東裁判報告

                                           最終更新:2001年4月13日

東史郎さんの南京裁判とは

東史郎さんは、1912年生まれで、今年の4月に86歳になられました。 元、京都第16師団、福知山第20連隊の兵士として、1937年8月、 25歳で召集され、12月の南京攻略戦に参加しました。 戦地で書き続けた日記や陣中記録をもとに帰国後清書をしました。 南京戦から50年目の1987年に市民団体の求めで日記を公開、 記者会見をしました。そこで東さんは「悪の原動力を探求し、 反省し、再び過ちなからんことを願ってこそ、日中友好の基 ではないか」と思い、日記を公開した意見を語った動機を述べています。
同じ年にこの日記を基に青木書店より『わが南京プラトーン』 が刊行されました。この本を中心とした記述が名誉毀損になるとして、 残虐行為を起こした元兵士が原告となり、1993年4月東京地裁に 提訴しました。
1996年4月、同裁判所は、日記の記述は虚構と 認定し、東さんら3名に50万円の支払いを命じました。
東さん側は新たに弁護団を結成し、 東京高裁に控訴、1996年9月26日に控訴審第1回公判が始まり、 1998年6月13日までに12回の公判が開かれました。

参考書籍
「わが南京プラトーン」
「南京事件 京都師団関係資料集」

ノーモア南京の会の取り組み

1996年12月に開かれた「1937南京、東京絵画展」で東さんに講演して いただき、12月5日の第2回公判の傍聴以来、当会も東さんの 南京裁判の支援運動を行ってきました。
特に1997年6月23日の第6回目の公判では、前日に上京していただき、 多くの人の前で証言をしていただきました。 東さんは自身の戦争体験を話された後に裁判にもふれました。 東さんを告訴した元兵士の後ろには 「心にまだ軍服を着ている偕行社」がいること。 我々に「軍国主義の実体をもっともっと知ってほしい。 決して自虐ではなく、 再び繰り返さないために過去を反省しなければいけないのです。」 と訴えました。
私たちも東さんの言葉を受け、 自由主義史観=藤岡一派を相手に戦う東さんを支援すべく、 毎回の公判には偕行社の老人達に倍する傍聴者を集め、 支援してきました。
                       (文責:芹沢 明男)

第9回公判、1997年12月18日

いよいよ本人尋問へ

本人尋問直前の訪中

虐殺の現場「高等法院」跡などへ

第10回公判、1998年3月12日

いよいよ東さんの本人尋問、大成功裡におわる。
全水道会館で報告集会。

東裁判は、日本の歴史認識をテストするバロメータ

第10回公判報告集会での発言(劉彩品)

第11回公判、1998年5月12日

裁判官が全員交代。
調査・実験に基づく準備書面提出。

第12回公判、1998年6月23日

橋本氏(被控訴人)の本人尋問

第13回公判、1998年9月8日

双方の最終陳述、いよいよ結審

判決延期と「励ます集会」

1998年11月26日に「東史郎さんを励ます集会」

東京高裁、不当にも控訴を棄却!
東さん:「俯仰天地に愧じず」

1998年12月22日14時、東京高裁
18時より抗議集会

東裁判30万人署名を推進しよう

南京大虐殺の真実を語る東史郎さんを支援してください

署名の趣意書

署名用紙

南京大虐殺の真実を語る東史郎さんに、公正な裁判を要求する署名
署名にご協力くださるかたは下記の連絡先まで

南京裁判支援署名提出第一次行動
12月13日(月)正午、社会文化会館・第二会議室

自らの加害を歴史に刻印

−−東史郎さんの「南京歴史裁判」の意義−−(福田昭典)

東裁判の問題点

−−最高裁への上告文書から−−(芹沢明男)

橋本伍長に感情移入した裁判官

(劉彩品)

東裁判を報ずる中国各紙のコラージュ

最高裁不当にも<上告棄却>

弁護団・支える会のコメント

東史郎さんを支援し、引き続き歴史の真実を訴えよう

(芹沢明男)

司法の最高責任を放棄した最高裁「決定」

(東史郎)

抗 議 文

(侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館)
(南京侵華日軍南京大屠史研究会)

中国人は東史郎裁判をどの様にみているのか

(林 伯耀)

東裁判に関連した雑誌記事

東史郎:「戦争の真実を語る(上)南京総攻撃の一兵士として」
          労働運動研究、340号、22頁、1998年2月。
「列島の鼓動−−・・/東史郎氏の『南京裁判』証言」
          労働運動研究、342号、30頁、1998年4月。
芹沢明男:「政治裁判としての東史郎=南京・戦争裁判」人権と教育、30号、106頁、1999年5月。
     −−>全文掲載
津田道夫:「南京アトロシティを心に刻む旅から」人権と教育、30号、124頁、1999年5月。
     −−>全文掲載
津田道夫:「あまりに美しく、あまりに悲しく−中国紀行印象記・1」
     人権と教育、月刊305号、18頁、1999年5月。−−>全文掲載
水谷尚子:「私はなぜ東史郎氏に異議を唱えるか−日中間に横たわる歴史認識の溝」
     世界、664号、219頁、1999年8月。
中北龍太郎・丹羽雅雄・空野佳弘:「『東裁判』の真実を訴える−八月号水谷論文批判」
     世界、666号、275頁、1999年10月。
津田道夫:「東史郎私観−中国紀行印象記・5」
     人権と教育、月刊310号、18頁、1999年10月。−−>全文掲載
暘暘:「中国人留学生がみた東史郎=南京事件裁判」
     人権と教育、31号、116頁、1999年11月。−−>全文掲載
中北龍太郎:「東史郎裁判と南京大虐殺」金曜日,290号、20頁、1999年11月。
     −−>全文掲載
山内小夜子:「東史郎氏の南京裁判,海外7万人の署名を最高裁判所に提出」(金曜アンテナ)
     金曜日、298号、6頁、2000年1月。
長沼節夫:「『南京大虐殺』大阪集会と最高裁判決への中国の怒り」(金曜アンテナ)
     金曜日、302号、4頁、2000/2/11。
山内小夜子:「歴史を尊重するものは歴史から尊重される−−東史郎の南京裁判」
     人権と教育、32号、158頁、2000年5月。
     −−>全文掲載

 

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