| ┃憎まれ愚痴入口┃木村書店┃戻る┃ | 第六章┃1┃2┃3┃4┃5┃6┃7┃8┃9┃ |
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6 田浦警部補は独りで罵り続けていた。 弓畠耕一の告別式終了後しばらくしてから、田浦の下には覆面パトカーからの連絡が刻々と入って来るようになった。田浦の密命を受けた二人の刑事が覆面パトカーで長崎記者を見張っていたのだが、長崎が尾行している相手が奇妙な三台の黒塗りパンパスらしいと分ったので、急遽無線で連絡を取ってきたのである。二人の刑事は捜査一課に配属されてきたばかりだが、ともに所轄署で刑事係りの経験を積んだベテランだった。浅沼の顔も知っていたので、長崎を乗せた小型乗用車の主が浅沼らしいと報告してきた。ナンバーで割出すと、間違いなく浅沼の車だった。これが、〈あん畜生奴!〉の始まりである。 田浦自身も弓畠耕一の告別式には顔を出しており、あの異様な老人とその一行の姿を見ていた。だから事態を重視して小山田警視に連絡を取った。小山田は即座に言った。 「危険だな。止めることは出来ないか」 「しかし、浅沼には命令出来ますが、あのブン屋はどうでしょうか。ここまで来ると厄介ですよ。かえって反発されると、……」 「それもそうだな。ともかく見張っててくれ」 田浦は覆面パトカーの無線をオープンでつながせた。自分でそう命じた以上、一段落するまでは無線がつながる電話の近くに待機していなければならない。警視庁のデスクか自宅か。移動する際にも無線電話が設置されている警察の車両を使わなければならない。窮屈な話である。結局のところ、デスクを離れられなくなってしまった。 「あん畜生奴!俺を殺す気か」 田浦は罵り続けながらも、実の所、自分の怒りが、やや倒錯したものであることに気付いていた。 確かに浅沼は出過ぎている。しかし、浅沼はタクシー代わりを買って出た立場であり、黒塗りベンツを尾行している主役は新聞記者である。なぜ新聞記者がそんな真似をするのかといえば、警察側が箝口令を敷いた二つの事件の裏に何かあると感じているからに他ならない。つまり、本来なら自分達がやらなければならない捜査を、新聞記者や非番警官のボランティアが代ってやっているわけなのだ。 「あん畜生奴!俺を殺す気か」と惰性で呟き続けるが、考えれば考える程、〈あん畜生〉の怒りの対象がはっきりしなくなる。ジリジリしてくる。無線の連絡待ちで身動きが取れないいらだちも手伝って、箝口令に縛られている自分の立場が恨めしく思えてくる。 〈行先を調べるだけなら、どうってことはないだろ。どうせ、あの二人の尾行を監視してるんだから〉 捜査一課のパソコン・ターミナルを引き寄せると、《興亜協和塾》と叩いた。 〈パスワードを入れて下さい〉と画面に出た。部外秘情報だ。 田浦は自分の暗証番号を入れた。 〈組織名称 興亜協和塾 目的(概略) 大東亜戦争戦没者の遺児を入塾の対象とし、生活費及び学費を無料支給する。学校教育の外に塾内でも歴史、語学、武道の錬成に努める。広い見識を持ち、正義と廉潔を重んずる人士を育成する。 活動概況 結成以来の入塾者は累計千二百名を越えた。社会人となっても塾生の身分は変わらず、自衛隊関係者が多い。目立った社会運動の実績はないが、潤沢な資金を誇っており右翼団体間に隠然たる影響力を持っている。憲法改正による天皇の元首化、自衛隊の国防軍化、年号記載の元号への一元化等を旗印とする。 結成年月日 一九四六年二月一一日 本部事務所 静岡県清水市 主宰者 塾長 久能松次郎〉 田浦は久能松次郎という古風な名前をチェックし、〈名寄せ〉のキーを叩いた。 〈一九〇六年大連生れ。元満州映画協会嘱託。興亜協和塾塾長。〉 「これだけ?」 部外秘情報にしては、あまりに簡単過ぎる。拍子抜けがした。しかし、それ以上の情報は得られなかった。 「ううむ、……」 そこへ覆面パトカーの無線連絡が入った。 「ええ、……ただいま、目的地に到着したようです。興亜協和塾………」 地図上の位置と建物の様子を報告してくる。 「ええ、……浅沼の車も前方に停車中です。どうぞ」 田浦は覆面パトカーに注意した。 「気を付けろよ。危険な相手だぞ。慎重に見張ってくれ。何か動きがあったら、すぐ知らせろ」 覆面パトカーは目立たない位置を選んで移動した。その時、鉄門から二台の黒塗りパンパスが出てきた。Uターンして浅沼の車をはさむ。八名の黒ダブルが浅沼の車を取り囲む。声は聞こえないが、事態は明らかだった。そして、浅沼刑事と長崎記者を乗せた赤い小型車は黒塗りパンパスに前後から挟まれたまま、塾の構内に入った。 その状況の報告を受けた田浦警部補は大いに迷った。しかし、それだけで踏みこませるわけにはいかない。「見張ってろ」といい続けて、とりあえず、小山田警視に連絡を取った。 長崎記者と浅沼刑事は塾の応接間に閉じ込められていた。 「一応、ご身分を確認させていただきます」 とドスのきいた脅しを掛けられるなり、浅沼は慌てて身分を明かした。名刺は持合せていないといって渡さなかった。嘘ではなく本当に持っていなかったのだ。 「ウ……」 とうなった黒ダブルの若者は、浅沼の顔をにらみながら長崎の名刺の裏になにやらメモした後、立ち去った。 応接間の入口には見張りが二人立っていた。ドアの曇りガラス越しに影が見える。カギは掛けなかったが、無理に出ようとすれば事態は悪化するだろう。 そのまま三十分。最初は座り心地のいいソファも、かえって疲れるものだ。イライラは局限に達した。ドアの曇りガラス越しの影も揺れがはげしくなった。長崎が立上がって、ドアをたたいた。 「なんだ。トイレか」 無愛想な声が外から戻ってきた。 「いや。何時まで待たせる気だ。失礼じゃないか」 「ウフフフフッ……。黙って座ってろ。外で立ってる俺達の方が大変なんだ」 「別にこちらが見張りを頼んだわけじゃないよ。ともかく、催促してみてくれ」 「駄目だ。余計なことをいうな。俺達を怒らせる気か」 「………」 長崎が肩をたたかれて振り返ると、浅沼が後ろにいた。首をゆるく横に振り、低い声でいう。 「話しても分る相手じゃありませんよ」 腹を立てた長崎は床をやけに踏み鳴らして歩き回った。 「おい。うるさいぞ!」 と外から声が掛かる。即座に用意の台詞で切り返す。 「運動だよ」 長崎はしばらく突っ張って歩いていたが、それにもあきた。 ソファにドスンと腰をおろして、ウーンと背をのばす。 「ウ………」 「なんですか」と浅沼がささやく。 長崎は黙って天井の火災報知センサーを指さし、ポケットからライターを取り出した。 「危ないなあ」 と最初は逃げ腰だった浅沼も、長崎とのにらみ合いに負けた。 二人で静かにテーブルをセンサーの真下に運ぶ。ソファのクッションをテーブルに乗せて、その上に長崎が靴のままそっと立った。ライターを点火してセンサーに近付ける。 すぐに警報が鳴りだした。ドアの外の見張りが動いた。走る足音がした。 「今だ」 とささやいて長崎は浅沼の肩をたたき、一緒にドアに突進した。 「火事だろ!火事はどこだ!」 と叫びながら、正面の玄関に向かって走る。しかし、そちらには黒ダブルと戦闘服の若者が固まっていて、突破しにくい感じだった。一人が、 「あいつらを逃がすな」と叫んだ。 その時、廊下の向かい側に人影が見えた。大きな厚いドアが開いて、普通のジャンパー姿の中年男が四、五人、不安げな顔をのぞかせている。そちらの方が安心できる感じなのので、長崎はとっさにそのドアの内側に飛びこんだ。浅沼も続いた。 覆面パトカーは、指示通りにそのまま待ち続けていた。 田浦警部補が小山田警視に連絡を取って相談したのだが、やはり、待つしかないという結論になったのだ。 浅沼の車が連れこまれてから二時間程過ぎた頃、鉄門が開いて大型のランドクルーザーが出て来た。港の方向に向かって走り、十五分程で戻ってきた。それ以外には何の動きも見えなかった。 陽が落ちて辺りが薄暗くなってきた。時刻は午後六時過ぎ。再び鉄門が開いて大型のランドクルーザーが出て、やはり港の方向に向かう。少し間を置いて赤い小型車が出てきた。覆面パトカーは無線で報告した。 「只今浅沼の車が出て来ました。浅沼が運転し、長崎記者が助手席に座っています。方向は反対です。帰る方向ではありません。清水港に向かっています。尾行します」 「何だと。清水港だと。……人に心配掛けときながら、ついでに物見遊山か」 田浦は舌打ちした。 浅沼の車は人気のない真暗な貨物船用の埠頭に乗入れた。 灯台の明りが遠くで回転していたが、近くには照明がない。覆面パトカーは倉庫の陰に隠れた。埠頭に大きな箱やロープを巻いた束などがあって、覆面パトカーの位置からは浅沼の車の上半分しか見えない。それも星明りだけの空を背景にしたシルエットだけである。十分程経って車から二人が降り、埠頭に立った。上半身が見える。なにやらいい争っている内、いきなり殴り合いが始まった。二人の姿がフッと消えたと見るや、 「ボチャーン。バチャーン」 水に落ちる音が、二度続いて響いた。 覆面パトカーの二人の刑事は事態を無線で報告し、直ちに飛出した。埠頭に駆けつける。波の照り返しの合間に人間の躰と思える物体が二つ、プカプカ浮いているのが見えた。 周囲を見回すと、埠頭の端にはモーターボートがつないであった。二人の刑事はそれに飛び乗ってロープをほどく。モーターは外されているので、手で海水を掻く。その間、五分と経っていない。だが、それだけ手早く近付いて拾い上げたのに、水に落ちた二人はすでに息をしていなかった。埠頭に運び上げて人工呼吸を試みたが、効果は挙がらなかった。 〈おかしいな。何かにたぶらかされたみたいだ〉 というのが、二人の刑事の即座の実感だった。殴り合って海に落ちただけで、こんなにすぐに死ぬわけはないのである。しかも、落ちた音がしただけで、その後には水中で暴れる音もせず、声も聞こえなかった。 「奴等、何か仕組んだな」と一人が叫んだ。 「そうだ。先刻の喧嘩は別人の芝居だ。先に殺して置いて、すり換えたんだ」 その時、車が動き出す音がした。二人はダッシュした。倉庫の反対側に回って道路に出ると、大型のランドクルーザーが角を曲がって姿を消す所だった。。 「間違いない。あれだ」 「畜生!なめやがって」 「追うか」 「いや。追っても無駄だ。あっちの方が早い。ともかく指示を仰ごう」 覆面パトカーの二人は事態を無線で報告した。田浦は二人に現場でそのまま待つように指示し、小山田警視に連絡を取った。警視庁から小山田と田浦が鑑識班を伴って現場に急行した。その間、二人の刑事は覆面パトカーにあった懐中電灯で浅沼の車を調べてみた。座席に中身が三分の一程残ったウィスキーのボトルとグラスが二つ、いかにもわざとらしく転がっていた。 鑑識の結果は、またまた、腹立たしいものであった。 長崎と浅沼の血液からはアルコール分がたっぷりと検出された。二人とも顔面と上半身、両手の拳に軽い打撲傷を負っていた。酔って殴り合いの喧嘩をした場合と同じ状態だった。おまけに、二人の肺の中からは、現場で採集してきた海水と同じ成分の液体が検出された。 「あれだ」と二人の刑事は異口同音に叫んだ。「ランドクルーザーで運んできたんだ」 「あの時か」と田浦警部補が重苦しくつぶやいた。「途中で出て、すぐに戻って来た時だな」 「そうだろう」と小山田警視がクールにいい放った。 「ポリタンクに詰めてきた海水を浴槽に入れる。そこに殴り倒して口から無理矢理ウィスキーを流し込んだガイシャを沈めて溺死させる。海水が肺に入る。すぐに海に運んで投げ込むから、死亡推定時間に大差は出ない。なかなか手の込んだやり方をしたもんだ。しかし、これを立証するのは難しいな。喧嘩の替玉説も物的証拠が全く無い。刑事が二人で目撃者に仕立てられているんだからな。大体、最初は替玉だと思いもしなかったんだろ。尾行を見破られて、まんまと利用されたんだよ」 「申し訳ありません」と一人。 「面目無いです」ともう一人。 「いや。謝ることはない。相手が悪過ぎたんだ。起訴をすれば、それこそもっと悪知恵の働く弁護士を雇うだろう。君らの奇妙な目撃証言以外には何の物的証拠もないんだから、これは勝負にならん。口惜しいがね。しばらく様子を見るしかないな」 小山田は憮然として腕を組んだままだった。 |