『煉獄のパスワード』(9)

電網木村書店 Web無料公開 2006.6.6

終章 枯葉の伝言

 華枝は静かに眠り続けていた。

〈かなり疲れていたのだろう〉と智樹は思った。

 興亜協和塾の一日を恐怖の頂点として、華枝も生れて初めて身の危険を覚える実戦に遭遇したのだ。神経が参ったに違いない。

 だが智樹は、もう一つ、華枝が隠し続けている躰の秘密を知っていた。

 出発の前夜、智樹は留守中の指示を与えようと思ってヒミコの前に座った。その時に、画面の右手の箱に赤いランプが点っているのに気付いたのである。箱は、《いずも》の依頼で試験的に取付けた総合監視システムである。赤ランプが点るのは初めての経験だからハッとした。監視記録を画面に呼出して見ると、必ずしもハッカーともヴィールスともウァームともいい切れないが、不審なデータの動き方が記録されていた。そして最後にメッセージが出てきた。

〈掲示後に消去の指示が出た伝言を、そのまま保存してあります〉

 呼び出してみると、華枝からの時限伝言だった。受信した日時は、華枝が興亜錬成塾に監禁された直後になっている。最初にプログラムの指示が書き込まれている。二十四時間経っても消去の指示がなければ伝言が画面に現れるようになっていた。華枝は万一に備えて、このヴィールスまがいの伝言を、かねてから用意していたのだ。そして、この伝言を先に送って置いてから、智樹があの時に目にした通常の伝言、〈トモキへ。こちらハナエ。助けて。……〉を送り始めたのだ。

 内容の前半分は、あの後に智樹が車で受けた華枝の調査経過だった。華枝は逐次データを追加して電子手帳用のカードに記録していたのであろう。だから達哉が感心したように見事に整理されていたのだ。最後は、智樹への遺言であった。

〈………。万一の場合、トモキが余計に悲しまないようにと思って、告白して置きます。お腹の子供は私が自ら望んで授かったものです。トモキに結婚を強いる積りはいささかもありませんでした。妊娠が確かだと分ってから、とても幸福な毎日でした。だから、あまり嘆かないでね。それと、私が命を粗末にしたといって怒るのも駄目よ。運命なのだから。では、お元気で。煉獄の橋のたもとで、いつまでも待っています。パスワード忘れないでね。ハナエより〉

 華枝は危険を脱した後、この時限伝言を消去する指示を送ったのだ。その指示に逆らう監視システムがありうるなどとは、考えてもみなかったのであろう。そして智樹は、図らずも盗み見ることになってしまった可愛い遺言を、そのまま心の奥底に秘めた。華枝にも、そのことは黙っていようと決心したのである。

 智樹の視線は無意識に、眠っている華枝の下腹部を撫でていた。

〈まだ何ヶ月にもなっていないはずだな。結婚を強いる積りがないということは、イコール、華枝の方で結婚を拒否するという意味ではない。華枝も形式は嫌いな方だが、やはり心の底では正式な結婚を望んでいるのだろうか。しかし俺は、間接的とはいえ妻殺しの負目を捨てきれない。華枝は、事故の結果とはいえ子殺しを忘れられない。こんな二人が結ばれても、本当に幸せな家庭を築けるのだろうか〉

 智樹には全く自信がなかった。仕事の危険性という問題もあった。年も相当に離れているし、もともと自分は家庭生活には不向きな男なのだと結論付けてもいた。

 しかし智樹は思い直した。

〈時間はたっぷりある。とりあえずインドで落着いて考えよう。もしかしたらタントラ美術とか宇宙の再生の神話とかが、俺の人生観を変えてくれるかもしれない〉

 

 達哉はレ・ルグレのカウンターに座っていた。

 ステージには万里江が上っていた。ジョルジュのアコーデオンが前奏をかなで始めると、達哉の全身には、なつかしさが滲みわたった。

《枯葉》である。

「(ああ貴方、私の切ない願いだから、私達が愛し合っていた幸せなあの頃を思い出して欲しいの)……」

 万里江が《枯葉》を原語で歌うようになってから何年経ったのだろうか。達哉が最初に万里江の歌を聴いた時には日本語の訳詞だった。舞台は新宿の小さなシャンソン喫茶で、客席と同じ高さのフロアのピアノに寄り添って歌っていた。あの時、万里江は離婚してレヴューガールから歌手に転向したばかりだった。同窓会で華やかに近況報告し、賑やかにオタマジャクシ入りの名刺を配った万里江の誘いに応えて、達哉は四、五人の友人を連れて行ったのだった。歌声の哀しい響きに、万里江の外見と似合わぬ心の奥底を覗く想いをしたものだった。

 その次に銀座の少し大きなシャンソン喫茶で聴いた時には、もうフランス語で歌っていた。まだ、あまりこなれているとはいいがたかったが、万里江が歌手として一流を目指している気持ちが伝わってくるような気がした。

 レ・ルグレのマダム兼歌手になってからも、達哉は何度か万里江がフランス語で歌うのを聴いた。《枯葉》は、今だに年間著作権料世界一の座を譲り渡さないというポピュラーな名曲である。万里江もこの歌を特別扱いにしていた。目立たぬようにだが、メイン・ステージの趣きを漂わす演出を凝らしているようだった。

〈何度聴いても良いものだ。聴く度に万里江はうまくなるし、歌詞の味わいも深まってくる。……

 あれは、いつのことだったかな〉

 達哉は《枯葉》の歌詞について交わした会話を思出していた。レ・ルグレがはねた後で万里江だけでなくジョルジュも加わって、数人の仲間と一緒に食事した時のことである。《枯葉》の中の〈メ・ラ・ヴィ・セパール・ス・キ・セーム〉を直訳すれば、〈人生が愛し合う二人を引き離す〉のであり、日本語の〈生き別れ〉に当たる。フランス語にも〈生き別れ〉と〈死に別れ〉の区別があり、直訳では別れた二人が生きていることになる。ところが達哉が別のシャンソンの解説を読んでいたら、フランスの詩では〈死〉という言葉の暗い響きを避けるために〈生〉で〈死〉を暗喩する場合があると説明していた。

《枯葉》の場合はどうだろうかという疑問を達哉が投げ掛けたので、いささか議論になった。

 ところが、フランス人のジョルジュが、〈うーん〉とうなったまま黙り込んでしまったのである。ジョルジュは日本語もかなり解するから、会話に困ることはない。しばらくして、

「歌詞を付けたのはジャック・プレヴェールですからね、そういう解釈もできるかもしれません」

《枯葉》はダンス曲の方が先にあって、歌詞が後から付けられている。その歌詞の作者が〈詩人として超一流のジャック・プレヴェールだから〉、という意味である。だが、達哉の友人の一人は、さらにそれに逆らった。

「詩の解釈は聴くものに委ねられるべきだよ。母国語だからといって、ジョルジュが一番深く解釈できるとは限らない。しかも、〈枯葉〉の〈レ・フイユ・モルト〉は、日本語の〈枯れた葉〉じゃなくて〈死んだ葉〉だからね、すでに〈死〉は暗示されているんだよ」

「生き別れでも死に別れでも、どちらでも良いんじゃないの。解釈は聴く人の自由よ。私も自分の気持ちで歌うだけ」

 万里江がそういって、皆がうなずき、その場の議論は終った。

〈万里江の気持ち、か〉と達哉は今も思う。

 万里江が十九歳で結婚した相手のドラマーは、離婚後も艶聞を重ねては芸能雑誌を賑わせていたが、胃ガンを患って早死にした。

〈万里江は今でも彼に惚れているな〉と達哉は歌を聞きながら感じ、密かに苦笑した。

〈愛には色々な形がある。俺は、シラノ・ベルジュラックほどドラマチックじゃないが、永遠の求愛者といったところが似合いの役柄かもしれないな〉

「(そして波が、海辺の砂浜に残された二人の、別れの足跡を消し去ってしまう)」

 華枝の歌の余韻に浸る達哉の瞼の裏に、海辺の砂浜が映った。

 砂漠の砂が舞った。北園和久と亜登美の静かな死に顔が、ゆっくりと砂に覆われていく様が見えた。

〈これはまた、会う前の死に別れだ。……生きている内に彼等と会いたかった〉

 達哉には北園和久が味わった苦しみと共通する経験があった。それを心ゆくまで語り合ってみたかったと思うのである。北園夫妻と劉玉貴の運命のはかなさが身にしみる想いだった。

 目を開けると、ステージを降りた万里江が常連客に愛想を振り撒きながら、こちらに歩いてくる。

 達哉も笑顔で迎えようとした。だがなぜか、万里江のあでやかな笑顔が涙でぼやけてしまう。万里江の顔が、ハルビンで会った劉淑琴こと西谷奈美の顔と重なって見えてくるのだった。

 ハルビンにも、かつての蒙疆地帯にも、いずれは取材の旅に行かなければ、……

〈なにも俺が泣くことはないんだがな……〉

 と心の底に思いつつ、達哉は、胸の隅々にまで広がっていく哀しみを堪え切れずにいた。