タイム イズ マネー 時は金なり 文際学園は時間を組合に返せ

ベンジャミン・フランクリンは、「タイム イズ マネー」と言った。

これはアメリカが経済至上主義の社会になっていくであろうという予測と時間をさえ合理的なものとして認識していかざるを得ない現実を言葉にしたものであった。

それはチャップリンのモダンタイムスが描いている巨大な歯車にはさまれる人間のモチーフとも重なるものだ。

さて今回の文際学園に対する2件の不当労働行為の高裁判決が持つ意味は大きい。

なぜならば2006年の伊勢理事長大阪襲来からずっと労働条件のことで闘ってきて、2013年にはストライキをやり、そしてやっと2018年に高裁判決で「再雇用は組合との義務的団交事項」「財務諸表を組合に閲覧させなければならない」「合同労組は私立学校法での学校の利害関係人である」というごく当たり前のことについて結論がでたのだ。

職場ではなしていると、なぜこのような当たり前(自明)なことについてここまで争わなければならなかったのかという話になった。

本当に自明なことだったのだ。私が人に言うと、「それは当然でしょ」「それは勝てるでしょ」という声が聞こえてきて、「しかしその当たり前のことを文際学園が認めないので、こんなに被害を受けているのです」と言ってもなかなか理解してもらえず苦労した。

なぜかと言うと再雇用であろうとなかろうと労働条件であれば、通常の労使慣例や労働組合法では団体交渉事項であるに決まっているし、事前協議約款という労働協約を結んでいれば、当然協議する事項であるに決まっている。

しかし文際学園は「定年時の再雇用の労働条件は義務的団交事項ではない」と団体交渉で言い切ったのだ。そして3年。

また財務諸表のことで言えば、伊勢理事長が来てから、就業規則を改悪して労働条件は悪くなるし、昇給はなし、一時金は0.1ヶ月まで下がるし、職場の会議はことごとくなくなるし、風通しは悪くなった。とにかく労働環境がものすごく悪くなったのだ。

大阪外語分会を作ってから7年間は少しずつ労働条件を良くしていって、労働協約も結べ出したと思ったら、金星からのキングギドラの襲来である。

すべてをぶち壊し、文際学園の理事会も歩かないかわからない状態に。

つまり実質的な独裁状態になったのだ。

伊勢独裁となったのである。

このような過酷な状態に耐えてきた中での今回の判決である。

画期的と呼ぶにふさわしいものなのだ。

しかし当たり前のこと、自明なこと、もっと言えば、組合がある職場ならば、暗黙知であることなのだ。

それを文際学園は、12年間続けてきたのだ。団体交渉で言い放った言葉を忘れない。

「合同労組は利害関係人ではないので、財務諸表は見せられない」「定年時再雇用の労働条件は、新任採用と同じで学校の専決事項、交渉する必要はない」このような不当労働行為によって組合員は不当な労働条件で現在も働き続けている。

文際学園は組合と組合員に時間を返さなければならない。