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『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』第2章4

近代ヨーロッパ系学者による“古代史偽造”に真向から挑戦

(第2章4) アフリカ稲

 サハラに野生している植物は、もちろん、テフだけではない。すでに紹介したトリティクム・ドゥルム(かたいコムギ)もあった。それ以外にも、モロコシ類のソルゴ、毛筆粟、フォニオ、アフリカ棉の木があり、これらはいずれも、現在の栽培種に結びつけられている。つまり、遺伝的なつながりがたしかめられている。アフリカ起源がたしかめられた栽培植物は相当にふえている。

 しかし、日本人のわたしが、いちばんおどろいたのは、アフリカ稲の存在である。この野生種はサハラだけでなく、西アフリカ一帯にもある。そして、これまた大変早くから栽培されていたし、品種改良もされていた。

 結論の一部を先にいっておくと、このアフリカ稲は、最近になって、アジア稲とは別種のものであり、疑いもなくアフリカに栽培の起源をもつことが判明した。

 実は、西アフリ一帯に、イネの水田がひろがっていることは、早くから知られていた。アラブ人もヨーロッパ人も知っていた。ところが、例によって、アフリカにあるものは、まことに無造作に、何の罪悪悪もなく、すべて外来起源で説明する「学会の慣習」がはびこっていたものだから、だれもまともな研究をしようとはしなかった。この点は、イネの研究に関して、世界一の権威であるはずの、日本の農学者も同罪である。

 そんな事情だから、たとえば、アフリカの植民地問題の専門家、西野照太郎も、1954年に、こう書いてしまった。

 「西部アフリカにもアジアと同じ水田地帯が拡っている。アフリカ大陸の海岸地帯は西南の一部を除いて、アジア的な景観で取り囲まれている。……

 「アフリカの周囲にアジア的な風物があることは、アフリカがアジアに侵略された歴史の記念碑なのである」(『鎖を断つアフリカ』、1、p.14)

 わざわざ古い文章を引き合いに出して恐縮であるが、植民地支配に抗議をする良心的な識者でさえ、こう思いこんでいた。

 ともかく、このアフリカ稲の東南アジア(インドも含む)起源説は、ついこの前まで、農学者の間でも通用していた。ドイツ人の農業研究家、ヴェルトは、1954年に、アフリカで栽培されているイネは、「前方インド(南アジア)を原産」(『農業文化の起源』、p.105)の地とするものであると断言していた。

 ところが、遺伝学的な研究によって、アフリカ稲とアジア稲とは、まったく別種であることが明らかになり、従来の東南アジア起源説は、完全にうちくだかれた。遺伝学的などというと、大変ややこしくきこえるが、とても簡単なことなのである。

 まず、アフリカ稲とアジア稲とを、花粉をつかって、かけ合せてみると、1代雑種は50%の成功率となる。ところが、この1代雑種を育ててみると、正常な花粉をつけて実を結ぶものが1%以下になってしまう。つまり繁殖能力がない。動物に例をとると、ウマとロバの1代雑種のラバがそうであるし、最近よく紹介されるものには、ライガーとか、タイゴンとかいう、ライオンとトラの1代雑種がある。これらの不幸な1代雑種の親同志の関係は、一番近い種ではあるが、別種のはじまりでもある。

 いつごろから別種にわかれたか、という研究になると、とてもややこしいらしい。しかし、アフリカ稲とアジア稲については、専門の学者が、野生状態のころにわかれたのだと太鼓判を押している。

 以上のことから、専門の学者は、アフリカ稲はアフリカで栽培されはじめた、そして、アジア稲は東南アジアで栽培されはじめた、つまり、全く別々に栽培されはじめたのだと説明している。また、アメリカ人の民族学者、マードックは、アフリカ稲の栽培のはじまりを、紀元前8000年から9000年と主張している。

 ところが、もうひとつ不思議なことがある。西アフリカで栽培されていたのは、アフリカ稲だけではなく、アジア稲も、早くから栽培されていた。これに対して、アジアでは、アジア稲だけしか栽培されていなかった。これはどういうわけだろうか。どういう説明がなされているのだろうか。

 学者の説明によると、やはり、後代になって、アジア稲がアラブ人によってもたらされた、つまり、追加されたのだということになっている。しかし、その証拠として提出されているのは、英語のライス(アラブ語に由来という)の系統に属するイネのよび名のよせ集めにすぎない。西アフリカでも、同じ系統のよび名をつかっている地方があるのだが、それは、アジア稲と一緒につたわったアラブ語に由来するものだというのである。

 だが、こんな説明ですまされてよいものだろうか。もしかすると、アジア稲といわれている種類も、西アフリカの原産であり、よび名のつたわり方も反対方向だったのではないだろうか。西アフリカのある地方でのイネのよび名が、アラブ人の方につたわったのではないだろうか。最初にアフリカ稲の起源で間違った説明をされただけに、まだまだ疑惑が晴れない。

 しかも、中尾佐助によれば、アジア稲の真の野生種はまだ発見されていない。つまり、結論はでていない。わたしには、もちろん、くわしいことはよく分らない。しかし、アフリカ大陸のどこかから新しい野生のイネが発見され、それがアジア稲の祖型だったということになるかもしれない。というのは、アジアには、野生と思われるイネは2種類(両方ともアジア稲と交雑可能)しかないのに、西アフリカだけで、現在も採集利用されている野生のイネが「数種」あると報告されている。この「数種」と言う表現が曲者で、要するに、調査不足の告白にちがいない。だが、これではっきりすることは、アフリカ大陸に野生のイネが大変に沢山ありそうだということである。わたしはむしろ、アフリカ原産の仮説を立てて研究してみるべきだと思う。

 しかも、西アフリカの河川流域やサバンナ(草原)で開発された農作物は、まだまだ沢山ある。この事実は、どういう意味をもつのであろうか。

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