木村愛二の生活と意見 2004年4月分 1件のみ

先月末、2004年3月31日(水曜日)の日記風に、
「今月もまた、正月はしょうがない、2月は逃げる、3月は散々で、4月も仕方ない、と成りかねない状況」と書いたら、本当に4月は、本当も本当、これまでの67年目になるわが人生で、最も「仕方ない」状況になった

2004年4月30日(金曜日)

 わが電網宝庫の亜空間通信の特集リンクには、「小泉訴訟」と、「イラク3邦人誘拐事件」を、追加した。これに阿修羅戦争掲示板の投稿を加えれば、この一ヶ月のわが苦闘の有様が分かるはずである。

 4月1日に創刊号を発行した季刊『真相の深層』と、先月末、3月30日に提訴したイラク派兵違憲差し止めと、小泉個人のイラク派兵問題と連結する婦女暴行逮捕経歴詐称問題の提訴が、まずは重大事件だし、それに加えて、4月8日には、イラクで3人の日本人が人質になった。これまた大騒ぎとなった。

 拙著と季刊『真相の深層』の発行元で、実は、ほとんど私個人の仕事、木村書店も大繁盛、あまり利益は出ないが、注文殺到(あくまでも、これまでとの比較)、そこで、月半ばの4月14日には、中東関係の拙著と、中東関係の記事が多い季刊『真相の深層』創刊号の読者への折り込みとして、以下の葉書の大きさの紙片を入れることにした。

 で、本日、まさに月末には、これから、地裁に双方の提訴の追加の書証と証拠説明書を提出し、その後、すぐ裏の弁護士会館で開かれる予定と聞く「人質2人の記者会見」の会場に出掛ける。

 小型のムービーとやらと三脚を持参して、地裁と弁護士会館の前で撮影する。主演はもちろん、私自身の作品の予定である。自分がしゃべるのを録画するのであって、録画は楽だが、編集は手間が掛かる。作品の完成の予定は立たない。

 4年前、2000年11.28(火)には、アメリカ大使館の前でも、これをやった。英語で演説したのだが、これもまだ未編集である。これには、以下の日記風の記録がある。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/turedure-0-1128.html
11.28(火)
鍛え直した声帯と体力でアメ大・検察庁・警視庁・外務省と梯子演説の怪

 一昨日の日曜日の夜、……明日、天気予報では晴のようだから、2000.11.27.(月)、初の英語街頭演説に立つ。やるぞ!……と、自分自身を追い込むべく、この「日記風」の前回、2000.11.26.(日)の末尾に記し、一部メーリングリストにも案内し、某アラブ記者にもメールを送り、メール受領の返事を受け、ついに背水の陣を敷いた。
 その昨日の月曜日、まずは本当に快晴だった。荷物が沢山だったから、チャリンコとテクテクシーでは、汗ダクダクで、いや、いや、夏山同然、暑かった。港区は赤坂のアメリカ大使館前に辿り付き、昼休みの1時間、バッチリ、英語の演説、やったぞ!

「貴方は正しい」(You are right)とガーナの女性が激励
 [後略]

 以上。

(2019.8.14追記:このシリーズは2004.12.09日記・雑誌の編集長舌代に記したように、今回で終了しました。次なる編集長の辛口時評が2005.9に始まります。)

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