仰天!武蔵野市『民主主義』周遊記(その3)

借金火達磨・巨大政治犯罪都市

猿山のボス争い立候補者3彦の紹介

1999.1.15

 前回、武蔵野市長の土屋正忠の彦に関して、「あと2回は続く」と記したが、これは、勝手ながら「別途2回」と訂正する。

 というのは、今年の4月25日には「一斉地方選挙」と称して、武蔵野市ばかりではなく全国で、地方自治体の猿山のボス争いのドタバタが行われる。一週間前の4月18日には、「告示」と称する出陣の吠え始めの儀式があって、以後の一週間だけ、「お願いします」の色とりどりの遠吠え、近吠えが終日、日本列島を覆い、皆の衆は、「4年に一度騙される権利」を行使することになる。それまでに残すところ、3ヵ月となっているので、主要人物、いや、主要な半神人、「彦」と「媛」の紹介だけを、早目に済ませておきたいのである。

 すでに武蔵野市では、たったの1人の定員の市長の座をめぐって、3人の立候補が確実になっている。そこでまずは、この3人も紹介しなければならないし、これも早目に、きたるべき市長選挙への注文を発表する必要に、迫られているのである。もちろん、私が、自分勝手に自分に迫っているだけで、特に候補者ともなれば、私の注文には皆が逃げ腰になるに決まっている。

 逃げ腰は、逆にその原因を究明すれば、腰抜けの証拠でもあるのだが、それはまた、後の課題とする。

  3人の立候補予定者の第 1は、やはり、現職の市長、土屋正忠の彦とすべきであろう。彼は、かねての願い通りならば、今頃は「赤絨毯」を踏んでいなければならなかったのである。その目的のためにはと、様々な無理も重ねてきたのである。

 ところがどっこい、兄はカランや、ああ、驚いた、試しにワープロ変換してみたら、こうなってしまったのであるが、決して風呂屋の湯の栓の話ではないのだ。私が子供の頃に講談で聞いた漢文口調の言い回しでは、「豈(あに)図らんや」なのである。念のために手元の安物の「岩波国語辞典」を見たら、ちゃんと「兄」の次に載っているので、ひとまず安心。この辞書では、(意外なことには)と説明している。

 つまり、着々と計画通りに「赤絨毯」への道を踏み固めてきた土屋正忠の彦にとって、「意外なことには」、頼うだお方の自民党様が、こともあろうに社会党まで巻き込んで、「小選挙区制」と称する「赤絨毯」猿山先陣争いの場所決めをしてしまったのである。

 実は、土屋正忠の彦には、前回紹介した山本ひとみの媛だけではなくて、むしろ、それ以上に憎っくき天敵がいる。一時は首相人気一番とまで言われた菅直人の彦が、武蔵野市のド真ん中に巣を構えている。そこで、前回の衆議院議員選挙では、武蔵野市1区の定員 1人では到底勝てないと、周囲も本人も諦めざるを得ず、ついに立候補すらできないという悲劇的、いや喜劇的かな、「グヤジイ」状況になってしまったのである。

 さりとて、「小選挙区制反対!」などと野党ばりに叫び出すわけにもいかない。そこで、前回の市長選の際の「5選目は出ない」という周囲への固い誓いをも破って、回れ右!

 哀れ、いや、あれれっ、かな、ともかく悲壮な不退転の決意を固めて、土屋正忠の彦は、今春の市長選挙にも現職立候補するのである。

 あとの 1人の内、年齢が上で政党候補でもある日本共産党現市議会議員で同党の議員団長の栗原信之の彦の方を、名前だけ先に紹介しておく。

 前回の市長選で、日本共産党は、武蔵野・三鷹地区委員会の地区委員長、佐久間某の彦を立てたが、有効投票数の10分の1さえ取れずに、供託金100万円を没収されてしまった。今回もまた、その轍を踏む可能性が濃厚なのだが、高齢で市議引退を決意していたと伝えられる議員団長が引退の花道か、はたまた人身御供か、ともかく、これまた悲壮な決意で立候補の意思を内外に公表したのである。そうなった裏の裏の事情については、また後に紹介する。

 最後の1人、桜井国俊の彦は前回も立候補して、3位の落選だが 1万以上の票を集めた実績を持っている。その後も、「武蔵野市土地探偵団長」を名乗り、わがホームページに一番詳しい土地開発公社の「塩漬け用地」問題を追及し、その件に関する情報公開裁判の原告にもなっている。

 となれば、私が、全面的に応援しても良さそうに思えるだろうが、そうは問屋が卸さない事情がある。いや本当に、これら半神人たちは、どれもこれも粗製濫造時代の半端人間なのである。

 まずは、桜井国俊の彦の「土地探偵」について簡単に論評すると、チャリンコ(自転車)で「塩漬け用地」の現場を見て回ったのだけは評価して上げているものの、全体の構造の理解がアバウトであり、特に困るのは武蔵野市だけに問題を狭める「井の中の蛙(かわず)」なのである。

「塩漬け用地」問題は、決して武蔵野市だけの問題ではない。こんなことは、私が言わなくても誰にでも分かることである。だから、天下の商業放送局の日本テレビの「ニュースプラス1特集」までが、わがホームページを「土地開発公社」のキーワードで検索して、典型的な「絵になる」現場としての武蔵野市100億円の駐輪場の映像取材にきたのだ。それなのに、桜井国俊の彦の「土地探偵」は、武蔵野市だけに特有の「疑惑」を捜し出すことばかり追及しているのである。

 しかも、そういう欠陥に関する私の指摘に対しては、「木村さんの言うことは正しい」と、これまた素直に認めるのだから、「暖簾に腕で押し」で、鍛えようとするこちらの方の気が抜けてしまう。「正しい」と素直に認めるのなら、私が言うように、全国的な問題点を書いたり、発言したりすべきなのだが、その点については、「武蔵野市では、そこまで言わなくても良い」と主張する。根拠も何も言わずに「良い」という。結局のところ、私に逆らっているのと変わりはない。

 桜井国俊の彦の本音は明かである。「塩漬け用地」問題は最大の敵、現職市長の土屋正忠の彦の最大のアキレス腱である。これを狙えば票が取れる。しかし、全国的な課題、特に自民党保守政治の、ゼネコン行政の、何のと、いかにも反体制的な指摘をしてしまうと、折角、土屋正忠の彦の4期連続、16年間の支配に飽きて、何でもいいから変化を求めている保守または中間層の票が取り難くなる。だから、スキャンダル的な地元の身近な問題だけの暴露に狭めておく方が有利である。桜井国俊の彦は、そう考えているに違いない。

 つまるところ、何のことはない。もう一つの愚民政治への転落の道造りではないか。素直なように見えて、結構、計算高いのだ。そんな馬鹿げたことに協力はできない。もう、これ以上は面倒見切れない。

 もっとも彼は、最初から素直に「木村さんの言うことは正しい」と認めていたわけではない。なにせ、この桜井国俊の彦は、市長選の候補に担ぎ出された時には、まだ、東京大学の客員教授という肩書きだった。ことあるごとに、教壇で教えるような姿勢になって、ひとくさり講義をしなければ収まらない。相手は何も知らないド素人、自分は1を聞いて10を知る専門家という態度だった。

 土地開発公社の「塩漬け用地」問題では、私が作った『武蔵野市民オンブズマン』の紙面だけを見て、得意げに「これ、1992年でしょ」と言ったことがある。それは「日経92.7.28)の記事の見出しを貼り込んだ部分のことだった。この見出しは、1998年10月28日の上記の日本テレビ「ニュースプラス1特集」でも画面に出た

「公共用地の先行取得/景気対策の柱に」という露骨も露骨、地方自治体に借金で不要な土地を買わせて、「景気対策の柱に」しようという政財界の狙いが、誰の目にも明らかな見出しである。だから私は、1992年という時期にこだわらずに、貼り込みに使ったのである。

 ところが、武蔵野市で一番多い金額の土地取得の年は、1990年だった。だから、偏差値優等生の桜井国俊の彦は、そこだけ見て、得意げに「これ、1992年でしょ」と言ったのである。2年も後の記事では、武蔵野市の高額土地取得が「景気対策」だと言える証拠にはならないのではないか、と、桜井国俊の彦は、得意げに鼻をうごめかして、私に仄めかしたのである。

 これには、改めて唖然としたのだが、唖然とした第1の理由は、この得意げな発言によって、桜井国俊の彦が、すでに1年前に私が、親切にも無料提供していた新聞記事コピーのファイルに、まったく目を通していなかったという事実が、これで確認できたことである。上記の記事だけではなくて、私は、1987年以後の地方自治体の土地取得促進に関する重要な記事コピーを、桜井国俊の彦だけが原告の武蔵野市土地開発公社情報公開裁判の資料として、桜井国俊の彦にも、その実物を示して説明した上で、彼の事件の代理人の弁護士、高木一彦の彦の事務所に預けて置いたのである。

 そうなのである。武蔵野市の半神人の群れの中には、恐れ多くも弁護士の彦まで混じっているのである。司法試験の難関を突破した(!)物凄い暗記秀才の偏差値エリートが、教授の彦と並んで、そこら中にゴロゴロ転がっているのが、「個人税収日本1」(らしい)「文化都市」武蔵野市の壮観なのである。その「武蔵野市をよくする会」の事務局長でもある弁護士、高木一彦の彦、またの名はピンの彦については、後に詳しく紹介する。

 ともかく、彼らには、その時に伝えたのだが、これは単なる朝飯時の切り抜き新聞記事コピーではないのだ。

 私が唯一の自慢の無い袖を振って、日経新聞のデータベースに総額3万円以上も支払い、「土地開発公社」「公有地先行取得」などのキーワード検索を依頼して、数百の関連記事見出しの目録を入手し、その中からさらに、これぞと思う目ぼしい見出しを選び出して、武蔵野市中央図書館の数少ないコピー機で縮刷版から拡大コピーを作り、それをまた丁寧に切り抜いて、B5台紙に貼った手作り稀覯ファイルなのである。

 もちろん、日経のデータベースに注文すれば、さらに、それらのコピーをも郵送してくれる仕掛けにはなっている。しかし、この仕掛けは同時に、私の無い袖から、またもや数万円を奪い取る仕掛けでもあるのである。だから、だから、ああ、私は、卒論準備らしき学生の後ろにキチンと並んで武蔵野市中央図書館の数少ないコピー機が空くのを待ったり、コイン入れたり、コピったり、切ったり、貼ったり、掲載日時をメモったり、台紙に穴を開けたり、綴じ紐で綴ったり、いわばこれらは、わが粒粒辛苦の末の決定的物的証拠なのである。その趣旨は、すでに彼らにも常に無料配布している『武蔵野市民オンブズマン』に記して置いた。これが、なんと、いわば「豚に真珠」だったのだ。

 もともと、それまでにも私は、10歳ほど年下の戦後の飽食時代に育った彼らのノンシャラン、アバウト振りには、呆れることが多かった。だが、こういうアバウト連中が、保守政治を倒すとか、5選阻止だとか、「武蔵野市をよくする」とか言ってみても、そして、もしも市長の座を取れたとしても、あの猿山の一角でも作り直すことができるものかどうか。「ミイラ取りがミイラになる」のが、落ちなのではないだろうか。

 ああ、日暮れて道遠し。スターリンと、毛沢東と、革命と、独裁と、例を挙げれば切りがない。武蔵野市は、世界の、日本の、東京の、縮図なのである。

以上で(その3)終り。(その4)に続く。


(その4)「頭隠して尻隠さず」の典型か?
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