読売グループ新総帥《小林与三次》研究(4-5)

電網木村書店 Web無料公開 2017.4.6

第四章《“民間”の官界ボス》

刑事被告人から“キング与三”とおだてられた“ブレイン”の無法人脈

5 正力の後継者は“荒法師”修業か

 まずは正力松太郎没後の一九七〇年五月、小林は日本テレビに乗り込むや否や、労働組合との対決姿勢を露わにした。労使協定のすべてに眼を通した上で、「わからんところ」や「気に食わんところ」が沢山あるといいだしたのだ。その癖、団体交渉への出席は拒否。「委員長が単独であいさつにくるなら、会わんでもない」という横柄な態度であった。次章で紹介する元執行委員木村愛二の解雇事件の『訴状』には、このような小林の労務政策についての組合の見解が要約されている。民放労連日本テレビ労組は、「労働者に犠牲をおしつける政策」が日本テレビの体質だったと主張し、こうつづけている。

《この政策は小林社長が就任して以来、いっそう熾烈なものとなった。原告に対する解雇攻撃は、それを最も極端な形であらわしたものである。それ以外にも、一時金の一〇万円ダウン、賃上げゼロ、労働協約破棄、一時金におけるダブル賃金カツト、妥結日払い、組合役員への処分攻撃、刑事弾圧、などの攻撃をかけた。

 この攻撃は極めて異常である。そこには憲法も労働組合法もない。労資対等の原則も否定されている。小林社長は組合を弱体化させるためあらゆる攻撃をかける。小林社長はそれを単に組合対策だけに、せばめて位置づけない。職制や非組合員を含めて被告会社の全労働者をどうやって支配するかという観点で、組合対策を位置づけている(組合つぶし政策)。

 小林社長はこの組合つぶし政策をすべての政策に優先させてすすめてきた。このため、日本テレビの労資関係は荒廃し切ったものとなっている。

 小林社長の組合観は次の発言にあらわれている。

 「報知の争議については……かつて読売争議があったし、王子製紙の問題、官公労も炭労問題もあるし、近くは大学紛争もある。そうした紛争というものは、人間が成長するに際して、一時は通らねばならぬ過程のようなもので、報知のことにしても、あのような混乱の中から何かが生れてくるだろう」(同四五年六月五日、社長就任の記者会見で、報知争議についての意見をきかれて)

 「日テレ労資で争われていることは、日産自動車とか日本航空ですでに争われ、解決ずみの問題だ。すでに常識になっているこうしたことを、いままでやってなかった会社が悪いのだ」(同年一一月一七日、局次長会議で)

 この二つの発言に出てくる読売争議、王子製紙、日産自動車のケースは、資本が権力と一体になって労働者に弾圧を加えた事例である。いずれも資本が労働者を思うがままに搾取する体制をつくりあげたケースである。日産自動車では攻撃のあと、組合の資本への協調ぶりは「労務部が要らない」と評されたほどであり、日本航空では分裂攻撃をはね返して立ち上がった労働者が労働委員会で何回となく勝訴しながら、会社が行政訴訟をくりかえし、国会でもとりあげられるほどの異常な労使関係である。

 小林社長がこれほどまでに異常な攻撃、組合つぶし政策をすすめている最大の目的は、読売新聞や王子製紙、日産自動車で攻撃のあとつくられた労資関係を、日本テレビでも確立することにあることは、明白である。そして、合理化をすすめて一そうの蓄積強化をはかるとともに国民の電波であるテレビを通して、政府・自民党の一方的な宣伝や、政府、財界につごうのいい番組を容易に放送できる体制に持っていこうとしている。

 原告への本件解雇攻撃は、小林社長がこうした目的を達成するために、組合つぶし政策を強行する上で、その政策を促進するための「スケープ・ゴート」として積極的な組合活動家である原告にねらいをつけ、計画的に仕組んだ攻撃である》

 だが、その「組合対策」についても、詳しくはのちのこととして、話のついでに、“官界ボス”の近況を見ておこう。

 最新のところでは、「行革」について、かつての自分の経験を折りこみながら、なかなかの鼻息である。

《小林与三次氏はのっけからこう語った。「役人相手の仕事を誰がやるかだ。役人がやってもうまくゆくはずない。役人同士はグルになってかばい合いよるからです。批判し、チェックするのが国会と世論だが、ことばは悪いけれど国会は役所とつるんでいる。委員会などそういう仕組みになっとるし、役所に基盤をおく議員の集団があるわけだ。

 一方、民間の仕組みはといえば、役所からカネをたくさんもらうのが仕組みでしょう。政治グループも政治を利用して自分たちの方になるべく多くのカネを動かそうとしている。それで何がいったいできるか」

 ――それでは行革はもともと不可能なのだろうか。

 「総理なり内閣なり、各省の次官がどっちを向くか、仲間を守ろうとするのかどうかが問題です。今みていると、内閣はいかにもやろうとしているが、各省の次官は部下にくっついている。大臣や次官のクビを切るというほどの決意とハラがなければできませんよ」》(『現代』(’81・7「小さな政府『私の提案』」)

 これだけ聞けば、いかにも“国民のため”の行政改革に、本音をブチまけての正義の味方振りかと思える。しかし、この「小さな政府……」という特集自体が、どうも「パブ」とか「パブリシティー」とか、“持ち込み企画”とかいわれるシロモノらしい。「ニセ行革」の追及は本題ではないが、かつても“国民のため”と称して、財界の「生命線」を守るための戦争があったこと。“むかし関東軍、いま行革”と考えておくべきだろう。そして、小林は、「日本広報協会会長」という、もうひとつの顔も使って、「ニセ行革」の推進者たらんとしているようなのだ。

 だが、“むかし関東軍”の伝統を受け継ぐためには、「官界征伐」の荒法師として、イレズミ者まがいの売り出しを、自作自演する必要があった。しかもそれが、みずからの利権拡大そのものでもあるとすれば、あに振い立たざるべけんや、ということにもなる。


6 “反官僚”ポーズの手柄話の内幕