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『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』第2章8

近代ヨーロッパ系学者による“古代史偽造”に真向から挑戦

(第2章8) ふたたび異常乾燥期へ

 結論から先にいっておくと、わたしは、アフリカ大陸の異常乾燥期、紀元前1万年から8000年の間に、熱帯降雨林(水源湖地帯を含む)に逃げ場を求めた人々が、農業を発明するための最大の必然性を持っていたと考える。

 異常乾燥期と農業の発明とを結びつける考え方自体は、別に新しいものではない。

 すでに1930年代、オリエントに農業文化の起源を想定した学者たちは、その契機を、気候の変化に求めていた。イギリス人のチャイルドは、その代表者のひとりであった。彼は、ヴュルム氷期の終り(紀元前約1万年~8000年)に、オリエント一帯が、急速に乾燥化したと考えた。そして、当時の人類集団が、青々とした草原地帯から、オアシス(河川流域を含む)周辺に追いこまれたと想定した。

 オアシス周辺で、人間と動物、植物の、一種の共存関係が成立し、そこで、大麦、小麦の栽培、山羊、羊の飼育か、一拠にはじめられたというのが、チャイルドの考え方であった。

 ところが、その後の研発で、この想定は困難になり、すて去られた。

 まず、地質学上の研究から、この時期にオリエントでは、急激な乾燥化はおこらなかったという証明がなされた。つぎに、考古学上の発掘がすすみ、オリエントの初期の農耕は、オアシス周辺ではなく、山間、山麓地帯ではじめられたという結論がでてきた。

 最近のオリエント起源説では、この結果、チャイルドが「農業革命」と名づけたような、劇的な変革を主張しなくなった。農業起源の合理的な説明はなされず、進取的な気性のものがはじめたという考えさえだされはじめた。

 しかし、こういう安易な考え方は、学問的方法の堕落につながる。わたしは、チャイルドの発想の基本は、正しかったのだと思う。

 チャイルドは、自然環境の変化による必然的な文化段階の発展を重視した。それは、当時抬頭していたナチズム・ファシズムの思想体系への、ひとつの反論でもあった。彼は、若干の「北方系」優秀人種の指導能力によって、文化・文明の発展を説明しようとする傾向に反対した。現在、ナチズムは別の形で、たとえば、アパルトヘイトの思想として、いまだに生きのびている。この時期に、合埋的な説明方法を放棄して、「進取的な気性」を持ちだす傾向がでてきたのは、やはり偶然とは思えない。日本の学者が、この傾向に追随的であるのは、まことに残念である。

 紀元前1万年から8000年という期間に、急激な乾燥期を経験したのは、すでに紹介したように、アフリカ大陸であった。とくに高原地帯がひどかったであろうし、現在のサバンナも、砂漠と化していたにちがいない。実際に、同じ現象が最近数年間もつづいており、各地に惨害をもたらしている。新聞報道によれば、西アフリカだけで、1973年の1年間、家畜総数の4分の1、350万頭が、水不足や餓死で失われたらしい。そして現在も、人々は、やせおとろえた家畜の群をひきいて、河川流域、湖水の沿岸、熱帯降雨林地帯へと、避難の旅をつづけている。

 わたしにとっては、チャイルドの方法論を、アフリカ大陸に当てはめてみる学者が、まったく見当らないことの方が、「現代の謎」である。

 また、異常乾燥期の気象的条件は、アフリカ大陸の地理的条件と重なり合う。つぎの地図をみていただきたい。

 現在のサバンナ地帯までが沙漠化すると、熱帯降雨林と中央アフリカの大湖水地帯は、ほぼ完全に、沙漠と大西洋とによって包囲されてしまう。ナイル河をくだれば、長旅の末に、地中海方面にぬけることはできる。しかし、この脱出を試みたものは、比較的少数の漁撈民だけだったにちがいない。

 このような自然環境の特異性は、他の大陸ではみられない。また、現在の熱帯降雨林と、大湖水地帯にも、相当な変化はあっただろうが、このあたりに、アフリカ大陸全体の住民が密集してきたことは、だれしも認めざるをえないだろう。

 では、当時のアフリカ大陸の住民は、どんな状態にあったのであろうか。

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