木村愛二・渡辺武達教授「ガス室」神話 公開質問と応答:1

「ガス室」神話に関する記事への民衆のメディア公開論争

 この項目の目的は、議論形式で「ガス室」謀略の理解をしやすくする点にあります。応じて頂く方には、世間的に御迷惑なことになりかねませんが、渡辺さんを指名することになった事情は、以下のやりとりで御理解頂けると思います。


1998.4.1. 最初の公開質問

 木村愛二です。

 また「ガス室」か、「やだな!」と思う人もいるでしょう。

 しかし、そこがこの謀略のミソなのです。恐怖支配こそが、権力とメディアの大嘘の秘訣なのです。

 欧米の一部では、この「ガス室」を中心的な凶器としてニュルンベルグ国際軍事裁判所が判決したユダヤ人「ジェノサイド」(その直前にシオニストでローズヴェルト大統領の補佐官だったポーランド生まれのユダヤ人法律家、ラファエル・レムキンが造語)を否定する言動が刑法で禁じられています。

 しかし、法律は絶対ではありません。すべてを疑え。これが科学的思考の原則です。

 特に、大手メディアが何らの検証の努力もせずに、既成権力・学界などの言い分をそのまま報道している場合には、徹底的に調べなおすべきです。これが「メディア研究」の基本動作です。

 日本では、私が国民学校の3年生で敗戦を迎えるまでは、天皇が神様ではないと言えば不敬罪で罰せられただけでなく、特高警察や右翼暴力団から半殺し、いや、場合によっては本当に殺されました。

 私は北京の小学校で、毎朝、朝礼で東方遥拝(とうほうえいはい)をさせられました。遥か彼方の「皇居」を拝む儀式でした。天皇の「人間宣言」にはゲッという思いをしました。

 だから私は、シオニスト・ロビーの支配下にある欧米の刑法が強化されるという状況を見て、なおさらのこと、「ガス室の嘘」を確信し、暴く決意を固めたのです。その後、日本軍は、イスラエルの違法占領地帯、ゴラン高原を守りに行っていますが、日本のいわゆる識者の反応は実に鈍いものです。

 さて、そんな状況下、私は少しでも議論の場を広げるために、60の手習いでインターネットを始めました。その矢先に、FAXで、創価学会系の潮出版社が発行している『月刊パンプキン』(1997.12)掲載の記事「MEDIAウォッチング」12「『血みどろ写真』掲載は表現の自由か」が送られてきました。

 筆者は同志社大学教授で、このMLに参加している渡辺武達さんです。私は渡辺さんと「人権と報道連絡会」の集会の二次会で会い、直接「ガス室」のことで話したことがあります。それは集会のパネラーだった渡辺さんが『マルコポーロ』廃刊事件について、事件当時の大手メディア報道と同じ見解を示したからでした。

 MLでは短くしましょう。いずれ詳しくホームページに入れます。

 私は渡辺さんの記事を読んだのですが、できるだけ MLの外側の文章をあげつらいたくないので、渡辺さんの反論を期待して、この問題のメールを何度か送りました。しかし、一度も反論がないので、こちらから催促します。

 まずは、簡単に、渡辺さんの文章の問題点だけを抜き出します。題は先のように「『血みどろ写真』掲載は表現の自由か」であり、最初の小見出し「表現の自由は市民を守るためのもの」の書き出しが次のようになっています。

「最近、『湾岸報道に偽りあり』などの著者として知られる木村愛二氏がジャーナリズム関係者のあいだでしばしば話題になる。反権力を売り物にしてきた氏がナチの虐殺を否定するかのような本を書いたのと、そのことに関連して『週刊金曜日』の関係者からドイツ司法当局へ告発されたからである」

 つまり、私の著書などが、ダイアナ「ニセ合成写真」と同工異曲のものとして扱われているのです。

 さらに、私の説は『マルコポーロ』廃刊事件の記事と同一視されます。そして、「(『マルコポーロ』記事は)SGI(創価学会インタナショナル)によってもウフォールストリート・ジャーナル、アジア版への意見広告として告発された(96年12月)」(この資料が欲しい。執筆者は誰でしょうか?)

 続いて、「(この種の)論を、日常会話ならともかく、一般市販メディアで主張すること、またそうした主張をさせるメディアの責任が問われたのであった」となります。

 渡辺さんが「私は」という書き出しで始める一節では、「新潮社や文芸春秋を反人権出版社と断ずる」となっていますが、私の本は「リベルタ出版」から出ていますので、この点の見解は不明です。

 さて、一応私見を述べますと、最初の「売り物にしてきた」という表現は、いかがなものでしょうか。私は、ハッキリ言うと、これだけでも実に不愉快です。私は本多勝一風情の「商売人」ではないことを最大の誇りにしています。これは、謝って頂きたい。

 あとの問題は、こういう見解を私に直接言わずに「一般市販メディア」に書きながら、MLでは反論を展開しない渡辺さんの本心を知りたいということです。

 ゴラン高原出兵違憲裁判の原告としては、緊急かつ重大な命がけの問題なので、誠実な返答を期待します。詳しい私見はホームページを御覧下さい。

とりあえず以上。

 URL: http://www.jca.apc.org/~altmedka/


1998.4.1. 「ガス室」神話・渡辺さんへの公開質問2

 木村愛二です。

 上記表題で渡辺さんへの公開質問を出し、返事を待っていたところ、返事がないままに、文字化け問題で渡辺さんが2度論じておられるのを拝見。私の質問を見ていないわけはないと判断しますので、再度、この「2」を送ります。

 ML仲間には私の主張を理解できない人もいるでしょうが、面識のあるMLメンバーが、本人には直接何も言わずに、「反権力を売り物にしてきた氏」とか、「誤解表現」とかの(こちらの方が私の考えでは本当の)『誤解表現』を、創価学会系の一般市販雑誌『パンプキン』(97.12)に名指しで公表していると知った時の気分がどんなものかを、想像してみて下さい。この件では、『週刊金曜日』ばかりか『世界』等でも同程度の居丈高な論調が見られますが、私は、そう言う「我こそは正義なり」という姿勢を、フランス革命以来の歴史的事実に基づいて「ギヨチニズム」と名付けています。収容所列島、三角帽子、などなどは、その典型的な系譜です。

 渡辺さんは、特に「教授」という肩書きなので、重視さぜるを得ません。「教授」とか「記者」とかに関する私見は、私のホームページにも記しましたので割愛しますが、私自身は、肩書きのある人の発言を読む時は特に眉毛に唾を付けることにしています。もちろん、人間すべて、または記者のすべてが怪しいというのではないのと同様に、教授がすべて怪しいと決めつけているわけではありません。問題は免疫のない人々への影響力なのです。

 渡辺さんの文脈では、拙著『湾岸報道に偽りあり』『アウシュヴィッツの争点』も、読んでおられないとしか判断できません。これは、私の最近の表現、「アカデミー業界」「マスコミ業界」に共通の現象なので、渡辺さんの将来にために大いに憂えるのです。

 特に「メディア論」を専門とされるのであれば、しかも、メディア批判の立場を取るのであれば、なおさらのこと、資料からの引用は正確を期さなくてはなりません。

 渡辺さんは『マロコポーロ』廃刊事件の記事の説について、「ソ連とユダヤ人がつるんでおこなった捏造」と記していますが、原物の表現は「アウシュヴィツ収容所跡で公開されている『ガス室』なるものは、戦後ポーランドの共産主義政権が、または同国を支配し続けたソ連の捏造」であって、すでに、いわゆるホロコースト見直し論に反対の立場の論者ですらが、戦争中には防空壕だった建物を「改造」した事実を認めているのです。記念碑の数字も、中途半端な議論ですが、400万人から150万人に彫り直され、見直し論に反対の論者から60万人説が出るという混乱振りです。

 拙著に関して、『湾岸報道に偽りあり』は評価するが、『アウシュヴィッツの争点』は認めないという意見は、本多勝一「被告」によってもなされているのですが、私は前者の最後に「補章」として「ストップ・ザ・『極右』イスラエル」を設けており、そこで、湾岸戦争を煽ったイスラエルおよびイスラエル支持の欧米メディアへの疑問を列挙し、「シオニストの指導者がナチ政権と協力関係にあった」と指摘し、「『被害者スタンス』には、かなりの誇張と巧妙な嘘、プロパガンダが含まれているらしい」し、「『被害者』意識を極右が利用し」ている点に注意を向けています。両著は連続しているのです。

 拙著を正確に読めば、渡辺さんが、私と会った「人権と報道連絡会」集会で話したと同様の文章を、先の『パンプキン』記事に書くはずはありません。その部分を引用すると、「(『マルコポーロ』記事を「虚偽表現」とする)理由は、毒ガスの製造工場、運搬手段、運搬者、ガスの管理者・使用者」が「明らかになっていること」とあいますが、問題は、その「毒ガス」なるものが、「チクロンB」という殺虫剤であって、ドイツ軍の兵舎の消毒にも使われていたことにあります。それが「転用された」というのが、いわゆる「絶滅論者」の主張なのであって、秘密でも何でもなかったのだから、「明らかになっていること」には何の意味もないのです。

 たとえば、薪を割る斧などは、私が子供の頃に毎日、風呂にくべる杉の製材薪を割る手伝いをしていた日常的な道具ですが、殺人にも使えます。斧があることが「明らかになっていること」が、それで殺人を行ったと判断する「理由」になるのであれば、私は殺人者だったのでしょうか。「ガス室」神話には「死体がない」のです。写真で示されるのは「発疹チフス」の死者なのです。

 こういう初歩的な疑問を封殺して、「建国神話」を維持し、極右人造国家イスラエルをのさばらせているのが、欧米の大手メディアを支配するスオニスト・ロビーなのです。毎日のように、パレスチナで石を投げて抗議することしかできないアラブ人の子供たちが殺されています。だから、私は、この問題に命を張っているのです。  ホームページにも詳しく記しますが、MLでも渡辺さんの誠実な回答を期待します。以上。


1998.4.6. 渡辺さんからの初応答

 木村愛二様

   4月6日   From:同志社大学 渡辺武達

 上記の問題について、申し訳ありませんが、第一の公開質問がいつなのか、ある いはその文章を再送e-mail:twatanab@mail.doshisha.ac.jpしていただければうれしいです。pmn4198のものはただ今拝見しましたが第一のものは見逃していす。木村さんはとても体力のある方なので本当は論争などなくていいっぱなしのほうがいいのですが仕方ありません。なにとぞお手柔らかに・・・・いずれにせよ、そのうえで回答しなければいけないと思います。なにとぞよろしくお願い申しあげます。(止め)


1998.4.6. 初応答に関しての公開報告

 木村愛二です。

 やっと渡辺さんに応答していただけて、安心しました。この問題では、湾岸戦争以来、運営委員や企画部員をしていたJCJとも、主要メンバーの取りなしを蹴って訣別(ただし国際部は引き止められてゲスト参加)など、各所であえて衝突しています。最近の中東情勢に鑑み、事務局に「公開論争開始」を通告しました。

 近く出す『偽イスラエル政治神話』の「訳者はしがき」では、私自身が旧著『読売新聞・日本テレビ・グループ研究』の中で、「自分では何も調べずに」「アウシュヴィッツなどの虐殺が明らかになり」と書いていた事実を告白し、議論を進めやすいように工夫しました。それでも「皮肉がきつい」と言う向きもあるでしょう。それは、私自身がこの問題で味わった「石もて故里を追われる想い」(『歴史見直しジャーナル』15号)の反映でもあります。

 実は私は、こういう事態を十二分に予測していたので、多くの知人友人には、最初から「これをやるぞ!」と予告し、邪魔をさせないというよりも恥を掻かせないですむように注意したのです。しかも、この問題の根深さを考えて、以上の個人的な接触の経過は公表していません。

 ですから、面識があり、それ以前に『ジャーナリズムと倫理』だったでしょうか、珍しく訳者解説・資料の方が多い本を図書館で発見して、何人かのメディア研究者に推賞していた私としては、渡辺さんとの衝突は避けたかったのです。

 第一回の分の「公開質問」も直接送りました。

 詳しくは拙著及び、スキャナーとデジタルカメラを買ったまま使用方法を学ぶ時間が取れずに「字ばっかり」と批判され、これも面識どころか約一年ほど「日本文化研究会」(ヤクザ問題の例会)で付き合ったオッチョコチョイの元早稲田民青突撃隊長こと狐目の『突破者』に学べなどと若者から教えられている私のホームページ(字)を御覧下さい。『突破者』は表紙だけ見て、もう結構でした。半生をテレヴィ局で暮らした反動も手伝ってか、これでもかこれでもかと無駄に動く絵を見るだけで気分が悪くなるのです。

 私は、やはり、紙魚(シミ)なのでしょうか?

 URL: http://www.jca.apc.org/~altmedka/

 以下、当方のミス(mailに余分のeを入れ差戻し。それぐらいイーじゃないの!)


「ガス室」問題 。1998.4.6 9:32 PM. 渡辺武達

 木村様

   1998年4月6日

 私宛の公開質問状の1とかいう文書、探し当てました。きびしい問いですが、 木村さんのホームページと関係図書を読ませていただいたうえでお答えするのが礼儀だと思いますのでいましばらくお待ちください。それから、一日にメールが 学生からの者も入れて多いときには50ほども来るので読み忘れたままでtrashにるものがあり、第一文書もそうなっていました。おそれいりますが、公開なさ るのは自由ですが、私の個人あてのメールにも同時に打ち込んでいただければうれしいです。

 なにとぞよろしくお願い申しあげます。From:同志社大学 渡辺武達


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