『煉獄のパスワード』(7-8)

電網木村書店 Web無料公開 2006.6.6

第七章 Xデイ《すばる》発動計画 8

 その夜、智樹は千歳と一緒に事務所の宿泊室に泊まった。

 翌朝、食事の後でお茶を飲んでいた時、ブザーが鳴った。来客である。千歳が中庭を通って門を開けに行く。戻って来た千歳は、両手に封筒と便箋を持っていた。すでに一読したのであろう。智樹の顔をじっと見詰めて手紙を渡し、無表情で静かに言う。

「北園夫妻からの便りです。影森さんも読んで下さい」

 智樹は無言で受取った。便箋が二枚。決して達筆ではないが、几帳面な字が並んでいた。清書という感じがする。何故か不吉な予感がした。

〈大変お世話になりました。お礼の言葉もありません。

 お陰様で母にも会えました。

 禄朗のことも詳しく真相を話しました。ただただ涙でした。

 張家口も訪れ、蒙疆のかってのケシ栽培地を通りました。ここで私は生れたのです。私は中国で生れたものの、三歳で日本に渡ったままでしたので、中国の大地についての記憶は全くありません。地平線まで広がる大地の光景には本当に圧倒されました。

 ウルムチからイニンに向かう烏伊公路を走り、北疆鉄道と何度も交差しました。中ソの対立の最中、すでに三十数年を要した大陸横断鉄道の連結が完成間近とか。この世の見納めに建設現場まで行って見ました。大地の広さとともに雄大な歴史の流れを目撃した思いです。

 秋天曠野行人絶ゆ、の地。

 生ける者は過客たり、死せる者は帰人たり、天地は一逆旅、ともに悲しむ万古の塵。

 初めて本当の天地を見たような心地です。天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり、という言葉を生んだ風土の実感を噛みしめています。

 もう一度ウルムチに戻り、新疆ウイグル自治区の名産ハミウリと羊の皮製の水袋を沢山仕入れました。水とガソリンを満載して、これからいよいよタクラマカン砂漠です。亜登美は良く持ち堪えています。やっと最終目的地に達するのです。

 この手紙が届く頃には、砂漠の炎熱の乾いた空気の中で冷たい水を飲み、冷えたハミウリを口にするという我が人生最高の至福を味わっている筈です。

 私達を捜さないで下さい。ご迷惑を掛けたくないのです。なにしろタクラマカン砂漠の総面積は四〇万平方キロ。日本列島全体の三七万平方キロよりも広いのですから。

 最後のお願いです。私達には一人も相続人がいませんので、わずかな遺産ですが、蒙疆アヘンの研究に役立てていただければ幸いです。

 では、さようなら。お元気で。ウルムチにて、

 北園 和久

 北園亜登美

 千歳 弥輔 様〉

 智樹は頭から血がすうっと引くのを覚えた。

「千歳さん。これは、……どうやら遺書のように思えますが、……」

「そうです」

 千歳は深くうなずき、手にしていた遺言書を示した。

「これが同封されていました。自分には予感があったのですが、彼等を止めることはできませんでした」

「何故ですか。禄朗や弓畠耕一の死が原因ですか」

「それも加わっているでしょう。しかし、あの夫妻がこういう形の死を決意したのは、かなり前だと思いますね。多分、ランドクルーザーを買う以前からでしょう。あれは砂漠を走るためのものですから」

「西域で死にたいと決意していたのですか」

「西域というより、砂漠そのものにあこがれていたようですね。ランドクルーザーの性能の話と一緒に、ハミウリと羊の皮袋の水の話を聞きましたが、あれは禄朗が死ぬ以前でしたよ。気温が高く湿度が極端に低い砂漠地帯に行くと、日本では考えられない現象が起きるんです。ハミウリでもスイカでも良いんですが、わざと日向でザクリと割って並べる。日本でなら暖かくなってしまって気持ちが悪い、食べられたものじゃないと思うでしょ。ところが砂漠では逆なんです。急速に水分が蒸発して大量の蒸発熱を奪うために、ハミウリが頃合に冷えて、とても美味しいんです。自分も一度だけ味わったことがありますが、本当に舌が落ちそうな感じがしましたよ。羊の皮袋の方は、素焼きの壺でも良いんです。これも浸み出した水分の蒸発で、中の水が冷えるんです。もちろん砂漠の民は大昔から、この知恵を生かしていたわけです」

「砂漠の天然クーラーですか。聞いただけで喉がゴクリと鳴りますね」

「そうです。和久さんは、とても楽しそうに、夢見るようにこの計画を話していましたよ。今思えば、それを味わってから、静かに死を待つ積りだったのでしょう。炎熱の砂漠で喉の渇きを癒す。……本当は、精神的な渇きを癒したかったのではないでしょうか。……実際には、夜は零度以下に冷えこむし、激しい砂嵐で小石が飛んで、車のガラスもコナゴナに割れるような場所ですがね。……彼等が死に憧れ始めたのは、亜登美さんの方の病状が絶望的になったのがきっかけでしょう。原爆症ですね。子供の頃から普通ではなかったそうです」

「和久は心中ですか」

「まあ、そうでしょうが、……。別にはっきりそう打明けてくれたわけではありません。ただ、自分には直感がありました。二人は羨ましいぐらいに愛し合っていました。いたわり合っているようでした」

「いたわり合っていたというと、和久にも何か病気があったのですか」

「和久さんは精神的に病んでいたと思います。自分は医者ではありませんが、若い頃に哲学をかじりましたので自殺の心理には興味を抱いています。それに、この年ですから、人の心の動きはかなり読める積りです。北園夫妻とは知合って間がありませんが、色々と人生を語り合いました。自分は、断片的な話から自分なりの推測をしていました。和久さんの心の病は亜登美さんへの愛と深く関わっていますね。……

 亜登美さんについてはご存知だと思いますが、全くの孤児ですね。親を捜そうにも何の手掛りもなかった。広島のことは良く調べた。一番胸を突かれる思いをしたのは、広島に、軍港の仕事に強制連行されてきた朝鮮人や中国人が沢山いたという事実を知った時だそうです。当時の広島には朝鮮人が八万人もいたそうですね。……

 亜登美さんはそれを知った時、突然、もしかしたら自分は日本人ではなくて、そういう朝鮮人か中国人の子供だったのかもしれない、と思いが突き上げてきたと語っています。その思いは、中国で生れて母親と別れた和久さんの複雑な家庭経験と結び付いていたのではないでしょうか。

 二人の愛情の奥底には、そんな悲しい幼児体験の交流があるように思えました。だから二人は人一倍、平和運動にも熱心だったし、それが唯一の生き甲斐でもあったのでしょう。亜登美さんは子供を作れる躰ではなかったようですからね。ところが、どうも推察すると、和久さんはその肝腎の平和運動の関係で、絶望的な挫折を味わったらしいんです」

「挫折ですか」

「ええ。かなり深い心の傷を負わされたようですね。……影森さんは、日本の末永教科書裁判をご存知でしょうか」

「はい。一応は」

「和久さんは教科書出版会社の編集部員で、あの末永教授が執筆した高校用の日本史教科書を担当していたんです」

「えっ。これはまた、因縁の深い話ですね」

 智樹は、弓畠耕一と末永教科書裁判の関係を話した。話が東京高裁で末永教授を勝たせた海老根判事の死因に関する疑惑に及んだ時、千歳はキッと目を鋭くした。

「そうですか。それでは北園夫妻の直感が当たっていたのかもしれませんね。彼等も死因に疑いを抱いていたのです。あの裁判には彼等なりに人生を賭けていたわけですからね。弓畠耕一があの最高裁判決を出した時の裁判長だったことにも、非常な因縁を感じていたようです」

「きっと、その点でも弓畠耕一を恨んでいたのでしょうね」

「そうだと思います。それだけの想いはあったはずですから。……あの教科書の問題部分に蒙疆、いや内蒙古という表現でしたか、日本が戦争中にアヘンを大量生産したというくだりがありますね。あの部分はむしろ和久さんの注文で末永教授が書き加えたものだったそうです。その他の問題も含めて和久さんは、日本が犯した残虐行為の追及に熱心だった。平和運動でも、原爆や大空襲の非人道性を追及するのは当然だが、その前に、日本人が加害者だった点への反省が欠落しているのではないか、という不満を覚えていたようです」

「その点は、最近日本でも反省が出ているようですが」

「はい。しかし、それはおおむね、日本の教科書などへの批判が中国や朝鮮から出た以後のことでしょ。自分達から見ると、国際的な批判に押されてやっと、という感じがありますよ。……

 和久さんの主張は日本国内では、少し時期尚早だったのかもしれませんね。しかも彼の心の奥底には強い自己嫌悪が潜んでいました。きれいな言葉でいえば自責の念ですね。和久の母方の祖父は満州のアヘン商人です。父親は軍法会議に掛けられて処刑された。親戚筋の噂だけで真相は分らなかったが、ともかく家族は不名誉な秘密を抱えていました。……? 大部分の日本人は、島国の日本国内の日本人だけの村社会で育っていますから、和久さんとは気持ちが通じない部分がかなりあったのでしょう。主張の正しさは認めるけれども大衆的には目標が高過ぎる。加害者の自覚を無理に押付けると、被害者意識で立上がっている大衆の気分に水を差す結果になる。和久さんは仲間からそういう批判を受けたようですね。問題は、それが単に批判とか議論だけで終わらなかったことなんです。和久さんはその頃、組織運動の責任者の位置から外されたのです。理由として上部の指導者から説明されたのは、重要な教科書の編集にたづさわっているのだから会社での立場を大事にせよ、ということだけでした。ところが後になって、それが口実に過ぎなかったということが分ったのです。和久さんが仲間に議論を吹っ掛け過ぎる、運動のやり方が強引だ、といった類いの不満が一部にあった。和久さんが熱心過ぎたのが逆目に出たわけです。それを正面から議論せずに、官僚的で姑息な手段で排除したということですね。……

 私のように色々な組織での経験をしていると、どこにでも良くある話だと思えるのですが、和久さんは大変に傷付き易い心の持主でしたから、これを乗り切れなかった。彼は孤児として祖父母に育てられたわけでしょ。ひとりっ子ですよね。だから、純粋過ぎたんです。しかもその時には、最も良き理解者である亜登美さんの病状が、その後ますます悪化した。だから、やり切れない気持ちの吐け口を失ってしまったのです」

「心を閉ざしてしまった、ということでしょうね」

「そうです。自分は、スターリニズムや文化大革命で起きたことに較べれば、ものの数ではないという話をして、和久さんの気持ちを解きほぐそうと試みたのですが、全然効き目が現れませんでした。哀しい目を向けられるだけでした。自分が初めて会った時から、和久さんの心と外界とのつながりは、弓畠耕一から真相を聞き出そうという計画だけでしたよ。劉玉貴の出現は、和久さんが死を決意した後のことです。かなりのショックではあったようです。中国で死んだと聞かされていた母親が、まだ生きていた。異父弟がいた。父親の処刑の真相が少し分ってきた。弓畠耕一の裏切り行為があったらしい。……これが最後の心残りになったようです」

「ショック療法にはならなかったのですか。生き続けて真相を完全に解明しようという気にはならなかったのですかね」

「いえ。それは難しかったでしょう。ショックが複雑ですからね。誰でも、死んだと聞かされていた母親については、いささか美化して考えるでしょう。ところが、その母親が生きていて、異父弟がいた。父親の処刑は無実の罪かもしれないが、裏切り者の弓畠耕一と母親の関係となると、また新たに知らされた辛い秘密です。真相を明らかにすることは、同時に、家族の恥を天下に曝すことにもなりますからね。だから和久さんは自爆する覚悟で計画を立てた。あの失敗した計画は、和久さんにとって、死に際の最後の勝負だったのではないでしょうかね。弓畠耕一が死んでいるのを発見した時、和久さんの目の中で最後のエネルギーがすうっと消え去るような感じがしましたよ」


(7-9) 第七章 Xデイ《すばる》発動計画 9