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読売グループ新総帥《小林与三次》研究 第五章-3

第五章《組合征伐》

「決死」とか「捨て身」が飛び出す本人談の真相とマスコミに報道されない実状

3 暴力ガードマン・ファット?

 外人の質問ぜめに会いながら、木村愛二は、組合ニュースの投稿のひとつを思い出していた。

 「ファット? ガードマン?」という題のものである。一九七〇(昭四五)年五月に日本テレビ社長に就任した小林社長は、早速、この年末と一九七一(昭四六)年の春に、国会でものちに問題となる暴力ガードマンを導入した。名目は、組合のステッカーをはがすためということであったが、組合員への脅しを目的としたものであることは、だれが見ても明らかであった。

 日本テレビ労組は、一九七一年春闘を延長戦でたたかい、六月八日には、ストライキで銀座に宣伝活動を展開した。くだんの投稿は、その時に、やはり外人の質問攻めに会った組合員が書いたものである。

《立て看板の威力は絶大であった。銀座通りの一角に、たちまち黒山の人だかりができる。ビラはどんどんはける。私は、その前でプラカードを持って立っていた。

「暴力団の横行を報道、糾弾すべき放送局が、暴力団をやといいれる。こんなことが許されていいのだろうか?」……刃物(?)を持ち、空手ダコの目立つ若い隊員(?)の写真の下に書かれた説明文である。裏側には、「純真な子供達に、戦争がゲームであるかのように教えこむ『決断』の、放送に反対します」と書いてある。

 通りかかる多くの人が、ビラと私のプラカードを半々に見て過ぎていく。つと、一人の外人が近よってきた。「スミマセーン?」「ハッ?え……それが…‥」「ノーノー、プリーズ、スピーク、イングリッシュ」「ハ……?」「あなたは何を訴えんとしているのか」「え……それが……」「これにはなんと書いてあるのか」(プラカ「ドを指している)「アー………。放送局が子供達に……戦争がゲームである……と教える……そこで……私達はストライキを行なっているのである」「君は学生か?」「ノーノー。私はテレビジョンのスタジオカメラマンである」「カメラマンであるのか……」(それならば、もっとちゃんと英語を喋れ、といった顔つきで……)「この写真は何であるか」「ア……ガードマン……」「ファット?ガー ドマン?」「イエ……あの……ガードマンがステッカーを破く……」「ファット?ガードマン?」「イエス……。ノーッノーッ……ヒーイズ……ア……」(あ……困ったな。暴力団は何といったっけ……困ったな)》(『闘争ニュース』’71.6.11)

 この外人は、以下、必死の説明を理解し、ニコヤカに握手を求め立ち去った。そこで、この投稿者は考えるのだが、要するに、ガードマン(守護者)の形容詞として「暴力」は不適当であり、「暴力ガードマン」とは、まことに珍妙な日本語だという結論に達したのである。

 日本テレビの小林社長が導入した暴カガードマンは、特別防衛保障と称する団体で、中心人物は日大の大学闘争であばれ、報知新聞のロックアウトにもやとわれた。のちには、ヤシカ・カメラの争議で、支援団体と組合員に、鉄棒を振りまわして重傷を負わせ、実刑判決を受けるにいたった。日本テレビでは、「刃物(?)」として、ステッカーはがし用の刃先の鋭いコテが使われた。彼らは、組合員を脅かし、抗議した青年部書記長のミゾオチを、ゲンコツで殴りつけた。

 ところがすでに指摘しておいたように、このような暴力的な組合つぶしが、テレビ局や新聞社で起きていながらマスコミにとりあげられることはないのである。特別防衛保障と称する暴力団に、仕事をつくってやり、金を与えたのは、読売新聞と日本テレビである。そうやって育成された暴力団は、のちに那珂湊市の臨時職員となり、そこでの暴力沙汰によって、国会でも大問題となっている。その時には、朝・毎・読・東京などの各紙が報道したのである。

 さて、このような暴力的労務政策の下で、木村愛二へのねらいうちの手回は、また非人間的な手段であった。


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