南京大虐殺と東史郎裁判

中国人は東史郎裁判をどの様にみているのか

林 伯耀


(1)南京大虐殺は、中国人にとって民族受難の象徴
(2)加害事実の否定は、二重の加害行為
(3)東裁判の本質
(4)中国人にとっての東史郎と東裁判
(5)留意すべきこと


(1)南京大虐殺は、中国人にとって民族受難の象徴

日本帝国主義の中国侵略によって犠牲になった中国人は2000万人を下らない。 その侵略は、中国人民に筆舌につくしがたい苦しみをもたらした。 国土は荒廃し、離散家族は何百万世帯を越える。 行方不明になった人の数は計り知れない。

1928年の日本軍の山東出兵による済南虐殺事件から始まって、 1945年の日本敗戦までに中国全土で 日本軍によって組織的に集中的に行われた虐殺(中国語では惨案ツァンアンという) 及び暴行といわれるものは歴史資料や学術文献によって記録されているものだけでも 2,300件を越える。 (この中には1894年の旅順虐殺事件は含まれない)。 100名以上の犠牲者が出た惨案は390件を越える。 ベトナム戦争中の1968年米軍がベトナム住民を虐殺したソンミ村事件は、 世界に衝撃を与えた。 その犠牲者数は約500人であるといわれる。 そのような事件が日本軍によってあの侵略戦争の期間中 中国大陸において普遍的に行われていたことになる。 1937年12月13日から約6週間にわたって、当時の中国の首都南京において、 日本軍によってもたらされた南京大虐殺事件は、 こうした無数の惨案の中でもとりわけ突出した一つの象徴的な事件であった。

中国人はある日突然南京大虐殺事件を持ち出してきたわけではない。 当時、 南京にいて日本軍の虐殺行為を見た欧米の新聞記者が当時の新聞記事に書いていたし、 ドイツやアメリカ大使館が本国宛にかなり詳細な報告書を送っている。 有名な1938年2月16日のトラウトマン駐華大使署名の ドイツ外務省宛の極秘報告書の中には、 「このような非道な機関(筆者註:日本軍)が反共産主義の擁護者として、 支那の革新と自由の為に敢然と立っておるのを見るのは笑止千万である」 (洞富雄編:「日中戦争大虐殺事件資料第1巻極東国際軍事裁判関係資料」P171) といって、日本軍の野蛮行為がむしろ、中国の共産化に手を貸していると批判している。 しかし、中国人自身による南京大虐殺事件の被害の詳細な調査は、 やはり日本敗戦後の調査に持たざる得なかった (すでに、1942年から連合国側との協議により蒋政権は、 戦争被害調査に着手していた)。 1945年8月、日本敗戦直後、中国国民政府軍司令部第二庁が、 日本の主要戦犯の立件に着手した。 また、同年11月には、政府内に戦争犯罪処理委員会が設立され、 日本帝国主義の中国における戦争犯罪の調査に着手した。 翌年には、南京、上海、漢口、太原、 徐州など10箇所に中国国民政府による戦争犯罪人を審理する軍事法廷が開かれた。 南京軍事法廷は、1946年2月に設けられ、30以上の案件が審理された。 中でも、 平和破壊罪と人道に反する罪等で起訴された元中支那方面軍第十軍第6師団の師団長、 谷寿夫(中将)の審理だけでも法廷に提起された個別虐殺件数は850件以上あり、 集団虐殺件数は28件を越えた。勿論その後、更に確認された集団虐殺事件は、 この数だけにとどまらない。

中華門外の雨花路第11区公所内に設けられた臨時法廷には 1,000人を越える証人が集まり、谷寿夫部隊による殺人、放火、 強姦等の犯罪事実を実証し、日本軍の非人道性を告発した。

又、1947年1月29日から31日にかけて、慈善団体の死体埋葬記録に基づき、 法廷は検察官、受難者家族と当時の公所関係者を伴い、中華門外、 兵器工場付近と普徳寺の合葬地点から受難同胞の遺骨約3,000体を発掘し、 その埋葬数を照合し、現場検証をおこなった。

多くの証言と証拠から、 日本軍が南京攻略時に虐殺した中国人軍民の数は 城内城外併せて30万人以上にのぼることが確認された。 法廷を通して明らかにされた南京大虐殺の真相は、当時中国国内で広く伝えられ、 民族の蒙った犠牲のあまりの大きさに、 中国民衆はあらためて無念の涙をのんだのである。 こうして、南京大虐殺は、 中国人の民族としての永遠に忘れがたい生きた記憶の一部となったのである。

東京裁判においても、 南京大虐殺事件に関して検察側から9名の証人以外に17名の宣誓口供書と 9つの報告書が朗読され、 朗読されなかったものを含めると73名の宣誓口供書が用意された (洞富雄編:『日中戦争大残虐事件資料第1巻極東国際軍事裁判関係資料編』)。 南京大虐殺に関する検察側立証段階だけでも延べ10日間の日時が費やされており、 日本に同情的であったインドのパール判事さえも、 「本件において提出された証拠に対し言いうるすべてのことを念頭に置いて、 宣伝と誇張をできる限り斟酌しても、なお残虐行為は、 日本軍がその占領した地域の一般民衆、 はたまた戦時捕虜に対して犯したものであるという証拠は圧倒的である」 (同上P401)と認めている。

中国人は当時の海外報道や戦後の東京裁判を通して 南京大虐殺はすでに世界公知の歴史事実であると思ってきたのである。 そして日本人がこれらの歴史の悲劇から教訓を引き出し、侵略戦争に反対し、 中国やアジアと友好的に共存する道を歩むであろうことを期待したのである。 しかし、事実はそうではなかった。

(2)加害事実の否定は、二重の加害行為

かつて、文芸春秋社が「ナチ『ガス室』はなかった」という精神科医、 西岡昌紀氏の文章をその発行雑誌「マルコポーロ」の95年2月号に掲載して、 アメリカのユダヤ人団体の抗議を受け、ついには、 その雑誌の廃刊にまで追い込まれた事実がある。

ユダヤ人たちに対して、歴史改竄主義者たちが、「600万人の虐殺などなかった」、 「アウシュビッツのガス室は存在しなかった。ホロコーストもなかった」、 「ナチスによるジェノサイド神話はイスラエルによる政治宣伝にすぎない」 などというとき、 ユダヤ人たちが烈火のようになって怒るのを日本人は知っているであろうか。

南京大虐殺は、中国人が今世紀になって蒙った民族受難の象徴である。 もちろんそれは信仰ではないし、タブーであっていいという訳ではない。 つねにその史実について科学的検証が求められていいし、又、 その検証に耐え抜くものでなければならない。

しかし、今日本からおきてくる南京大虐殺否定の声は、 何も一つの史実の否定であるばかりでなく、 過去の侵略戦争そのものの全面否定と「大東亜共栄圏」思想の復権、それに、 中国人蔑視の民族排外思想が結びついた根の深いものである。 中国人や中国社会は極めて鋭敏にならざる得ない。 2年前に市民団体の招請で来日した「ラーベ日記」の著者 ジョン・H・D・ラーベの外孫にあたるウルズラ・ラインハルト女史は、 「被害者が自己の尊厳を取り戻すためには加害者が事実を認めることが不可欠だ」 といった。 その逆も又しかりである。 すなわち、「加害者が事実を認めないとき、被害者の尊厳は回復されない」。 日本から聞こえてくる侵略と加害事実の否定の声は、 中国人受難者の人間的存在を侮辱し、 彼らの民族的尊厳を著しく傷つけ踏みにじっている。

南京大虐殺の事実を否定するすべての動きに対し、中国人が敏感になり、悲しみ、 怒るのは当然のことである。 加害者による加害事実の否定は、被害者に対する二度目の暴挙であり、 更なる加害である。

日本の裁判所は、 過去二度にわたって南京大虐殺の一端を良心の呵責で告白した一人の日本人元兵士を 「名誉毀損」で有罪判決した。 しかし、本当に名誉と尊厳を傷つけられたのは南京大虐殺の受難者達である。

(3)東裁判の本質

東裁判の本質は、 第一に訴訟を仕掛けた歴史改竄主義者たちが名誉毀損という民事裁判の形式をとって、 南京大虐殺という歴史的事実を葬り去ることにある。 第二に、歴史の真実を語るものを、恫喝し、沈黙を強いることによって、 過去及び今後出てくるかもしれない加害の証言の信憑性をおとしめ、 自分たちの虚構の歴史をつくることにある。

一部の日本人の中には、これは「事実認定」をめぐる一つの民事訴訟であって、 東裁判で東氏が負けても南京大虐殺事件という歴史事実は抹消することができない。 中国人は騒ぎすぎるという意見もあるが、これには同意できない。

堤防の決壊も最初は一匹の蟻の孔からはじまるという例え話があるが、 事の起こりが一握りの人々、或いは一つの些細な事柄によるものであっても、 もしこれを軽く見るならばやがては取り返しのつかない事態を招いていったことを 歴史の教訓から見て取ることができる。 この裁判の仕掛け人の一人、板倉由明は次のようにいう、 「これを一つの突破口として、歩20の残虐行為の虚偽を証明して名誉を回復し、 さらにいわゆる「南京大虐殺」の虚構を明らかにできれば 日本国民全体の利益とも合致する」(「月曜評論」1993年5月17日号)。

彼らは、一貫して南京大虐殺は虚構という立場に立ってきた。 「『南京大虐殺』は未だ歴史事実ではなく、むしろ最近では洞、 笠原説などこれを否定する学説が多い(原告側準備書面五)。 更には、被害はむしろ中国人によるものという暴論まで吐いている。 たとえば「(南京での)民間人の被害は、日本軍によるものより、 中国人によるものの方が多く記録されている」、 「放火略奪は日本軍によるものよりもむしろ中国軍自身によるものが 圧倒的に多いことが記録に残されている」、 「日本の占領はむしろ市民生活に安定をもたらした」など白を黒と言い含め、 東京裁判については「裁判とは名ばかりで審理手続きも結論も『勝者の正義』である」 と決めつけ、東京裁判における南京大虐殺の中国人被害者の証言については 「(集団大虐殺は)突然中国が一方的に提出した証言で白髪三千丈式にならべたもので、 何ら信憑性のないものである」と攻撃する (以上いずれも1997年11月13日付被控訴人側準備書面六)。

つまり、裁判をしかけた側の意図は、まさにこの論調にあらわれている。 それだけ、東史郎氏の日記とその証言の公開は、 歴史改竄主義者たちにとって衝撃的であり、 彼らの目的を達成するためには何としてもこの東史郎という身内の日本人を恫喝し、 裁判という体制の道具でもって社会的制裁を加える必要があったと考えられる。 それは、1987年の日記の公開後に東氏によせられた手紙や電話、 或いは街宣車などによる多くの脅迫や抗議からも伺い知ることができる。

東裁判で、東史郎氏側から出された多くの証言と資料 とりわけ高裁段階での手榴弾に関する実験記録は、極めて科学的に合理的なもので、 東日記の信憑性を充分に裏付けている。 むしろ、第一審、第二審の判決は、 歴史認識の欠落した裁判官による恣意的な憶測と歪曲に満ちたものであり、 きわめて政治的な意図をもったものであると考えないわけにはいかない。

中国人にとって民族受難の象徴である南京大虐殺という史実の否定は、 中国人の民族としてのアイデンティティーに対する挑戦であり攻撃である。 中国人はこれを黙視できないし、容認することができない。 もし、本当に、「事実の認定」だけをめぐる名誉毀損の民事訴訟というならば、 まさに事実の可否性の一点にしぼって議論されるべきであり(もっとも、 その場合でも南京大虐殺についての歴史認識の欠落があれば、 同様に公正な判断は期待できないであろう)、 これほどまでに中国人に対する挑発的な、攻撃的な論調は許されるべきではない。 しかしもともとの裁判を仕掛けた側の意図がそこにある限り、 中国人は抗議と怒りの声をあげないわけにはいかないのである。

(4)中国人にとっての東史郎と東裁判

東史郎氏は、 1937年京都第16師団福知山連隊の一兵卒として南京攻略戦に参加した。 南京攻略戦で犯した日本軍の犯罪は、筆舌に尽くしがたいものである。 東史郎氏は、自ら日記の中でも述べている通り、3名の農民の首を切り、 30数名の老人・子供を含む集団虐殺に参加し、又、 有蓋車の中に捨て置かれて負傷した数百の中国軍兵士の虐殺にも参加し、 更に様々な掃討作戦に参加している。 また、「愛は死よりも強い」といって、 中国の若者とそれをかばう女性を虐殺する様子を傍観者的に書いている。 虐殺された同胞達の無念の思いはいかばかりであったかと思う。 東史郎氏は、 過去間違いなく中国人民にとって許すことができない戦犯の一人であった。

しかし、中国の諺に「人非聖賢、敦能無過」 (人は神ではないから、必ず過ちをおかす)というのがある。 そして「知錯、認錯、改錯」(過ちを知り、過ちを認め、過ちを改める)ならば、 中国人は、その人を許し、友人として受け入れるだけの度量をもっている。

今、東史郎氏は、過去の犯罪行為を告白し、反省し、中国人民に対して謝罪した。 人は誰でも過ちを犯すものであり、その過ちを認め、反省し、 謝罪することは勇気がいることである。 ましてや彼の語る南京大虐殺の一端を封じることによって、 南京大虐殺事件の全てを否定しさろうとする歴史改竄主義者達と、 長期にわたって闘っている東史郎氏は中国人にとっては、尊敬すべき人であり、 中国人が彼を友人として迎え入れたのは当然のことである。

他方で、私個人の感情からいえば、 東史郎氏が二中時代に剣道部で鍛えたというあの太い腕をじっと見ていると、 かつて、その腕で我が同胞の首を切ったことを思い出すとき、 やはり生理的な嫌悪感を覚えずにはおれない。 怒り、悲しみ、苦悩する老齢の東氏を傍らに見ていて、この老人に深い同情もし、 感激もし、尊敬もしながら、なおかつ、東氏を心底から好きになれないのである。 私の人間としての至らなさのせいでもあろうが、民族的な感情とはそんなものであろう。 かつて、イスラエルの首相をつとめたペギン氏が 当時50才以上のドイツ人とは決して握手をしなかったという。 なぜなら、そのドイツ人はかつてナチスに加わって、 ユダヤ人虐殺にかかわっていた可能性があり、 もしそのようなドイツ人と握手をすれば、 虐殺された身内や同胞に申し訳が立たず 慚愧の念にかられるであろうという理由からである。 99年の4月、東氏が中国を訪問したとき、 四川省からきたテレビ局の若いインタビュアーが、 東氏に対して「なぜ無辜の農民の首を切ったのか、 なぜ50年もたってから反省したのか」と問い詰めて、 東氏を当惑させたのは中国人の素直な感情を表現していると思う。 中国人は東氏を決して英雄視することはないし、英雄視することもできない。 一部日本人の中には、中国は東氏を利用して 中華ナショナリズムを昂揚させているという人がいるがこれは全くの見当違いである。

事実の経緯をみれば明らかであるが、 中国人が明確に東氏を支援するようになったのは一審敗訴後、 東氏が高裁に控訴してからである。 それも東氏側弁護団から要請を受けて、南京で手榴弾実験が行われたり、 今は埋め立てられて面影のない沼地についての情報提供を 新聞で呼びかけたりしてからである。 南京の中国人達は弁護団と東裁判を支援する会と一緒になって 東日記の描写の信憑性を検討したのである。 歴史学者、火薬学の権威者、地理学者、測量の専門家、そして一般の多くの市民、 これらの人々が弁護団や支援する会のメンバーと何度も交流したり、議論したり、 老齢の東氏を何度も引っ張って現地検証したり、 その費やされた時間は相当のものである。 手榴弾実験の経費は全て日本でのカンパによって補われた。 この過程で南京の関係した中国人たちは東日記の信憑性により強い確信をもち、 この確信のもとに南京で東日記の中文版の出版まで決意したのである。 これらは全て民間交流を通じて行われた。 手榴弾実験が中国のマスコミで報道された時はじめて大きな反響をよびおこした。 この時から多くの中国人は東裁判に深い関心を持つようになったのである。 中国人はある日感情的に盲目的に東氏支援に走った訳ではない。

今、中国人が怒っているのは、 歴史改竄主義者達が東裁判を通して南京大虐殺の歴史的事実を 否定しようとしていることに対してである。

二審判決後、中国外交部スポークスマンの朱邦造氏が語った言葉、 「東史郎裁判は、決して普通の民事訴訟ではない。 その実質は、少数の日本の右翼勢力が、司法手続きを通して、 南京大虐殺を否定することにある。 日本の東京高裁は歴史の事実を無視して、誤った判決を出し、 中国人民の感情を著しく傷つけた。 中国側にこれに対して、再度遺憾と義憤の意を表する。 歴史の事実は抹殺できるものではない。 我々は、日本側が実際の行動でもって、歴史を正視し、反省し、歴史を鏡として、 平和の道を歩むことを要求する」(「新華日報」、1998年12月29日)は、 完全に中国人の感情と意思を表明している。

(5)留意すべきこと

民族排外思想は、左翼や右翼を問わず、又進歩や保守を問わず、 その人を虜にする危険性をはらんでいる。 かつて「山川イズム」で有名な社会主義者の山川均は、戦時中、 通州事件での保安隊の抗日蜂起を指して「支那軍の鬼畜性」と罵り、 当時の体制と一緒になって中国人を排撃した。 ワイマール体制下の共産主義者達は、ユダヤ人イコール資本家と決めつけ、 「彼らを街灯に引っかけ処刑せよ」などと叫んで、 右派と一緒になって当時の反ユダヤ風潮を高めるのに大きな役割を果たした (大澤武雄著:「ヒットラーとユダヤ人」講談社、1995年、P86)。

今、日本において、 「自由主義史観研究会」や南京大虐殺を否定する「まぼろし派」が、 南京大虐殺事件否定のための様々なキャンペーンをはっている。 その根にあるものは、民族排外思想であり、民族差別観である。 その根は62年前に南京大虐殺事件を起こした野獣のような武装集団と、 それに歓呼してねり歩いた提灯行列の人々の根とかわらない。

民族排外思想が社会を覆うとき、戦争は足早にやってくる。 今、東裁判を黙殺する日本のマスメディアや 進歩や良識を代表すると思われる人々からも、 中国人を蔑視し中国人を嘲笑する声が聞こえてくる。 中国人である私は敏感にならずにはおられない。

それにしても、一人のかつて鬼であった日本兵士が良心の呵責に耐え切れず、 人間の心を取り戻し、過去の過ちを告白し、真実の声をあげたとき、 日本社会は何と過酷な対応をするのであろうか。 かつて、撫順戦犯管理所で、「鬼から人間」によみがえった人々が、帰国してきた時、 この社会は「洗脳された人々」、「皇軍の顔に泥をかけるもの」などの理由で、 これらの人々の良心の声を真剣に聞こうともせず、教訓化もせず冷淡に扱った。 日本社会で過去の戦争犯罪を懺悔し良心をとりもどすことは、 「生きて虜囚の辱め」を受けたことと同じであり、決して許されないことなのか。 一人の庶民をかくも、 冷酷な殺人鬼にしたてあげて侵略の先兵として追いやった日本は、 その人が殺人鬼の心をもちつづけるか、はたまた「護国の鬼」としてしか、 帰ってくることを許さなかったのである。 今、問われているのは、日本の良心とか叡智とかいったものではなく、 戦前も戦後も変わらない日本社会の八紘一宇の精神構造である。

                   (在日中国人二世、中日民衆交流史研究者)

 

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