『煉獄のパスワード』(3-5)

電網木村書店 Web無料公開 2006.6.6

第三章 最新指定キーワード 5

「ピコ、ピコ、ピコ、ピコ、……」

 音と一緒に赤いアラーム表示燈も点滅している。小山田昌三警視の自宅の高性能端末器ヒミコ7が、新しい情報を得て主人を呼んでいるのだ。

「何だ、このトンチキ・ロボット奴。御主人様が休養中だってことが分らねえのか。だいたい、超過勤務手当もろくに寄越さねえで気安く人をこき使うんなんて、考え方の根本が狂っているんだぞ」

 たまの早引けの夕食前である。狭い自室のベッドに寝転んで推理小説を読んでいた小山田は、内心の不満をものいわぬヒミコにぶつけ、口汚く罵りながら起き上った。

「また早トチリじゃねえだろうな」

 まずは老眼鏡を外し、こうるさいアラームのスイッチを切った。それから慌てず騒がずに老眼鏡を掛け直し、ゆっくりと画面に目をやった。

〈最新指定キーワードの事件報告が入力されています。データは最優先で待機中。指示を待っています〉

 小山田の自宅のヒミコには普段から定期的な報告が入る。いくつかの種類の事件毎に分類したデータの要約やファクシミリ通信が警視庁から送られてくるのだ。この情報ネットは警視庁と警察庁のコンピュータ・システムに直結されているから、小山田が自宅のヒミコに特別注文を出して置くと、指定のキーワードがどこかで入力されると同時に〈ピコ、ピコ、……〉の緊急呼出しが掛かるようになっていた。

〈最新指定キーワード〉は《中国》であった。弓畠唯彦と会った後、小山田は《中国》と弓畠耕一長官の関係に、何か隠された事情がある場合を想定したのである。

 小山田は直ぐにキーボードに向かった。《実行》のリターン・キーを押す。画面に出た新しい事件の報告項目と情報の字数は大した量ではなかった。直ぐに全文印刷の指示を出す。

 画面で報告を見るのはお断りだ。勤続三十七年。五十五歳。老眼鏡を三度も作り直したベテラン刑事にとって、ブラウン管の上でチラチラするギザギザ文字の報告書程、腹立たしいものはなかった。印刷すればチラチラはなくなるが、それでも文字から受ける感じは同じだ。小山田が先輩の刑事達に見習って年期を重ね、我ながら芸術的に仕上げていたガリ版報告書に較べれば、まるで子供の悪戯に等しい稚拙さが感じられる。確かに文字は規格通りで揃ってはいるのだが、捜査の苦労が滲み出て来ないし、何よりも個性がないのだ。良い所といえば早さだけではないか。だが人生、何でも早ければ良いというものでもなかろうが……、と思いつつも小山田は今の今、

「畜生!早く出てこい!」

 と机の縁を握り拳でコツコツと叩き続けている。ジー、ジー、ジー、ジーと印刷用紙が上がって来る。待兼ねて引きちぎる。

〈最新指定キーワード〉の項……〈中国残留孤児の可能性〉

〈報告の題名〉の項……〈奥多摩山中で遺棄死体発見〉

「うむっ」

 とうなった小山田は、すぐさまヒミコの電話セットに手を伸ばし、〈拡声〉〈短縮〉〈0〉〈0〉と四回ボタンを押す。警視庁の代表番号が〈00〉で短縮登録されているのだ。

 

「はい。こちらは警視庁……」

「捜査第一課当直デスクに繋いでくれ」

 小山田警視は一応、警視庁犯罪捜査部特別捜査課所属の、いわゆる特捜刑事である。だが、犯罪捜査部長さえ飛越えて、警視総監直属の独立捜査官となっており、特別な独立権限を与えられていた。公安部や警備部にもつながっているし、本来なら特捜課長や捜査第一課課長などの現場責任者を通さなければならない場合でも、小山田はいきなりどこの課の捜査官にも直接連絡できた。また、規程にはないことだが、実際には暗黙裡に、事件の取扱い方を独断で処理することも許されていた。

「特捜の小山田だが、田浦警部補は……」

「たったいま退庁しました。泊まり明けでして……」

「至急連絡を取りたい」

「はい。帰宅途上だと思いますが、自宅へ電話を入れて置きます。掴まり次第連絡させます」

「奥多摩山中の遺棄死体の件だが、しばらく預かりたい」

「はい。了解しました」

「広報に連絡して発表は最少限に押えてくれ。他に材料があれば、……ほら、例の連続殺人事件なんかの新情報があったら、それと一緒に発表してな、こちらはベタ記事で目立たないようになれば助かるんだ。……血液鑑定は特に詳しくして急いで欲しい。出来たら直ぐにデータを送ってくれ。緊急指定で……。ああ、それと、ガイシャの顔写真も二、三枚、デジタルにして、……」

「はい。了解」

「それじゃ、よろしく頼むよ」

 

 連絡を待つ間に、小山田は《いずも》の暗証コードとパスワードを使って厚生省のデータバンクを呼出した。警視庁でもこれを使えるのは小山田の他に何人もいない。当然、極秘である。小山田は今、あらゆる手段を駆使して、殺人担当の捜査一課を出し抜こうとしている。先回りして情報を押えこまなくてはならないのだ。

〈一九八×年〉、〈中国残留孤児〉、〈血液型〉の三つのキーワードを組合わせて、データの量を調べる。手元のフロッピに必要データを移す。〈全文印刷〉の指示を出す。

 印刷が終わって間もなく、アラームが鳴った。リターン・キーを押すと、画面に血液型の鑑定結果が映った。警視庁からのである。

「よしっ」と再び〈全文印刷〉の指示を出す。印刷用紙が上って来るのを待兼ねて、厚生省のデータと見較べる。

「あった。これだっ」と該当箇所をコツコツと右手の握り拳の人差し指の角で叩きながら、小山田は肩で息をしていた。思わず「ふうっ」と大きな息を吐き出してしまった。

「西谷禄朗 中国名 劉玉貴 一九四五年三月十日生れ。O型。……」

 赤血球のO型はもとより、Rh型、〈ヒト白血球抗原〉のHLA型が完全に一致していた。小山田は再び厚生省のデータバンクを呼出した。〈西谷禄朗〉及び〈劉玉貴〉のキーワードで関係データの全てを求める。全文印刷する。フロッピにも収める。デジタルで入っていた顔写真をコピーする。一応、警視庁から送られてきた死体の顔写真を画面に出して較べて見る。確かに同一人物である。

「生きてる時の写真の方が持って歩くのには都合良いな」

 と独り言をいっている所へ電話のベルが鳴った。受話器を取ると、

「田浦ですが、お探しだそうで……」

「おう、おう。泊まり明けだったそうだね。お疲れの所、申し訳ない。早速だが、今日の奥多摩の発見死体の件、一寸事情があって、俺が預かった。広報も最少限に押えたよ。あんたにも協力して欲しいんだが、良いかな」

「はい。分りました」

「休みに出て来てくれなんて野暮な事はいわないから、安心して頂戴。今の所急いで知りたいのは、報告書以外に何かあったかどうか、ということ……。本当の事を知って置きたいし、外部に漏れないようにしたいんだよ」

「あれあれ。そいつは厳しいですね。……正直申し上げましょう。大日本新聞の長崎記者と非番の巡査、一一〇番センターの浅沼新吾巡査が同行しておりまして……。背広のブランドからメーカーと中国残留孤児の可能性まで辿ったのは、その二人なんです」

「マスコミは大日本新聞だけだね」

「はい。それで、……浅沼巡査の話ですと、長崎記者はガイシャの写真と自分の社の資料室の孤児の写真を較べて見るといってたそうで……。今頃、その作業の最中かもしれません」

「よし、分った。浅沼巡査はどうしてるかな」

「やる気十分でしたから、大日本新聞の資料室に行ってるんじゃないでしょうか」

「うむっ。あんた、大日本新聞に電話して、浅沼巡査を押えといてくれんかね。その、……」と手元のメモを見る。「ええと、長崎だったな。その記者はこちらから手配する。ヘソを曲げられても困るからね」

「はい。分りました。ですが浅沼は、刑事になりたくてウズウズしてる張切りボーイですから、なにか口実を設けないと……」

「えっ、面倒臭いこというな。なにか考えてくれよ」

「はい。なんとかやってみます」

「そうか。有難う。それ以外には何か無いかね」

「さあ。無いと思いますが……」

「思い出したら、また電話してくれ。それじゃ、ご苦労さん」

 小山田自身も長崎記者と面識があった。しかし、直接に発表自粛の話が出来る程の関係ではなかった。

「巴御前に頼むか」と独り言。

 小山田は秩父冴子審議官をあだ名でそう呼んでいた。

《いずも》のメンバーになっている新聞協会の会長が、大日本新聞の社長であった。

 大日本新聞の先代社長正田梅吉は元警視庁警務部長。今の社長の正田竹造は先代の長男だが、やはり元内務官僚で警察畑の経験がある。紙面も昔から警察ネタを重視しており、警察関係のコネが深かった。この種の記事自粛要請なら一番話の通りが早い相手だ。

〈そうだ。ついでに、これまでの状況報告もして置こう〉

 小山田は冴子の自宅の電話番号を探した。


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