『煉獄のパスワード』(0-2)

電網木村書店 Web無料公開 2006.6.6

序章 免罪の貢ぎ物

 ドキン、ドキン、ドキン。

 過去をえぐる連打の響きが背後から容赦なく迫ってくる。

『週刊パスワード』最新号のページをめくる智樹の心臓は急速に鼓動を早めていた。

 二時間も前に電車の中吊り広告で知った特集記事の内容が気掛りだった。一刻も早く読みたかったのだが、華枝と待ち合せたリムジンの乗り場に行くまでの間に見掛けた売店はすべて、まだシャッターを降ろしたままだった。時間が早過ぎたのだ。〈これじゃ、機内サービスには間に合わないかもしれないぞ〉と心配になった。

 成田国際空港のロビーの売店では、届いたばかりの荷を解いているところだった。

 やっと搭乗直前に求めることができて一安心した。ここで買い損ねれば、この週刊誌を手に取れるのが何時のことになるか分らない。長旅の間中、頭の隅にこんな特集記事の大見出しと宣伝文句だけが引っ掛かっているのは御免だった。

〈うずしお航泊日誌改ざんは艦隊司令指示の決定的証拠出現――無線マニアが録音した横須賀基地とのスクランブル暗号無線通信を、パソコン・マニアが一年がかりで解読〉

 華枝が横からのぞきこみ、軽く肘でこづいて笑う。

「ウフフフッ……。トモキもやっぱり日本の男なのね。ワーカホリックよ。……なにもかも忘れてハナエと二人だけの旅に出よう、なんて珍しく粋なことおっしゃったのは、一体どこのどなただったのかしら」

 華枝は智樹の関心の真の理由を知らないのだった。

 智樹は黙ってウィンクで応え、苦笑のまま記事を目で追った。

 一年前に東京湾で、海上自衛隊の巡洋艦うずしおが民間の湾内観光船江戸丸に衝突し、江戸丸の乗客が百人以上も溺れ死んだ。うずしおは艦側が少しへこんだだけで、負傷者も出なかった。当然、連日のように新聞のトップを飾り、テレビのワイドショーや特別番組で取上げられる大騒ぎとなった。

 海難審判の一審では、うずしおと江戸丸の両者に衝突回避動作のミスがあると判断された。事件報道としてはすでに過去の話に属し、地味な扱いになっていた。

 ところが二審になってから予想外の大異変が起きた。事件はまた連日のトップ種に返り咲いたばかりか、事故発生当初よりも重大な政治問題にまで発展し出したのである。

 新たな騒ぎの発端は、うずしお乗組員の内部告発であった。当時の乗組員だった海曹が事件をきっかけに退官していて、江戸丸側の申請で証人に立った。衝突事故の直後に〈清書〉の名目で航泊日誌を改ざんし、衝突時間の記録を二分後に遅らせたと告白したのである。

 一分毎にローマ字の略号などで記入し続ける航泊日誌は、海上自衛隊の内部規則に則った公式記録である。民間船の江戸丸の方には、そのような細かい記録はない。江戸丸の船長以下全乗務員には、衝突の前後に時計を見たとかいう記憶による証言以外には決め手がなかったのである。だから海難審判では、うずしおの記録が衝突時間に関する証拠として採用され、それに基づく判断が下されていた。

 二分の遅れは重大であった。これによって、うずしおの側の衝突回避動作の開始が、衝突の〈わずか三十秒前〉から〈二分三十秒も前〉に引き伸ばされていたのである。

 海幕長の酒田海将が記者会見し、渋々ながら、航泊日誌改ざんの事実を認めた。ただし、当時の艦長川上三等海佐個人の責任による判断であり、海幕は知らなかったという逃げの姿勢であった。

 ところが事故の直後には、艦隊司令の氏家一等海佐がうずしおに乗り込んでいた。何のためであるかは一審でも明確にされていないのだが、乗り込んだ事実だけは自衛隊側も認めていた。衝突した時刻が三時三十八分。二分遅らせても三時四十分。氏家一佐の到着が五時で、九時まで幹部の会議などというスケジュール報告になっていた。しかもこの間、海上では沈没した江戸丸の乗客救出作業が必死で続けられていたのだが、うずしお乗組員は指揮官不在のためか極端に動きが鈍く、ほとんど役に立ってはいなかった。それなのに川上艦長は、事故直後からの海上保安庁の出頭要求を、〈人命救助に全力を挙げる〉と称して拒否し続けていたのである。つまり、人助けのためと偽って、事故の責任逃れのための証拠偽造に狂奔していたことになる。これではマスコミ報道に押えを利かしようがなかった。

 改ざんの事実の次に政治問題となったのは、この責任がどの段階にまで及ぶかということであった。防衛庁は、すべての責任を川上艦長にかぶせようとしていた。だが、内部告発の乗組員の証言では、改ざんの指示を出したのは氏家司令だというのである。

 氏家司令の行動については何の記録も残されていない。どのような命令を出したのか全く分らない。物的証拠は皆無である。だから、防衛庁側は必死で否認し続けてきた。

『週刊パスワード』の特集は、そのきわどい真偽争いに決定的な証拠を突きつけるものだった。無線マニアが事故当時に海上自衛隊横須賀基地の暗号無線通信を録音していた。次には、その暗号無線のスクランブル・コードを、友人のパソコン・マニアが一年掛かって解読したというのである。

 特集記事の小見出しにはゴシック文字の長い列が踊っていた。

〈艦長=海上保安庁から出頭命令が来ていますが〉

〈基地=待て。航泊日誌はどうなっているか〉

〈艦長=そのままにしてあります〉

〈基地=氏家司令がそちらに向っている。指示を待て。海上保安庁には人命救助で手が離せないといって断われ〉

 ……………………

 特集記事の執筆者は、二人の民間のアマチュアがタッグ・マッチで、防衛庁を決定的な窮地に追込んでしまったと結論付けていた。だが智樹は、さらにショックキングな判断を下さざるをえなかった。自衛隊のスクランブル・コードによる暗号文は旧軍の水準とは較べものにならない。いかに演算能力が優れたスーパー・コンピュータを駆使したとしても、解読のための計算作業には何年も掛かるはずだ。コンピュータの使用料金も莫大で、とても一民間人がまかなえる額ではない。録音と解読が事実なら、原因は無線通信員による機密漏洩以外にはありえないのだ。これは、乗組員の元海曹の証言と相呼応する内部告発の動きに違いない。

 ドキン、ドキン、ドキン。心臓の鼓動がさらに早まる。息苦しい。

 智樹は、うずしおの事故とも海難審判とも直接の関係を持ってはいなかった。この事件では何ら責任を問われる恐れのない立場だった。ただ、この事件と二重写しで思い出さざるをえない過去があった。地獄さながらの事件で受けた古い傷跡が再びうずくのである。

 その十年前の事件もマスコミを騒がし、政治問題となった。しかし、智樹が果たした秘密の役割は、世間に知られることなく終わった。物的証拠も隠しおおせた。今後も表面化する可能性はゼロに等しい。残る問題は、智樹自身の良心の呵責であった。

〈天知る、地知る、我知る〉

 智樹の心の唯一の救いは、その後十年間続けてきた密かな作業にあった。免罪の証を己の心に向けて積み重ねることなしには、智樹は、自分自身を死の誘惑から引き戻すことができなかった。復讐にも似たその人知れぬ営みのみが、虚無の淵をのぞく心の裏窓の存在を忘れさせてくれる唯一のよすがなのであった。

 北京空港に向かうエアバスの荷物倉庫には、新品の旅行カバンが納まっている。だが、中身は今度の旅行に必要なものではない。北京空港に運んで渡すだけの荷なのである。

 智樹の瞼の裏には十数世紀も前の古代船が浮んでいた。貢ぎ物の荷を乗せて中国大陸に渡った日本からの使節や水夫たち。迫りくる死を覚悟し、家族と水さかずきを交わして乗組んだ彼等の運命。そして、日本列島と中国大陸の永い交流の歴史。その悲劇の数々に、智樹は切れぎれの想いを馳せているのだった。


(1-1) 第一章 暗号コード《いずも》1