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『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』第2章2

近代ヨーロッパ系学者による“古代史偽造”に真向から挑戦

(第2章2) オリュラの謎

 コルヌヴァンのサハラ起源説によれば、ムギの栽培は、サハラからまずエジプトにひろがり、そこからオリエントに伝えられたことになる。

 ところが、古代エジプトに何年も滞在して、エジプト人の生活ぶりをくわしく研究したヘロドトスは、こう書いている。 「他国人は小麦と大麦を主食としているが、エジプトではこれらを主食とすることは非常な恥とされており、彼らはオリュラという穀物を食糧にしている。これは人によってゼイアといっている穀物である」(『歴史』、2巻、p.36)

 さらに彼は、「パンはオリュラという穀物からつくったものを常食としている」、とも書いている。この、オリュラまたはゼイアとよばれた穀物が、いったいどんなものであったのかということは、のちに考える。ともかく、この謎の穀物が、古代エジプトで、主食の座をしめていた。

 それでは、オオムギ・コムギは利用されていなかったのだろうかというと、そうではない。ヘロドトスは、「酒は大麦から製したものを用いる」と書いている。事実、エジプトの古代遺跡からは、紀元前4、5000年頃に、オオムギ・コムギが貯蔵されていたという確かな証拠も発見されている。ヨーロッパ系の学者たちは、おおむね、これを証拠にして、ムギを主食とする民族が、オリエントからエジプトに移住したのだと主張してきた。しかし、へロドトスの証言によれば、オオムギは酒づくりの原料でしかなかった。

 残念ながらへロドトスは、コムギの利用法については、何も書いていない。

 だが、オオムギとコムギには、意外な歴史があった。まず現在のパンコムギは、比較的おそく出現した。それ以前のコムギは、そんなに味のよいものではなかった。しかも、古代から中世にいたるまで、オオムギ・コムギ、その他の雑穀は、一緒に、つまり同じ畠の中にごちゃまぜに播かれ、一緒に収穫されていた。その上に、なんと、オオムギの方が主力だったのである。

 ということは、古代のムギ栽培を考える時に、オオムギを中心にして考えてもよいということである。オオムギに焦点を当てておけば、大体の状況がわかるわけである。

 ところで、オオムギは決して美味ではない。人間のたべものとしては、むしろ、まずい方の部類にはいる。そして、現在でも酒づくりの原料か、家畜の飼科になっている。こんなものが、どうしてオリエントの主食になっていたのであろうか。そして、一方の古代エジプト人がなぜ、ムギを主食とするのを非常な恥としたのであろうか。

 この謎をとくためには、まず、古代エジプト人の主食であったオリュラ、またはゼイアとはなにか、という疑問に答えなければならない。オリュラとオオムギとが、何らかの形で比較できないと、先へすすめない。

 では、古代エジプト人の主食、オリュラまたはゼイアとは、いったい、どんな穀物だったのであろうか。

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