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『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』第2章13

近代ヨーロッパ系学者による“古代史偽造”に真向から挑戦

(第2章13) アフリカの神話

 わたしは、以上の農業起源問題についての考え方をまとめてのちに、文化人類学者の阿部年晴の著書、『アフリカの創世神話』を読み直してみた。そして、再度、びっくりした。最初にびっくりした時のことをまず述べないと、あとの方もわかりにくいと思うので、その方から先に紹介する。

 アフリカの神話については、もうひとつ、『アフリカの神話的世界』というのがある。やはり文化人類学者の山口昌男によるもので、神話の類型的解釈が中心になっている。わたしはこれを最初によんで、いやに旧約聖書の創世記に似た話が多いなと思った。そう思ったあとで『アフリカの創世神話』を読んだのだが、すでにそこには、つぎのように書かれていた。

 「天と地の結婚およびその後の天地の分離、神の言葉による世界の再創造、言葉の啓示、祖先と水の結びつきなど……といった観念に出会えば誰しも旧約聖書の創世記を想い起さずにはいないだろう。かつてのヨーロッパの学者の中には、性急にキリスト教の影響を考えるひとびとがいたが、それについては何の根拠もない。その見解同様に証明されてはいないが、きわめて古い共通の伝統が一方では旧約の信仰へと展開し、他方ではドゴン(ニジェール河の中流域の農耕民族のこと)の神話体系にみられるような変貌を遂げたと考えることもできよう。いずれにしてもまだこうしたことは単なる推測の域を出ない」(『アフリカの創世神話』、p.109)

 阿部年晴は、数あるアフリカの神話の中から、それぞれのパターンの典型をとりあげている。だから、このドゴン民族の神話のところで、旧約聖書との関係を指摘している。だが、この指摘は、アフリカ各地の神話にもあてはまる。箱舟の話もあるし、7日目に休む話もある。創世記だけではなく、ヨブ記などに似た話もあるし、ギリシャのパンドラの箱の伝説とそっくりの話もある。開係がないとは考えられない。

 わたしは最初に、サハラの湿潤期を想い浮かべた。サハラがエデンの園で、その東の荒れ地に追われた話が、例の「エデンの東」というくだりに当るのではなかろうか、なども空想してみた。つまり、サハラに神話体系の原型が成立し、そこから乾燥化におわれて散っていった民族が、それぞれの新しい環境に合せて、どこかを切りすてたり、つぎたしたり、つくりかえたりしていったのだと考えた。

 ところが、農耕起源について、さきのような結論に到達してしまったので、神話も熱帯降雨林周辺に発しているのではなかろうかと考えざるをえない。そこで、再度よみなおしてみた。すると、現在のルワンダにいるワッシ民族の神話が、びっくりするほど、わたしの考えた農耕起源の説明に似ていた。

 もっとも、神話、伝説、説話のたぐいは、いろいろに解釈できるものだから、この符合は、偶然かもしれない。しかし、ほぼ同じ環境の下に、あまり動かずにいた古い民族の場合には、その神話は、意外に正確な歴史をつたえているのかもしれない。そして、このワッツ民族は、わたしの考え(のちにものべる)では、ほとんど移動しなかった民族なのである。また、ワッシ民族の現在の居住圏は、ヴィクトリア湖(ナイルの最大の水源湖)と熱帯降雨林の中間に当るウガンダの西部、ルワンダ、ブルンジを中心とし、ザイール(コンゴ)盆地にひろがっている。この中心地点はまた、大変に気侯がよく、火山、温泉などもあって、観光案内などでは、「アフリカの日本」などという表現もみられるところである。

 では、どういう点で、ワッシ民族の神話が、わたしの農耕起源の考えと似ているかというと、まず、つぎのような荒筋がそっくりである(以下カギカッコ内は原文)。

 神は2つの国をつくった。天上の楽園の国と、地上の悲惨、苦痛、労働、反乱の国である。ワッシ民族の始祖、キグワと弟、妹とは、天上の楽園で、「労せずして動物や植物を利用した」。キグワと弟のルトゥツィは狩猟の名人だった。ところがある日、神が怒った。「その日動物は急に敏捷かつ猛々しくなり、狩りに出た兄弟は1匹の獲物も持たず、空しく疲れ果てて戻ってきた。やがて神は3人の兄弟を追放する」。

 3人は地上に降りたのだが、そこには、「天上で食べていたような動物や植物は全く見当らなかった。……彼らは苦い草を食べて飢えをしのいだ」。しかしある日、「突然天の一角に裂目ができて」、現在のすべての農作物の種子(この神話の採録されたルワンダではヤムとササゲが主食)、そして道具が降ってきた。「3人はそれらの道具を用いて土地を耕やし、種子を播いた」。

 ほかの民族も、やはり大罪をおかして、天上の国から追放されてきた。彼らはキグワたちの「よく耕された菜園と見たこともない植物を発見し……珍らしい道具をみせてもらい、ご馳走になって帰る」。やがて、「全ての人間がキグワの指導のもとに農耕を行なうようになった」。

 この天上の国を、狩猟文化はなやかなりしころのケニア高原あたり、地上の国を熱帯降雨林周辺に想定すると、この神話の説明はスムーズにできる。神の怒りは異常乾燥期の到来である。草原地帯と森林地帯とでは、全く植物相がちがうから、見知らぬ「苦い草」、つまり、毒性のある植物を試食して、死ぬことさえある。「反乱」、すなわち、追いつめられた者同志のなわばり争いも生ずる。

 「菜園」は、例のキチン・ガーデン方式だと考える。ほかの民族は、実際には、掠奪にきたのかもしれない。男たちの留守をおそわれた女たちは、なけなしの収穫物をさしだす。そして、掠奪者たちにも、農耕のやり方を教える。そうしないと、また掠奪を受けることになってしまったであろう。農耕文化にひきこまれた諸民族は、新しい同盟関係をつくりだす。やがて国家が成立すると、それまでの歴史はすべて、王族の始祖たるキグワー人の業績に帰せられるようになる。

 さて、王族と書いたが、ワッシ民族は、つい最近まで、ウガンダ西部のアンコーレ王国、現在のルワンダとブルンジにまたがるルアンダ=ウルンディ二重王国の支配階級(人口の1割)をなしていた。そして、有力者は、数千頭、数万頭のウシを飼っていた。この状態をみたヨーロッパ系の学者は、彼らを牧畜民族と現定し、ウシとともに北方、つまりオリエントに近い方角からきた「白色人種である」と主張してきた。

 しかし、ワッシ民族はすべて、かつてヘロドトスが古代エジプト人とコルキス人について表現したように、「色が黒くて髪の毛が縮れている」。また、遊牧民族であったとか、ウシをつれて移動してきたとか主張されているのに、ワッシ民族は、農耕文化の起源に関する神話をほこらしげに語っている。

 わたしは、このことからも、従来のワッシ民族の起源に関する説明は、まっさかさまだと考えている。しかし、すでに定説であるかのごとくに主張されている仮説ををひっくりがえすためには、牧畜の起源地そのものを、真反対にもってこなければならない。これも大変なことにちがいない。だが、その論拠はふえているし、すでに、コルヌヴァンの牧畜文化サハラ起源説、いいかえれば、ひとつのアフリカ起源説が出されている。

 では、本当にこのサハラ起源説は確実なのだろうか。また最初の家畜は、どういう経過をたどって、人間に飼育されるようになったのだろうか。

第三章:さまよえる聖獣へ進む ┃