ようこそ、「日本の子どもたち」のホームページへ。

「日本の子どもたちの抱える問題」を中心テーマに取りあげています。
ただし、「わたしの雑記帳」では、あまり枠組みにとらわれずに、誤解や批判を恐れずに書いていきたいと思っています。なんてったって、“わたしの”ページですから・・・。

「日本の子どもたち」というネーミングは、ただ単に、このサイトで扱っている内容を表すためのタイトルです。公的な立場でつくっているサイトではありません。 一市民による自発的な活動であり、個人のサイトです。
従って、偏った見方であるかもしれないことを承知のうえで読んでいただくようお願いします。 

 
 S.TAKEDA


増長天  /  Photo S.Takeda



 2025/11/3  文科省の「問題行動等調査」について、思うところ
 20251029日、文部科学省は、令和6(2024)度の「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」結果を公表しました。 https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/1302902.htm
 ●いじめの認知件数

 いじめの認知件数は、コロナ対策で学校が休校になるなどした2020(令和2)年に一度、減少しましたが、いじめ防止対策推進法ができた2013(平成25)年以降もずっと増加傾向にあり、2024年度のいじめの認知件数は769,022件で、過去最多を記録しています。




 文科省の分析では、「増加の背景として、いじめ防止対策推進法におけるいじめの定義やいじめの積極的な認知に対する理解が広 がったこと、一人一台端末を活用した心の健康観察の導入、アンケートや教育相談の充実等による児童生徒に 対する見取りの精緻化、SNS等のネット上のいじめの積極的な認知が進んだこと等が考えられる。」とありますが、いじめの認知件数が増加するたびに、同じ言い訳が繰り返されています。いったい、いつになったら、認知されたいじめが減少に転じるのでしょうか。

 いじめの早期発見、早期対応ができていたなら、いじめの重大化は避けられるのではないかと思いますが、実際には、重大事態の発生件数も1,405件で、過去最多になっています。「認知が進んだから」という言い訳はそろそろ止めて、本当の原因に、きちんと目を向けるべきだと思います。
 なお、分析では、「重大事態のうち、490件(34.9%) は、重大事態として把握する以前にはいじめとして認知されていなかった。」ことを問題視していますが、むしろ、「いじめとして認知 していた」にもかかわらず、解消することができなかったり、解消したと判断して、「いじめ重大事態」にまで至らしめてしまった 915件(65.1%)のほうが、問題だと思います。
 これは、「児童生徒がいじめを相談したがらないから、解決できなかった」という従来の言い訳を補強するためのものでしょうか。実際には、武田が2021年7月末時点で、情報収集した自殺・自殺未遂事案のうち、本人や周囲がアンケートに書いていた(22件)り、相談した(60件)り、心理テストでサインが出ていた(6件)りするものに、教師がいじめ場面を目撃していた例を加えると、105件中少なくとも69件(66%)、3分の2で、事前に何らかのSOSが出ていました。

 また、いじめ重大事態調査のガイドライン(https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/1400142_00006.htm) では、「児童生徒や保護者から、重大事態の申立てがあったときは、重大事態が発生したものとし て報告・調査等に当たる。」(P12)とありますが、現実には、年間30日の欠席があったり、いじめを訴えていた児童生徒が転校・退学しても、保護者がいじめ重大事態としての対応を求めても、学校や設置者が重大事態と認定しようとしないという現状が、全国的にあります。

 なお、いじめ重大事態の調査主体は、78.1%が当該校で、よく報道で見かけるいわゆる第三者委員会「当該学校の設置者 (当該学校以外」は19.4%しかありません(検討中が2.4%)
 いじめがあると分かっていても解決できなかった、あるいは重大事態になるまでいじめを認知できなかった学校が、調査主体になったところで、どれだけ正確かつ踏み込んだ調査ができるでしょうか。ガイドラインには「公平性・中立性を確保する観点から、第三者性が確保された調査組織となるよう努める。」とありますが、守らない学校調査は数多くありますし、形ばかりの外部専門家参加の調査委員会も少なくありません。そして、いじめ重大事態が発生したことも、報告書も、一切、公開していない学校も多く、むしろ、報告書を公開している学校や自治体は一部にしか過ぎません。
 また、「第三者委員会」という名前はついていても、実際には、学校や行政にとって不都合な調査報告をしない既存の調査委員会が調査にあたって、どの事案にも同じような結論を出したり、学校や行政の関係者が委員を推薦したり、学校や行政と利害関係のある職能団体に委員の推薦を委ねたりすることが多いので、本当の意味の第三者だけで、調査委員会を構成することは困難です。また、ガイドラインは、教育委員会の職員などが事務局として入ることを推薦していますが、委員会の公平性・独立性のうえで問題があります。
 結果的に、誰が調査するかで、いじめの認定や被害との関係に大きく差ができます。そして、再調査の可否を判断するのは、民事裁判になれば、被害者側と利害が対立する行政の長です。

 なお、統計資料作成のための報告時点で、「調査中」だったものは、1号事案(生命、心身又は財産に重大な被害が生じた疑い)で42.1%、半数近くあります。調査の結果、いじめの存在が認定されたり、自殺との関係が認定されたとしても、すでに申告時期が過ぎているものは原則、問題行動等調査の自殺の背景要因には、反映されません。
 調査された1号事案のうち「いじめが確認されなかったもの」の割合はわずか3.9%。最初の調査でいじめが確認されなかったとしても、再調査で認定されることが多いことを考え合わせると、私たちが認識している「いじめ自殺」は、実際より少ないのではないでしょうか。
 少子化の日本で、子どもの自殺という極めて重要なデータが、正確さに欠ける。これは問題だと思います。

 ●不登校の状況

 2024年度の小・中学校における不登校児童生徒数は353,970人で、こちらも過去最多です。




 一方、解説では、「12年連続で増加したものの、増加率は小学校5.6%(前年度24.0%)、中学校0.1%(前年度11.4%)、小・中学校全体2.2%(前年度15.9%)であり、前年度から低下した。」とあります


COCOLOプランの功罪
 しかし、「学校外の機関等で専門的な相談・指導等を受け、指導要録上出席扱いとした児童生徒数は、42,978人」「不登校児童生徒のうち、自宅におけるICT等を活用した学習活動を指導要録上出席扱いとした児童生徒数は13,261人」とあります。 不登校児童生徒が減少傾向にあるというより、このことが影響している可能性があります。

 教育支援センター(適応指導教室)や教育委員会と連携したフリースクールなどが各地で整備されつつあることもあり、近年では、子どもが不登校になっても、学校側が登校を促す努力をしたり、その原因解消に向けて動くことなく、すぐに教育支援センターに通うことを勧めたり、別室登校やオンライン授業に出席することで登校扱いにすることを学校から提案されたという話を当事者から聞くことが増えています。

 文科省が20233月に発表した「誰一人取り残されない学びの保障に向けた不登校対策(COCOLOプラン)」は、従来の「学校に戻す」こと中心の支援から、不登校の子どもが「学校に行かなくても学びを続けられるようにする」方向へと転換しています。
 一見素晴らしいことのようにも見えますが、これだけ不登校の児童生徒が増加しているにも関わらず、その原因を真剣に探り、子どものニーズに合わせた教育の見直しに本気で取り組む気がないようにも感じられます。多忙化を極める学校・教職員の効率化、能率化、教育予算の削減を重視し、むしろ適応しない児童生徒をどんどん切り捨てる方向にあるのではないかと心配になります。

 2024年度、「不登校児童生徒について把握した事実」については、小学生では、「学校生活に対してやる気が出ない等の相談があった」30.1%、「生活リズムの不調に関する相談があった」26.2%、「不安・抑うつの相談があった」24.1%の順に多くなっています。
 中学生でも、「学校生活に対してやる気が出ない等の相談があった」30.1%、「不安・抑うつの相談があった」24.4%、「生活リズムの不調に関する相談があった」24.3%と、ほぼ同じような状況です。
 しかし、これらは、不登校になった原因というよりむしろ、不登校になった結果、発生した心理的問題とも言えるのではないでしょうか。
一方、「いじめの被害の情報や相談があった」は、小学校1.8%、中学校1.1%。「いじめ被害を除く友人関係をめぐる問題の情報や相談があった」は、小学校11.8%、中学校14.1%。「教職員との関係をめぐる問題の情報や相談があった」は、小学校4.4%、中学校2.3%です。
これは本当に実態を表した数字でしょうか。

実態調査との乖離
 なお、文科省の問題行動等調査の結果と、当事者や保護者に直接聞いた調査結果とで、非常に大きな隔たりがあることは、令和2(2020)年度に文科省が実施した 「不登校児童生徒の実態調査」の結果からもすでに明らかになっています。 https://www.mext.go.jp/content/20211006-mxt_jidou02-000018318-2.pdf
  「最初に行きづらいと感じ始めたきっかけ」(複数回答)では、 (不登校児童生徒・保護者が回答) 小学校では、「先生のこと」29.7%、「友達のこと」(いやがらせ・いじめ)25.2%。中学校では、「先生のこと」27.5% 「友達のこと」(いやがらせ・いじめ)25.5%でした。
 同じ年度(令和3年度) 「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」 (学校が回答する通常調査)
https://www.mext.go.jp/content/20221021-mxt_jidou02-100002753_2.pdf
 では、
「不登校の要因(主たるもの)」は、小学校では、「無気力・不安」46.3%、「生活リズムの乱れ・あそび・非行」14.0%、中学校では、「無気力・不安」47.1%、「生活リズムの乱れ・あそび・非行」11.0%で、「本人に関わる状況」が約半数を占めていました。そして、小学校では、「教員との関係」1.9%、「いじめ」0.3%、「親子の関わり方」14.6%。 中学校では、「教員との関係」0.9%、「いじめ」0.2%、「親子の関わり方」6.2%となっていました。

 その後のNPO法人 多様な学びプロジェクトが2023年に実施した「不登校の子どもと保護者実態ニーズ全国調査」(インターネット調査)https://www.tayounamanabi.com/_files/ugd/c7715d_b4684f8339924842b6b4e034a3e3f6b0.pdf でも、
 公益社団法人 子どもの発達科学研究所と浜松医科大学 子どものこころの発達研究センターの「文部科学省委託事業 不登校の要因分析に関する調査研究 報告書」(2025年3月公表)でも、差は明らかです。

 学校の見立てではなく、当事者の声を拾うことの大切さが、ここに表れていると思います。

子どもたちのニーズと現状
 上記「不登校の子どもと保護者実態ニーズ全国調査」では、子どもたちが求めていたのは、「社会全体で不登校の偏見をなくして」が1位(44.5%)、「学校が変わってほしい」が2位(36.9%)でした。 不登校の子どもを持つ保護者が求めていたのは、上位2位は「フリースクールなど学校以外の場が無料または利用料減免(72.8%)」と「フ リースクールなど学校以外の場に通った場合の家庭への金銭的支援(72.7%)」という民間施設に通う費用負担。3位が「学校教員への研修(70.7%)」、4位が「学校が変わってほしい(69.8%)」でした。

 学校は今、教師も児童生徒にとっても、苦しい場所になっています。
 教師の多忙化、精神疾患の増加、教員不足。そこから来る質の低下。
 教育の中身を教育現場や子どもの成長発達に詳しい人たちが決めるのではなく、他国に負けない経済的利益を追い求める政治家の手に委ねられていることが、根本原因ではないかと、私は思っています。
 本来、学校は友だちと会える楽しい場所のはずです。教師の見守りで安心できる場所のはずです。
しかし、詰め込み教育により、休み時間は削られ、コロナの影響で会話はまるで悪いことのように扱われ、様々な行事や活動は教職員の負担を理由に、コミュニケーションを学ぶ場がありません。
 多忙な教員とのコミュニケーションは、タブレット端末の普及でますます生身のやりとりが削られています。実際の生の個別のやりとりは、叱られるときだけ。
 家に帰っても、共働きの家庭が多く、少子化もあり、誰もいません。宿題や塾、習い事に多くの時間が割かれ、隙間時間に唯一楽しい時間であるゲームに没頭するだけです。

 楽しいことがどんどん削られ、辛い、苦しいことばかりが押し付けられる。そのストレスを限られた空間のなかで、仲間にぶつける。それが、いじめとなっているのではないでしょうか。
 なお、コロナ禍以降、学力の低下も問題になっています。一つには、タブレットやパワーポイントなどの情報は児童生徒の関心を集めやすい半面、記憶の定着率は低いということを聞きました。にもかかわらず、国は今後さらに、紙の教科書をなくし、データ化に進もうとしています。そこで落ち込んだ学力の低下を、また、学習内容や時間で補おうとするのではないか、教育虐待ともいうべき状況が加速するのではないかと懸念します。
 心身の苦痛を相手に与えることがいじめであるなら、国がしていることも、児童生徒へのいじめ・虐待ではないでしょうか。
そして、いじめ防止法が、心身の苦痛を基準にしているのは、苦痛こそが、自殺を誘発するものだからだと思います。
 (私はいじめの教員研修で、エドウィン・S・シュナイドマンの「シュナイドマンの自殺学」から、「自殺に関する 中心的な問題は 死とか 殺害とかではない。むしろ、耐え難い苦痛 に関する意識を止めることであり、残念なことに、それは命を絶つことを本質的に意味している。自殺に関しては、「死」 はキーワードではない。キーワードは「心の苦痛」なのだ。心の苦痛が和らげられれば、生き続けたいと思うだろう。誰も苦痛を望まない。」の言葉を引用しています。)
 子どもにとって、学校は最初に経験する「社会」であり、世界の全てです。楽しいことの経験が少なく、苦しいことばかりが多ければ、自殺へのハードルは下がってしまうのではないでしょうか。

 自殺の状況

 自殺に関しては、警察庁のサイトですでに、2025年3月28日付で、「令和6年中における自殺の状況」が発表されていましたので、ある程度の予測はついていましたが、子どもの自殺者数は高止まりしています。(警察庁は1月から12月までの年で集計。文科省は4月から3月までの年度で集計。) https://www.npa.go.jp/publications/statistics/safetylife/jisatsu.html

 2024年度、自殺した児童生徒は、小学生7人(男5人・女2人)、中学生112人(男48人・女64人)、高校生294人(男140人・女154人)の計413人。
自殺した児童生徒がおかれていた状況(複数回答可)は、「いじめ問題」8人(中学生4人、高校生4人)、「友人関係(いじめを除く)」27人(中学生10人、高校生17人)。「教員との関係での悩み(体罰・不適切指導を除く)」2人(中学生1人、高校生1人)、「教員による体罰・不適切指導」高校生1人。
 一方、「その他」は26人(小学生1人、中学生8人、高校生17人)。「不明」は234人(小学生5人、中学生65人、高校生164人)で、全体の56.7%を占めています。
 「不明」は、「周囲から見ても普段の生活の様子と変わらず、特に悩みを抱えている様子も見られなかった。等」と具体例が挙げられていますが、「その他」に関しては説明がありません。しかし、上記で書いたように、自殺の背景調査の指針による調査中あるいは調査検討中で、結論が出ていない場合に、「その他」に分類されているのではないでしょうか。あくまで個人的な推察ですが。

 文部科学省の「子供の自殺が起きたときの背景調査の指針」では、
https://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/toushin/__icsFiles/afieldfile/2014/09/10/1351863_02.pdf
「全ての事案について心理の専門家などを加えた調査組織で詳細調査を行うことが望まれる。」としながら、これが難しい場合は、少なくとも次の場合に、詳細調査に移行する」とあり、①学校生活に関係する要素(いじめ、体罰、学業、友人等)が背景に疑われる場合、②遺族の要望がある場合、③その他必要な場合が挙げられています。
 そして、「学校生活に関係する要素」について、具体的には、「学業不振」「進路問題」「不登校又は不登校傾向」「原 級留置」「教職員からの指導」「懲戒等の措置」「転校等」「友人の転校等」「教職員 との関係での悩み」「いじめの問題」「異性問題」「暴力行為」「暴力行為以外の素行不良」「指導困難学級」等を上げています。
 しかし現実には、2024年度の詳細調査の実施件数(いじめ重大事態調査で代替したものを含む。)は、全413件中、わずか23件(5.6%)しかありません。

「いじめ」と「いじめを除く友人関係」
 私が近年、疑問に感じているのは、「いじめを除く友人関係」の扱いです。
2024年度は、いじめを除く友人関係は、いじめの3倍以上あります。
「いじめを除く友人関係」の解説には、「友人とけんかをし、その後、関係がうまくいかずに悩んでいた。/クラスになじむことができずに悩んでいた。等」とあります。(「令和6年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について」P131)
 しかし、「いじめ防止対策推進法」におけるいじめの定義(法第2条)は、「この法律において「いじめ」とは、児童等に対して、当該児童等が在籍する学校に在籍している等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているものをいう。」です。
 複数回答可となっていますので、単純に、「いじめ」と「いじめを除く友人関係」とを足すことは適切ではないかもしれませんが、不登校のところで見てきたように、学校や教育委員会は、できるだけ自分たちの責任につながるような項目付けを避ける傾向にあります。「いじめ」が意図的に、「いじめを除く友人関係」に挿げ替えられている可能性があります。
 外形的には「けんか」であったり、「クラスになじむことができない状況」であったとしても、自殺するほど「悩み」、「心身の苦痛」を感じていたなら、たとえ本人や家族が、「いじめ」であるかどうかを認識していなかったとしても、「いじめ」にあたる可能性が高いのではないでしょうか。
「いじめ」原因以上に、慎重に精査すべきではないでしょうか。 

女子生徒の自殺の増加
 そしてもう一つ、注目すべきは、女子児童生徒の自殺の増加です。
 かつて自殺の男女比は、圧倒的に男子が多く、女子のほうが少ないという傾向が長い間続いてきましたが、2018年度頃からその差は縮まり、2023年度からはついに、男女比が逆転しました。2023度年の自殺者数は、小学生は、男子4人、女子7人。中学生は、男子49人、女子77人、高校生は、男子127人、女子133人、全体では、男子180人に対し、女子は37人多い217人でした。2024年度は全体で、男子193人に対し、女子220人でした。
 コロナ禍の2020年以降、児童生徒の自殺者数は400人前後になるなど顕著に増加傾向にありますが、それを引き上げているのは、女子の自殺であることがわかります。




以下は、警察庁のデータをもとにしたグラフです。



 警察庁のデータ(年間)では、2023年は男子259人に対し、女子は254人で、僅差で男子が多く、2024年に初めて、男子239人に対し女子は51人多い290人と、はじめて逆転しました。

 なお、文部科学省のデータは自殺の学年と男女別は出ていますが、原因に関しては、個人の特定を避けるためか、性別は秘されていますが、警察庁のデータは原因別にも男女がわかるようになっています。



 

これを見ると、「学業不振」は男子が女子より圧倒的に多く約2倍近くあります。教師との関係は少なくともここ6年ほどは、小学校と中学校で女子のほうが多く、高校では男子が女子の約2倍あります。
 そして、
「いじめ」と「いじめを除く学友との不和」は女子のほうが多くなっているのがわかります。
 総務省統計局の2024年12月の「年齢(5歳階級)、男女別人口」統計https://www.stat.go.jp/data/jinsui/pdf/202505.pdf
を見ると、0歳から19歳まで、いずれの年齢層でも、男子が若干多くなっていますので、統計的に女子のほうが男子より人数が多いので、自殺者も多いということではなさそうです。


ネットいじめの増加
 また、コロナ禍の2020年、小中高校すべての学校種で、いじめも学友との不和も、女子は男子と同じか、上回っています。
この年は、いじめの認知数全体は減少したものの、ネットいじめが特に、タブレット端末がはじめて配布された小学校で激増していました。



 なお、ここでも、文科省が性別ごとのデータを出していたら、もっと詳しく実情がわかったかもしれません。
 文科省は企業のニーズに合わせて、児童生徒にプログラミング教育をする以前に、ネットリテラシーをしっかり教育すべきだと思います。
同時に、タブレット等の機器が、子ども、とくに小学生の心と体に与える様々な影響についても、きちんと調査検証し、その結果をもって、今後の教育政策を決めるべきだと思います。
 

 
2021/11/3  横浜市立中学校の跳び箱事故の裁判 傍聴報告

2021年10月27日、午前11時40分より、横浜地裁503号法廷で行われた横浜市立中学校跳び箱事故の裁判(横浜地裁 令和3年(ワ)第2406号)を傍聴した。
裁判長は山田真紀氏、裁判官は國井香里氏、藤本拓大氏。(第5民事部 合議B係)
当日は、車いすで原告の男性(現在、養護学校高等部3年生・18歳)とその両親、代理人の小池拓也弁護士が、原告席に並んだ。
傍聴席には20名ほどの傍聴人。スーツを着た教育委員会関係者と思われる人たち複数名と、メディア関係者と思われる人たち。
新型コロナの影響で、蜜を避けるために傍聴席が減らされており、8割ほどが埋まっている状態。

提出された書類に関連して、いくつかのやりとりの後、原告本人と父親が短い意見陳述を行った。
父親は、事故後、本人の生活だけでなく、きょうだいを含む家族全体の有り様が変わってしまったとして、「同じような思いをするような生徒・家族が出ないよう、横浜市教育委員会は生徒の命を預かっていることを自覚してほしい。」と訴えた。(本人の陳述内容は下段)

次回は来年1月13日。裁判官からの打診があり、Web会議上で行われることになった。
数年前から、民事裁判がWeb上で行われるという話を耳にするようになった。おそらくそれに、新型コロナ禍が拍車をかけたものと思われる。
私が知る限りでは、一般の私たちは傍聴はできない。


裁判後に弁護士会館で行われた報告会に参加。いただいた資料をもとに、概略を記したい。

事故内容・経緯

2017年5月11日、横浜市立中学校の体育の授業中に事故が発生。
被害者は当時、中学2年生の男子生徒。身長173.0㎝・体重92.1㎏。

跳び箱の授業は2回目。体育科教諭は、開脚跳びも、台上前転も1年次に取り組んでおり、2年次も2時間目だったので、クラスの生徒に開脚跳びと台上前転の2種類に取り組むよう指示を出していた跳び箱の高さは、生徒が自ら選択した。
被害者は、前回授業で跳び箱から落下したことを踏まえ、中学生用5段(高さ90㎝)の高さを選択。ロイター板(高さ22㎝)を使用
1回目は開脚跳び。2回目は台上前転。3回目に開脚跳びをしようとしたところ、セーフティーマットの上に、頭部から落下して、頚髄を損傷した。


後遺症

1級の後遺障害両上肢の著しい機能障害。両下肢の機能全廃。大幹の著しい機能障害。膀胱直腸機能障害。
食事は介助者に自助具を手首につけてもらい固定して、自分で食べることができるが、指が動かないため、ものを掴むことができず、食事動作は安定しない。水分はストロー付きの水筒で、自分で飲むことができる。
食事以外の生活はすべて介助が必要。移動はすべて車いす。直進は自走できるが、細かな操作はタイヤを掴むことができないので、介助が必要。電動車いすは、コントローラーを掴むことができないので、使用できない。
手指の麻痺により、文字を書くことができない。
副交感神経がやられており、体温調節ができない。汗もかけない。そのため、熱中症の危険性があり、夏は外に出られない。


訴えの内容 : 原告側の主張

体育科教師の過失(注意義務違反)

(1) 予見義務
 体育科教諭は、低い跳び箱で、開脚跳びを行った場合には、重大事故は起こらないと考え、頭部から落下して頚髄を損傷する事故を予見していなかった。自身が予見していなかったので当然、生徒に注意喚起もしていない。

(2) 結果回避義務
 体育科教諭は、器械運動が苦手なうえに、体格が急成長したために、
・運動投企(これから遂行する運動を予め感覚的に意識している場合の、その意識)の形成不全をおこしやすく
・腕力との関係で身体を支えることが困難で、
・事故発生時の衝撃が大きく
・開脚跳びでは台上に座り込んだり、台上前転では横に落ちて失敗したという技能水準・心理状態の被害生徒に対し、

① 技能水準相当の指導で能力をつけることなく、
② 技能水準相当の指導を行う前に、
③ 補助をつけず、
④ 頭部から落下する危険につき注意喚起しないまま、
⑤ いずれも技術水準を超えた技である開脚跳び、台上前転を、
⑥ 高くて跳躍力が高いロイター板、体格との関係で低すぎる跳び箱を用いて、
⑦ 台上前転 ⇒ 開脚跳び の順が生ずる形で行わせた。

 これら①~⑦は、それぞれ注意義務違反となるとともに、上記の危険を重ね合わせたことも注意義務違反となる。


備考:
【 調査委員会の詳細調査 】

 市教委は、文科省の「学校事故対応の指針」( http://www.jca.apc.org/praca/takeda/pdf/20160331gakkoujikotaiou.pdf )に基づき、横浜市学校保健審議会学校安全部会に、詳細調査を依頼している。

 2018年5月末に出された報告書には、「考察」として下記の内容が書かれている。

○ 学習指導要領の「指導の手引き」には、回転系(台上前転など)と、切り返し系(開脚跳びなど)を授業で取り上げる際の技の順番への配慮に関する記述がある。「同じ授業で回転系と切り返し系の両方を指導する場合、回転系を先に取り上げると、切り返し系の学習の際に、回転感覚が残っていて事故につながることがあり、切り返し系を先に取り上げるようにする」とされている。
しかし委員会は、「本人ははっきりと切り返し系を意識していたと話しているので、今回の事故は必ずしも技の順番の問題とは言えないと考える。」と結論

○ 本人からの聴き取りによると、事故前の失敗で、マットに届かず横に落ちたと言っている。
担当教諭が失敗の質を見極めて、適切な言葉がけをしていく配慮が必要であった。

○ 教諭の配慮は難しい技をやっている場所に目がいきやすいが、実際に事故が起きるのは、体格のいい子や器械運動の苦手な子が多い。
 また、一般的に言えば、跳び箱は、低いほど安心ということではなく、身長に対して低すぎると前傾しすぎるので危険である。
 今回の事故について、5段が低すぎたとまでは言えないが、体格の大きい子や器械運動が苦手な子の指導等については、跳び方を見て別の課題を与えるなど指導に配慮する必要があった。



【 私見・ほか

 事故時の体育教諭は、被害者が所属する柔道部の顧問だった。被害者が、1年次から2年次にかけて、急激に体重が増加した背景には、顧問から、体重を増やして、競争率の低い重量級を目指すようにとのアドバイスがあったという。一般的な体育教師以上に、被害者の運動能力や急激な体重増加について、知る立場にあった。

 被害者は顧問のアドバイスを守って、一生懸命に体重を増やした結果、体を腕で支えることや素早い身のこなしなどが苦手になったという。
 元々、小学校時代から器械運動が苦手なうえに、成長期でもあり、意識的に体重を増やしたことで、体格が急激に成長したため、腕力とのバランスが悪かったり、身体的感覚が追い付いていなかったと思われる。
 前回、失敗したときの恐怖が残っていたからこそ、身長の割に低い5段にした。そして、失敗しないようにと、勢いをつけるために強くロイター板を踏み込み、前のめりに落ちたのではないか。

 私は事故の概要を聞いたとき、台上前転という回転系のあとに、開脚跳びという切り返し系を行ったために、体に回転する感覚が残っており、頭から突っ込むような形になったのではないかと思った。しかも、本来、生徒に注意喚起すべき体育教諭自身がその危険性について認識していなかったことが最大の原因ではないか。
 そして当然、第三者委員会も、そのことを書くだろうと思っていた。
 その予想に反して委員会は、「本人ははっきりと切り返し系を意識していたと話しているので、今回の事故は必ずしも技の順番の問題とは言えない」と結論づけた。
 しかし、わざわざ器械運動指導の手引きに注意喚起があるのは、過去の沢山の跳び箱重大事故の教訓から、回転系のあと切り返し系の技を使うと、たとえ本人が意識していたとしても、体が無意識のうちに反応して、重大事故につながるおそれがあるからではないか。
 また、詳細調査の報告書は、今回の事故の原因ではないとしながら、再発防止に向けた提言の第一に、「同じ授業内で回転系と切り返し系の両方を指導する場合、切り返し系を先に取り上げることが大切。」と書いていることにも、矛盾を感じる。
 詳細調査では事故原因が十分に解明されず、むしろ原因がゆがめられたのではないかとさえ感じる。


 なお、当該事案の詳細調査は、文科省が2020年3月に出した「『学校事故対応に関する指針』に基づく詳細調査報告書の横断整理」にも、事故事例④として掲載されている。他の事案と比べても、事故後の経緯説明や関係者への対応、報告などが空欄になっていたり、事故に対する学校側の指導体制、指導方法、安全管理が空欄になっているなど、結果の重大性に比して、内容が極めて不十分だと感じられる。
 https://www.mext.go.jp/a_menu/kenko/anzen/20201001-mxt_kyousei02-1289303_1.pdf 参照

 
 市教委が設置した第三者委員会による詳細調査の不備は、何ら落ち度のない被害者の名誉にも関わる。体育教師の過失が認められなければ、同じような事故の再発防止にもつながらない。
 昔から、理科の実験と体育の授業では、生命にかかわる事故が多く発生しており、危険なことが知られている。だからこそ、担当教師には専門性が必要であり、事故を教訓に様々な通知も出ている。高度な注意義務がある。
体育教師が漫然と授業を行えば、生徒はたった1時間の授業で、人生を失いかねない。

 被害者は、誰かの介助なしには生活できない体になって、将来の選択肢も大きく狭められた。
 スポーツ振興センターの給付金は、高度医療が発達した今、重度障害に対応するには安すぎて全く足りない。たとえ事故にあっても、十分な補償があれば、本人や家族の負担は減らせる。大きな精神的負荷と介助の労力。それに加えて、生涯かかる医療費用や介助費用等を本人と家族だけが負うのは、あまりに理不尽だ。
 事実解明と補償を求めて、民事裁判を起こさざるを得なかったのだと理解する。
 

 原告男性の意見陳述

 私は,跳び箱などの器械運動は小学校の頃から苦手で,中1のときも開脚跳びは跳べる事もありましたが,跳び箱の上に乗ってしまったりして跳べない事もありました。
 中2の授業の時は,開脚跳びは跳び箱の上に乗ってしまったり,台上前転は跳び箱ごと転げ落ちたりしました。
 平成29年5月11日の事故の時は,ロイター板で踏み切って跳び箱に手を着いた瞬間,身体が浮いたような気がして,その後は気付いたら身体が動かなくなっていました。
 救急車で緊急搬送されたところ,医師から,脊髄を損傷したため,首から下は動かない,リハビリすれば少しは良くなるかもしれないと言われました。
 入院中は,家族の励ましを受けながら,リハビリを努力して,腕は何とか動ける様になり,車いすや,握って使う道具は使えるようになりました。

 今回の事故の時,私は先生に言われたとおりの跳び方をしました。
 私に悪い点はなかったと思っています。
 横浜市は今回の事故について責任はないといっているそうですが,納得できません。
                                                                              以 上

2020/2/24  神戸市立東須磨小学校の職員間ハラスメント事案に係る調査報告書を読んで

2020年2月21日、2019年9月に発覚した神戸市立東須磨小学校の職員間ハラスメント事案に係る調査報告書が発表された。
ハラスメントの被害教員は複数いるが、報告書は、その中でも、とくに精神的ダメージが大きく、今回の問題発覚のきっかけとなった男性教員の被害を中心に調査検証している。
https://www.city.kobe.lg.jp/a55153/tyousaiikai.html
 (概要版 45頁)

なお、関連など詳しいことはわからないが、2020年2月9日、市教育委員会事務局総務部総務課の担当係長(39)が自殺している。
男性は教員間いじめ問題も議題となった教育委員会会議を担当していたという。

【調査委員会について】

●目 的
① 本小学校における教職員間のハラスメントに関する事実関係を明らかにすること。
② 上記の結果を踏まえ、このような事態が発生した背景、学校の体制、学校と教育委員会の関係における問題点を明らかにしたうえで、具体的な再発防止策を提言すること。
③ 調査過程で、違法性又は著しく不当な事案が判明した場合には、それについても指摘すること。

●メンバー
[本調査委員会 構成メンバー]
委員長: 渡邊 徹 (大阪弁護士会)
委  員: 村上 淳 (兵庫県弁護士会)   西谷 良彦 (兵庫県弁護士会)

[調査補助員] 
雨宮 沙耶花 (大阪弁護士会)   大林 良寛 (大阪弁護士会)   堀内 聡 (大阪弁護士会)

[事務局]
・当 初  市教委 総務部教職員課 職員  (11/1 以降 ヒアリング聴取者の調整や会議室の確保)
・2019年11月1日以降、 神戸市企画調整局教育行政支援課 も庶務を担当 (本調査委員会運営に関する外部からの問い合わせ等の事務)


【調査内容】

・調査委員会正式会議  3回
・ヒアリング (追加調査を含む)
   被害教員1名に5回、その他の被害教員3名に7回
   加害教員4名に15回、管理職4名に9回
   平成29年~31年在籍教職員50名中、育休中等を除く44名全員にアンケート、 32名にヒアリング34回
   市教委 人事担当者
   ※ 児童に対するヒアリングは実施せず
・市教委資料、被害教員及び加害教員の代理人弁護士とのやりとりや書面

※2019年12月13日、市教委担当者から送信されたメールの、被害教員側から渡されたメモ一式に、調査委員会がこれまで認識していなかった書類や資料が10通含まれていた。
追加調査のため、報告書の提出を当初、発足から約2か月後である年内を目途としていたが、2020年2月にずれ込んだ。

「教員間のハラスメント事案に係る調査委員会への資料提出漏れについて」 (武田注)
https://www.city.kobe.lg.jp/documents/12583/kodomor011227-2.pdf


調査におけるハラスメントの定義】 P7~

法律上の定義に依拠しつつ、より広範かつ包括的な概念を含む。
「パワーハラスメント」に加え、職場以外の場所のそれも含んで指摘するもの。

ハラスメントを「特定の人に向けられた(通常、反復的又は執拗な)同人をいらだたせ、不安を感じさせ又はかなりの苦痛を生じさせる、かつ正当な目的を有しない言葉、行為又は行動」と定義。俗にいう(故意を伴わない)「いじめ」的言動や犯罪行為、さらには性的な言動をも含んだ広い概念として呼称するものとした。(P9)

※ 2019年制定された(現時点未施行)労働施策総合推進法 第30条の2第1項
「職場におけるパワーハラスメント」「事業主は、職場において行われる優越的な関係を背景とした言動であって、業務上必要かつ相当な範囲を超えたものによりその雇用するする労働者の就業環境が害されことがないよう(中略)必要な措置を取らなければならない」


【ハラスメントに認定した事実】 P11~

・加害教員らの行為として123項目を認定。別途管理職の被害教員に対する行為2項目を認定。
・加害教員らはいずれも、被害を受けた教員(いずれも20代)よりも年長者かつ先輩であり、教員歴も長く、指導的立場にあるというべき。したがって、全て「優越的な関係を背景とした言動」であると認定。

【主なハラスメント態様】 P35~45  以下は武田まとめ
○ 暴 言
 カス、くず、消えろ、死ね、きもい、つかえん、はげ、うんこ、インフル、ボケ、もやし、ポンちゃん(ポンコツの意味)と言ったり、あだ名で呼ぶ、犬扱いして「ポチ」と呼ぶ、児童の前で「臭い」「汚い」という、性的言動をする、
○ 暴 力
 拳で肩あたりを殴る、ジャンプして体当たりをする、膝蹴りをする、プロレス技をかける、ボールなどを当てる、すね毛を抜く、頭や頬、体をたたく、足を踏む、指を金づちで打つ、模造紙の芯で尻を叩く、ボールペンで首をつく
○ 強 要
 女性教員にラインメッセージを送信させる、辛いものなどを食べさせたり飲ませたりする、炭酸飲料を一気飲みさせようとする、車で送迎させる
○ ものへの嫌がらせ
 鞄に空き瓶や氷を入れる、机の上にゴミなどを置く、椅子を隠す、財布から免許証や保険証、クレジットカードなどを出してばらまく、所有する車の上に乗り車を蹴る、車内に汚水をまく、パソコンのキーボードを乱雑に押す、スケジュール帳や筆箱内に落書きする、落としたプリントを踏む、指導案に落書きする、椅子を蹴る
○ その他の嫌がらせ
 輪ゴムを当てる、何度もライングループから脱退させる、養生テープで拘束して放置、物置や教室に閉じ込める、女性教員が近づいた際、着替え中の更衣室のカーテンを開ける、顔や服に冷却スプレーや消臭剤をかける、プールに放り投げる、物まねをする、頭に使用済のぞうきんを乗せる、集合写真に写らないように押さえ込む、ハサミや文具を投げる、通ろうとしているのに通さない、交際相手の姓で呼ぶ、プライバシーについて他の教職員に聞こえるように話す、女性教員の頭や肩に手を置く、女性教員へのセクハラ


【加害教員】

◆ A教員 (30代男性) 78のハラスメントを認定  P13~
・認定したハラスメント以外に、複数の別の教員から、自らが嫌いな教員への無視、若手女性教員に対するセクシャルハラスメント、若手男性教員へのいじり等、不適切な言動があったとの申告があった。
・動機として、「(被害教員を)ビックリさせたかった」「驚く顔が見たかった」「突っ込んでほしかった」などと繰り返し供述。
・被害教員からは、「俺が楽しかったらいい」「お前の気持ちなんてどうでもいい」「ストレス発散や」等の発言があったと申告。
・周囲にいた一部の教員には、A教員と被害教員と非常に仲良くしているように見えていた。
・被害教員は、A教員からのからかいに反応しないと、「はあ?おもんな、しょうもな」と小声で言われて冷たくされ、A教員に嫌われると本小学校で仕事ができなくなる、という恐怖があったという。特にA教員を避けることもなく、日常的にプライベートを含めて行動を共にしている。
・平成31年度、期首面談後に校長から注意指導されると、被害教員に対する報復的言動の後、被害教員を無視するようになった。

◆ B教員 (30代男性) 27のハラスメントを認定  P14~
・多くの教員から、親切で優しい、まじめな教員であるという評価を受けていた。
・A教員とは赴任当初からプライベートでも仲良くしていた。対等な関係ではあったが、A教員に引っ張られていくタイプだったと思われる。
・学級経営等は特に問題なく、管理職から信頼されていた。
・子どもに対しても言葉遣いが荒かったり、教員を呼び捨てにするなど、しばしば横柄な態度があったり、この数年間で態度が傲慢になってきたりという点を指摘する教員もいた。
・被害教員に対する暴言、暴行について、単なる悪ふざけ、じゃれあい、嫌がっているとは思っていなかったという。
・各行為、言動について、それ自体の存在を否認する場合が多い。
・女性教員から、度を超えた性的言動の被害申告がある。
・認定事実以外に、複数の教員から、女性教員に対する性的発言や若手教員へのいじり、児童に対する不適切発言等が申告された。
・自分の中で一定の節度を持っており、A教員の行為のうち、度を超していると思ったものについては、加担しなかったり、注意したりしたという。

◆ C教員 (30代男性)  5のハラスメントを認定  P15~
・AB教員より年長かつ先輩。
・ABとプライベートでも付き合いはなかった。
・平成30年7月頃から、被害教員と比較的頻繁にやりとりするようになった。
・周囲の教員から悪評は聞かれない。
・被害教員及び、X教員以外から、ハラスメントを受けたとの申告はなかった。
・平成30年以降、A教員が被害教員をからかっているのを一緒に笑ったりしていた。
・平成31年5月以降、被害教員に対するからかいが目立つようになった。次第にからかいやふざけの度を越していき、手を出したり暴言を吐いたりした。
・被害教員は当初、C教員を優しい先輩であると認識していた。
・平成31年7月に、校長から注意を受けると、被害教員に対して、「謝るんやったら土下座でも何でもやったるわ」等と述べ、逆恨みするような言動をした。
・職員室内の雰囲気から、若い教員が軽く見られ、少々なら茶化してもよいという空気を感じ、これくらいなら許されると、悪ふざけが過ぎてしまったと供述。

◆ D教員 (40代女性) 10のハラスメントを認定  P16~
・日頃から口が悪く、被害教員を「ポチ」「発情期のサル」と呼んだり、ふざけてビンタしたり足蹴にしたりした。
・児童を呼び捨てにするなど、指導がきついとの声が聞かれた。
・平成29年度、被害教員と頻繁にやりとりするなかで、夏頃から、互いの家族の話やプライベートな話をしたり、他の女性教員とともに3人で飲みに行ったり、カラオケに行ったりするようになった。
・被害教員が、第三者に言わないでほしいとお願いして話したことを職員室で大声で話したり、被害教員を軽薄とに思えるようなエピソードを第三者に話したりした。職員室で、両教員は性的な話を周囲にも聞こえるように話していた。
・周囲からは、被害教員とかなり仲良くしているように見えていた。
・被害教員は、D教員の言動に対して当初から嫌悪感を持ち堤、仕事上では頼りにしていた側面もあるため、我慢していた。
・平成31年4月に、被害教員から内緒にしておいてほしいと頼まれた交際相手のことをB教員に漏らした。以降、2人は話をしなくなった。
・D教員は、被害教員のことは本当に大事に思っていたが、全体的に「うまく距離をとれなかった」と供述。
・一部報道でみられたような、D教員が、他の加害教員3名に指示を出してハラスメントを助長したという関係性は認められなかった。


【歴任の管理職の対応】

◆ 前々校長 平成29年度、最初の校長 P18~
・本小学校において、職員室に席がある教頭職等を経験しておらず、当初から職員室から離れた校長室で執務。
・各教員の人間関係や職員室の雰囲気についての的確な把握、洞察がされていなかった。
・教頭(のちの前校長)に対して、全幅の信頼を置いており、職員室のことを全権委任。
他の教員から、「教頭が怖くて相談できない」という声が上がっていたことは全く認識していなかった。
・加害A教員について、授業力やクラスをまとめる力があると評価していた。
・「神戸方式」によって、A教員等を本小学校に招き入れたようだが、このことが本件事案の原因に結びついたとは認められない。
・B教員について、赴任早々、授業の振る舞いが尊大であるとの保護者からの手紙を受け取ったが、匿名だったので、本人に口頭注意しただ
けで終えている。

◆ 前校長 平成30年度、本小学校教頭から校長になる。 P18~
・統率力があり、頭が切れる、仕事が早く丁寧である、頼りがいがあると評価している教員が複数いる。とりわけ加害教員らは、軒並み「力のある校長」と評価。
・他方で、全体的に威圧的、高圧的だと考えていた教員が少なくない。パワーハラスメントや「死ね」「つぶす」「俺を怒らせたらどうなるか」などの暴言、第三者の前で「あいつは公開処刑や」「自分に逆らうやつはやめさせてやる」など独り言のように暴言を吐く、一部教員を呼び捨てにする、感情の起伏が激しい等の声も。「プチヒトラー」「絶対的地位」と評する者もいた。
・一部の教員とつながりが強く、ひいきしていた、「行為」ではなく、「人」で評価すると評する者もいた。
・音楽専科及び図工専科の各教員との関係で、ハラスメントの申出がある。
・部下からのハラスメントの訴えを、「逆パワーハラスメント」であると評する。
・被害教員は、前校長に被害申告したら、逆に前校長につぶされるという恐怖があったという。
・被害教員は、前校長の面前での加害教員らのハラスメントを止めてくれなかったと証言(前校長は否定)。

◆ 現校長 平成31(令和元)年度、本小学校教頭から校長になる。 P20~
・周囲から、非常に気遣いをする温和な性格であるとみられていた。
・校長室から職員室へと、主たる業務場所を移した。
・教頭時代から、職員間の関係がよくない、職員室の雰囲気がおかしいと、前校長に相談したことがあったが、強い進言には至らなかった。
・平成30年の教頭当時、学級崩壊したクラスの対応に追われていた。
・加害教員を含む一部の教員は、前校長とつながりが強く、横柄な態度だった。
・加害AB教員は現校長をやや軽視する態度で、言うことを素直にきかず、行為がエスカレートするようになっていった。
・令和元年7月、被害教員からハラスメントに関する申告を受けたあと、漫然と加害教員に対する指導を行い、その後、加害教員らによる報復的言動を招くに至った。被害教員が、報復が怖いので加害教員らに指導しないでほしいと述べていたにも関わらず、説得したうえで、加害教員らを指導した結果、恐れていた報復的言動にあった。
・被害教員から相談を受けたあと、市教委教職員課人事担当課長に電話報告したが、若手教員の度を過ぎた指導について面談を実施し注意をしたという内容にとどまり、具体的なハラスメントの内容について報告していなかった。
・加害AC教員の報復的言動を知った他の教員が、休日にわざわざ現校長に電話をして知らせたが、現校長は2名に個別指導をするのではなく、職員会議で全体に、暴行等を禁止することを呼びかけるにとどまった。

【ハラスメントに至った原因・背景】

ハラスメントが起きた原因は、程度の差こそあれ、何より加害教員らの個人的資質によるところが大きいと考える。
しかしながら、結果として状況を阻止、改善できなかった本小学校の歴代管理職らの対応、姿勢に従たる原因があると考える。
また、そもそもこのような状況を放置、助長することとなった市教委・学校の精度・体制上の問題も明らかになったと考える。

加害教員らの個人的資質を中心としつつ、いくつかの複合的な要因が、ハラスメントの発生、継続を阻止できなかった原因と言わざるを得ないと判断。
加害教員らの規範意識の低さ、ハラスメント意識の欠如という個人的資質に加え、前校長の言動自体が威圧的であり、被害教員を含めて誰も管理職に相談しにくい環境であったことも要因となっていた。
また、現校長においては、威圧的言動は皆無だが、逆に加害教員らをコントロールできていないと受け止められており、その中で次第に職員室内の風紀が緩み、加害教員らのハラスメントを助長したと評価。また、配慮不足により、報復的言動を阻止することができなかったとした。
(P21~22)

「神戸方式」による恣意的な人事権の行使や管理職と加害教員らの癒着等の事実は見いだせず、制度としての「神戸方式」を問題にすべき事情はなかった。
制度・体制としての問題点としては、本小学校独自の問題として、いびつな教員構成であったり、一部の教員間の確執があったり、一体感の欠如が見られたりと、看過できない課題を抱えていた。
さらに、周囲の教員は、まだ若い教員も多かったうえ、業務過多だったり、別の確執だったりで、自らのことで精いっぱいで、教員間のハラスメントに気づかないか、あるいは気づいていても他人に構う余裕がないという状況があった。
それに加えて、体系的・実効的なハラスメント研修の欠如や実効的な外部相談窓口の不備が重なり、本件の問題を未然に防止できなかった。
(P30)

【再発防止の提言】

・適切で実効的な研修の実施
・学校現場の外部への開放等
・実効的な通報窓口の設置
・職場環境の改善 (ゆとりある教育活動)
・いじめ被害者への注意喚起
・人事制度の見直し

【武田私見】

神戸市教委が、即日、個々の教員の具体的ないじめ内容を含む報告書概要を発表したことは評価できる。
また、弁護士らによる第三者委員会の調査は、被害教員への直接的なハラスメントだけでなく、背景原因を広く拾って、考察の対象にしている。この内容は、どの学校の職員間にも起きうることとして、ケーススタディとして、管理職や教職員研修などで、大いに活用されるべきだと考える。

● 児童への調査も行うべきではなかったか?
ただ、調査委員会は今回、「(第三者委員会が)発足当時はは同校の児童にも報道等で混乱が生じているとの報告を受けており、教員間のハラスメント調査によって児童に過度の精神的負担を避けるべきであるとの考えから、本調査委員会は児童への調査はしないとの方針を立てた」とある。
また、報告書には、A・B教員とも「学級経営等は特に問題なく、管理職から信頼されていた」(P14)とあるが、それはあくまで、学校管理者からの見方であり、往々にして、大人から見た評価と、当事者である子どもからの評価と大きく乖離することもある。
実際に、児童への言動にも問題があったという教員らの声もある。

報告書P28には、「人権感覚の欠如もさることながら、加害教員らにおける『いじめ』に対する認識の低さも際立っているというほかない」とある。
同僚教師に対して、ひどいハラスメントや暴力、いじめを行った教師らが、管理職が言うように、児童に対しては、教師として適切に対応していたとは思えない。また、管理職自らが、人権感覚が低かったことからすれば、単に、学級崩壊などがなく、問題が表面化しなかったことをもって、学級運営が適切に行われていると評価されていたのではないか。

加害教員らの児童に対しての言動はどうだったのか。暴言や暴力はなかったのか。教員に対するのと同様に、まったく罪悪感なく、児童を「いじる」行為で傷つけることはなかったのか。問題が表出していなかったのは、単に、加害教員らが、児童からも恐れられていたからではないのか。
担任が強権的だと、その年はクラス全体が落ち着いて見えても、翌年、担任が変わり、押さえが弱いと、今までのうっ憤が一気に噴出して、クラスが荒れるということもある。その場合、前担任の問題は見えづらく、新しい担任の問題にされがちだ。

このように考えると、加害教員らの同僚教師に対する不適切な言動だけでなく、児童に対する言動や、いじめ防止やいじめ対応はどうだっのかも明らかにすべきではなかったかと思う。
また、いじめ被害を受けていた教師のクラスについても、自分へのいじめもどう対処したらよいかわからなかった被害教員の心理的な動揺や葛藤、周囲の協力のなさが、学級運営に影響していたなかったか、被害教員にとってはつらいことかもしれないが、調べるべきだったのではないかと思う。

せめて、全校生徒にアンケートをとるなどして、調査協力の有無を含めて、意見を吸い上げ、調査委員会に対して告発したいことがあれば、きちんと取りあげるべきだったのではないかと思う。
子どものためと言いながら、子どもの被害告発や意見表明の機会を奪ってしまったのではないかと、気になる。


● 加害教師らのいじめについて
加害教師らのハラスメントの内容を見ると、小学生並みのいじめから、大人ならではの嫌がらせまで、本当に、バラエティに富んでいる。
これは、小中高校、大学と、あらゆるいじめを経験しつくして来たのではないか。
とくに高校の寮や大学の体育会系クラブで多くみられる、3年生ないし4年生は「神」で、2年生が「平民」、1年生が「奴隷」と称される先輩からのいじめや、その中でも、先輩に取り入るなどうまく立ち回る同級生が、先輩の後輩いじめに便乗して、自分のストレス発散のために、いじめに加担するいじめ態様によく似ている。
(930506 930901 950513 970700 070704)

また、職員室内の構造は、いじめでよく言われるところの「学級カースト」にも似ている。
管理職の覚えもめでたく、学級運営でも押さえのきく、A教員を中心とした、発言力のある教師集団に、周囲は逆らえない。
いじめられないために、見て見ぬふりをするか、いじめに加担する。
他の教職員へも影響力を持つA教員に対して、管理職さえ遠慮する。
へたに敵に回すと、管理職でさえいじめの対象にされて、追い出されかねない。

● 管理職らの対応について
地域にもよるのだろうが、昇進するときには、別の学校に異動するものだと思っていた。それが、教頭から校長に上がるときには、同じ学校内で、校長が異動する形で、地位があがる。
職員室を含めて、学校の状況を把握しやすいという面では、メリットがあるように思えるが、マイナス面もあるのかもしれない。

管理職の対応を見ていると、職員室はまさしく、いじめが蔓延する学級と同じ状況。
教員の多くは、学校社会しか知らない。職員室が教室化するのは無理がないかもしれない。

管理職である校長がクラス担任で、教員は生徒。
前々校長は、クラスの状況に無関心で、すぐに職員室に引き上げてしまう担任。
前校長は、クラスのなかに、ひいきにしている生徒たちがいて、その生徒たちがいじめをしても注意をしない。担任自身が、すぐに怒鳴ったりするので、いじめの相談もしにくい。意を決して相談しに行っても、とりあってもらえないか、むしろいじめ被害者に問題があるのではないかと言われる。
現校長は、怒鳴ったりしないが、押さえがきかない分、いじめグループからもなめられてしまう。相談すると、一応、注意はしてくれるが、全体にこういうことはいじめにあたるからしないようにと言うだけで効果がない。あるいは、被害者からこのような申し立てがきているので、気を付けるようにと、中途半端な指導をすることで、かえってチクったとして、いじめがエスカレートする。
被害者は報復が怖くて、担任から「大丈夫か?」と聞かれても、「大丈夫です。今はもういじめられていません」と言ってしまう。それを聞いて、なんとなくはわかっているものの、「いじめは解決した」と判断してしまう。

校長らも、かつては担任として、いじめ問題にも対応に当たっていたのだろう。
いじめがあっても、解決方法がわからないまま、試験を受けて、管理職になっていく。いじめを解決できるかどうかではなく、保護者からの苦情が多いか、クラスの学力を上げられるか、部活動で学校名が上がるような指導ができているかで、評価される。

講演などで学校を訪問すると、校長の人柄で学校の雰囲気が全く異なる。
官僚的な校長だと、教員も見た目はびしっとしているものの、どこか冷たい。生徒を管理すべきものという目で捉えて、怒鳴る、罰を与えることで、コントロールしようとする。
一方で、校長室に児童生徒が当たり前のように出入りし、校長も一人ひとりの児童生徒の顔と名前を憶えていて、自ら積極的に声をかけるような学校では、教師らもフレンドリーで、教師にも、児童生徒にも笑顔が多い。


● 国の責任について
文部科学省の大好きな、「管理職のリーダーシップのもと」という文言。管理職に大きな権限を与え、職員室での意見交換を禁止し、上意下達を推進すれば、管理職の資質に大きく左右される。
どのみち意見が尊重されないのであれば、教員らには自らの心と頭で考え、協力しあいながら、問題解決していこうという気力が失われていく。また、生徒指導を体罰と処罰などに頼ってきて、話し合いや説得を軽視してきた。ゼロトレランスで、誰が対応しても同じ対応を求めてきた。
結果、教員間の問題も、生徒間の問題も、解決できない教員集団が出来上がった。

報告書の再発防止の提言として、「職場環境の改善(ゆとりある教育活動)」とある。
これは、多くのいじめ重大事態の報告書にも共通する。
教員たちがつくりだしたストレスというより、国の教育施策が作り出したストレスが、あまりに多いと感じる。

提言には、研修の必要性も書いているが、これも、いじめ重大事態の報告書と共通する。
今回の管理職らの言動を見ても、いかに学校に、いじめ問題解決のノウハウの蓄積がないかがわかる。
大人であれ、子どもであれ、人権について、きちんと学ぶことは、いじめやパワハラの抑止のひとつになるのではないかと思う。
子どもは大人の言葉ではなく、行動を見て学ぶ。教師がしっかりいじめについて学んでこそ、子どもたちにも正しく伝えることができるだろう。


2019/12/11  いじめPTSD裁判の傍聴報告

 2019年12月3日(火) 13時30分より、東京高裁822号法廷で、学校設置者である千葉市といじめ加害者を訴えた民事裁判(令和元年(ネ)第4120)の控訴審第1回が開催されて、傍聴した。裁判長は白石史子氏、ほか2名。

 一審原告代理人は、牧野宏信弁護士と杉浦弁護士。杉浦弁護士は高裁から加わった。
第1回目ということで、原告側から申請があり、代理人弁護士と、一審原告の男性(現在、高校生)本人から、冒頭陳述が行われた。
読上げられた内容で事件概要がある程度把握することができた。
許可をいただいたので、下記に掲載させていただく。
(アルファベット、改行ほか、武田が一部改変)
令和元年(ネ)第4120号 損害賠償請求控訴事件
一審原告 A
一審被告 千葉市 外2名

                控訴人(第一審原告A)代理人陳述要旨

東京高等裁判所 第2民事部 御中
                                  2019年12月3日

                                  A 代理人弁護士  杉浦ひとみ


 一審原告の代理人からは、原審での事実認定の誤り、評価の誤りを簡潔に指摘し、この控訴審での主張立証点を明確に述べる。
 
1 本件は小学校5年時に、暴力行為の多い児童訴外Xに対して、担任Yがこれを放置するという方針の下、クラス全体も訴外Xを刺激しないという空気の中で、夏休み明けから一審原告Aが訴外Xから集中的に暴力を受け、不登校にいたり、自死の危険に追い込まれ、今もなお、通常の高校生の生活を送れなくなったという事件である。

2 原審においては、訴外Xの3つの暴力 ①(訴外Xの気に入らない事をしたのがAであると決めつけ手拳で殴る、②Aを通せんぼして右腕を振りまわしてAの耳を手拳で通院加療の傷害を負わせた、③クラスの後ろに席にいた訴外Xが複数回に渡り消しゴムをや鉛筆や筆箱を投げつけた)についてのみ責任を認めたが、それ以外の被害や担任や学校など市の責任は認めなかった。
 本件は対等な児童間の暴力行為ではないにもかかわらず、原審はその構造を捉え誤っている。

3 訴外XからのAに対する攻撃は、仮に責任を認定された上記3点だけであっても被害を受けていたAにとっては、訴外Xは恐ろしい存在であり、クラスで穏やかに勉学を送れる状況でなかったのである。しかし、一審ではさらに、担任Yの陳述書から「11月頃には相対的にX君の暴力がA君に集中してきて(しまった)」との事実が明らかになっているのである。クラスの中でひとりの児童に暴力が集中する事実がどのようなものなのか。
これがクラス内でのいじめの構造になっていることは明らかである。

4 ところで、訴外XからのAへの暴力の集中はどのようにおこったのか。
 学校の管理職は、訴外Xの暴力性については知っていた。また担任Yは前任教師から「保護者はそのこと(訴外Xの問題性)については真剣ではないようだ。刺激するとよくないので、ある程度好き勝手にさせたまま授業をしていた」と聞いているのである。
 担任Yもまた、クラスの児童に対しては、訴外Xを刺激しないようにという方針をとったのである。
 このような学校及び担任Yの方針の下で、夏休み明けの給食中(クラス一同が教室にいる)に、Aが担任Yに「(訴外Xを)何とかしてほしい」と訴えたことに対して「いちいちいいに来なくていい」と強く叱責をしたのである。
 Aによれば、これをきっかけに、クラスが担任Yの方針に逆らうAに対しては、訴外Xの暴力も容認されるといった空気が作られていったと感じたという。
 このような空気の中で、原審判決が認めた大きな攻撃と、11月頃からのAへの暴力の集中がおこったのである。担任Yがクラスにいて、Aが訴外Xからやられているときにも、担任は助けてはくれなかった事実は、Aに絶望感と、自分は殴られてもいい人間なのだという自己肯定感の喪失を与えていった。

5 では、このような教員、学校のあり方は責任を問われないものであるのか。
 判決でも指摘されるように、教員は学校における教育活動より生ずる恐れのある危険から児童を保護する義務を負うことはいうまでもない。
 しかし、当時、学校内のいじめが大きな問題となっているうえに、校内での暴力が問題になっており、平成23年7月には文科省から「暴力行為のない学校づくりについて」という報告書が出されているのである。本件事件の起きる1年前である。
 当該小学校では、校内の暴力に関して敏感であり、その対策に対して様々な方策を模索してしかるべき立場にあった。
 同報告書の中では、概略次のようなことがいわれている
 ① 他の児童生徒の学習を妨げる暴力行為に対しては、児童生徒が安心して学べる環境を確保するため」に取り組む
 ② 対症療法的指導や表面的な沈静化は適切でない
 ③ 加害者の抱える問題に対応しつつも毅然と向き合う
 ④ 一人で抱え込まない
 ⑤ 家庭や環境の要因にも目を向ける、
 担任Yおよび同学校の方針は、これに真っ向から反し、被害を1人に集中させてしまったのである。

5 被害児の負った精神的苦痛については、原審は全く検討を尽くしていない。
 日々暴力の恐怖にさらされ、担任にも見捨てられた中で親に言う事もできない子どもの心理を抱えながら、日々学校に通うしかなかった被害児の心の傷は、今も回復できないでいるのである。
 高裁の審理の中では、この被害児の被害について、精神科医の意見書の提出と、証言による説明を法廷で尽くすことによって明らかにしたい。



                            一審原告口頭陳述

                                           2019年12月3日
                                               一審原告 A


 僕は、小学校5年の夏休み明けから、クラスでいじめに遭いました。いじめという名の精神的、肉体的暴力です。
 先生には助けを求めても無視されました。クラスの中には教師の無視という、暴力に対する無言の容認によって「Aには暴力を振るってもいい」というクラス全体の空気ができていました。そして、自分ひとりが暴力のターゲットになり、それが教室での日常生活の光景の一部になりました。
 それは、自分が日を追うごとにクラスの一員では無くなっていくかのような、クラスの皆にお前は人ではないと言われているかのような雰囲気でした。

 僕はそれまで学校は行くものであり、大人になるための方法は学校に行くしかないと思っていました。
 ですので、小中高と当然のように、皆と同じ様に大人への階段を登っていくものだと信じていました。
 だから毎日がいくら辛くても、学校に通うしかありませんでした。それしか知らなかったからです。それしか知らなかったからこそ、どんな事があっても、命を削りながら必死に毎朝、学校に通いました。
 親には自分がクラスでそのような対応をされていることは、辛くて話すことはできませんでした。話してしまった瞬間に何もかもが壊れてしまう気もしました。

 毎日毎日、その日1日を何とかやっと過ごすのに精一杯でした。
 辛い事を辛いと思わないように、自分の心を麻痺させ、気が付けば、自分は価値のない存在だと思うようになっていました。だから「何をされても仕方ない」とも思っていました。

 そんな状態で学校に必死に通い続けた事で、「いつか自分は死ぬんだ」という気持ちを持つようになっていきました。
 まだ学校に通えていた当時は、死にたいという強い気持ちがあった訳ではありません。
 しかし、気が付けば自分が学校で死ぬという光景が浮かんでいました。暴力にあって学校内で死ぬことがあっても、学校は僕のことなど「そもそもこの学校には通っていた事実は無い」と言い、死体は夜に先生達によってグラウンドに埋められてしまうのではないのかという不安を感じるぐらい何が起きてもおかしくないような環境のなかで学校に通っていました。

 そして僕は学校に行けなくなり、それから家で過ごしていた間は自分の心の苦しさに耐えられずに、暴れたり、大声を出したり、刃物やハンマーを持ち出したり、電気のコードを首に巻き付けたり、マンションから飛び降りようともしていたそうです。
 僕は死ぬことが、それほど生活からかけ離れたことではないように感じていました。
 なにかの弾みに、少し身動きしただけで今の世界と違うところに行く感覚が自分の中にありました。

 その感覚は今に至るまで続いています。高い所に行くと柵から身を乗り出したり、駅ではホームの端を歩きながら、通り過ぎていく電車に向かって一歩踏み出しかけたりと、そういう衝動に無意識に駆られる事がよくあります。
 そしてその度に、いじめによる自殺のニュースを思い出して「死んでしまえば学校はいじめを認めてくれるのかな」「裁判所はいじめを認めてくれるのかな」「少なくとも遺書ぐらい残しておけばいじめをニュースには取り上げてくれるのかな」「生きているから、いじめがあった事を信じて貰えない、たいした事だとは思って貰えない」それなら、無駄に生きて、戦って、苦しい思いをするなんて馬鹿馬鹿しいことなど止めてしまおうと、気持ちが傾きます。

 子どもがいじめで自死する事件が無くならない中、その当時僕に関わった教師達は何事も無く教壇に立ち続けています。その事には、怒りを通り越して呆れています。
 しかし、それよりも僕は、これからも先、自分と同じような思いをして、苦しみ、死んでしまう人が減らないのだろうなという、悲しみを抱いています。

 けれどもまだ僕は生きていて、自分に起きた事を話す事ができます。いじめを受け、それがどれ程苦しくて、抜け出そうともがいても抜け出す事の出来ない生き地獄を経験したからこそ、知っている事が、伝えられる事があります。
 それと同時に忘れてしまいたい記憶でもあります。こんな記憶を一生背負って生きていかねばならないと考えると、生きている事が苦しくなります。
 しかし、自分自身が教師達と同様に、思い出したくもないような事だからって、無かった事にしてしまったら、何もせずに死んでしまったら、いじめを見て間違っていると思ったことに間違っているといえなかった傍観者と同様に、僕自身もこれから先、誰かの身に起こるかもしれない、いじめの傍観者であり続けてしまいます。
 いじめられる苦しみを、傍観者に囲まれる苦しみを知っているのに、今度は自分が傍観者になってしまうのです。
 だからこそ、誰にも自分の主張が認められなくても、自分自身がこのままでは間違っていると感じた事に声を上げなければならないと考えています。そして、それらのことは皮肉ながらも、いじめに遭う前までの学校生活の中で先生達から教えられていたことでもあります。


 一審の裁判では、いくつかのX君の暴行を認めてくれましたが、でも、この事件はクラスの中の対等な友だち同士で、どちらも同じように先生から児童として尊重されている2人の間で、たまたま数回暴力を振るわれたという事件ではありません。
いじめの構造の中で僕は苦しみ続けたのです。
 僕はPTSDになりました。PTSDは回復するかもしれないけど、完治する事は無いと言われています。生活にとても大きな影響を与え、今もなお、ごく普通の18才が送るような高校生活はおろか、日常生活すら送れていません。

 一審では、僕のこの事件の構造、僕の受けた被害は正しく判断してもらえませんでした。
 裁判を続けても無駄かも知れないという不安と再度の落胆への恐怖もありました。
 でも、僕の傷つけられた人生はこのまま終わらせたくないし、僕と同じ事件が二度と起こらないように、うやむやにしてはいけない責任が、生き残った僕にはあると考えています。

 どうしていじめが続いたのか、いじめられ続けることや見捨てられることが子どもの心に与える影響、医学的に証明されている被害、そして、10代のこの時期、多くの子ども達が通う学校という軌道をはずれてしまうことがどれほど自分にも家族にも辛く、苦しいことなのかについて、この裁判でもう一度判断してほしいと、控訴しました。
 よろしくお願いします。

 法廷で、Aさんは涙を流しながらも、最後までしっかりと陳述書を読み上げた。
事件は平成24(2012)年。当時小学校5年生だったAさんも、今は高校生。他のいじめ被害者と同様、深い心の傷は年月を経ても癒えることがない。
 いじめ被害者にとって、一つひとつの出来事は点ではなく、連続して起きているなかのエピソードにしか過ぎない。いじめが解決しない限り、ずっと被害を受け続けているのと同じだ。そして、本来、教室のなかで唯一、自分を守ってくれるはずの存在・教師に訴えても、とりあってもらえない、目の前でいじめられていても助けてもらえない。教師が変わっても、方針は変わらない。それがどれだけ絶望的なことか。

 教師がいじめを見て見ぬふりをしたら、いじめ加害者は自分の行為が認められたと思い、いじめは必ずエスカレートする。
 教師が見て見ぬふりをするのを見れば、周囲の子どもたちはいじめる側につくだろう。自分にも被害が及んだときに、教師が守ってくれないのがわかるから、自分を守るためには、むしろ誰かが犠牲になってくれているほうが安全でいられる。
 そして、それが続けば、感覚が麻痺して、善悪の判断もつかなくなる。大人への信頼、仲間への信頼もなくなる。
 小学校で解決されなかったいじめは中学校に持ち越される。小学校時代にいじめをしても放置された子どもは、自分で問題解決することができず、その後もいじめを繰り返すことが多い。年齢があがるほど、反省心は薄れ、いじめ・暴力がやめられなくなる。
 小学校時代、教師がいじめを放置するのを見てきた子どもたちは、アンケートでも、自分や友だちへのいじめについて書いても無駄だと、書かなくなる。

 大人たちは子どもたちに、「いじめられたら、勇気を出して相談するように」と言う。しかし現実には、いじめを訴えてもとりあってもらえないことがどれだけ多いことか。
 2013年のいじめ防止対策推進法以降、いじめが原因と思われる自殺や自殺未遂の重大事態で、第三者委員会が立ち上がった81件事案のうち、半数以上の46件(57%)で本人や周囲が学校・教師に相談していた。また、17件(21%)で 本人や周囲がアンケートに記入していた。
 もし教師たちが、子どものSOSを真剣に受け止めて対応していたら、死ななくて済んだ子どもたちではないかと思う。
 そして、自殺や自殺未遂事案の原因となったと思われるいじめの68件(84%)で、有形暴力は確認されていない。有形暴力が確認されたのはわずか13件(16%)。肉体を傷つけられなくても、心を深く傷つけられれば、人は死ぬ。生き延びていても、死ぬほどの苦しみは簡単には癒えない。
 ( http://www.jca.apc.org/praca/takeda/pdf/boushihou28-1%20ichiran%2020190818.pdf )

 生きて訴えている被害者の言葉に耳を傾け、救うことができなければ、自殺は減らせない。司法は、子どもが死ぬ以外のいじめ解決方法を明確に示してほしい。


 次回は、2020年2月13日(木) 午前11時から、東京高裁822号法廷にて。


2019/7/1 スクール・ハラスメント 中学生の本人訴訟

中学生の少女(A子さん)が原告として、その両親が法定代理人として、小学校5年生時の男性担任教諭(X)と、運動会応援団担当教諭(Y)、当時の副校長(Z)校長(W)、学校設置者である千代田区を民事裁判で訴えた。
少女は弁護士を代理人として立てず、家族3人での本人訴訟。請求額は1円。

その第1回口頭弁論が、2019(令和元)年6月28日(金)、東京地裁530号法廷で、午前10時から、行われた。
事件番号は平成31(ワ)8148。 沖中康人裁判長。合議制。傍聴者は十数名。被告席には弁護士が3名。
負けても1円払うだけですむからと軽くみているのか。あとから聞いたところによると、全員、千代田区の代理人で、教師個人の代理人弁護士は来ていなかったようだ。

裁判長から許可を得て、少女と母親が冒頭陳述を行った。

A子さんの陳述書
(実際には2分という時間の関係から、⑧より読上げた。個人名等はアルファベットに変えている) (*)は武田註。
 
① 平成29年4月、私は被告X(*5年生当時の担任)から、授業中に頭と顔を触られ、とても気持ち悪かったし、すごく嫌で吐きそうになるのを、一生懸命に我慢しました。そして学校にいる間、四六時中「また触られるのではないか」と嫌な気持ちと恐ろしさで学校にいる時間が苦痛の時間でした。
私の被害が、クラスメイトに気がつかれたら、変なうわさになるのか? 又は 私の被害を一緒に怒ってくれるのか? 色んなことを心配し、悩みながら、学校生活を送りました。

② 私のうけた被害は、頭や顔を触られるだけではありませんでした。 授業中、ほかの児童たちがいるところで、被告Xは、突然私に対して、至近距離にいるときは「A子さん、かわいいですね」といい、少し離れた距離から言うときは「○○さん(苗字)、かわいいですね」と言いました。

③ 至近距離に近づかなければならない時というのは、先生へ提出する物を、めいめいが一人一人席を立ち、被告Xに手渡さなければならないということでした。後ろの席から前に渡していくという、提出方法を、被告Xは、あまりしませんでした。
「できた子から先生に持ってきて」と、被告Xが授業中に言うと、私は「またか」と、とてもいやな気持になりました。

④ 教室にいたクラスメイト達は、「A子ちゃんだけひいきされていいよね」「A子ちゃんだけかわいいっていわれていいよね」等と、私に言うようになり始めました。
そしてだんだんと私の前でひそひそ話や無視が始まり、小学校4年生の時まで仲良くしていた子たちからも、いじめられました。

⑤ X先生のセクハラ行為が原因で、私は神経性胃炎と不眠症になり、2週間ごとの通院と処方薬を投薬しないと、普通に生活することもできなくなりました。

⑥ 平成29年6月1日頃、私は被告Z(*当時の副校長)のところへ行き、被告Xのセクハラ行為がいやだと訴えました。すると被告Zは「よく話してくれたね。大丈夫。A子さんのことは、先生が守るから心配要らないよ」といいました。しかし全く守ってなんかくれませんでした。

⑦ 母は、私の被害のことを警察署生活安全課へ相談に行きました。平成29年6月中旬から、何度か警察官が学校にも来ていました。警察官が来てくれるようになり、やっと少し安心することができました。

⑧ 平成29年9月8日、その日は、健康記録カードは、私のランドセルから、応援団セットは、私の使っていたロッカーの中から、両方とも消えた日です。
応援団セットは、前日に被告Y(*運動会応援団担当教諭)から受け取り、自分のロッカーにしまってあるお道具箱の上に置き、下校しました。
しかし翌日、応援団セットは、朝登校したときに、自分のロッカーから消えてしまったことを知り、8日朝、登校後ランドセルにしまったはずの健康記録カードは、2時間目が終わったときに、ランドセルから消えた事を知りました。
そして被告Yは、「ロッカーから消えた」と私が訴えたのに、私の訴えを聞かずに、私がなくしたことにしてしまいました。
その後から私は、2人の教師へ、毎日どこをどう探したかを報告しなければなりませんでした。
そして毎回、被告Yは「毎回毎回見つかりませんとだけ言うな」「お前は卑怯者だ」などと、鬼のような顔つきで、私を大きな声で怒鳴りつけ、被告Xはニヤついた顔をして「まだ見つかりませんか?困りましたね」と、言いました。

⑨ 2人の先生から怒られていることを、他の児童達へもだんだんと知れ渡るようになり、みんな私を避けはじめました。
健康記録カードと応援団セットは、どこを探しても見つかりませんでした。でも誰も助けてはくれず、毎日大声で怒鳴られ、ニヤニヤしながら「まだ見つかりませんか?困りますね」だけでした。
私は夜も眠れず、家の押入れや棚の中にある物も、すべて床の上にだし続けました。
母は「持ち帰っていないのに」といいましたが、当時の私は、持ち帰っているとかのことではなく、「どこからか浮かんできてほしい」という思いがありました。
学校内も探し尽くし、どこからも浮かんでこないので、もう限界でした。もう消えてなくなりたいと思うようになり、自殺を試みました。

⑩ 2度目に自殺を試みたときは、夜でした。被告Xのニヤついた顔つきと「頭や顔を触ったときの気持ち悪かったこと」「私の髪の毛をつかんだときのこと」「健康記録カードは?応援団セットもないんでしょ」「「まだ見つかりませんか?困りましたね」と被告Yの鬼のような顔つきで怒鳴り声「毎回見つかりませんとだけ言うな。おまえは卑怯者だ」などが、何度もよみがえり、疲れてしまいました。
部屋にあった電気コードで首を絞めました。ぱっと親の顔が浮かび、首を絞めるのをやめました。

⑪ 平成29年10月20日。私は千代田区教育研究所の不登校教室へ面談に行きました。
面談に行くと、被告Zの申し送りがあるため、私は不登校教室の、他の児童生徒さんがいる大教室への入室を禁止されていました。
個室はいやだ。一人になるのは怖い。と弁護士さんにお願いして抗議しましたが、かないませんでした。

⑫ 母が千代田区の区政への一言で、不登校教室のことを抗議すると、翌日から私は大教室へ入ることができるようになりました。
その教室で、学習塾の宿題をすることにしました。しかし学習塾の教材が難しいときもありましたので、私は5年生の教科書の下巻がほしいと、弁護士さんから学校へ言ってもらいましたが、教科書の下巻をもらえませんでした。
仕方がないので、母に教科書の下巻を本屋さんで買ってもらいました。

⑬ 教科書の下巻は、平成30年1月、転校先の小学校でもらいました。

⑭ 平成29年、12月のはじめ、私は、友達をあきらめるのはすごくつらいけれど、●●小学校は、被告Xと被告Yがいるし、不登校教室へひどい申し送りをした被告Zもいるから、怖くて戻れないと思いました。
こんな学校に行くなら、どうせあと1年で卒業だから、他の学校へ転校しようと思いました。

⑮ 平成29年12月13日、私は母と教育委員会にいきました。
そして転校手続きと私の1学期と2学期の被害を訴えました。教育委員会の指導課長さんと指導主事さん達ならなんとかしてくれるのかもと期待していましたが、同月22日、教育委員会にいた指導課長さんと指導主事さん達と●●小学校の被告W(*当時の校長)は、私たち親子を裏切りました。

⑯ 平成30年3月、●●小学校は、警察署の●●警部補にSNSに書き込みがある事を、何故か私の名前を出し、被害相談をしたようでした。
私は携帯を持っていましたが、壊れて使えませんでした。
不登校中だったこと、親が塾の送り迎えをしてくれたので、携帯電話は必要ありませんでした。
ですからメールはできませんし、SNSなどのアカウントも持っていませんでした。
しかし、当時は、「自白強要後、起訴され有罪になり、刑務所を出た後に、実は無罪になった」という報道を見ていたので、私は外を歩くことが怖くなりました。
そして警部補さんの話によると、私の転校後の生活のことも、●●小学校の児童達が知っているとのことでしたので、転校した小学校のクラスメイトのことも「誰が何を話しているか、信用できない」と、怖くなり、転校した小学校にも通えなくなってしまいました。

⑰ 平成31年3月、ほとんどいかなかった○○小学校を卒業しました。でも誰も信用できないから怖いと思い、卒業式は、卒業証書をもらうため、舞台のすみで自分の番を待ち、証書をもらい、すぐに両親と一緒に学校を出ました。

⑱ 今でも、突然、私の頭に被告Xのセクハラ行為や、被告Yが私を怒鳴りつけた時の声や顔が浮かび上がり、恐怖感で動けなくなります。
それらが夜、私の頭の中によみがえると、学校からの課題をこなすこともできなくなり、夜眠るのも怖くなります。
そして警部補の「個人攻撃は困る」「○○小学校での生活や塾を辞めたこと」という、あの声がよみがえると、怖くて外に出られなくなります。

⑲ 家にいて、母と一緒に読んだ日本国憲法から、誰でも裁判を起こせることを知りました。

⑳ 高校生が本人訴訟をする記事を知り、私も自分の被害を自分の声で訴えようと思いました。


A子さん母の陳述書

① 私は、小学校5年生に進級した我が子が、どんどん疲れ果てていくのを見ています。
4年生まで学校生活を楽しんでいた我が子。お友達をお互いの家庭が招き合い、外遊び、家族ぐるみのお付き合いもありました。

② しかし被告達のせいで、我が子はお友達を失い、学校で学ぶ権利もうばわれました。

③ 被告達が原因で、我が子は平成29年4月には、神経性胃炎と不眠症をわずらい、同年9月、我が子は2度の自殺未遂、そして現在はPTSDの治療を続けている状態です。
成長期の子供へ、たくさんの薬を服用させる親のつらさを、きっと被告達には理解できないと思います。
たくさんの薬がないと、生活できない子供の苦しさを、被告達は絶対理解しないと思いました。
その証拠が、千代田区教育委員会の勝手な調査の中断宣言でした。

④ 平成29年4月に起きた、被告Xによる我が子への数々のセクハラ行為を、同年ゴールデンウィーク明けに、被告Z(*当時の副校長)に電話で訴え、「指導します」と約束したにもかかわらず、被告Xは我が子の髪の毛を触り、強くつかんで痛みを与えました。
我が子は真っ青な顔で帰宅し、自宅トイレで嘔吐したあと、寝込みました。

⑤ 再び、同年5月中旬、私は被告Zへ電話で抗議をすると、被告Zは「Xも若いので許してやってください」と、謝罪の言葉もなく言いました。

⑥ 同年5月の校外学習でも、乗り物酔いをした我が子を、バスに乗っていた大人達は、A子の隣の席に座っていた子が「A子ちゃんが、気持ち悪いと言っている。助けて」と訴えても、誰一人応急措置や乗り物酔い止めの薬を服用するのを助けずに放置しました。

⑦ 今、私が、大変後悔しているのは、平成29年5月で、我が子に学校禁止令をいい、無理矢理にでも千代田区立●●小学校への登校を阻止すればよかったと思うことです。
そうしていたら、我が子は、同年2学期の被害で苦しい思いをしなくてすんだはずです。

⑧ 平成29年9月8日、同時に2つの物が我が子のロッカーなどから消えました。
しかし、担任だった被告Xは、我が子が「ロッカーから消えた」と訴えていたのに「誰か、A子の健康記録カードを見なかったか」「誰かA子の応援団セットを見ていないか」などと、クラスの児童達に呼びかけさえもしませんでした。
同年9月27日朝11時、A子の母が学校に行き、A子の被害を被告Z、教育委員会の指導主事のまえで訴えたときに「普通なら『だれか見ていないか』などと声をかけるのでは?」と指摘した後、同日の午後又は翌日頃に被告Xが、当時のクラスの児童達に声をかけていることを知りました。

⑨ 通常、同じ時期に原告の2つの物がなくなったら、教師であれば「いじめではないか」といじめの可能性を疑ってもいいはずです。
しかし被告達は、いじめ防止対策推進法を無視しました。
さらにA子が真面目に探して、毎日報告しているのに「おまえは卑怯者だ」と、複数の児童達がいる前でA子を侮辱し、怒鳴り続けました。

⑩ 平成29年12月、千代田区教育委員会は、勝手に調査を終了するといい、それまでやりとりしてきたメールアドレスへも、私はメールを送信することができなくなってしまいました。
我が子の被害は、学校の外で起きたのであれば、間違いなくセクハラ行為や他の刑罰に該当するのに、学校で起きてしまうと、教育委員会と学校は「指導の範囲」といいます。

⑪ 私たちは平成30年1月から被告Xの不適切極まりない行為だけでも、告訴しようと動きました。
すると、警察署の安全課ではない部署の刑事さん●●警部補が担当になりました。
告訴状受理については、私たちは代理人弁護士を雇いましたが、●●警部補は、なぜか原告に直接連絡し、告訴状不受理の説明をし続けました。
さらに刑事さんなのに民事裁判を勧めてきました。

⑫ 同年5月、告訴状が受理されましたが、7月に不起訴になりました。
起訴理由を検事さんへ問い合わせると「教育員会が懲戒していないから」と言いました。
捜査権のある人たちが、すべて学校のことになると、教育委員会へお伺いを立てるのかと知りました。

⑬ 私は、我が子の心身を壊した被告達が許せません。
原告本人達が自分たちの口で、具体的に被害を訴えることを選びました。
判決がどう出るかは、わかりませんが、その判決内容で不適切な人たちへの懲戒処分と降格処分を求めたいです。
そうすることで被告達が原因の次の被害者が出ないのではないかと思うからです。


武田私見ほか

原告から聞いた内容について、5年生時担任の行為は許しがたい。
スクールセクハラについて知識のない人は、胸や尻を触られたわけでもなく、頭や頬を触られたくらいで大げさだと思うかもしれない。
しかし、電車などの見知らぬ人をターゲットとするチカン行為とは違い、学校での教師によるセクハラ行為はいきなり胸や尻を触るわけではない。関係性を長く続けるためにも、相手が「ノー」と言えない状況を巧みにつくりだし、徐々にエスカレートさせていく。
教師が、必要性もなく、許可も得ずに、児童の頭や顔を触るのは、セクハラだ。これを許せば行為は必ずエスカレートすると直感的に感じたからこそ、少女は実際に吐くほどの嫌悪感を覚えたのだろう。

特定の個人を他の児童もいる前で、名指しして「かわいいですね」と何度も言うのは異状だ。そのようなことをすれば、どのような事態になるか、教師なら簡単に想像できるだろう。
いじめ加害者、DVの加害者、性的虐待者は、相手を心理的に支配するために様々な方法を使う。その一つが、被害者が相談したり、周りから支援を受けたりできないよう、孤立させること。
自分に従うときにはやさしく、逆らう時には罰を与えたり、強い叱責で恐怖を与え、逆らう気力をそいでいく。

また、他の児童生徒が見ている前で、セクハラ行為をするのは有りえないと思うかもしれない。
しかし、授業中や給食中に、教師が女子児童を膝に乗せていたということが、わいせつ行為が発覚して後の調査で判明することもある。

敏感な子どもは、相手の様子ですぐにおかしいとピンとくる。不快感を感じる。(なかには、わいせつ行為をする大人に「愛されている」と勘違いして、不快に思わない子どももいる。あるいは精神的に支配されて、物事を正しく考えることができないようにさせられていることもある)
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/number2/900326.htm


文科省の「わいせつ行為等に係る懲戒処分等の状況(教育職員)(平成29年度)」においても、
○ わいせつ行為等が行われた場面   授業中 19人
○ わいせつ行為等が行われた場所   教室 27人 運動場、体育館、プール等 8人
○ わいせつ行為等の態様         体に触る 56人   会話などにおける性的いやがらせ 11人
となっている。

これは、あくまで、わいせつ行為で処分された教職員のデータで、氷山の一角に過ぎない。ほとんどの子や親は泣き寝入りし、そして今回のように、被害を訴えても取り合ってさえもらえない。客観的にも納得のいくような調査もされない。

そして、本来であれば、子どもを守るべき立場の大人たちが、子どもを守らず、むしろ見せしめ的な攻撃にさえ出ている。
「物隠し」は小学校でのいじめの典型例だ。それを全く疑いもしないこと自体、不自然だ。
それも、被害者が被害を告発したのちに起きている。「報復」だと被害者が感じるのは無理がなく、そうではないと児童と保護者を安心させる責務は、学校側にあるはずだ。
たとえ教師の報復でなかったとしても、仮に自分でなくしたとしても、ここまで児童を追いつめる必要がどこにあるだろうか。
まして、本人に責任がなかったとしたら冤罪であり、二重に苦しめる結果になると、学校側は思わなかったのだろうか。


教師によるセクハラ行為は、けっして特殊なことではない。児童を性的対象としてみる人間は、児童と日常的に接することのできる職業を選ぶ。あるいは、成人女性相手では反撃されたり、訴えられたりするリスクが大きいが、児童生徒であればごまかしがきくと思っているのだろうか。
そして、ひとりの教師が同時並行的に複数の児童にわいせつ行為をしていたり、問題を起こした教師を、そうと知りつつ、他の学校、とくに特別支援学校や学級配置して、そこでも繰り返すことも少なくない。
( http://www.jca.apc.org/praca/takeda/number2/030521.htm )


私の中学校時代にも、クラスで担任教師からひいきにされているとみられている女子生徒がいた。
あるとき、みんなで話をしてたときに、その女子生徒はぽつりと、「担任が、スカートのポケットに手を入れてくる」と話した。
当時は、その女子生徒ととくに親しかったわけでもなく、深く考えることもできなかった。ただ、教師にひいきにされて特しているように見える彼女にもいろいろ嫌なことがあるのだなぁ程度にしか思わなかった。
結局、このことは一切、表に出ることなく、その女子生徒と担任教師の表面的な関係もそのままだった。

性的被害にあっている子どもが大人にSOSを出すのには、どれだけの勇気が必要だろうか。
子どもに「何かあったら大人に言いなさい」という前に、まずは大人たちが子どものSOSを受け止めることのできる体制をつくるべきだ。
今、被害にあった子どもたち、その保護者が声をあげても、モンスターペアレント扱いを受けるだけで、救済の道がない。
いじめや学校事故だけでなく、教師からのセクハラ、パワハラについても、死亡事案だけでなく、せめて不登校事案では、第三者による調査検証の仕組みがほしい。
学校、教委に自浄作用は期待できない。被害者に寄り添う専門家、外部の目が必要だ。


なぜ、請求額が1円なのか。求めているのは、金銭ではないということ。そして、心からの謝罪も望めそうにないからこそ、しかるべき処分と実効性のある再発防止策を原告たちは望んでいる。

次回は、9月13日(金) 東京地裁530号法廷にて、午後2時からを予定。


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