藤田康元(戦時下の現在を考える講座)
茨城県南を中心に活動している戦時下の現在を考える講座は、毎年2月と8月に、反戦・反天皇制・反ナショナリズムに関わるテーマで集会を行っている(8月には合わせてデモも行う)。今年は8月25日(日)に、茨城県つくば市でタイトル通りの集会・デモを行った。
今年のテーマに朝鮮人強制連行・強制労働を選んだ理由には、他でもなく、今年1月に群馬の森朝鮮人追悼碑を群馬県が行政代執行により暴力的に破壊したということがある。その報道やSNSの投稿を見たのをきっかけに、朝鮮人強制連行・強制労働の事実を知り、さらに理解を深めたいと思った人は若い世代を含めているはずだ。実は、このテーマを茨城という自分たちの地域に焦点を当ててやろうとしたことは以前もあったのだが、実現させられなかった。というのも、そのときはこのテーマに詳しい歴史家を呼ぼうとしたのだが、茨城県内についてこの問題を調べて著作がある歴史家というとおそらく一人しかいないという事情があった(注)。しかし今回は、群馬の追悼碑のように、強制連行され強制労働させられて亡くなった朝鮮人を悼む施設を茨城県で管理し、毎年慰霊祭を行っている団体にアクセスすることを考えた。結果、幸いなことに、茨城県朝鮮人慰霊塔管理委員会事務局長である張永祚(チャン・ヨンジョ)さんをお呼びしてお話をうかがうことができた。
現在78歳の張さんは、労務動員計画による強制連行が始まった1939年以前に朝鮮から仕事を求めて日本に来た父と母の元に生まれ育った在日朝鮮人二世である。生まれたのは常磐南部炭田に属す関本炭鉱(北茨城市関本)だそうだ。以下、張さんの話をまとめてみる。
茨城県内に強制連行されてきた朝鮮人は約6000人。強制労働の現場としては、羽田精機竜ケ崎工場、日立鉱山、海軍西筑波飛行場、常磐南部炭田、日立製作所水戸工場、日本通運土浦支店などが知られている。その中でも、最も多くの朝鮮人が連れて来られて強制労働させられたのが日立鉱山で、記録によれば4537人だという。日立鉱山に最初に朝鮮人が連行されたのは1940年2月で、1945年1月まで15次にわたる連行が繰り返されたという(1940年3回、1941年2回、1942年3回、1943年3回、1944年3回、1945年1回)。戦時下の日立鉱山において、日本人を含めた全鉱員のうち強制連行された朝鮮人・中国人は三分の一以上であり、坑内鉱員に限れば半分以上。鉱山における労働は過酷で、事故、虐待、過労により多数の命が失われた。しかし、現在、鉱山跡地にある日鉱記念館の展示には朝鮮人強制労働についての記述はないという。
日鉱記念館の近くには、元は鉱山で亡くなった労働者を焼く火葬場の待合場だったという本山寺があり、そこの以前の住職は、身元受取人のない朝鮮人の遺骨を安置し、供養をしてくれたという。その事実を知った在日一世が遺骨や無縁仏を弔うために作ったのが、日鉱記念館から直線で南に7kmのところに位置する平和台霊園内の朝鮮人納骨塔で、1979年に建立された。さらにそれが修復・整備されるかたちで2006年に茨城県朝鮮人慰霊塔となった。慰霊塔では毎年9月に「茨城県朝鮮人戦争犠牲者慰霊祭」が行われている。
質疑応答の時間に出た質問に答える形で語られた張さんの生い立ちに関わる話が興味深かった。張さんが最初に通った地元の小学校では民族名を隠して「張田」という日本名を使っていた。それでも「くさい」などといじめられたという。途中で水戸の朝鮮学校に移ってからは、周りがみな民族名を堂々と名乗る同朋ばかりであることに感激したそうだ。そこから自民族の歴史的理解も深めていったそうである。
質疑応答でもうひとつ論点になったことで、1939年以前の強制連行・強制労働の実態はどうだったのかという問題がある。これはビラ文作成の段階で主催内部でも議論したことだ。大日本帝国は朝鮮植民地化の初期から、土地調査事業によって朝鮮人から農地を奪い、朝鮮半島と日本内地での労働力を調達していた。その過程で、なんらかの形で強制連行・強制労働は起こっていたはずである。しかし、少なくとも歴史研究では「強制連行」「強制労働」という言葉は1939年の労務動員計画以降に募集、官斡旋、徴用と進んでいった動員に使うようなので、混乱を招かないように、私たちも慎重な言葉遣いをすることにした。実際、当日の会場でも1939年以前の強制連行・強制労働を示す史料はなかなかないという話になった。この点はもう少し調べて考えてみたい点である。
21人の参加となった集会のあと恒例のデモを行ったが、日程がつくば駅周辺で行われるお祭りと重なってしまったため、駅から離れた人気のないところを歩くことになってしまった。来年は日程に気を付けたい。また、いつもの課題であるが、県内からの参加が少なかったのは残念であった。それでも、パレスチナ問題に関心をもったことがきっかけでこの集会を知り、デモにも参加してくれた20代の若者が(東京からとはいえ)いたのはよかった。
今年の「茨城県朝鮮人戦争犠牲者慰霊祭」は9月28日(土)11時から行われる。私は初めて参加してみるつもりである(主催の片割れは「反黙祷」のアナキストなので参加はしないのではないかしら)。
(注)その歴史家とは『茨城県における朝鮮人中国人の強制連行』(ロゴス、2011年)を著書として持つ相沢一正さんである。相沢さんは日本原電東海第二発電所がある東海村の議員を何期もとつめられた方で(現在は議員は引退)、東海第二原発の再稼働を阻止する活動で忙しいので、朝鮮人強制連行のテーマでの講演を引き受けている時間はないとのことでした。