『煉獄のパスワード』(6-9)

電網木村書店 Web無料公開 2006.6.6

第六章 カイライ帝国の亡霊 9

 用心のために達哉はレシーバーを耳に当てて聴いた。テープに録音されていた会話は三十分ぐらいのものだった。

 断片的な会話で、内容はすでに何度か話し合ったことの確認らしい。意味不明の略称がいくつか使われていたが、大体の見当は付いた。疑う余地もなく、右翼団体と自衛隊によるクーデター計画の打合わせであった。

〈興亜協和塾での作業〉とか〈進行状況はどうか〉という問答があったが、その〈作業〉の内容は分らなかった。〈Xデイ以前にバラマキ工作〉が予定されているらしく、その資金を〈一度に二百億円以上動かすよう努力中〉だという。憲政党の〈派閥のトップが動かす資金でも年間に十億とか二十億の単位〉なのだから、政界やマスコミ界への〈買収工作資金としては史上最大の規模になる〉と豪語する男がいた。

 その男が、どうやら座の中心になっており、角村と呼ばれていた。角村は最後に、陣谷弁護士からの極秘情報だと断って、智樹らの秘密グループの活動状況を皆に報告していた。〈明日が告別式だが、最高裁の弓畠耕一長官の失踪、死亡には謎がある〉〈ヴィデオ・テープを撮られたらしい。足が付く恐れがある〉といった問題点が報告された。角村以外に四、五人の声が入っていたが、名前は出なかった。誰かがドスの効く声を出していた。

……〈影森たちは余計な所に鼻を突っ込み過ぎる。秘密を知り過ぎてる。我々の計画を嗅ぎ付けるかもしれん。そろそろ消しといた方が良いんじゃないか〉

〈いや。そうもいかん〉と角村が遮った。〈《いずも》の正規のメンバーに手を付けると、逆にこちらが火傷をする。《いずも》は敵に回さない方が良い〉……

〈しかし、影森は風見とかなんとか、部外者をやたらと引っ張り込んでいる〉〈若造の新聞記者と刑事がまだ付きまっとっている。押えが効いていない〉などと何度もいう声には粘っこい特徴があった。

 

 丁度全部を聴き終わった時に、万里江が戻ってきた。

「どうだった?分ったかしら?」

「うん。大体の見当は付く」

「クーデター計画でしょ?」

「そうらしい」

「Xデイって何よ」

「天皇が死ぬ日のことだ。マスコミ報道を中心に色々な計画が練られている。もう何年も前からマスコミでは非常事態対策要領なんてものを作って、いざという時に備えているんだよ」

「その日のドサクサにクーデターを起こそうってことを、誰かが考えているわけね」

「そういうことらしい。……万里江。俺にも意味が分らない部分が沢山ある。自衛隊の用語らしいんだ。影森なら見当が付くだろうし、声を聴けば喋っているのが誰だか分るかもしれない。テープを借りてって影森に聴かせてみたいんだが、どうだろう」

「それは駄目!」

 万里江はピシャリといった。すでにそのことは考え、態度を決めていたらしい。

「決して貴方たちを信用しないわけじゃないわよ。だけど、なにが起きるか分らないでしょ。このテープが誰かの手に渡ってしまったら、どうなるの。どこで録音したかすぐ分るから、私が狙われるわ。そうでしょ」

「確かにその通りだ。分った」達哉はすぐに同意した。

「まあ、君が知らない間に誰かが盗聴マイクを仕掛けたという弁解もできなくはないが、疑われればそれまでだ。だったら、影森をここに呼ぼう。それなら良いだろ」

「良いわよ」万里江は持前の大胆さを取り戻し、挑発的な微笑みを浮べた。

「風見さんさえ承知で、妬いたりしなければ、ねッ」

 智樹と万里江の関係は、達哉と万里江の二人の間だけで通じる冗談の一つだった。

 万里江は達哉と打解けて昔話をする時、次から次へと〈あの頃好きだった男の子〉を持出して楽しむ。それが一種のゲームのようになっていた。その後のことについても、〈あの若い水泳コーチ〉とか。〈あのフランス語の会話の先生〉とか、聞く度に相手の数が増えていく。おまけに最近では〈若い人は肌も綺麗だし、気持ちも純粋だし、……〉というのろけ口調の身もだえまでが加わってきた。どこまでが本当かは分らないものの、達哉が〈淫乱。淫乱。聞いている方が疲れてしまうよ〉と呆れてからかう程に話が発展する。万里江は〈淫乱〉といわれると向きになって、〈私は自分の気持ちに忠実で正直なだけよ。女は何時でも恋をしているんだから〉と切り口上で反論するのだった。

 智樹は昔から女性に対しては無口な方だったので、万里江は自分の挑発が無視されているように感じたのだろう。表面上は智樹に無関心を装いながら、昔から気に掛けていたらしい。ところが最近になって、〈私って、ああいう無口な、黙って耐え忍んでいるようなタイプの男に弱いのよ〉といい出したのである。

 ふと、振り返ってみると、それはあの京都の一夜を経て以後のことであった。

 万里江にはいささか、自分の手中に収めた獲物をいたぶる狩猟動物、いや、ヴァンプの趣がある。その一つの表れだと気付いた達哉は思わずニヤリとした。もう、その手でもて遊ばれる年齢ではない。〈君の精神的淫乱癖は仕方ないけど、俺と影森の間に水を差すのは止めてくれよ〉などというと、万里江は〈あら、いやだ。精神的だけじゃないわよ。妬けるの?〉と嬉しそうに笑う。その癖、智樹と顔を合せると、何事もなかったようにお高く止まって気取っているのだった。

「よし、ここから影森に電話するよ」と達哉は断った。

「良いわよ。……でも、一寸待って」と万里江は急に手を振って、達哉を止めた。「先刻、あの連中が店に現れたのよ。影森さんの顔は知られているんでしょ。だから、裏口から入って貰った方が良いわ。……そうね。それでもまだトイレの廊下で出会う可能性もあるし、……。どうしたら良いかしら」

「分った。変装させよう」

 達哉は電話で智樹に状況を説明し、用心のために変装をしてくるように伝えた。

 智樹を待つ間、達哉は盗聴マイクからの録音を新たにセットし、録音しながら同時に客席の会話をレシーバーで聴いてみた。会話は若干興奮ぎみであった。昼の〈葬式に老人が現れたこと〉の良し悪しが、議論になっていた。〈塾〉といっているのは、智樹から聞いたばかりの〈興亜協和塾〉のことのようだった。〈塾を覗きにきた若造の新聞記者と刑事〉について、〈ちゃんと始末した〉という報告があった。角村が〈塾での作業を早める必要がある〉などと強調していた。

 智樹は眼鏡を掛け、日曜大工用の作業服に作業帽、スニーカーを履き、ご丁寧に道具箱まで抱えて現れた。顔付も少し変わっている。部屋に入ってから含み綿を出して見せたので、達哉は笑いを押えるのに苦労した。様子を見に入ってきた万里江も、吹き出しそうになった。だが、「笑いごとじゃないよ」と智樹は真顔であった。「また今日、二人死んだんだ。今度ははっきりとした意図的な殺人だ」

 そう言って智樹は、長崎記者と浅沼刑事の最後を伝えた。

「そうか。たった今、〈若造の新聞記者と刑事〉とか〈ちゃんと始末した〉とかいっていたが、その二人か」と達哉がいった。万里江は怖そうにブルブルと肩を震わせた。

 

 智樹は黙って二本のテープを聴き、要所要所でメモを取った。聴き終わると、

「後はこちらで調べる。このテープは消すよ」

 といって、万里江の返事を待たずにカセットデッキの消去ボタンを押した。二本とも消去した。受信機を外してポケットに入れる。

「万里江。店を閉めるのは何時だ。遅いのか」

「十一時よ」と万里江は時計を見る。

「もう直ぐだわ。うちはシャンソンが売物だから、遅くまで飲んべえと付合う気はないのよ。終電前には帰って戴くの」

「それじゃ待ってる。盗聴マイクと送信器の方も、客がいなくなったらすぐに外そう。盗聴電波を探知するポケット・タイプの受信機もあるんだ。相手は狂暴だからね。バレたらただじゃ済まないよ。万が一を考えて、なにも証拠を残さないようにした方が良い」

「それぐらいのことは私がするわよ」

「いや。駄目だ。いつもは店のものが皆一緒に出るんだろ。理由もなしに一人だけ残ると疑われるよ。この際、完璧を期そう。俺がせっかく作業服まで着てきたんだ。お芝居をしよう。どこか直したい所があることにして従業員を皆、先に帰らせてくれ」

 さすがの万里江も、智樹のテキパキとした態度に気おされ、笑う余裕をなくしていた。

 達哉も冗談ひとついわなかった。作業が終わると智樹は、

「風見。また俺のうちに来てくれ。調べたいことが山程ある。今夜中に打合わせをして置きたいんだ」

「よし。行こう」

「万里江。貴重な情報、有難う。これで大丈夫だと思うけど、気を付けてね」

 万里江は黙ってうなずいた。二人は店の前でタクシーを止め、万里江を先に乗せた。別れを告げると、

「それじゃ、またね」

 万里江は微笑んだ。タクシーに乗り込むと安心したのか、さらに大胆な笑顔を取り戻した。

「今夜はとても面白かったわ。頑張ってね、モン・シェル・ギャルソン!またマスターズ大会でお会いしましょう!」

 

 タクシーで智樹の自宅に向かう間、二人は一言も口をきかなかった。今の今、脳裏を駆けめぐる問題は人前で話すわけにはいかない。かといって別の話題を取って付けたように話す気分にもなれなかった。二人とも直接会ったことはないのだが、今度の事件に係わっていた若者たちの死という事態にも直面している。そのせいか、どうしても気分が沈むのだった。

「フウッ……」

 智樹は自宅に戻るなりソファにドシンと腰を下ろし、思いっ切り大きく溜息を吐き出した。

「しかし、万里江の大胆さには驚かされたな。これでやっと事件の符節が合ってきたんだけど、くノ一忍法にまでお世話になるとは思っても見なかったよ」

「くノ一忍法とはまた古めかし過ぎるな。マタハリぐらいにして置けよ」

「ハハハハッ……。しかし、知らぬが仏とは良くいったもんだ。恐れを知らぬものの強さだね。防衛庁という名前では凄みに欠けるのかもしれないけど、ともかく予算に関する限り米ソに次ぐ世界第三位の軍隊の秘密情報だよ。それをこんなに簡単に盗み聴きされてたんじゃ、目も当てられないね。俺の昔の仕事には防牒があったんだからな。ハッハッハッ……」

 そこで智樹はニヤリとした。

「もっとも、俺にも、あの店を使って盗聴を続けたいという気は起きたがね。ただし、自分の店なら無線装置を使うことはない。有線にしておけば、外部の者が探知するのは難しいからね」

「それは最初から分っていたことだろ。万里江にはわざと黙っていたな」

「もちろんさ。気が付けば、彼女、自分でやりかねないからな。ハハハハッ……」

「くわばら、くわばら、……。万里江が電気工事に弱いことを祈ろう。……やはり、危険だもんな。確かに、万里江が手に入れていた談合情報は最高の軍事機密だよ。最新兵器の採用決定だからね。ところが、万里江の話しっ振りでは、建設会社の入札談合と同じレベルにしか考えていないようだったね。せいぜい、産業スパイ程度の感覚なんだよ。軍隊の権威も地に落ちたもんだ。今度のクーデター計画と俺達の名前が出てきて、初めてビックリしたらしいんだから」

「ハハハハッ……。そりゃあ、誰でもビックリするよ」

「これが戦前だったら、どうだろう。二・二六事件の行動計画が事前に漏れたようなものかな」

「いや。二・二六は、トップの本当の動きがもう一つはっきりしないけど、行動計画は下級将校中心の粗雑なものだ。今度の計画はもっと大掛かりだよ」

「そうだな。二・二六は、人数で言えばたかが一千名程の反乱部隊の直線的行動だった。他の部隊の呼応は単なる空想的な期待に終わっている。だが、それでもあれだけの騒ぎになったんだ」

「問題はむしろ、その後だ。一般にはあまり知られていないが、その後の流れを見ると、皇道派のお粗末なクーデターを土台にして、統制派の方が、事前に準備していたカウンター・クーデター計画に絡め取ったことになるんだよ。それが以後の軍部独裁の強化につながるわけだ」

「うん、俺も少しは知ってるよ。参謀本部で統制派の若手参謀が作成していたという奴だろ。《政治的非常事変勃発に処する対策要綱》だったかな」

「そうだ。ところが今度の計画には、この双方が含まれている。

 あのテープを聴いただけでも、五段階以上の行動展開を考えているようだ。先ず極左グループを装った部隊が天皇制打倒を叫んで各所を襲撃する。目玉は皇太子、というより新天皇の襲撃と防御戦。お次がマスコミ機関の奪い合いだ。

 鎮圧する側は、警視庁機動隊の出動に続いて、自衛隊の全面的出動で事実上の戒厳令を敷く。だから、一部反乱部隊だけの行動ではなくなる。パターンから言うと、反乱分子のクーデターを口実として、警察と正規軍の全体を動かすカウンター・クーデターなんだ。

 もちろん、最初の革命がヤラセなんだけどね、これをテレビでジャンジャン流して本物だと信じこませる。ここが、この計画の最大の山場だろうね」

「戒厳令の後はどうする気なんだろうか」

「〈逮捕者名簿は点検したか〉というのがあったろ。戒厳令を敷いて野党の指導者なんかを逮捕する予定なんだろうね」

「しかし、そこまで隠密裡に計画したものが、シャンソン・クラブで万里江に盗聴されちゃうなんて、ハハハハッ……」

「いや、万里江の盗聴は偶然だが、万里江も俺達の名前が出なければ黙っていたかもしれないよ。クーデター計画のグループが俺達や新聞記者の動きを気にし出したのは、弓畠耕一の失踪と怪死という事件があったからだ。それで俺達が動いたし、彼等も足下が心配になってきたんだ。いわば、最高裁長官失踪事件が端緒となって、クーデター計画の発覚につながったということかな。そして、……おい、おい。いかん、いかん。話に夢中になってしまって、……早く連絡しとかなきゃ」

「《お庭番》チームか」

「そうだ」

「俺との打合わせはどうする」

「待っててくれ」

 智樹は秩父冴子の自宅の短縮番号を押した。冴子が電話口に出るとスクランブルを掛けて話した。


(7-1) 第七章 Xデイ《すばる》発動計画 1