歳)が、カメラの前で顔と名前を出して、経緯の説明と謝罪を行った。 今回、危険タックルの背景には、監督やコーチからの指示があったことを明らかにした。 同選手は、19歳以下の日本代表に選ばれ、前年12月の全日本大学選手権決勝「甲子園ボウル」ではフェアプレーに徹していたという。 それから5月に入ってから、練習を外され、監督から「やる気が足りない」と指摘を受けたという。 2018年5月30日付のスポーツ報知によれば、「U前監督は時期ごとに選手を選び、M選手のように精神的に追い込む指導を何度も繰り返していた。ターゲットになることを、部員たちは「ハマる」と言って恐れた。「結果を残さなければ干すぞ」。全体練習から外された上、意味もなくグラウンド10周、声出しを強制される。特に声が小さいわけでもないのに、U前監督がボソッと「声が小さいな」と言えば、コーチからすぐさま「声が小さいぞ!」と叱責された。今回「ハマッた」M選手の様子を見て「顔つきまで変わってしまった」と漏らした選手もいるという。」(監督名・選手名は武田がイニシャルに変換) 特定の選手をターゲットにする指導のことを「ハメ」ということを、2002年3月25日、自殺した東京農大ラグビー部の金沢昌輝くん(当時高2)の事件で初めて知った(http://www.jca.apc.org/praca/takeda/number2/020325.htm)。 東京農大ラグビー部独特の隠語かと思っていたが、どうやらそうではなかったようだ。 いろいろな学校、スポーツでも指導者がターゲットを決めて、追い込む方法は、いくつもの部活動に関する事件事故、自殺に共通する。 ◆ 運動部を中心に、不適切な指導が生徒を追いつめた例
指導者にターゲットにされるのは、反抗的な部員だけではなく、有望選手やキャプテンなどが多い。 これらの選手は、努力に努力を重ね、競技に対しても強い執着を持っているので、どんなに理不尽な目にあっても、なかなか辞められない。 そして、一番強い選手を指導者が叩くことで、他の部員たちには、「誰が一番強いのか」「実権を握っているのは誰なのか」を示すことができる。 東京電機大学の助教・山本宏樹は、このような闇の指導方法を「ダークペダゴジー」と名づけている。 ・衆人環境のなかで過酷な叱責や謝罪を要求する「公開処刑」。 ・指導用意者(部長・道化キャラ)、弱者(スクールカースト低位者・いじめ被害者)を「生贄の山羊(スケープ・ゴート)として代理処罰する「スケープ・ゴーディング」 ・被害者の正常な常識を加害者の異常な「常識」で上書きすることによる心理的支配方法「ガス・ライティング」 などなど。 洗脳された選手たちは、理不尽な指導を恨むより、努力が足りない、自分が悪いと思い込まされる。自尊感情が低下して、自死に至ることもある。今回、悪質タックルをした選手も、もしそれを拒否したとしたら、選手生命を絶たれ、自死に追い詰められていたかもしれない。 また、多くのケースで、教え子をここまで追い込んで死なせても、指導者に反省がないことも少なくない。おそらく、現役のころから、そうやって他人を蹴落としてまでのし上がってきて、それでも価値さえすれば、成果に対する周囲の対応や評価が高いことが影響しているのだろう。 今、世間から批判を浴びている日大のアメフト関係者、経営陣のあの強靭な対応に対して、遺族たちは単独で立ち向かってきた。当時は、裁判を起こす以外に、学校と交渉する術さえなかった。 今回、日本大学は第三者委員会を立ち上げて、真相究明をするという。 日大主導の調査検証委員会前に、関東学生アメフト連盟が調査し、前監督と前コーチからM選手に対して、反則の指示があったと認定。両氏の主張を「全く信頼性に乏しい」「認識の乖離など存在しない」とする結果を発表したことに安堵する。 http://www.kcfa.jp/information/detail/id=2254 あの短時間に、ここまでの調査内容が出されたら、根拠もなく、覆すことは難しいと思う。 過去、とくに大学関係の調査・検証委員会で、かなり疑問に感じるものが少なくない。 2013年10月24日に発生した日本大学ボート部部員自殺事案の調査についても、自殺原因については「全く不明としかいいようがない」とし、「大学に法的責任はない」とした。報告書1枚だけしか公表していない。 いじめや学校事故の第三者調査委員会には大抵、大学の関係者が委員として参加している。しかし、いざ自分の大学や付属で事件事故が起きると、とても学識経験者とは思えないような対応が少なくない。 第三者調査・検証委員会が、単に事件への幕引きの目的に使われないように、願う。 ◆ 大学が調査委員会設置の主体となった事案。
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2018/4/9 | 見えてきた「いじめ防止対策」の課題 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
※ リンクは基本的に、武田作成資料がある場合には、原本ではなく、サイト内資料にリンクを貼っています。 いじめ防止対策推進法(平成25年法律第71号)(以下、防止法と略)は、2013年6月28日成立 9月28日施行。 第28条第1項に重大事態への対処について書いており、 第1号の規定は「いじめにより当該学校に在籍する児童等の生命、心身又は財産に重大な被害が生じた疑いがあると認めるとき。」であり、 同第2号の規定は「いじめにより当該学校に在籍する児童等が相当の期間学校を欠席することを余儀なくされている疑いがあると認めるとき。」 とある。(文科省「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」における注より引用) この間の流れをみると、未だ防止法は学校現場に浸透・定着しておらず、法律施行前と同じことが繰り返されている。 なお、この3月にいくつもの重大事態の調査報告書が発表された。 2月から3月に報告書が発表されることが多いのは、在校生への影響を考え、受験シーズンを避けるなどもあると思われるが、一旦下火になった話題が再び関心を集めることで、入学希望者数に影響することを避ける狙いもあるのではないかと思う。 一方、卒業すれば、自分の学校やクラス、部活動で起きた重大事態についての関心も薄れる。調査結果が出ても、情報を得る機会を逸しやすい。また、もしいじめがあり、自殺等との因果関係が認められた場合でも、加害行為を行ったり、それを見ていた生徒への指導は、卒業すれば行えなくなる。 同じことは、教職員にもいえる。事件があると、かかわりの深かった教職員を移動させることが多い。事件後も当該校に在籍している教職員でさえ、再調査で、調査委員会が出した報告書を読んでいなかったことが判明した例もある。移動すればなおさら、多忙ななか、教師の関心も薄れ、せっかくの報告書も教訓として生かされないのではないかと懸念する。 昨年10月にも、調査結果をまとめてみたが、子どもの自殺が多発し、第三者委員会設置の動きも激しいことから、3月に出された報告書の結果を反映したものを更新した。ただし、ファイル内の情報量が多くなりすぎたことから、不登校等の事案(2号事案)を分け、作業の関係から今回は、自殺や自殺未遂に関する調査(上記1号事案)のみ更新した。 (オリジナル資料 http://www.jca.apc.org/praca/takeda/takeda_data.html 参照) 後日、2号事案を中心としたファイルもまとめたいと考えている。 一方、今年(2018年)3月16日、総務省が、いじめ防止対策の推進に関する調査<結果に基づく勧告>を出した。 防止法に関するチェックは文科省が行うものだと思っていたが、法律に係ることだからなのか、総務省が実施している。 防止法附則第2条には、「いじめの防止等のための対策については、この法律の施行後3 年を目途として、この法律の施行状況等を勘案し、検討が加えられ、必要があると認められるときは、その結果に基づいて必要な措置が講ぜられるものとする。」とあるが、文部科学省は、平成29(2017)年3月14日付けで、「いじめの防止等のための基本的な方針」を改訂、新たに「いじめの重大事態の調査に関するガイドライン」を作成するだけで終わった。 防止法運用のチェックは、文科省のいじめ防止対策が適切になされているかの検証でもあるので、かえって、別の省庁が調査し、勧告したほうが、お手盛りの調査・検証より、踏み込んだ内容が出たのではないかと思う。 当然のことながら、総務省が出してきた課題は、今回、私がまとめるなかで抽出できた課題とも共通するものが多かった。 資料をまとめるなかで、気がついたこと、考えたことを総務省の調査結果と対比しながら、備忘メモ的に、ここに書いておきたいと思う。 |
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◆ 総務省のいじめ防止対策の推進に関する調査 から抜粋 http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/107317_0316.html 調査対象にしたのは20都道府県。県庁所在地と重大事態の発生が把握できた市町村を中心に40市町村を選定。 分析した報告書は再調査1件を含む66事案(生命身体財産重大事態が31内自殺・自殺未遂は18事案、不登校重大事態が38、不明4)67報告書のうち、概要版及び抜粋版を除く54調査報告書。内訳は、生命身体財産重大事態が21、不登校重大事態が33。 ★ 重大事態66事案から見えてきた課題 1.いじめの認知等に係る課題(37事案・56%) いじめの定義を限定解釈 この程度は悪ふざけやじゃれあいで問題なく、本人が「大丈夫」と言えばいじめではない等 2.学校内の情報共有な係る課題(40事案・61%) 担任が他の教員等と情報共有せず 等 3.組織的対応に係る課題(42事案・64%) 担任に全てを任せ、学校として組織的対応せず 等 4.重大事態発生後の対応に係る課題(23事案・35%) 教育委員会から首長への法に基づく発生報告が遅延等 ・学校から教育委員会に発生報告をしていない(3教委・16事案・12% 生命身体等1事案・不登校等15事案) P189 ・教委から教育委員会会議に報告していない(2教委・32事案・23% 全て不登校事案) ・教育委員会から地方公共団体の長に報告していない(2教委・3事案・2% 生命身体等1事案・不登校等2事案) ・教育委員会から被害児童生徒・保護者に情報を提供していない(6教委・19事案・14% 身体生命等4事案・不登校等15事案) ・教育委員会から首長に調査結果を報告していない(1教委・1事案・1% 不登校事案1) ・重大事態の調査報告書を作成していない例(4教委・25事案・18% 全て不登校等事案) 5.アンケートの活用(18事案・27%) アンケートに「いじめがある」と回答があった際の具体的な対応の取り決めがなく、活用されなかった 6.教員研修(30事案・46%) いじめに焦点を当てた教職員等の指導力向上のための研修が開催されていなかった |
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◆ 総務省調査結果に対する私見、その他 ■ 私が今回、まとめた防止法以降の自殺・自殺未遂事案68件(内再調査9件)のうち、すでに報告書が上がっているものは52件(内再調査が5件。2018年に入ってからの報告が6件)。 私のような個人が、報道を中心に情報を拾い集めるのとは違い、国の機関の調査なので、自殺に関するものだけでも、報告書全文を取り寄せて、全件調査をしてほしかった。 なぜなら、過去の事例からしても、きちんと公表している自治体の調査・検証より、報道されずにこっそり処理されているものにこそ、多くの課題が隠されているからだ。 全く情報があがってきていなかったり、個人のプライバシーを盾に全面非公開にされている内容について、適切に処理されているのかを検証できるのは公的機関に限られる。国が責任をもって内容を吟味してほしい。 なお、不登校事案など、被害者が存命している事案は、自殺事案以上に、報告書が公開されることが少ないので、不登校重大事態33事案の報告書が検証されたことには、意味があると思う。 ■ 1.いじめの認知等に係る課題のうち、「いじめの定義の限定解釈」について。 防止法のいじめの定義(第2条)は、「児童等に対して、当該児童等が在籍する学校に在籍している等当該児童等と一定の人的関係のある他の児童等が行う心理的又は物理的な影響を与える行為であって、当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているもの」となっている。 被害者がいじめを訴えても、教師がいじめと判断せず、対応しなかったために自殺に追い込まれた過去のたくさんの事件の教訓として、いじめの早期発見、早期対応のためには、広く網をかけて、取りこぼしがないようにすることが求められる。 一方で、葛飾区の中3男子の自殺事案で、区が設置した第三者委員会が2018年3月28日に出した報告書では、「社会通念上は、いじめと評価すべきではない行為が含まれる。」として、法のいじめ定義を使わずに「いじめはなかった」と判断している。 ここまではっきり書くかどうかは別にして、防止法の定義とは異なる判断基準を用いた報告書は複数ある。 また、私が委員として参加した複数の調査・検証委員会でも、同じような議論があった。 防止法の定義がすんなり当てはまる事案もあれば、機械的に当てはめることで、新たな問題を生み出してしまうような事案もある。 総務省の調査・検証は、第三者委員会のあり方にまでは今回、踏み込んでいない。 いじめの定義を含め、第三者委員会そのものが抱える課題について、国の機関が検証を行う必要があるのではないかと思う。 ■ 2.情報共有について。 生命身体に係る重大事態でも、学校から教育委員会に、あるいは公共団体の長に報告されていないことがあるという。 しかし、それにもまして多いのが、被害児童生徒・保護者に情報提供していない事案が、身体生命等で4事案不登校で15事案もあるという。教育委員会や自治体など、上には報告しても、当事者には調査をすることも、結果も報告しないという、長く続いてきた当事者不在の学校事故事件対応のなごりが表れているのではないかと思える。 このような実態は、踏み込んだ調査がなければ、表に出なかったことだと思う。 また、不登校等事案では、報告書さえ作成されていない事案が25事案あるという。重大事態と認定されているにもかかわらず、不登校事案がいかに軽く、いい加減に扱われてきたかが読み取れる。 ■ 5.のアンケートの活用に関して。 今回、私が集めた68事案のうち、本人や他の生徒が当該いじめについて、アンケートに記入していたとされるものが12事案あった。(総務省のデータは自殺と不登校事案を足した66事案中18事案) また、私が集めた事案では、68事案中34事案で本人や家族が学校にいじめの相談をし、2事案で他の生徒が相談していた。 ほとんどの事例で、アンケートに書いた生徒は、口頭でも教師に相談しており、自殺や自殺未遂に追い込まれた事案の約半数で、何らかの相談が教師にあったにもかかわらず、2.学内で情報共有されなかったり、3.担任がひとりで抱え込んでいて、適切に対応されなかった。 今年度から子ども対象に、SOSの出し方教育をするというが、課題は子どもよりむしろ、SOSを受け取る大人側にあると言えそうだ。 2017年11月5日付けの雑記帳にも、上記の内容とともに書いたが、6.いじめに焦点を当てた教職員等の研修がなされなかった背景には、文科省が2015年度の児童生徒の問題行動等調査でわざわざ、「いじめの問題に関して、職員会議等を通じて教職員間で共通理解を図ったり校内研修を実施した」という内容に質問を変更したことで、なおさら、いじめに特化した校内研修を行わなくても、職員会議等で触れれば、研修をしたのと同等に扱われるという考えを学校現場にもたらしたのではないかと思える。 ■ いじめの認定と、調査対象の選定について。 総務省分析対象66事案のうち、いじめ認定の記載が確認できた56事案中、いじめが確認されたものが55事案(98%)で、されなかったものがは1事案のみ。 今回、私が集めた68事案の情報のうち、すでに報告済と確認できたものが52事案(内5事案は再調査)。指導死事案6件といじめの有無が不明の1件を除く40事案中、現段階での最終的に、いじめがあったと認められたのが33事案(82.5%)、存在が認められなかったのが7事案(21.2%)。 いじめが認められた事案のうち、自殺や自殺未遂との因果関係が「有り」とされたもの(一因含む)が29件(87.8%)、「無し」とされたのが2件(6.0% 2015/9/1高知県南国市・2016/10/6神戸市垂水区)。結果不明が2件(2014/北海道・2015/2/新潟県中越地方)だった。 これらを考えると、やはり総務省の調査は、批判を受けやすい調査結果が出たものは、反映されていないのではないかと推察される。 一方、今まで、多くの自殺遺族が、いじめが原因であると民事裁判に訴えて、いじめの存在が認められたとしても、ほとんど自殺との因果関係が認められることがなかった( いじめ自殺裁判一覧 http://www.jca.apc.org/praca/takeda/pdf/20141116%20ijimejisatu%20saiban.pdf )ことに比べると、随分と認められている。もちろん、これがこのまま民事裁判でも採用されるとは思わないが、有形暴力を伴わないいじめではとくに、自殺といじめの因果関係が認められにくかったが、これらの調査結果は今後、裁判にも影響を及ぼすのではないだろうか。 ■ 調査委員の選定 防止法以前の自殺事案の第三者委員会を含めて、私はこれまで3回、遺族推薦で委員を務めてきた。 当然、遺族の気持ちに寄り添いたいと思うが、調査・検証するにあたっては、誰に対するよりも、亡くなった子どもに寄り添うことを信条としてきた。しかし、その結果は必ずしも遺族の意に沿うものではないこともある。 遺族から不満が表明されると、メディアや一般市民からも、委員は批判や攻撃を受けやすい。今は、「いじめが無かった」「自殺との因果関係はわからなかった」「ないと思われる」と結論を出すことはリスクでさえある。 なお、遺族が納得するのは難しいとしても、報告書さえ読めば一般の人たちには理解してもらえるのではないかと、できるだけ丁寧に根拠を書いたつもりでも、報告書のその部分、あるいは全体が公開されないと、反論することさえ難しい。 昨年3月に出された重大事態の調査に関するガイドラインで、「いじめの重大事態に関する調査結果を公表するか否かは、学校の設置者及び学校として、事案の内容や重大性、被害児童生徒・保護者の意向、公表した場合の児童生徒への影響等を総合的に勘案して、適切に判断することとし、特段の支障がなければ公表することが望ましい。学校の設置者及び学校は、被害児童生徒・保護者に対して、公表の方針について説明を行うこと。」と書かれていることから、調査報告書を公表する自治体が増えてきたが、ほとんどは概要版に留まっている。 しかし、概要版ではなく、最低限のプライバシーには配慮したうえで、できれば報告書の全文を誰でもが読めるようにしてほしい。 総務省の報告書のなかにも、「重大事態に関する調査報告書は、事実の全容解明と再発防止を目的とし、学校等の対応の課題等を明らかにした有用な共有財産」とある。また、多くの人たちの労力と、協力、税金が投入されている。可能な限り、報告書を公開すべきだと思う。 いじめがあったことを証明するより、いじめがなかったことを証明するほうが難しい。 そういうときのためにも、むしろ委員の半分を遺族推薦にするべきだと思う。 再調査の事例が増えているが、行政が一方的に選んだ委員が同じ結論を出すより、半分を遺族推薦にして公平性を担保しておくほうが、行政としても、メディアや世間一般の納得感も得やすいと思う。 それでは遺族側に偏りすぎるという意見もあるが、長い間、学校・教委が調査の全権を握り、「専門家なのだから公平中立」という理屈を前面に押し出してきた。そして、ほかの誰よりも、被害者や遺族の納得感が大切にされるべきだと思う。 なお、私は一度も自分から望んで調査委員を引き受けたことはない。それだけ、時間的にも、労力的にも、精神的にも大変な仕事だし、本業にもさしさわる。自治体によっては報酬も低く、経済的にも割りにあわないことも多い。 このままでは、委員のなり手がなくなるのではないかと心配する。あるいは、行政と利害関係のある人たちのみが仕方なく引き受けることになってしまうのではないかと懸念する。 ■ その他 いじめや自殺にメディアの関心が集まり、詳細が報告されるようになったなかで、当初、私が思っていた以上に、子どもを自殺で亡くした親が、学校・教委に、自殺であることを生徒や保護者、メディアに伏せてほしいと依頼していることが多かった。 (文科省は、子どもの自殺のデータで、警察庁のデータと毎年、大きく異なることの理由のひとつとして、保護者が自殺だということを言いたがらないからというのを上げてきたが、根拠のないことでもなかったと改めて感じた) 突然、子どもを自殺で失った親は、まずは自分たちの言動に自殺の原因があったのではないか、あるいは子育てが間違っていたのではないかと考える。世間に公表されることで、これ以上、家族の傷を深めたくないと思うのは当然のことだと思う。 また、以前に比べると自殺への偏見は減ったとはいえ、まだまだ根深いものがある。また、今ではネットによる情報拡散で、職場や他のきょうだいへの影響も心配せざるを得ない。 一方、混乱の時期を過ぎて、少し冷静になったり、他の保護者や生徒からいじめや教師による不適切な指導があったことを耳にして、はじめて、学校に自殺原因の一端があるとするなら、何がわが子を死に追いつめたのか、本当のことを知りたいと思うようになる。 自殺を伏せてほしいという前言を撤回し、調査をしてほしいと学校・教委に願い出ることになるが、こうした例が意外に多いことに驚かされた。 しかし、そこからがすんなりとはいかないことがおよそパターン化している。学校は、遺族の当初の依頼を盾に、「今さら調査はできない」という。あるいは死因を伏せたうえで調査をしたが、「何も出てこなかった」という。 ここの交渉が大抵の場合、難航し、遺族だけでは対応しきれず、弁護士に依頼することになる。それでも、交渉に何か月も要する。 結果、調査の開始が遅れ、協力したいという生徒や保護者の思いは薄れ、記憶はあいまいになり、証拠となる書類は処分される。事実調査が困難となる。 今後は、遺族の思いが変化することを前提に、その後の調査をいかに迅速に進めるかの制度づくりが、課題のひとつになるのではないかと思う。 また、自殺事案以上に不登校事案は、対応の遅れが非常に目立つ。それはそのまま子ども救済の遅れにつながる。 しかし、存命被害者のプライバシーの問題を盾にされ、情報は表に出にくく、外部圧力がなければ、学校・教委は対応を拒否し、問題が放置され続ける。こちらも、深刻な問題であると思う。 |
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私は防止法ができる以前から、第三者調査委員会というものに関心を持ち、一般人が収集できる範囲で、いじめに限らず学校や子どもに関する事件事故の調査・検証委員会についての情報を集めてきた。 (http://www.jca.apc.org/praca/takeda/pdf/0909shiryou5.pdf http://www.jca.apc.org/praca/takeda/pdf/chousaiinkai_list%20takeda.pdf ) 防止法の影響で、調査委員会が設置されることが多くなり、逆に情報量が多すぎて、まとめる作業がたいへんになってきた。 しかし、まだまだ公的機関が十分にチェック機能を果たしていないうちは、微力ながら、続けなければと思う。 また、いじめ防止法だけでなく、せっかくできた学校事故対応の指針が、どこまで浸透しているのか、大いに疑問を感じている。 世間が関心を持たなければ、文科省もチェックさえ怠るようになる。そして、事件事故の多発を受けてまた見直す。この負の連鎖が、法律を作ったり通知を出したすぐそばから始まっている。 まずは、学校現場だけでなく、一般市民が関心を持つことが、大切だと思う。 |
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2017/11/5 | いじめ防止対策推進法ができてもいじめがなくならないのはなぜか? | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
以下は今年9月、私も参加している「子どもの権利条約 市民・NGO報告書をつくる会」 (http://www.geocities.jp/crc_coalition_japan/index.html) に、基礎報告書として、武田が提出したものをWeb用に加工したものです。 (9月に提出したため、文科省が10月に発表した2016年のデータは入っていません) |
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■日本の子どもたちのいじめや自殺の深刻な状況 いじめ事件が大きく報じられるたび、文部科学省(以下、文科省という)はいじめの定義を変更したり、対象範囲を拡大したりして、それまで減少傾向にあるとしていたいじめ件数が急増したことへの理由づけにしてきた。 文科省の「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」(以下、問題行動調査という)の2010(平成23)年版の調査概要には、「小・中・高等学校・特別支援学校におけるいじめの認知件数は7,378件で,前年度の8,335件より957件減少」とある。しかし、2011年10月11日に滋賀県大津市で中学2年生の男子生徒がいじめを苦に自殺し、大きく報道されると一転した。 2011(平成24)年版では、「小・中・高・特別支援学校における、いじめの認知件数は約19万8千件と、前年度(約7万件)より約12万8千件増加し、児童生徒1千人当たりの認知件数は14.3件(前年度5.0件)である。」「いじめの認知件数は、小学校117,383件(前年度より84,259件増加)、中学校63,634件(前年度より32,885件増加)、高等学校16,274件(前年度より10,254件増加)、特別支援学校817件(前年度より479件増加)の合計198,108件(前年度より127,877件増加)」と、いじめ認知件数が急増した。 とくに小学校低学年の増加率は高く、今も高止まりが続いている。(図参照) 2013年9月28日、いじめが再び社会問題となったことから「いじめ防止対策推進法」(以下、防止法という)が議員立法され、施行された。 しかし、その後もいじめ認知件数は増え続けている。小学生においては、いじめだけでなく、暴力行為の発生件数も増えている。 生命にかかわる深刻な事案も増加。防止法第28条第1項に規定する重大事態のうち第1号事案、すなわち生命・身体・精神・財産に係るいじめ問題の推移を見ると、13年度は防止法施行後の半年間で75件、14年度は92件、15年度は130件発生している。 児童生徒の自殺は、2010年から2011年にかけて、文科省調査で165人から202人。警察庁調査で204人から269人と増加。厚生労働省発表の年齢別死亡原因では、15歳から19歳の年齢層で、2011年度までは死亡原因第2位だった自殺が、2012年には第1位となった。 2014年には10歳から14歳の年齢層でも、前年度まで第3位だった自殺が第2位となり、自殺率は第1位の新生悪性物と同じ1.8だった。 2014年の警察庁統計では小学生が18人も自殺しており、私が知る限り過去最多である。 一方、いじめ問題が背景にあるのではないかと報告された自殺は、文科省調査で13年度は9人、14年度は5人、15年度は9人となっている。 |
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■なぜいじめは増え続けているのか いじめは、子どもたちの強いストレスが動機となっていることが多い。また、直接的要因とは言えないまでも、子どもたちの人間関係の希薄さが、立場の異なる相手への想像力、辛い思いをしている人への共感力、相手の言葉や行動の意味を正しく理解し、自分の言いたいことを誤解されないように相手に伝えるコミュニケーション力の不足を招き、事態を深刻化させている。 家庭内におけるストレス発生源としては、児童虐待や貧困問題、親の離婚再婚での不安や傷つき、習い事や塾などの強要や過剰な期待による教育虐待等があげられる。 一方、国の教育方針については、国連子どもの権利委員会が日本政府に対し3回にわたって、過度な競争主義を改めるよう勧告を出しているにも関わらず、改善されるどころかむしろ加速している。 2006年12月5日に教育基本法が60年ぶりに改正され、政治が教育に介入できるようになった。 2007年1月24日、安倍首相直属「教育再生会議」の第一次報告で次の7つの提言が出された。 ① 「ゆとり教育」見直し(公立学校の授業時間を10%増、薄すぎる教科書改善) ② いじめや暴力を繰り返す子どもに出席停止制度を活用。「体罰の範囲」を見直す ③ 教員免許更新制導入 ④ 第三者機関による学校、教育委員会の外部評価実施 ⑤ 市町村教委に教職員人事権を移譲。小規模市町村の教委を原則統廃合 ⑥ 民間人の教員登用。社会人経験者など採用教員の多様化 ⑦ 高校で奉仕活動を必修化 同年6月1日の第二次報告では、徳育と体育の充実、大学・大学院の改革、学力の向上(小中一貫校、飛び級など)、教員の質の向上(教員給与体系見直し)を提言している。 6月27日には、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部が改正。 これら政治が教育に積極的に介入するようになった結果、国や自治体をあげての教育虐待といえるほど、全国的に競争熱が高まった。学校における子どもたちのストレスはますます増大し続けている。 学力テストにより全国の学校の序列化が進み、外部評価制度導入で学校は文武両道をめざし部活動でも勝利至上主義に走る。教育予算が少ないなかで、統廃合する際に評価が低い学校は淘汰され、教職員の待遇にも格差が広がっている。 2007年の教育再生会議の提言を受けた文科省の小中「学習指導要領」は2009年から一部実施され、小学校は11年度、中学校は12年度から実施されている。いじめや自殺の増加時期とも一致する。 教科内容が増えたことから、やりくりするために、学校は昼休み中休みの時間を短縮。土曜授業が復活し夏休みも短縮。教科書が分厚くなり小学生のランドセルは過重となった。学校統廃合により通学距離と時間が伸びた。直接のコミュニケーションの時間と場所を奪われ、いつでも、どこでも簡単につながるSNS(ソーシャルネットワークサービス)を使ったやりとりが頻繁になり、ネットいじめも激増した。 学力テストに備え小テストや宿題が増え、補講が行われる。平均点を下げるという理由で、障害を持つ児童生徒の存在はますます学校から迷惑がられるようになり、その雰囲気は児童生徒にも伝染する。 加えて、ほぼ全員加入が強要される部活動でも成果を出すことが求められ、放課後も土日祭日や夏休みも休めない。休めば顧問から叱責やペナルティーを科せられたり、集団の輪を乱すものとして仲間からいじめなどの制裁を受けたりする。勉強との両立を求められ、夏休みの宿題が提出できなかったり、テストの点が悪かったりすると、部活への参加が認められない。 さらに国は、早期教育をめざして、幼稚園や保育園にまでカリキュラムを持ち込もうとしている。 大人でも長時間労働が心身に多大な影響を与え、病気や自殺につながることが証明されている。子どもたちの自由な時間、遊びの時間、仲間との関係を奪うことが、心と体に与える影響は計りしれない。小学校低学年からのいじめや校内暴力、学級崩壊や若年層の自殺に大きな影響を与えていると思われる。 |
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■機能しないいじめ防止策 いじめ事件が大きく報道されるたび、文科大臣をはじめ大人たちは子どもたちに、「勇気を出して、お父さん、お母さん、学校の先生にいじめを相談しよう」と呼びかけてきた。文科省はいじめの早期発見に力を注ぐよう何度も通知を出し、全国の学校でいじめアンケート、生活アンケート、心とからだのアンケートなどが実施されている。 児童生徒と担任教諭との交換日記も推奨されている。来年度からは、若者層の自殺の深刻さを受けて、「SOSの出し方教育」を取り入れようとしている。 先に挙げた防止法で規定する重大事態の1号事案で、教育委員会の下に調査委員会が設置された件数は、文科省に報告する時点で検討中のものを除くと、13年度は15件、14年度は25件、15年度は50件と年々増えている。しかし、その詳細は明らかにされていない。 個人の情報収集には限りがあるが、防止法以降、13年10月から17年9月までの約4年間に調査委員会が設置された背景にいじめが疑われる自殺42件と自殺未遂10件、計52件の情報を報道などから集めて分析してみた。 結果、半数以上の29件(小学生2件、中学生21件、高校生6件、年齢非公開が1件)で、本人や保護者が学校・教師にいじめの相談をしていた。内8件は、いじめ調査アンケートにも本人が記入していた。友人が心配して教師に相談したものも2件あった。 つまり、いじめ被害者が相談しなかったから教師がいじめを認識できず解決できなかったのではなく、教師に相談したりアンケートに書いたりしていたにもかかわらず、対応してもらえなかったり、おざなりな対応をされたり、逆に被害者側に問題があるとされたりして、死に追いつめられていた。 また、重大事態の調査報告書を読むと、多くの学校で、防止法で定められている学校内のいじめ対策組織が全く機能していなかった。担任や顧問教諭はいじめの相談を受けても、いじめ対策組織や管理職、同僚教師らと情報共有したり、相談したりすることなく、一人で抱え込んでいた。 いじめ問題に教師が対応できない理由はいくつかある。 ① 知識がない。 日本でいじめが社会問題化して35年余り。それなりに知見が積み重ねられてきた。しかし、教職課程でも、教員研修でも、いじめ問題や生徒指導についてほとんど学んでいないために、教職員にいじめに対する知識がなく、過去に起きた事件と同じ過ちを繰り返している。 文科省はいじめや自殺についての教員研修の大切さを謳いながら、研修にあてるだけの時間も予算も人材も確保していない。多くの学校で、テストの点数を上げるための教科研修には熱心に取り組んでいるが、いじめに特化した研修は年に1回も行われていない。 2012年の「いじめの問題に関する児童生徒の実態把握並びに教育委員会及び学校の取組状況に係る緊急調査」の結果、いじめに触れる研修は小学校で85.3%、中学校で85.4%、高校で63.6%、特別支援学校で51.5%、平均で81.8%が実施していた。 しかし、いじめに特化した研修は小学校で11.8%、中学校で9.5%、高校で8.4%、特別支援学校で5.0%、平均で10.6%しかない。 全く実施していない学校は小学校で8.0%、中学校で9.7%、高校で30.0%、特別支援学校で43.9%もあった。 しかも、文科省は大津のいじめ自殺が注目された2012年度の問題行動調査で、「学校におけるいじめの問題に対する日常的な取組」の質問に「いじめの問題に関する校内研修を実施した」という選択項目を始めて設けたが、2015年度の同調査では「いじめの問題に関して、職員会議等を通じて教職員間で共通理解を図ったり校内研修を実施した」という内容に変更。時間も予算もないなかで、いじめに特化した研修が行われない環境づくりを文科省自らが助長している。 ② 意欲・関心がない。 学校も教師も数値化しやすく見えやすい学力テストや部活動成果で評価される。そのため、時間と労力が必要な割に評価されにくいいじめ対応に意欲・関心が持ちにくい。 また、非正規の教職員の割合が増大しているが、授業を教えることのみに給料が支払われていることから、いじめ対応や生徒指導には関与したがらない。 ③ 時間がない。 教職員の残業が過労死ラインの月100時間を超えることが常態化しているなかで、生徒指導やいじめ対策会議に十分な時間がとれない。結果、会議は形骸化し、めだった生徒の問題行動を報告するだけで、具体的な対応を話し合うところまでいかない。 しかも、いじめ対策として実施しているアンケートの集計と報告に追われて、アンケート用紙に書かれている内容を丁寧に確認したり、悩みを抱える児童生徒と話し合ったりする時間がとれない。アンケートの主目的が教育委員会や文科省への数字の報告やいじめ対策実施のアリバイ作りとなり、いじめの内容を書いても何も対応されないと、児童生徒はだんだんアンケートに書かなくなる。 学校・教師は、アンケートにいじめ事実が書かれなくなったことで、当該校にはいじめがないと過信し、目の前で起きているいじめさえ、単なるふざけや遊びと解釈して見過ごしてしまう。 いじめ加害者は自分の行為が認められたと勘違いしいじめがエスカレートする。被害者は教師が対応してくれないことに絶望する。 ④ 連携がとれない。 文科省は自分たちが打ち出した様々な方針に反対してきた教員組合を嫌悪し、評価制度を導入することで教職員を階層別に細かく分断。管理職のリーダーシップを強調し、教職員同士が話し合って物事を決めたり連携したりできない仕組みを作ってきた。 さらに、非正規職員の増加やスクールカウンセラーなどの専門職が入ることで仕事が分業化され、他人の仕事には口出ししない教員文化をさらに強化した。 結果、いじめ問題や学級崩壊に悩む教員は指導力不足と評価されることを恐れて、同僚や管理職に相談や報告することをためらうようになり、他の教員も多忙ななか、自分の時間を削ってまで、評価を競い合う他の教員の問題解決に手を貸そうとはしなくなった。 ⑤ 生徒や保護者との間に信頼関係が築けない。 文科省が推し進めるゼロトレランス(許容ゼロ)の生徒指導は、教師から想像力、共感力、コミュニケーション力を奪い、人間味を奪った。 また、長時間労働による教師のストレスは、部活動や生徒指導を利用して発散されることも少なくない。そのような教師に信頼感が持てず、児童生徒も保護者も相談することをあきらめている。 自殺や自殺未遂事案で、担任や顧問教諭と児童生徒との関係がうまくいっていないものが少なくない。 |
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■いじめ重大事態の事後対応の現状と課題 防止法ができて、いじめの防止対策よりむしろ重大事態が起きてからの調査や遺族対応が変わった。 かつては、学校が原因と思われることで子どもが亡くなっても、多くはまともな調査さえされず、遺族は十分な説明を受けることもできなかった。それが、調査のガイドラインや遺族対応の指針ができ、一定程度の調査がされ、以前に比べると遺族はわが子に何があったかを知ることができるようになった。 文科省は、文部省時代の1984年からいじめ自殺の統計を取っている(2005年までは公立学校のみ)が、2015年までの31年間で、自殺の背景にいじめがあったと報告されたものは93件(小4・中68・高21)。一方、報道等で、背景にいじめがあったのではないかと報じられた児童生徒の自殺は少なくとも277件(小16・中190・高71)あり(武田調べ)、3倍もの開きがある。 しかし、私が情報収集した防止法以降約4年間のいじめが疑われる自殺と自殺未遂計52件のうち、調査報告済みの35件のうち、いじめの存在を否定したのはわずか5件で、80%以上に当たる29件でいじめの存在が認められている(1件は詳細非公表で亡くなった児童へのいじめの存否不明)。以前に比べ、自殺や自殺未遂といじめとの関連も認められるようになった。 重大事態の調査については、今だノウハウが蓄積されておらず、調査委員会によっては調査方法に疑念が残るものもあるが、それは今後、情報共有されるなかから、改善が期待される。 一方、多くの調査報告書が公表されていないために、調査の一番の目的である再発防止に生かされていない。 報告書どころか、重大事態の発生そのものを隠そうとする学校・教育委員会も今だ少なくない。 また、外部の調査委員会を組織しての調査には時間がかかることから、いじめに関与した児童生徒に対して、第三者が認定した事実を基にした指導ができない。教職員についても、外部機関に丸投げすることで、当事者意識が生まれにくいという課題がある。 国の責任については、防止法第20条「対策の調査研究の推進等」には、「国及び地方公共団体は、(中略)いじめの防止等のために必要な事項やいじめの防止等のための対策の実施の状況についての調査研究及び検証を行うとともに、その成果を普及するものとする」と書かれているが、文科省が毎年実施している問題行動調査の確定値が出るまでに結論が出ない場合、調査結果が反映されない。正しい事実認識がなければ、実効性のある防止策は生まれない。 また、防止法の附則第2条「検討」には、「この法律の施行後3 年を目途として、この法律の施行状況等を勘案し、検討が加えられ、必要があると認められるときは、その結果に基づいて必要な措置が講ぜられるものとする」とある。 今年3月には「いじめの防止等のための基本的な方針」が見直され、「いじめの重大事態の調査に関するガイドライン」が作成された。 しかし、現行の防止法に対する学校関係者や有識者の批判も多く、いじめもいじめが背景にあると思われる自殺や不登校も減っていないことから、検討が十分とは言えない。 |
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■まとめ 防止対策ができても、いじめがなくならないのは、教師の多忙など、防止法が機能するだけの環境が整えられていないことと、政治家が教育に関与することで、子どもの最善の利益ではなく、票獲得に直接つながりやすい大人たちの要求・要望が最優先され、結果、子どもたちの心身が強いストレスにさらされているからだと考える。 2016年10月24日、文科省の有識者会議は、教職員の業務の中で「自殺予防、いじめへの対応を最優先の事項に位置付ける」などとする提言案をまとめた。しかし、まずは国の教育方針そのものが、経済優先ではなく、子どもの心とからだ、命を最優先事項に位置付けなければ、いじめも自殺もなくなるどころか増え続けるだろう。 |
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2016/5/26 | 指導死 現時点で感じている問題点と闘う人びとに参考になる資料 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
昨年の東広島市の中2男子生徒をはじめ、今年になって、札幌市の高1男子生徒、高崎市の中1男子生徒(未遂)、大阪市の高1男子生徒と、指導死(未遂含む)をめぐっての民事裁判がここのところ立て続けに提起されている。 (2016/5/26更新「指導死一覧」 http://www.jca.apc.org/praca/takeda/pdf/Shidoushi%20ichiran.pdf 参照) 亡くなった時ではなく、民事裁判になって初めて、そのような事件があったことを知ることも少なくない。 自殺の背景調査は適切に行われたのだろうか。家族への説明責任はきちんと果たされたのだろうか。 以前に比べれば、親の知る権利に応える環境整備はなされてきたと思うが、まだまだ課題は多いようだ。 「指導死」という言葉の定着はある程度なされたものの、桜宮のように凄まじい暴力と暴言を伴わない事案へのメディアの関心は薄い。多くは後追い記事もない。 指導死が報じられると、「指導死」の言葉をつくった指導死親の会代表世話人で、NPO法人ジェントルハートプロジェクト理事でもある大貫隆志さんや私のところに様々な問い合わせがあったりするが、記者さんにたくさん話しても、新聞に載るのは1~2行、あるいは紙面の都合でとほぼ全部カットされてしまう。 そこで、現時点で、私が伝えたいと思っていることをいくつか簡単にまとめておきたいと思う。 また、この機会に、指導死が疑われる場合に、闘う人びとにとって参考となるであろう資料を上げておく。 (これは論文ではないので、形式その他あまり気にせず書いている) ●「指導死」という言葉誕生 「指導死」ということば、2000年9月30日に、息子・大貫陵平くん(当時中2・13歳)を指導死で亡くした(000930)大貫隆志さんの造語。 生徒指導によって自殺に追いつめられたと言っても、周囲からは「生徒が悪いことをしたから叱られたんでしょ?」「自業自得で死んだのに、先生を逆恨みしているの?」などと言われ、なかなか理解してもらえない。 そもそも自殺ということ自体、世間で認識されている以上にまだまだ差別偏見が多く、きょうだいや職場での影響、親戚からの非難を考えると、口に出しにくい。 言えないからこそ、今まで長い間、問題が隠されてきた。 それが、全国学校事故・事件を語る会(http://katarukai.jimdo.com/)で、遺族同士が話をしたときに、自殺の直接の原因は様々あるものの、多くの共通点があることに、遺族たち自身が気がついた。 ここ数年、指導死が増えているのは、教師の多忙化やゼロトレランスの導入など、児童生徒を追いつめやすい教育環境の変化もあるものの、ひとつには遺族たちが声をあげたこと、「指導死」という「いじめ自殺」と同じように、長々と説明しなくてもある程度の概要を理解してもらえる言葉ができたことが大きいと思う。 「指導死」の定義。 (「追いつめられ、死を選んだ七人の子どもたち。『指導死』」 P4 大貫隆志氏による) 1.一般に「指導」と考えられている教員の行為により、子どもが精神的あるいは肉体的に追い詰められ、自殺すること。 2.指導方法として妥当性を欠くと思われるものでも、学校で一般的に行われる行為であれば「指導」と捉える(些細な行為による停学、連帯責任、長時間の事情聴取・事実確認など)。 3.自殺の原因が「指導そのもの」や「指導をきっかけとした」と想定できるもの(指導から自殺までの時間が短い場合や、他の要因を見いだすことがきわめて困難なもの)。 4.暴力を用いた「指導」が日本では少なくない。本来「暴行・傷害」と考えるべきだが、これによる自殺を広義の「指導死」と捉える場合もある。 ●有形暴力がなくても死ぬ 桜宮事件で、教師による体罰が注目を浴びたこともあって、各地で体罰に関する集会がもたれた。指導死についても注目が集まった。しかし、まだまだ有形暴力がなくとも子どもが死ぬということの理解は深まっていないように思う。 いじめで、有形暴力がなくとも、たとえばSNSを使ったネットいじめでも子どもが死に追いつめられるということは、もはや社会常識だと思う。 一方で、たくさん起きているいじめ裁判でさえ、まだまだ有形暴力や恐喝など犯罪行為が伴わないいじめは軽視されがちで、第三者委員会chousaiinkai listでも、裁判20141116ijimejisatusaibanでも、いじめそのものが認定されることさえ簡単なことではない。 まして、自殺との因果関係となると、3月30日に神戸地裁で判決が出た兵庫県川西市のいじめ自殺の民事裁判でも、いじめと自殺の事実的因果関係までは認められたが、自殺の予見は難しかったとして、亡くなった男子生徒が受けた精神的苦痛の慰謝料として同級生3人と県に計210万円の支払いを命じるにとどまっている。 指導死においても、有形暴力を伴わない指導が原因の自殺の場合、ハードルは高い。 しかし、現実には、1952年から2015年までに未遂9件を含む指導死計86件中、有形暴力が確認されたのは18件(21%)。つまり、約8割は有形暴力を伴わない指導により、児童生徒が自殺に追いつめられている。(平成になってからでは65件(未遂8件)中 有形暴力が確認されたのは9件。) ●指導死の数字は見えにくい 指導死は、報道されるものより、警察庁の人数の方が多い。まだまだ、遺族が声をあげられないということを表しているのではないかと思う。 しかも、いじめ自殺は高校生に比べて中学生が多い、もしくはあまり変わらないが、指導死は中学生より高校生のほうが多い。大学や専修学校でもかなりの数、起きているのも特徴的だ。 年齢が上がるほど、学業であれ、部活動であれ、生徒指導であれ、教師の生徒評価が将来に直接影響するからではないかと思う。とくに、専修学校や大学では、その教科の単位がとれないことは、卒業資格が得られないことにつながる。せっかく就職が決まっていても、卒業できなければ、すべてがダメになる。正社員の門戸が非常に狭くなっている状況では、一生が左右される。大学や専修学校で、未来を夢見た若者たちが自ら命を絶たなくならなくなるような「教師との関係での悩み」とはどういうものなのか、きちんと調査する必要があると思う。 いじめ自殺の文科省と警察庁の人数の差(5人)より、指導死の人数の差(19人)のほうが大きい。 児童生徒のいじめ要因より、教師が直接関わっている場合のほうが、学校や教委は認めたがらないということだろう。 なお、 いじめ自殺で、文科省の数字のほうが警察庁より大きいものは、警察庁は自殺直後に遺書や遺族に聞いた情報から判断しているが、文科省の数字は学校での調査の結果を反映しているため、人数が多くなる場合がある。つまり、指導死と思われる自殺事案も、今後、適正に調査が行われれば、もっと増える可能性がある。 警察庁の統計では、2007年から2014年までの8年間で、大学や専修学校を入れた統計では、教師との関係での悩みといじめ自殺とでは大差がない。
いじめ自殺と比べると
【参 照】 ・文科省「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」→「自殺した児童生徒が置かれていた状況」(国公私立) ・内閣府自殺対策推進室・警察庁生活安全曲生活安全企画課「自殺の状況」→「職業別、原因・動機別自殺者数」 なお近年、外部調査委員会などが設置され、自殺の原因を調査することが多くなってきたが、調査結果が出るまでに1年以上を要することもある。 2007年度から、「自殺した児童生徒の置かれていた状況について、自殺理由に関係なく、学校が事実として把握しているもの以外でも、警察等の関係者や保護者、他の児童生徒等の情報があれば、該当する項目全てを選択するものとして調査」とあるものの、調査中のものは「その他」に分類されているとみられる(いじめ自殺ではと報道され、遺族が「いじめ」が原因と訴えていても、「いじめ」原因には分類されておらず、その理由を関係者に問い合わせたところ、外部調査委員会の結果が出るまでは「いじめ」に入れなくてよいと、文科省の担当者から言われたとの回答をもらった)。 児童生徒の自殺人数は、過去のものも毎年、文科省の「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」に掲載されているが、「置かれていた状況」はその年度のものしか掲載されない。第三者委員会等の調査結果が出たあと、「置かれていた状況」が訂正されたかどうかは、わからないようになっている。 せっかく、自殺の背景調査がなされても、その結果が広く情報共有されないのであれば、再発防止に生かすことができないのではないかと思う。 ●事後対応が問われることの意味 学校事故事件で、当事者や遺族たちは、学校教師の不誠実な対応、すなわち、事実の隠ぺいと嘘、調査の拒否、脅しともとれるような言動、説明のなさ、情報の非開示に苦しめられてきた。これは、事故事件で受けた肉体的精神的な損害とは別に、本来受けずにすんだ被害、新たな加害行為だ。 大津のいじめ自殺以前にも、学校の対応を裁判のなかで付随的に問うことはあったが、多くの裁判で学校・管理職の合理的な裁量権の範囲内という判断が多かった。 ごく一部しか認められず、金額も低かった。(金額の高低は責任の評価に比例すると私は思っている) そうした流れのなかで、大津のいじめ自殺では、第三者委員会が調査対象を「自殺後の対応が適切であったかを考察」すること(大津市立中学校におけるいじめに関する第三者調査委員会規則 参照)にまで広げた意義は大きい。 外部調査委員会が立ち上がった時、被害者や遺族への対応が調査の対象となり、不適切な言動や情報の隠ぺい、嘘が発覚すれば報告書で指摘されるであろうことを考えれば、被害者や遺族への対応の抑止力になっているのではないかと思われる。 また、同事件で、加害生徒の不法行為や学校の安全配慮義務違反を問う裁判(大津市とは2014年)とは別に、遺族は「黒塗りアンケート確約書事件」訴訟を起こし、2014年1月14日に勝訴判決を得ている( 確定)。 → 「わたしの雑記帳」 http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message2014/me140115.html 参照。 続いて、出水市のアンケート開示訴訟でも一部が認められている。 「わたしの雑記帳」 http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message2016/me160131.html 参照 また、いじめ防止対策推進法に伴う「「いじめの防止等のための基本的な方針」で「重大事態への対処」のガイドラインができた http://www.jca.apc.org/praca/takeda/pdf/2013ijime_judaijitaihenotaisho.pdf ことで、今までのような学校・教委の自由な裁量権にかなりの歯止めがかかったと思う。 まお、参考までに、それ以前の民事裁判で、学校の調査報告義務違反や事後対応が問題になったものに、以下のものがあった。 2006年7月4日、学校であった「盗難事件」について「大変なことが起きている」と母親に告げた翌日、鉄道自殺した開智学園の杉原賢哉くん(中3・14)自殺事件の一審、二審で、学校側の調査報告義務違反のみ認め、原告父に10万円、母に10万円、弁護士費用として2万円の計22万円を支払うよう命じた。 http://www.jca.apc.org/praca/takeda/message2009/me090227.html 最近、中川明弁護士が書かれた「教育における子どもの人権救済の諸相」(2016年2月12日エイデル研究所発行)のなかで(P122-124)、 1992年2月21日千葉地裁判決 習志野市立第七中学校「体罰」事件(判例時報 1411号 54頁)で、 千葉地裁は、慰謝料算定要素として、 (1)教師らの体罰後の配慮の有無を重視 ①教師は原告が負傷しているとわかったのに、障害の程度を確認せず、これを放置し、診療等の配慮も しなかった。 ②教師は数日後に一度謝罪したのみで、特別の配慮をせず、原告は長期欠席をするようになった (2)校長は本件行為に至った経緯、行為態様、負傷の程度等について事故報告書を作成し、市教育委員会に 提出したが、報告書の内容に一部不正確な点があった (3)原告が再調査のうえ訂正するように求めたが、市教育委員会はこれに応じなかった と判断して、これらの配慮の欠如を慰謝料算定にあたってプラス(増幅)要素とした 続く1993年11月24日浦和地裁 大宮市宮原中体罰・内申書裁判(判例時報1504号 106頁)でも、暴行後の一連の学校長・教師の行為・態度は、「事後的対応の不誠実さを示すものとして慰謝料算定の一事由に取り入れられるべき」と判じされていることが紹介されている。 ●裁判の難しさ 事実認定の難しさ 裁判になると、訴えた側に立証責任がある。しかし、学校・教委に調査権限があり、ある程度の情報開示はここのところ急速に進んだものの、まず事実が出てくることが難しく、原告側が主張するような指導の事実があったということが認められることが難しい。とくに、いじめ以上に、生徒指導は密室で行われることが多く、当該教師と被害者の2人だけで目撃者がいないこともある。仮にいたとしても、とくに部活動などでは部の廃止や対外試合の禁止、実績のある指導者がいなくなること、指導者から目を付けられ、いじめにあったり、レギュラーから外されたり、学校推薦を受けられなくなることを恐れて、証言者がいない。あるいは、嘘の証言をするものさえ現れる。 違法性立証の難しさ 暴力が伴うものは判断しやすいが、暴力を伴わないものは、指導のどこまでが合理的で、どこからが違法性の高いものかを分ける基準がはっきりしない。教師の裁量権内とされてしまったり、多少の行き過ぎはあったものの「違法」と言えるほどのものではないと判断されやすい。 適切な指導とはどういうものなのか、不適切な指導とはどういうものなのか、もっと国や教育界で議論され、指針が出ることが望まれる。 自殺の予見性の問題 文科省は児童生徒の自殺予防ら取り組んでおり、いろいろな資料が配られているとはいえ、生徒側の死を予見させるような具体的な言動がないと、とくに中高生においては、教師が自殺を予見できたと認められることは難しい。 ただ、指導死の事例が集まり、指導によって子どもが死ぬことがあると多くの人が認識することで、指導をする際には子どもの心身の状態に配慮しなければならないという根拠になるのではないかと思う。 それは裁判だけでなく、教師の認識を変え、指導死を防止することに役立つと思う。指導死を批判し、遺族の声をふさげば、その分、社会的認知が遅れ、子どもたちは死に続けるだろう。 ●参考になる資料 参考になる通知・法律・ほか (直接は関係なくとも、考え方などで参考になる場合があります)
「指導死」に関する武田の記述(「日本の子どもたち」 http://www.jca.apc.org/praca/takeda/ 内) 「指導死」に関する文献ほか
●その他
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