やじうま日誌 2024年12月

【12月1日】
愛子◆23歳の誕生日。共同通信が「今春大学を卒業して社会人としての一歩を踏み出すとともに、宮中行事や公務の機会も増えた。宮内庁によると、研さんを重ね、皇室の一員としての経験を少しずつ積みながら、充実した日々を送っている。国民から温かく見守られていることに感謝しているという」と報道。
徳仁、愛子◆愛子が皇居・御所で、徳仁と共に、宮内庁長官や次長、侍従長ら側近部局の職員から祝賀を受ける。
明仁、美智子、愛子◆23歳の誕生日を迎えた愛子が、明仁、美智子にあいさつするため、東京・元赤坂の赤坂御用地にある仙洞御所を訪問。車で赤坂御用地に入り、仙洞御所に30分ほど滞在。
神社参拝◆石破茂首相が妻佳子と共に、鳥取市の自宅から鳥取県八頭町の和多理神社を訪問し参拝。
【12月2日】
新年一般参賀◆宮内庁が、翌年1月2日に皇居で新年一般参賀を開催すると発表。徳仁、雅子は午前と午後の計5回、宮殿・長和殿のベランダに立ち、「国民」からの祝賀を受け、一緒に出席する皇族については後日公表すると報道。
桂離宮◆宮内庁京都事務所が、桂離宮(京都市西京区)の庭園にあるソテツの冬支度の様子を初めて報道陣に公開。桂離宮は江戸時代初期の1615年ごろ、後陽成天皇の弟だった智仁親王が御殿を建てたのが始まりで、皇族や文化人が池に舟を浮かべて月見を楽しんだとされ、同事務所によると、ソテツは、薩摩藩の島津家が献上したと伝わっているというと報道。
「陛下の法令」◆1766年の当日、スウェーデン議会が「執筆と出版の自由に関する陛下の法令」を可決。報道と情報の自由に関する世界初の法律とされ、検閲を廃止し、政府文書の閲覧を「国民」に認めたが、学術、神学に関する著述と、王室や政府を侮辱する記述は例外と報道。
【12月3日】
秋篠宮、紀子、佳子◆トルコを「公式訪問」するため、政府専用機で羽田空港から出発。東京・元赤坂の赤坂御用地にある宮邸を出る際、佳子が見送り、羽田空港で、駐日トルコ特命全権大使や西村泰彦・宮内庁長官らが見送る。首都アンカラのエセンボア国際空港に到着。当年は日本とトルコの外交関係樹立100周年に当たり、8日までの日程で、エルドアン大統領を表敬訪問するほか、記念式典などに出席して「友好親善」を図ると報道。
佐渡金山追悼式◆新潟県佐渡市の渡辺竜五市長が定例記者会見で、11月24日の世界文化遺産「佐渡島の金山」追悼式を振り返り「県や国と議論し、やり方に問題はなかった。地元としてしっかりできた」。韓国側の追悼式欠席に共同通信の誤報が与えた影響について「原因が誤報かどうかは韓国政府が言っているわけでも、国から聞いているわけでもない。一方的な決めつけをする気はない」。
【12月4日】
徳仁、雅子◆訪日したベトナムのチャン・タイン・マン国会議長夫妻と皇居・御所で面会。宮内庁によると、徳仁は能登半島地震への支援に謝意を伝え、ベトナムで9月にあった台風被害について、「見舞い」の気持ちを述べたと報道。
秋篠宮、紀子◆トルコの首都アンカラにある「建国の父」、初代大統領ケマル・アタチュルクの霊廟を訪れ、供花。アンカラ大で、日本語や日本文化を学ぶ学生と「交流」。宿泊先のホテルに戻り、日本とゆかりのあるトルコの人たちと「懇談」。在留邦人や国際協力機構(JICA)関係者とも面会。
【12月5日】
秋篠宮、紀子◆秋篠宮が、トルコの首都アンカラの大統領府でエルドアン大統領を表敬訪問。宮内庁によると、招待に感謝し「外交関係樹立100周年を機に2国間の友好親善関係の増進を願う」という趣旨の徳仁のメッセージを伝える。紀子は大統領の妻エミネの案内で敷地内の図書館を見学。二人で大統領主催の晩さん会に臨む。空路でイスタンブールに移動。世界遺産アヤソフィアを視察したほか、オスマン帝国時代のスルタン(イスラム王侯)が暮らしたトプカプ宮殿に足を運び、悠仁の誕生を記念し日本でも展示された「金のゆりかご」を鑑賞。夜、100周年を記念した式典に出席し、秋篠宮があいさつ。
故三笠宮◆共同通信が、秋篠宮のトルコ訪問で「故三笠宮、礎築く/遺跡調査で皇室と交流」と題したサイド記事を配信。「皇室とトルコの関係では、古代オリエント史研究で知られた昭和天皇の末弟、三笠宮が現地の遺跡調査を支援し、約40年にわたる学術交流の礎を築いた。長男の故寛仁親王、孫の彬子さまへと活動は引き継がれ、日本との外交関係樹立100周年に際したトルコ公式訪問で、秋篠宮ご夫妻が7日にゆかりの地を巡られる」。
靖国参拝誤報◆共同通信社が、自民党の生稲晃子・参院議員(現外務政務官)の靖国神社参拝を巡る誤報に関し、高橋直人・編集局長と山根士郎・ニュースセンター長の更迭を決め、高橋局長ら計6人を懲戒処分にしたと発表。水谷亨社長と編集担当の小渕敏郎・専務理事は役員報酬の10%返上(3カ月)とし、取材情報の真偽の見極めや事実確認を尽くすことを柱とした再発防止策もまとめ、ホームページに掲載。
【12月6日】
秋篠宮、紀子◆トルコのイスタンブールで催された日本との外交関係樹立100周年を記念した式典に出席。秋篠宮が「日本とトルコとの友好関係は、厚い信頼によって築かれた。両国のつながりが未来へ向けて今以上に強くなり、深化することを心より祈念する」とあいさつ。海事博物館を訪れ、1890年に和歌山県串本町沖で沈没したオスマン帝国(現トルコ)軍艦エルトゥールル号に関する展示を視察。報道陣の取材に応じた秋篠宮が、エルドアン大統領夫妻らの歓迎に感謝し「いい滞在だなと思っている」。宿泊先のホテルで、日本とゆかりのあるトルコ人と「懇談」。イラン・イラク戦争時の1985年、イランの首都テヘランに残された邦人200人以上の救出に関わった元トルコ航空機関士らに、秋篠宮「深く感謝します」。イスタンブール現代美術館で開催中の美術家・塩田千春の個展を鑑賞。
百合子死去◆茶道三千家の一つ、裏千家(京都市)が、政財界などから客を招き新年を祝う茶会「初釜式」を2025年は開かないと発表。千宗室家元の妻容子の母、故三笠宮の妻百合子が11月に死去したことを受けた対応で、教授者らによる「稽古始め」を行うと報道。
【12月7日】
秋篠宮、紀子◆宿泊先のトルコ・イスタンブールのホテルで、防災教育の取り組みを視察。世界遺産「ブルーモスク」を訪れる。空路で首都アンカラに戻る。アンカラ近郊で、故三笠宮や故寛仁が発掘調査を支援してきたカマン・カレホユック遺跡や、設立に尽力したアナトリア考古学研究所を視察。隣接する考古学博物館や故三笠宮を記念する日本庭園を訪れる。現地日程を全て終え、日本時間8日未明に帰国の途に就くと報道。
ノートルダム大聖堂◆2019年4月に火災に見舞われたフランス・パリのノートルダム大聖堂の修復がほぼ終わり、7日に首脳ら約40人が出席する記念式典が開かれ、マクロン大統領が演説するほか、フランスメディアによると、トランプ次期米大統領やウクライナのゼレンスキー大統領、英国のウィリアム皇太子やドイツのシュタインマイヤー大統領らが出席の予定と報道。
【12月8日】
秋篠宮、紀子◆トルコ「公式訪問」を終え、政府専用機で羽田空港に到着。日本との外交関係樹立100周年に際した「親善目的」で3日から滞在し、記念式典のあいさつで両国の友好関係が深まるよう願い、日本にゆかりのあるトルコの人たちと「交流」したほか、トプカプ宮殿など世界遺産を視察したと報道。
【12月9日】
雅子◆61歳の誕生日。宮内庁を通じて感想を公表し、元日に起きた能登半島地震について「多くの人々が大きな試練に直面していることに、心が締め付けられる思い」。「地方公務」で「行く先々で多くの方に温かく迎えてもらい、大変ありがたく思った」。
天皇、皇族◆雅子が61歳の誕生日を迎え、徳仁と共に皇居・宮殿で祝賀行事に臨む。秋篠宮、紀子ら皇族や、石破茂首相ら閣僚のほか、宮内庁長官らから「お祝い」を受ける。徳仁、雅子が東京・元赤坂の赤坂御用地にある仙洞御所へ向かい、明仁、美智子にあいさつ。赤坂御用地に車で入り、約30分間、仙洞御所に滞在。皇居・御所に戻り、愛子も加わって侍従長ら側近部局の職員から祝賀を受ける。夕方、悠仁が御所へあいさつに訪れる。
【12月10日】
ノルウェー皇太子◆日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の田中熙巳=埼玉県新座市=ら代表委員3人が、ノーベル平和賞授賞式に先立ち、ノルウェー・オスロで開かれた非政府組織(NGO)「セーブ・ザ・チルドレン」主催の祝賀会に出席。ノルウェーのホーコン皇太子夫妻が出席。
【12月11日】
秋篠宮、紀子、悠仁◆宮内庁が、筑波大付属高3年の悠仁が、筑波大(茨城県つくば市)の生命環境学群生物学類に学校推薦で合格し、翌年4月から進学すると発表。宮内庁によると、学校推薦型選抜(旧推薦入試)で11月28、29日に英語と生物の小論文、面接の試験に臨み、12月11日に合格通知があり、秋篠宮、紀子は安堵している様子というと報道。
「昭和100年」◆政府が、「昭和改元100年」となる2026年に政府主催の記念式典を開催すると明らかに。4月29日(「昭和の日」)など「昭和」にゆかりのある日程で調整し、会場は「明治改元100年」の記念式典が開かれた日本武道館(東京)などが候補に挙がっていると報道。式典実現を目指す超党派議員連盟(会長・麻生太郎・自民党最高顧問)の会合で内閣官房の担当者が説明。/神谷宗幣・参政党代表が、「昭和100年」の記念式典について自身のX=旧ツイッター=で「現在も国際情勢は激変している。100年の歴史に学び、みんなで日本の行く末を考える機会にしたい」。
ノーベル平和賞◆日本原水爆被害者団体協議会(被団協)のノーベル平和賞受賞を祝うパレードが、ノルウェーの首都オスロで開催される。被団協代表団がパレード後、ホーコン皇太子やノーベル賞委員会関係者らとの晩さん会に出席。
【12月12日】
徳仁、雅子◆皇居・宮殿で、障害がありながら自立に努めたとして、厚生労働大臣表彰を受けた障害者らと「懇談」。徳仁が「さまざまな努力によって自らの障害を克服し、立派に社会参加を果たしてこられたことをうれしく思う」とあいさつ。聴覚障害者の国際スポーツ大会「デフリンピック」が来年、東京大会が開かれることに触れ「障害がある人々への社会的な理解を深める機会になることを期待する」。
秋篠宮発言◆皇族数の確保策として女性皇族が結婚後も皇族の身分を保持する案を巡り、秋篠宮が11月の誕生日記者会見で、該当する女性皇族の考えを宮内庁幹部が理解しておく必要があると述べたことについて、宮内庁の西村泰彦長官が会見で「十分お話を伺う機会はなかったと反省している」。「宮内庁の職員として心しておかなければいけないことだ。いろいろなお話を今後とも伺っていきたい」と述べ、皇族方と対話を重ねる努力をする考えを示す。
悠仁筑波大合格◆悠仁が筑波大に合格したことに関し、宮内庁の西村泰彦長官が会見で「希望された大学に合格され、大変喜ばしく思う」。「残された高校生活、新たに始まる大学生活を健やかにお過ごしいただけるよう、しっかり支えていきたい」。
「女性宮家」◆共同通信が企画記事「皇室ノート」で「将来は女性も『宮家』?/皇室先細り、是非議論」と題し「天皇の血統を継ぐ男性皇族は、結婚などを機に独立すると『宮家』を創設してきた。いずれも皇位継承資格者で、天皇家に男子がいない場合、宮家から次の天皇が決まる仕組みだ。ただ宮家自体は、皇族の『ご一家』を指す呼称で、法的な制度ではない。皇室の先細りが進む中、男性に限らず、女性皇族が将来『女性宮家』をつくる是非が議論されている」。
「大嘗」◆共同通信が特集企画「日本史この1年」で「『大嘗』の木簡が初出土/年輪年代が再び議論に」と題した本記のリードで「2024年は、奈良市の平城京跡で『大嘗』と記された木簡が初出土。天皇の代替わりの儀式『大嘗祭』を解明する手掛かりとなるかもしれない。大阪府の池上曽根遺跡では柱の年輪年代の再調査で柱に最大700年もの差があることが判明、解釈を巡り新たな謎が生まれた」。
「日本史この1年」◆共同通信が特集企画「日本史この1年」で「藤原京から九九早見表/東大寺東塔は68メートルで決着」と題し「飛鳥―奈良時代」について「大阪府の阿武山古墳で90年前に撮影されたエックス線写真を帝塚山大(奈良市)が新たに解析した結果、金糸の織り方などから藤原鎌足(669年死去)が死の直前に授けられた「大織冠」である可能性がより高まった。/聖徳太子による創建当初の法隆寺跡とされる若草伽藍跡(奈良県斑鳩町)の南側を区切っていたとみられる溝が初めて見つかった。(略)藤原京(奈良県橿原市、694~710年)跡から出土したかけ算の九九が書かれた木簡が、役人が徴税の計算などに使った最古級の早見表とみられることが分かった。(略)奈良市の平城京の一等地「左京三条一坊二坪」で見つかった穴から「大嘗分」と書かれた木簡が見つかった。奈文研によると「大嘗」と記された木簡は初出土。724年に聖武天皇が即位した際の代替わり式「大嘗祭」関連とみられる」。
【12月13日】
徳仁、雅子◆宮内庁が、徳仁、雅子が石川県能登地方で9月に発生した豪雨災害の被災者を見舞うため、17日に輪島市を日帰りで訪問すると発表。宮内庁によると、17日午前、羽田空港から特別機で輪島市へ向かい、午後から川の氾濫で犠牲者が出た地域を見て回った後、避難所で被災者から話を聞くと報道。市内はマイクロバスで移動するという。
南京大虐殺◆旧日本軍の中国・南京占領から87年となり、江蘇省南京の「南京大虐殺記念館」で国家追悼式典が開かれる。北京や上海など中国に12ある日本人学校は登校を取りやめ、7校が休校、5校がオンライン授業に切り替えたと報道。
西大寺◆奈良市の西大寺金堂院の発掘で、灯籠の痕跡が見つかり、奈良文化財研究所が発表。寺は称徳天皇(718~770年)の父・聖武天皇が建立した東大寺と同格とされており、同研究所は「東大寺の八角灯籠と同格のものが存在した可能性がある」としていると報道。
【12月14日】
秋篠宮、紀子◆東京都北区にある区立王子小の創立150周年記念式典に出席。王子小と同じ敷地内にある区立王子桜中で開かれた式典で、秋篠宮があいさつで、児童に向けて「豊かな心と健やかな身体を育み、新しい時代の担い手として大きく羽ばたいていくことを心から願います」。創立100周年の際は、皇太子時代の明仁、美智子が出席していると報道。
サウジ皇太子◆米ニュースサイト、アクシオスが、トランプ次期政権で中東担当特使となる不動産投資家ウィットコフが11日にサウジアラビアを訪問し、実権を握るムハンマド皇太子と会談したと伝える。サウジとイスラエルの国交正常化の可能性や、パレスチナ自治区ガザの戦闘などについて協議したというと報道。
「大正ロマン」◆共同通信が「大正ロマンのミュージアム/建設時の外観復元へ、長野」と題し「長野県松本市に、地元の歴史を伝える『上土シネマミュージアム』が開館し、外国人観光客らの注目を集めている。1917年に『松本電気館』としてオープンし、長く映画館として親しまれてきた建物を活用。ポスターやフィルム映写機でレトロを楽しむことができる。関係者は今後、大正期の外観を復元し、町おこしにつなげたいと意気込む」と報道。
【12月15日】
「神武天皇即位紀元」◆1872年の当日、太政官布告で「神武天皇即位紀元(皇紀)」が定められる。「日本書紀」を根拠に紀元前660年を元年とし、即位日(紀元節)を1月29日としたが、翌年に2月11日に変更。皇紀2600年に当たる1940年に全国で奉祝行事を催した。
バスケ女子皇后杯◆バスケットボール女子の第91回皇后杯全日本選手権(日本バスケットボール協会主催、共同通信社共催)のファイナルラウンド最終日に決勝が東京・代々木第二体育館で行われ、富士通がアイシンを65—55で下し、17大会ぶり4度目の優勝を果たす。
【12月16日】
徳仁、雅子◆宮内庁が、徳仁、雅子が翌年1月17日に開かれる阪神大震災の30年追悼式典に出席するため、1月16日から1泊2日の日程で神戸市を訪問すると発表。参列は皇太子時代の2010年、発生から15年の節目だった式典以来で、1月16日に羽田空港から特別機で神戸空港へ向かい、兵庫県立兵庫津ミュージアムで、阪神大震災に関する特別展示を視察し、被災した人々らと「懇談」すると報道。17日は神戸市中央区の県公館で開かれる追悼式典に出席し、徳仁があいさつした後「人と防災未来センター」に足を運び、小学生が防災を学ぶ様子を見学するという。
佳子◆東京・元赤坂の明治記念館で、都市緑化に貢献した企業や団体などを表彰する「第7回みどりの『わ』交流のつどい」に出席。あいさつで「みどり豊かなまちづくりのために努力してこられた方々に深く敬意を表します。みどりの『わ』がより一層広がっていくことを願います」。
「戸籍」◆戸籍の氏名に読み仮名を記載する翌年5月26日施行の「改正」戸籍法で、いわゆる「キラキラネーム」など一般的な読み方ではない新生児の名前の届け出があった場合、自治体が親らに対し、理由を示す説明書きを求める運用を予定していることが分かる。説明に合理性があれば原則として認める方針で、法務省が市区町村の担当者向け説明会で明らかに。
【12月17日】
徳仁、雅子◆石川県輪島市を日帰りで訪れ、能登地方で9月に起きた豪雨災害で被災した人々を見舞う。羽田空港から特別機で輪島市に入り、能登空港で馳浩知事から被災状況の説明を受けた後、マイクロバスに乗り、川の氾濫で犠牲者が出た同市久手川町へ向かう。避難所となっている輪島中を訪れ、被災者に会う。市役所に移り、災害対応に当たった警察や消防関係者をねぎらう。帰京する前に能登空港で、豪雨被害があった珠洲市と能登町の首長から話を聞く。
秋篠宮、紀子◆東京・上野の日本学士院を訪れ、第40回国際生物学賞授賞式に出席。受賞者はゼンケンベルク研究所・自然史博物館とフランクフルト大の教授で、ドイツ人のアンゲリカ・ブラント博士で、秋篠宮があいさつで「深海生態系の調査・研究を進め、人々の深海に対する理解を深めることに大きく貢献した」。国際生物学賞は1985年、生物学を研究していた昭和天皇の在位60年などを記念して創設されたと報道。/外交関係樹立100周年に際したトルコ公式訪問を終えた感想を、宮内庁を通じて公表。「日本との縁を感じることができる一時を過ごし、『文明の十字路』といわれるトルコに少しばかり触れることができた」。「友好親善関係がさらに深まることを祈念している」。
【12月18日】
秋篠宮◆静岡市のホテルを訪れ、総裁を務める日本動物園水族館協会の動物園技術者研究会に出席。1泊2日の日程で、19日は市立日本平動物園を視察し、帰京する予定と報道。
【12月19日】
秋篠宮◆静岡市の市立日本平動物園を視察。
悠仁◆茨城県の大井川和彦知事が記者会見で、悠仁が同県つくば市の筑波大へ翌年4月に進学することを受け「大変光栄だ。ぜひ県内に住んでいただきたいというのが個人的な願いだ」。
「海づくり大会」警備◆大分県で11月に開かれた全国豊かな海づくり大会の警備業務で応援派遣された大阪府警の30代男性巡査部長が、県内の宿泊先で20代男性巡査を殴ってけがをさせていたことが、府警への取材で分かる。府警によると、旭署の巡査部長が就寝しようとした際、同じ部屋にいた同署の巡査が同僚らと大きな声を出したことに腹を立てたとみられ、東淀川署の20代男性巡査も宿泊先で、巡査部長とは別の上司らから服を脱ぐよう指示されたり、蹴られたりする被害を受けたというと報道。
靖国神社◆東京都千代田区の靖国神社の石柱にスプレーで落書きをしたとして、器物損壊と礼拝所不敬の罪に問われた中国籍の被告の論告求刑公判が、東京地裁で開かれる。検察側が「神社の顔のような石柱の外観を著しく損ねた」として懲役1年を求刑。弁護側が寛大な判決を求めて結審。
【12月20日】
徳仁、雅子◆皇居・御所で、保健衛生に貢献した団体や個人に贈られる厚生労働相表彰の保健文化賞の受賞者ら16人と面会。宮内庁によると、徳仁が「心からお祝いいたします。さまざまな困難を乗り越え、それぞれの分野や地域で保健衛生の向上に努めてこられたことに深く敬意を表します」とあいさつ。これに先立ち、徳仁、雅子が皇居・宮殿「春秋の間」で、財務相や総務相の表彰を受けた国税庁や地方公共団体の税務職員と面会。
秋篠宮◆東京都江東区の日本科学未来館を訪れ、中高生を対象とした「第68回日本学生科学賞」の表彰式に出席。内閣総理大臣賞の生徒らと「懇談」。
【12月23日】
愛子◆宮内庁が、愛子がインフルエンザに感染したと明らかに。
天皇、皇族◆宮内庁が、愛子のインフルエンザ感染を発表し、明仁の誕生日のあいさつとして予定していた仙洞御所への訪問を取りやめる。徳仁、雅子に風邪の症状はないが、大事を取って同様に取りやめる。赤坂御用地の仙洞御所で祝賀行事があり、明仁、美智子が秋篠宮、紀子ら皇族から「祝い」のあいさつを受ける。側近部局の上皇職職員、宮内庁の西村泰彦長官ら幹部から祝賀を受ける。
明仁◆91歳の誕生日。共同通信が「体調に変わりなく、骨折した上皇后美智子さまを気遣いながら、規則正しい穏やかな日々を送る。宮内庁によると、上皇さまの日常は、今も戦争の記憶と深くつながり、5月は戦時中に疎開した栃木・日光を訪ね、往時をしのんだ。地震と豪雨で大きな被害を受けた石川県能登地方の被災者の生活を案じているという」と報道。
明仁「誕生日祝賀」◆石破茂首相が、東京・元赤坂の仙洞御所で行われた「上皇さま誕生日祝賀」に出席。
「昭和の茶の間」◆群馬県高崎市の県立歴史博物館が、「昭和」のくらしを紹介した特集展示を開催中と報道。「黒電話や白黒テレビで当時の茶の間を再現した他、足踏みミシンなどを動かせるコーナーも設けた」。
【12月24日】
皇居「春飾り」◆新年に皇居・宮殿や御所などに飾られる盆栽「春飾り」の準備が大詰めを迎え、宮内庁が作業の様子を報道陣に公開。春飾りは、30日に東京・元赤坂の赤坂御用地にある明仁、美智子の住まいの仙洞御所や各宮邸、皇居の宮内庁庁舎に置かれる予定というと報道。
「昭和100年」◆政府が、「昭和改元100年」となる2026年に向け、関係府省庁による連絡会議の初会合を官邸で開き、基本方針案を示す。26年に政府主催の記念式典を開き、「昭和」の体験や記憶を伝承するための施策を進めると明記。議長の橘慶一郎・官房副長官が会合で「平成以降に生まれた世代も含め、国民が有意義な形で参加できる施策の実現に取り組みたい」。
【12月25日】
明仁、美智子天皇制◆共同通信が「新刊紹介」で、保阪正康著「平成の天皇皇后両陛下大いに語る」を取り上げる。「昭和史研究家の著者が2013~16年に計6回、20時間以上にわたり天皇、皇后両陛下(現上皇ご夫妻)に直接会って『雑談』した内容を、テーマ別にまとめた。元侍従長2人との対談と併せ、月刊誌に掲載された記事を再録した。/テニスコートでの有名な出会いなど心温まる逸話の数々が肉声で語られ、天皇陛下の関心の在りかが『満州事変についてはどう考えていますか』など著者への率直な質問の形で現れる。近現代史の本質を探る手がかりとなる発言も多く興味深い」。
歌会始◆皇居・宮殿で翌年1月22日に催される「歌会始の儀」で、歌が詠み上げられる一般の入選者10人が決まり、宮内庁が発表。
靖国神社◆東京都千代田区の靖国神社の石柱にスプレーで落書きをしたとして、器物損壊と礼拝所不敬の罪に問われた中国籍の被告に東京地裁が「自らの主張のために違法行為に及ぶことは決して許されない」として懲役8月(求刑懲役1年)の判決を言い渡す。福家康史・裁判官が、「共犯」者らのうち、被告がスプレーを購入するなど「犯行」に不可欠な役割を果たしたと認定。法廷で自ら証言した「(東京電力福島第1原発の)処理水海洋放出に抗議する目的だった」との動機にくむべき事情は認められず、被害弁償もないとして実刑が相当と判断。
【12月26日】
徳仁、秋篠宮◆皇居・宮殿の小食堂「連翠」で、石破茂首相や閣僚らを招いた昼食会に出席。秋篠宮が同席。徳仁があいさつで「国務に精励されていることを誠にご苦労に思います。くれぐれもお体に気をつけてお過ごしください」。首相らとテーブルを囲み「懇談」。
悠仁進学◆筑波大(茨城県つくば市)の永田恭介学長が定例記者会見で、悠仁が翌年4月に進学することを受け、通学方法は未定とし「希望を言えば、寮に暮らしてもらえたらいいとの思いがある」。これまで通り学生以外も自由に出入りでき、警備員の巡回を継続するとし「『開かれた大学』が壊れるようなことはしない」。
宮内庁インスタグラム◆徳仁、雅子の活動の様子を中心に投稿する公式インスタグラムについて、宮内庁が4月の運用開始から半年間の状況を分析し公表。閲覧総数は延べ2億回を超え、高評価を示す「いいね」は約1900万件で、フォロワー数は約180万のうち、若年層(13~34歳)が30万人以上で、全体の17%となったと報道。
英国王◆チャールズ英国王が、クリスマス恒例のメッセージ動画を公表し、自身と皇太子の妻キャサリンが当年、がん治療を受けたことを念頭に「私と家族を支えてくれた医師と看護師に心から感謝する」。英メディアによると、英君主のクリスマスメッセージは、国王の曽祖父、ジョージ5世が1932年にラジオを通じて始めたのが起源で、ウィンザー城やバッキンガム宮殿など王室の所有地で事前収録するのが通例だが、当年は、以前は病院だった場所にあるロンドンの礼拝堂で収録され、国王は、6月に第2次大戦でナチス・ドイツに対する連合国軍の勝利を決定づけたノルマンディー上陸作戦80周年を迎えたことや、夏に移民排斥や反イスラムを訴える極右の暴動が相次いだことなどを振り返ったと報道。
対中関係◆1993年4月の米ワシントンでの日米首脳会談で、宮沢喜一首相が、中国が飛躍的な経済発展を遂げる可能性に言及した上で「軍事的野心を発揮していく余地は十分ある」との警戒感をクリントン大統領に伝えていたことが、当日公開の外交文書で明らかに。複数の元当局者や識者が「あの頃は想像もしなかった」と語る現代中国の軍事的台頭を、宮沢は約31年前に予見し、米国に警鐘を鳴らしていた格好で、当時の経済力は日本が中国を大きく上回っており、政治的には92年に天皇訪中が実現し、日中関係は比較的安定していたとみる向きが多いが、そうした時代背景の下で中国の軍事大国化を警戒した宮沢に関し、若月秀和・北海学園大教授(日本戦後外交史)は「当時としては少数派で珍しい。中国の未来を予知して当てている」と指摘すると報道。
【12月27日】
彬子◆宮内庁が、彬子が千葉工業大から10月に名誉博士の称号を贈られたと発表。彬子は2020年から千葉工業大の特別教授と地球学研究センター主席研究員を務めており、大学の教育・研究活動に寄与したことが評価されたと報道。
京都御所◆宮内庁京都事務所が京都御所(京都市上京区)で1月5日から9日まで、新春の特別企画として富士山のふすま絵(模写)を展示すると報道。元のふすま絵は幕末の安政2(1855)年、御所絵師の鶴沢探真が手がけ、京都御所の御殿の一つ「小御所」の中段の間にあったが、1954年に火災で小御所が全焼、ふすま絵も失われ、下絵が残っていたため58年、京都画壇を代表する絵師で品格のある優美な画風で知られる宇田荻邨が模写を完成させ、現在は、復元された小御所の中段の間(通常は非公開)に置かれていると報道。
【12月29日】
徳仁、雅子◆戦後80年の節目となる2025年、「先の大戦」の戦没者を追悼するため、広島、長崎、沖縄を訪問する方向で宮内庁が検討を進めていることが分かる。政府関係者が明らかに。関係者によると、例年式典に出席する国民文化祭が9月に長崎県佐世保市であり、これに合わせて長崎市の平和公園へ足を運ぶほか、広島、沖縄の訪問については夏ごろを見込んで調整を進め、広島は平和記念公園の原爆慰霊碑、沖縄は国立沖縄戦没者墓苑での供花などを検討していると報道。
佳子◆30歳の誕生日。共同通信が「この1年は約80件の行事に足を運び、国民との交流を深めた。宮内庁によると、能登半島地震や各地の災害で被災した人々を心配し、安心して暮らせるようになることを心から願っている。災害時を含め、社会のために力を注いでいる人々に敬意と感謝を持っているという」と報道。
佳子誕生日◆佳子が、30歳の誕生日を迎え、徳仁、雅子にあいさつするため、皇居・御所を訪問。車で半蔵門から入る。東京・元赤坂の赤坂御用地にある仙洞御所を訪れ、明仁、美智子にあいさつ。
カンタベリー大司教◆1170年の当日、英国の最高位聖職者であるカンタベリー大司教トマス・ベケットが暗殺される。国王ヘンリー2世の信望が厚く、大司教に任ぜられたが、王権と教会の権力を巡って国王と対立し、国王側近の騎士4人にカンタベリー大聖堂で殺される。
【12月31日】
修身◆1945年の当日、連合国軍総司令部(GHQ)が、修身、日本史、地理の教科を停止する指令を出す。軍国主義の根絶を図る教育改革の四大指令の一つで、日本史と地理は教科書改訂などを経て再開されたが、教育勅語を基礎とする修身は復活しなかったと報道。
「戦後80年」◆共同通信が企画記事「戦後80年」で「戦後80年、揺らぐ秩序/核の脅威、日本の発信課題  惨禍を回顧、継承模索」と題し、「1945年の第2次大戦終結から来年で80年。5千万人超とされる犠牲を生んだ惨禍を回顧し、揺らぐ国際秩序の再建を模索する1年となる。ロシアのウクライナ侵攻やイスラエルのガザ攻撃は続き、核兵器の脅威も増している。米中対立が深まり、日本周辺では中国の軍備増強に懸念が高まる。今年は日本原水爆被害者団体協議会(被団協)がノーベル平和賞を受賞。次世代への記憶継承が課題で、唯一の戦争被爆国である日本の発信力や実行力も問われる。/(略)80年の節目は相次ぎ訪れる。東京大空襲の3月10日や沖縄戦で旧日本軍の組織的戦闘が終結した「慰霊の日」の6月23日。広島、長崎への原爆投下の8月6日、9日を経て15日に終戦の日を迎える。天皇、皇后両陛下は来年、広島、長崎、沖縄を訪問される方向で宮内庁が検討を進めている」。

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