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読売グループ新総帥《小林与三次》研究 序章-3

序章《新生か復古か》

あっと驚く〈ウルトラ人事〉とマスコミ独占集中の違法性

3 ワンマン支配は批判せずの競争相手?

 さて、この読売新聞と日本テレビのトップ兼任人事だが、この件になると、日頃の好敵手たる朝日も毎日も、サラリサラリどころか、まるで問題点を報道していない。これでは、一般読者、いや大多数の日本国民にとって、何も問題はないかのように思えてしまう。

 ところが、問題はおおあり名古屋のコンチクショーというぐらいに、山積している。だからこそ、素人目にも明らかな異例の人事だったのだ。それなのに、まともに論評したのは、毎日系の『スポーツニッポン』紙のみ。株主総会の翌日の六月三〇日号で、「あっと驚く読売・日本テレビのウルトラ人事」という六段見出しを組んだ。ただしつづけて、「長島茂雄の巨人軍復帰はあるのか」とくるのが、スポーツ紙としての苦心のしどころだ。

 「ウルトラC」の中心技は、なんといっても日本テレビの「社長空席」。スポニチはこのお堅い話について、こう書いた。

《代表権はないものの小林氏は会長の座で実質的な権限は握るだろうし、電波事業の経営者は情報の独占的支配を避けるため、新聞と社長を兼任してはならないという郵政省の行政指導があり、巧妙というか苦肉というか“抜け穴”的措置》

 これは問題ではないか。いまなお日本国憲法に「象徴」の地位を確保する天皇制支配の歴史を見よ。武家の外戚支配を逃れるために、上皇とか法皇とかが実権を握った時代もある。すると今度は下から、将軍家による幕府支配の何百年。かと思えば、薩長閥が、かびだらけの天皇家を押し立てての“玉”かつぎという国柄。要は実態にあることは論を待たないはず。

 そこで内情を探ると、「あっと驚く」どころの話ではない。これが形だけにせよ、「郵政省の行政指導」を気に掛ける態度とは、とうてい思えないのだ。

《読売と日本テレビの両方の社長にはなれない。立場上、高木さんに代表権のある副社長をやつてもらう。印鑑を押す仕事を高木さんにやってもらい、印鑑を押さない話をわたしがやる》(『組合新聞』)

 日本テレビのスタジオを使って行われた小林(新)会長就任あいさつの一節である。

 『社報日本テレビ』(’81・7・25)では、「ハンコを押す仕事はいっさい高木さんにしてもらって、私は経営や計画の全般、外部との喧嘩というと聞えは悪いが、外部との問題をやろうということにしたのです」となっているが、この方が更にはっきりしている。つまり「本当の経営トップはオレ、高木副社長はハンコ番」という駄目押しの宣言である。当然、一ああまで露骨にいわないでも」という声が出る。しかし、これが人柄とあってみれば、いっても仕方ない。みんな慣れっこなのだそうだ。つづいて壇上に上った高木(新)副社長も、「温厚な紳士」という世評そのまま。いわば「小林様々」で、今後の忠誠を誓ったという。その後にも、「会長になられても、私は小林さんが実質的には読売と両方の社長をやっていると思っていますよ」(『財界』’82新春特大号)と高木自身が語っているらしい。これには、「免許基準の精神を踏みにじるような本音」(同前)という批評さえ加えられている。

 ところで、肝心の「郵政省の行政指導」だが、現行の「審査要領」によると、「放送局の経営支配」の有無を判断するメドは、「代表権」や「社長」の兼任だけではない。「知らしむべからず」の思想に基づき、まことに読みづらく作文されているのだが、ともかくこうある。

《代表権を有する役員または常勤の役員が放送局の所有者の代表権を有する役員または常勤の役員を兼ねること》

 つまり、「常勤の役員」の兼任も問題になるはずなのである。それでは、小林(新)会長が、日本テレビでは常勤体制は取らないのか。少なくとも見せ掛けだけでもつくろっているのかといえば、これも、「またまた驚く」という大見出しつきのゴシップであった。


4 ワンフロア独占のホストクラブ