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読売グループ新総帥《小林与三次》研究 第五章-7

第五章《組合征伐》

「決死」とか「捨て身」が飛び出す本人談の真相とマスコミに報道されない実状

7 右翼公安情報誌『全貌』まで活用

 この解雇事件は、労組の資料で、「活動家ねらいうち・組合つぶし」という分類がなされている。一種のレッドパージである。ただし会社側は、直接のアカ攻撃をすることができなかった。

 しかしいそうはいっても、まだまだアカ攻撃にも効果はある。そこで登場したのが、おなじみの極右・公安雑誌『全貌』である。日本テレビの労使関係の特集が載り、ひそかに、そのコピーを非組合員職制に配るという手段であった。木村解雇事件の最新の準備書面は「不当労働行為」に関わる労使関係を克明に描いているが、そこにも、《組合の活動家に対する“アカ攻撃”》という項目があり、こう書かれている。

《ところで、会社が行った……組合員に対する一連の“人的攻撃”の中で、……大きな特徴として、原告を初めとする当時の組合執行委員、上部団体である民放労連の執行委員、或は職場の組合活動家に対していわゆる“アカ攻撃”が系統的に行われた。

 一九七二年(昭和四七)、原告への出勤停止処分と“解雇攻撃”の年の春、公安情報による右翼雑誌として知られる「全貌」誌四月号が、「明日火を吹く日本テレビの内幕」と題して、八頁に及ぶ特集を掲載した。

 この“全貌”誌は以前にも、「孤立した報知の日共党員」(一九七〇年〔昭和四五〕七月号)「恐るべき日共、“民放労連”支配の手口」(一九七一年〔昭和四六〕一月号)など、マスコミ関係の労働組合に対しても“アカ攻撃”を集中した記事を掲載している。

 しかし、これらの記事は、いずれも見開き二頁程度のものであった。

 それに比較して一九七二年(昭和四七)四月号に“全貌”誌が掲載した、前記「日本テレビの内幕」なる特集は、長さといい、取材方法といい、際立った力の入れようである。

 右特集は、何人かの日本テレビ社員や関係者から取材をしたという形式の下で、「社の一角に日共系の網が張られてきた」などというものである。

 これは、日本テレビ経営陣の発言とも一致した系統的な“アカ攻撃”の一環である。

 右特集が「日共系」と記述した日本テレビ社員は、三二名に達するものであり、その中の主な者を列挙すると次の通りである。

 尚、原告を初めとするこれら名前を挙げられた組合員は、会社から「昇格差別」「処分」「解雇」など何等かの不利益待遇の攻撃を受ける結果となる。……(略)……

仲築間卓蔵=現労組委員長、当時(昭和四六年)副委員長。原告木村とは広報部時代の同僚で解雇以後は原告の事件の担当者として解雇撤回闘争に取組む。昇格差別を受け、都労委で係争中。四七年には「出勤停止処分五日」を受ける。

隅井孝雄=現民放労連副委員長、マスコミ文化共闘事務局長、原告木村とは広報部時代の同僚。昭和四八年、仲築間らと共に不当配転の攻撃を受ける。同期入社の非組合員らに比較して大幅な昇格差別で、都労委で係争中。

木村愛二=原告本人。不当処分、都労委係争中、解雇、本件地裁で係争中。

河野慎二=原告木村と同期入社、解雇当時の労組委員長。昭和四七年「出勤停止処分六日」、さらに四九年、池田君と共に「刑事弾圧」を受ける。「昇格」では大幅に差別され、都労委で係争中。……(略)……

 右特集は、日本テレビ内の「日共勢力」なるものについて、党員自体は一五名ぐらいとか、「民青系」といわれる積極的な同調者を含めると六〇名位」とか記しているが、その情報源は明記していない》

 なお、小林自身は、つぎのように、争議に対する決的的な役割を自認している。

《私自身はいままでは労務の問題で直接組合と交渉はやらなかったが、最終的な選択とか判断どかは、私がみんなきめて来た。》(『社報日本テレビ』’72・9・25)

《私はここへ来て、少なくとも組合の問題については全部責任をとることにしました。関係者と相談の上、私の意見を中心にして動かしました》(同前’77・9・20)

 その間、さきにも予告しておいたように、小林社長直々の御発声になる「抽象的な」「脅し文句」の数々が、大量にまきちらされた。スタジオに全社員や部長以上などの招集を掛け、一時間も二時間もの大演説。それを社報や会社ニュースに転載し、家庭にまで送りつけたのである。その一端は、すでに前著でも紹介したが、つぎのようなシロモノである。

《一緒にやるのか、やらぬのか》(『社報日本テレビ』’70・10・30)

《若しも企業の維持と存続と発展のために協力する気のない人がおれば、これは袂を分かつよりしようがない。会社は、企業を通じて諸君らの志を伸ばすために働く、そういう人の同志的な結合体であるべきであって、そこによけいな異分子はおる必要がない。それを妨げるもの、それに抵抗するもの、それをないがしろにするもの、あるいは無視するもの――そういう人はもともとわれわれの同志の仲間におる必要はないし、いてはこの企業が維持していけるはずもない》(同前‘71・9・25)

《ともかくも、会社意識、企業意識だけは、はっきり持ってもらいたい。……(略)……会社に弓を引くのか引かぬのか》(同前’72・2・1)

 これらの「抽象的な」「脅し文句」の数々については、その前後の状況とともに、労働委員会や裁判所で、詳しい追求が組合側から行なわれた。そこで小林は、さきの日本テレビ会長就任演説では、弁解にこれ努めたのである。いわく、

《「決死の、決死という言葉は重いですが、そういう気持できたことは事実」
 「場合によっては、こっちも捨て身ですから、捨て身の言葉を使ったこともある」》

 そして、言葉だけでなかったことも、あいまいながら認める。

《ある時は、年末に系列の社長さん全部を集めて、本当にこっちも覚悟した。系列社を動員してこれ(組合と対決)をやろうということも考えた」

「民間の警備の人を使ったこともあった(あの暴力ガードマンを職場に導入した) 材木をならべたこと(玄関前に丸太四三六本つみ上げた事件)もあった」「私はやめない、刀折れ矢つきるへ組合脱退工作が思うようにいかないなど)ならばしょうがないが、討死(誰もついてくる者がないという状況)せんかぎりは責任を追及せんといかん(解雇、処分、差別)」》(『組合新聞』’81・7・6)

 だが、この際はっきりしておかなければならないのは、小林が、組合の度重なる申入れにもかかわらず、この一二年間というもの、一度も団体交渉に出席しなかったという事実である。これは、いかな経団連でも擁護しえない性質の、前近代的ワンマン振りではあるまいか。

 そこで、かの『全貌』誌に先立って出された『財界』(’72・3・15)誌さえ、こう書かずにはいられなかつたのである。

《しかし、問題は、こうした強圧的に見えるシステムが、社員のモラールを向上させているかということだ。社内で言われるのは、「日本語が通じない」という声である。

 つまり、日本テレビの過去の仕事のやり方、外とのつながり、従業員同志の連携を無視するようなマッカーサー政策がとられていないかということだ。

 過去のウミを吐き出すには、大手術が必要であることは分る。それにしては拙速にすぎるのではないかと言う。原住民の肚の底からの協力がなければ、本当の再建はあり得ない。ベトナムで米軍が勝利を収められないのは、原住民の本能的反発が原因であることは言うまでもない。

 どんな叱咤激励をしても、馬は水際までいくが、水を飲むとは限らない》


第六章《突撃隊長たちの末路》 1 読売出身のヤクザ専務がアカ攻撃