広島G7サミットでのあるゴマカシ——「過ち」の英訳をめぐって

上坂類

広島でのG7サミットからひと月ほど経ったある日、『現代ビジネス』(オンライン)に「『Evil=悪魔』か…? 岸田首相が原爆慰霊碑『過ちは繰返しませぬから』の英訳で講じた『秘策』の中身」と題する文章が掲載された。
https://gendai.media/articles/-/112054

まずはその中身をかいつまんで紹介しておく。

筆者の長谷川学によれば、広島でG7サミットを開催するにあたって、岸田文雄首相にとっての「最大の頭痛の種は、広島市が1950年に建てた原爆慰霊碑の文言の内容を各国首脳にどう説明するか」だったという。【注:長谷川は1950年と誤記しているが、実際の建立は1952年】

この慰霊碑には「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という有名な碑文が彫ってあるが、1983年に広島市が慰霊碑近くに設置した英文の説明版ではこう英訳されている。

Let All The Souls Here Rest In Peace; For We Shall Not Repeat The Evil

長谷川の文章をそのまま引くと、「問題は、説明版が『過ち』を『悪魔』や『邪悪』という意味を持つ “Evil” と英訳していること。もし、この英訳を、バイデン大統領ら核保有国の首脳が読んだら、『日本人は核保有国を悪魔とみなしている』と受け取られる恐れが多分にあった」。ちなみに、ブッシュ米大統領がイラクや北朝鮮などを「悪の枢軸」と呼んだときの「悪」が、この「evil」である。

ここで助け舟を出したのが藤田幸久<https://y-fujita.com/profile/>だ。長谷川は藤田の経歴をあまり詳しく紹介していないが、藤田は、民主党→民進党→国民民主党→立憲民主党と渡り歩いた元国会議員。民主党政権時には財務副大臣の要職も務めた。2021年の衆議院選挙で落選し、現在は国際NGO「国際IC日本協会」の会長などを務める。経歴だけ見るといちおうリベラル系だと言えよう。

さて、その藤田がどんな助け舟を出したかというと、国際IC推進議連の中曽根弘文会長と森山浩行事務局長の仲介で4月21日に岸田首相と会い、「過ち」を「evil」ではなく「mistake」と訳すよう提案したのだという。藤田は、広島市の浜井信三市長(1947-55年、1959-67年に在任)が「過ち」を「mistake」と訳すべきと考えていたことを根拠としていた。

ただし、碑文に対して「evil」という訳を公式の掲示板で与えているのが広島市なので、松井一實市長に藤田本人が電話で確認を取ったところ、「mistakeの方が碑文の本来の意味に近い」と答えた。G7サミットで首脳らが平和記念公園を訪問した際は、松井市長が碑文について説明し、外務省の通訳は「mistake」と訳したという。

もっとも、これが岸田首相の求める効果を持ったのかどうかまでは、長谷川の文章からはわからない。

長谷川はもうひとつ、そもそも「過ち」がなぜ「evil」と訳されたのかについて紹介しているが、広島市市民局平和推進課によると、「碑文の考案者でもあり、英文学が専門の雑賀忠義(さいか・ただよし)広島大教授が、米国の大学関係者に意見を求めるなどして練り続け、最終的に決定したもの」なのだという。

この一連のことが「いい話」として紹介されていることにまず私は違和感を持った。実際に長谷川は、この文章が世に出たところで被爆地や被爆者からの反感を買うことはなく、むしろ評価されると考えたのだろう。文章を掲載した『現代ビジネス』にしても同じことだ。

そこで、この「過ち」の英訳が正しいのかどうか、私なりの考えを書いておく。

「evil」が「邪悪」などのかなり強い語感を持つ単語であることは長谷川の説明したとおりだ。

では、その代替案として出された「mistake」はどうかというと、主要な英英辞書(いずれもオンライン版を利用)はこのように定義している。

・メリアム・ウェブスター
a wrong action or statement proceeding from faulty judgment, inadequate knowledge, or inattention
(誤った判断や不適切な知識、不注意から生じる、間違った行動や発言)

・ケンブリッジ
an action or choice that you later wish you had not done or made
(やらなければよかったと後悔するような行動や選択)

これらに共通するのは、「そのつもりではなく、あることを言ったりやったりしてしまったが、自分の意図とは違う結果が生じてしまった」というニュアンスだ。初めから相手に危害を与えるつもりでいて、所期の目的どおりそれを達成するというニュアンスの「evil」とはだいぶ違っている。

では、広島・長崎への原爆投下が実際にどちらに近かったのかというと、上記の意味でいう「mistake」でないことは明らかだろう。アメリカは、日本の都市を破壊するという明白な意図をもって原爆を投下し、その意図通り破壊に成功したからだ。決して、大規模な破壊をもたらすつもりではなかったのに、うっかりそうなってしまった、というようなことではない。

実は、雑賀忠義教授は、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」の碑文が発表された1952年ごろには、「過ち」の訳として「fault」を用いていた(日本経済新聞夕刊、2010年7月30日)。

そこで次に、主な辞書による「fault」の定義を見ると、こうなっている。

・ロングマン
if something bad that has happened is your fault, you should be blamed for it, because you made a mistake or failed to do something
発生した何らかの出来事があなたの「fault」だとしたら、あなたはそれに関して非難を受けねばならない。なぜならあなたは「mistake」を犯すか、何らかの不作為があったからだ。

・dictionary.com(ランダムハウス系列の辞書)
responsibility for failure or a wrongful act
不作為あるいは間違った行為に対する責任

ニュアンスとしては、おおむね「evil」と「mistake」の中間ぐらいといってよさそうだ。過失や不作為(何かをしなかったこと)があって、その結果として生じたことに対して、責任を取らねばならない、という意味合いだ。「責任」という要素が入ってくる分、行為者にとって「mistake」よりはいくぶん重い中身になっている。

こうして見てくると、「過ち」の英訳をめぐって、「誤訳」が意図的に提案されて、渡りに船とばかりに政府と広島市がそれに乗っかった、という構図が見えてくる。

結局のところ、こういうゴマカシを積み重ねながらでなければ、広島G7サミットは実現できなかった、ということだろう。広島平和記念資料館の訪問や被爆者との面会について、首脳らの反応を公にすることを頑なに日本政府が拒絶していることも、こうしたゴマカシの一環だ。

同時に、「被爆地を訪問すれば、被爆の実相が理解され、核廃絶を願うようになる」とする想定があまりにも単純素朴であることも明白になったのではないか。被爆地に来たことが「核廃絶に向けて努力している」という「やったふり」アピールだけに使われることもあるのだ。

そういえば、昭和天皇も、広島や長崎に何度も訪問しているし、その中で被爆者にも会っているが、「原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾に思っていますが、こういう戦争中である事ですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないと思っております」と結局は発言していたっけ(1975年10月31日の記者会見)。

行為者の責任を問わずして、その行為の結果として生じた事態の悲惨さだけを人類普遍の教訓として一般的に昇華させるこころみは、何とも空しい。

 

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