『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』第2章5

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近代ヨーロッパ系学者による“古代史偽造”に真向から挑戦

サバンナ

 中尾佐助その他の学者が、西アフリカ周辺で開発されたと主張している農作物のうちから、馴染みのあるものをあげてみよう。

 ゴマ、スイカ、ヒマワリ、オクラ、ササゲが、まずたしかだ。中国の高梁[コーリャン]も、西アフリカのソルゴに、東南アジア近辺で、他の植物の遺伝子がくわわったものであるという。

 意外にも、テフは、西アフリカでは栽培されていないらしい。すくなくとも、そう書いてある本はない。かわりに、フォニオというのがある。英語で、ハングリー・ライスというあだ名がつけられているが、はらがへったコメではなくて、みすぼらしいコメの意である。これがまた、スープなどにいれると、大変にこくのある味がするらしい。その他にも沢山あるが、話がややこしくなるので、興味のある方は、参考文献に直接当たっていただきたい。

 さらに貴重なものに、ワタがある。すでに、サハラにアフリカ棉の木が野生していることを紹介した。これが、いままでは、アジアなどの栽培種のワタとちがうものと思われていた。そして、西アフリカで栽培されているワタは、やはり、アジアからアラブ人によってつたえられたと説明されてきた。ところが、遺伝学的な研究で、ワタは「アフリカで野生から栽培へと人間により転化したと考えられてよい」といえるようになってきた。そして、中尾佐助は「木綿布生産は西アフリカで発生した可能性がある」と主張している。

 ワタの栽培のはじめには、種子を食料にしていたもので、西アフリカでは現在も、この習慣がつづいている。食料としての起源という意外史もさることながら、衣服文化という新しい要素を含んでいるだけに、これも注目に価する。

 では、これだけの農作物を開発した西アフリカの農民は、最初の農耕の発明者といってよいであろうか。

 中尾佐助は、「サバンナ農耕」という組合せを考えている。そして、農耕文化発祥地の多元説をとっている。この多元説は、アメリカの学者によって唱えられはじめた。これにも必然的な事情がある。というのは、新大陸アメリカには、トウモロコシやジャガイモを中心作物とする独自の農耕文化があった。また、アメリカは、スペインとの戦争などで、フィリピンその他の東南アジアや、オセアニアの植民地を獲得した。

 新大陸アメリカの農耕も、オセアニアのそれも、掘り棒にたよっている例が多かった。つまり簡単な農具で成立していた。この事実を知ったアメリカの学者は、まず、新大陸の農耕文化は別系統だと主張した。ついで、旧大陸(アフリカ・アジア・ヨーロッパ、オセアニア)の農耕文化は、東南アジアに起源をもつと主張した。この仮説が、さまざまな経過をたどって、多元説に発展している。

 しかし、わたしは基本的に、多元説には反対である。農耕文化の発明は、やはり、必然的な条件のある所にしか生れなかったと考える。新大陸の農作物についても、ヒョウタンがアジア種と同じものだったり、サツマイモ、トウモロコシ、バナナの起源については、さまざまな疑問がだされている。

 そこでまずは、わたしが最初の農耕文化の発祥地に想定する熱帯降雨林周辺の農作物を追求してみたい。

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