子どもたちは二度殺される【事例】



注 :
被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。
また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。
S.TAKEDA
950513 シゴキ殺人 2001.9.20 2002.2.13 2003.7.1 2003.7.21更新
1995/5/13 伊豆大島の東京都立大島南高校の島外出身者の寄宿舎で生活していた生徒12人が、上級生3人(高3)に命じられて島内の漁港付近の堤防から10メートル下の荒海に飛び込み、松山塵(じん)くん(高1・15)、北原裕貴くん(高1・15)、佐藤賢太朗くん(高1・15)の3人が溺れて死亡。高橋信人くん(高1・15)が行方不明となった。
経 緯 5/13 当日は第二土曜日で学校の休日だった。現場には波浪注意報が出されており、海上には517メートルの波があった。

午後2時頃、3人の男子生徒(高3)が、海洋科の1年生12人と2年生4人を誘い、計19人で大島南部の差木地(さきじ)港に向かった。

堤防は斜めに取り付けられたワイヤーを伝わって上ることができる構造になっており、上れなかった1年生3人を除く9人に3年生3人が海に飛び込むよう命令。

飛び込む直前、サメが泳いでいるのを目撃。1年生が、「サメがいますけど」「波が荒いですよ」と再三、3年生に中止を促したが、「これくらい大丈夫」と言って取り合わなかった。「寮生の気合いを見せろ」と言われ、寮生たちは後が恐くて断れず、指示に従った。

安全を確認する意味で2年生2人を先頭に、1年生9人と3年生1人の計12人が海に飛び込んだ。2列縦隊で泳いでいたが、高波で隊列が崩れ、松山塵(じん)くん(高1・15)、北原裕貴くん(高1・15)、佐藤賢太朗くん(高1・15)の3人が溺れて死亡。高橋信人くん(高1・15)が行方不明となった。

5/25 警視庁大島署などが、連続12日間、行方不明になった信人くんの捜索を続けてきたが打ち切りとなった。同日以降も、大島南高校の実習船で捜索が続けられた。
背 景  同校は、水産関係の学科を設けた唯一の都立高校。都内全域から入学可能で、生徒143人中94人が寄宿生。

寄宿舎「拓水寮」では、寮を1隻の船に見立て、「上の言うことは絶対」という船内を再現するように、3年生に1年生4人が入室する部屋の指導をさせていた。上下関係は伝統的に厳しかった。
寄宿舎の1年生には「日記」が義務づけられていた。日記は3年生が毎日、チェックしていた。

「就寝中に目にムースをかけられる」「深夜に冷たい海で泳がされる」などの3年生による暴力やシゴキが恒常化していた。

「3年生が一緒なら危険の度合いが少ない」として、1年生が外出する場合は、上級生の同行を義務づけていた。寄宿生が外出する際は、管理室窓口の「外出簿」に行き先、出寮時間、帰寮時間を記入することになっていたが、教師のチェックはなかった。当日も19人は行き先に「差木地港」と書いていたが、日直の教師は別の場所にいて窓口にはおらず、外出をチェックできなかった。

この飛び込みは「差木地バンジー」と呼ばれ、ここ数年毎年春、1年生の「度胸試し」として3年生主導で行われていた。新入生は「寮の伝統で、海の男になる第一歩」と説明されていた。

19人は全員島外出身者だった。(地元住民は「島育ちならあの海には絶対入らない」と指摘。)
日 記 死亡した生徒の1人の寮生日記には、
4/22 「(上級生から)水とウーロン茶とタマゴとキャベツの入った飲み物を飲まされた」「ギョーザを生で食べさせられました」と綴られていた。余白には(3年生から)「まだ考えが甘い」などと書かれていた。

5/12 5月に入ってから、3年生の余白への記入がなくなり、「お願いです。コメントを書いて下さい」と書かれていた。
学校の対応 「度胸試し」の存在は教師間でも知られていた。
校長は「静かな時は海に飛び込んでも安全で、危険性は上級生が判断できると思っていた」と話した。
学校が貼り出しなどで寮生に伝えたのは干満潮についての情報だけだった。

校長は寄宿舎のなかで恒常的に暴力行為が起きていたことを認めたうえで、「教師はそれを追放するため全力で取り組んでいた最中だった。そうした中での今回の事故は残念でならない」と話していた。
都教育庁の対応 都教育庁は大島南高校に指導主事を派遣。事故の事実調査と、寄宿舎内での上下関係の把握などに乗りだした。しかし、「広い意味では学校に責任があるかもしれないが、寮生に判断能力がなかったとも言えず、事実関係がはっきりしないと結論は出せない」とコメント。

都教育庁は生徒の葬儀の際、内規に定められた「都立学校下の管理下で発生した死亡事故の弔慰金」としては最高額である20万円の香典を遺族に渡していた。
遺族が、学校側からの事故の経緯について説明がないままの高額香典に不信感を募らせたことに対して教育指導課は、「今回のケースが都立学校の管理下にある事故にあてはまるかどうかの結論は出ていない。あくまで都教委として、誠意を示すための見舞金と説明。
他のいじめ事件 1993/4/ 寄宿舎に入った新入生(高1)が、毎日のように、上級生から「腕パン」(指先を重ねて手首部分をたたく)を1度に数多く受けたり、突然、背後から突かれたり、深夜に寝ている布団を頭からかぶせられて窒息しそうになるなどのいじめを受けていた。また、上級生に半ば強制的に海に連れて行かれて、泳がされたりした。

4/末 先輩からのシゴキや暴力に耐えきれず、同生徒と親が「学校でいじめられ、もういたくない。転校させてほしい」と都庁に直談判。同生徒が同校の寄宿舎生活を続けるのは困難と判断。本来は全日制の都立高校間の転学はできないが、特別措置として都心部の別の都立高校への転学を認めた。

都庁が事実調査した結果、いじめがあったと認定され、都は学校側に寄宿舎内での生徒の生活が円滑にいくように、管理運営面の改善を求めていた。
裁 判 1995/8/30 死亡した3人の遺族が、都と校長、寄宿舎の舎監の教師15人、上級生3人を相手どって、計2億2千300万円の損害賠償を求めて、提訴。

上級生は、「遊びの延長線上で生じた不幸な事故」と主張。
都は、事故があった日は学校が休みだったことから、「休業日に寄宿舎外で起きたことに責任は負わない」と主張。
判 決 2000/12/22 東京地裁の土屋文昭裁判長は、都と上級生ら3人に総額2億7千500万円の支払を命じた。

判決では、「強制的に飛び込みを命じられた」と認定。
事故の背景には、寄宿舎で常態化していた上級生によるしごきやいじめがあると指摘。学校側も、いじめの延長線上で飛び込みが行われたとことを知っており、事故は予想できたとして、これを放置した学校側の管理責任を認めた。
その後 事故後も上級生による下級生への日常的な暴行やいじめが相次いでいる。
1999/4−2000/3 上級生が下級生の眉毛を刃物でそり落とす、風呂場で両手足をつかんで湯船に叩きつける、熱湯をかけるなどの暴行を働いた。

2001/5/9 同校の生徒と保護者計5人が、東京弁護士会に人権救済申し立てをした。
参考資料 2000/12/23讀賣新聞、200/5/10東京新聞(「子ども論 2001・8/クレヨンハウス」)、「子ども白書」1996年版/日本子どもを守る会/草土文化、1995/5/25、5/26、6/2、6/3讀賣新聞(「いじめ問題ハンドブック」/高徳忍著/つげ書房新社)、1995/5/26毎日新聞(月刊「子ども論」1995年7月号/クレヨンハウス)1995/8/31朝日新聞(月刊「子ども論」1995年10月号/クレヨンハウス)



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