『煉獄のパスワード』(3-3)

電網木村書店 Web無料公開 2006.6.6

第三章 最新指定キーワード 3

 パトカー二台に検案車が一台後続した。

 一台目のパトカーには田浦と浅沼に長崎記者、二台目には鑑識課員が二名と写真係りが一名分乗し、検案車には監察医と補佐員が乗っている。

 長崎は自社のカメラマンを同行することができなかったので、自分のカメラバッグを担ぎ込んだ。浅沼は素早く私服の背広に着替えてきた。田浦が浅沼と長崎を話相手にして懐旧談に花を咲かせている内に、奥多摩までの車中の一時間はたちまち経った。

「泊り明けだからな。気楽に行きたいよ。天気は上々だし」

 と田浦刑事がいうと、長崎記者が多少毒気のある応答をした。

「朝早く出たから、小うるさい上役はいない。非番の若手警官や新聞記者を同行することにも、いちいち目くじらを立てられることはない。……でしょ。たまには変わったメンバー編成も面白じゃないですか。警察内部の人間ばかり相手にしていると、うっとうしくてたまらないでしょ。身内だけの作業では発想が貧困になってしまいますよ」

 「ハッハッハッ……」と田浦も笑ったが、もともと、休みが取れない不満が背景にある。一緒になって警察トップ批判に花を咲せた。最近流行の科学捜査の在り方にもかみつき始めた。

「発想の転換もいいよ。最近は頭の良いのが増えてね。科学捜査の発達もいいけれど、人手不足じゃどうにもなりゃしないよ」

 長崎がさらにけしかけた。

「そういえば、今年の警察白書は科学捜査の充実とかなんとか麗々しく書立てていましたね」

「新聞屋も、提灯記事やら、売らんかなの切った張ったの記事ばかり書くな。社会の木鐸を気取りたければ、それらしい政策批判もしろよ」

「いやあ、きょうはかなり発破を掛けますね」

「結局、足で稼がなければならないんだよ。材料を集めなけりゃ科学的分析も何もあったもんじゃないだろ。コンピュータが入ったら入ったで、誰かが入力しなけりゃ、あんなもの、場所ふさぎのガラクタ同然さ。人件費の枠は押えたままなのに、それは頬っ被りで科学捜査の充実なんて、お偉方に勝手に胸を張られたって困るんだよな。マスコミが騒ぎ立てた事件の捜査が難航すると初めて、公安・警備警察重視の傾向だとか五百人もいるキャリアの高級官僚支配だとかが問題になる。しかしそれも、かろうじて評価ができるのは雑誌の記事ぐらいで、新聞ではお茶濁し程度の扱いでしかない。一向に事態が改善されないどころか、ますます悪化しているのにね」

「書きますよ。書きますよ。できればキャンペーン記事にしたいくらいですよ。だけど、何かこう、ドラマチックな状況がないとね」

 長崎一雄が応じた。

「ドラマチック……ね。良くいうよ。新聞屋はストーリーがなけりゃ、テレビ屋は画にならなきゃ、だろッ。決り文句は聞き飽きてるね。お生憎様だ。お誂え向きの事件はそうそう転がっちゃいないんだよ」

 浅沼巡査が調子良く話しに割込んだ。

「この事件はどうでしょうかね。ガン・マニアもビックリ仰天。サバイバル・ゲームで本物の死体。行楽日和の奥多摩山中に遺棄死体。異例の発見の早さ。鑑識結果はこう語る。……」

「ハッハッハ……。お前は写真週刊誌の記者にでも転業した方が良いんじゃないか。万事は仏様にお目に掛かってからのことよ。変死体なんてのは一年間に何百も発見されている。世間で評判になるのはその内の何パーセントにもなりゃしないんだ」

 現場に着くとすぐに、所轄署の刑事が田浦に発見者の井口を紹介した。

「井口さんですか。先程電話で話しました田浦です。お陰様で、この種の遺棄死体事件としては、異例の早さで捜査に取り掛かることができます」

「いえ、当然のことをしたまでで」

 テクニシャンこと井口辰雄は言葉少なに答えた。

 しばらく前から、一刻も早く仲間と合流したい気持ちの方が強くなっていた。対戦相手であるブラック・ガン軍の隊長、マスターこと草刈啓輔の台詞ではないが、その日のサバイバル・ゲーム、〈本邦初演、世紀のクイーン作戦〉は都合九回を予定していた。まだ後半の対戦には間に合うのだ。所轄署の刑事と制服警官が到着して以後、井口は最早用済みの身であった。何をすることもなく、手持ち無沙汰でならなかった。余計な口をはさんでも、うるさがられるだけのことだと感じていた。

「もう私はよろしいでしょうか」

「はい。そうですね。結構です。どうも長時間拘束してしまって申し訳ありません」

 田浦は既に控えてあった井口の連絡先を確め、再び礼をいった。井口が早速、荷物を担いで立去ろうとすると、警察官達が一斉に声を挙げた。

「ごくろうさんでした!」

 井口は気を良くしてニッコリ笑った。

「それじゃあ、始めましょうか」

 田浦は所轄署の刑事に仁義を切った。

「はい、まだ全く手を触れていませんから」

 現場の鑑識活動は順調に進んだ。

 採取された死体の指紋を受取った地元の刑事は、直ちにパトカーで所轄署に飛んだ。指紋もコンピュータ化されており、オンラインで全国どこからでも照合できるようになっている。

 血液検査は死体の解剖と一緒に監察医に依頼し、東京都監察医務院で行う。

 血液型は、従来からの赤血球によるABO型とRh型の他に、白血球による〈ヒト白血球抗原〉、略称HLA型まで調べることができる。

 HLAはABOやRhと較べものにならない程に複雑であり、いまだ解明途上である。HLAの遺伝子には、A、B、C、DR、DQ、DPの六つの〈座〉があり、分っているだけでもAが約二十四種、Bが五十種以上、DPが約六種など、極めて種類が多い。HLA遺伝子の組合わせは、その種類別の順列組合わせの数字だけあるわけだ。一致する確率は理論上、両親が同じ兄弟で四分の一、全くの他人では一万分の一以下となる。ただし、遺伝子の地理的民族的分布の差という問題もあり、調査した集団によって実際の数値は大幅に違ってくる。HLAの違いが大きいと、臓器移植の際に激しい拒絶反応が起きる。それを軽減するために医学的な研究が発達したのだが、中国残留孤児の親子鑑定などにも応用されている。

 現場近くまで乗付けたと思われる車の轍は、後から来たハンター達のミニバスの轍と交差して乱れてはいたが、明瞭に残っている部分もあり、綺麗な石膏型が採れた。左右の車輪の間隔も正確に測られた。

 背広の裏にはネームが入ってなかった。しかし、ブランド名の布切れが縫い付けられていた。ローマ字で〈シックス・ポインツ〉。サイズはA6であった。

 長崎記者は写真を撮りながら、記事の原稿を考えていた。

「身元が割れるのは意外に早いんじゃないですか」

「うん。材料はあるな」と田浦刑事。「しかし、指紋が記録に無いと、あとは足で稼ぐ仕事になるかもしれない」

 浅沼巡査は、自分の手帳を出して、〈シックス・ポインツ〉のデザインを書き写していた。

「先輩、これ、僕にやらして下さいよ」

「これって、何のことだ」

「背広のメーカーとか販売ルート探しですよ」

「何を馬鹿いってるんだ。お前さんは捜査員じゃないんだよ。ここにいるのも内緒なんだぞ」

「そりゃ分ってますよ。だけど……」

「まあ、非番の遊びは禁止できないけど、……捜査の邪魔はするなよな」

 浅沼は少し頬をふくらませたが、すぐにニコニコした。捜査の邪魔にさえならなければ良いのだ。何といわれようと、自分が一仕事できればと思った。

 期待していた指紋の照合の結果は該当者なしと出た。所轄署から帰りのパトカーに無線の連絡が入ったのである。「逮捕歴なし。在日外国人でもない」

 と田浦がいうと、長崎が逆らう。

「在日外国人でも指紋押捺拒否ってのがありますからね」

「アハハッ……。面倒なこというな」

 しかし、浅沼はかえって張切り出した。身体中が力んで見える。

「先輩、新宿を通って下さいよ」

「なんだ」

「一寸、遊んでいきます。先輩は本庁へ戻るでしょ」

「うん。夕方までデスク当番だ」

「面白い遊び場があったら電話を入れますよ」

「こいつ、洋服屋を覗こうって魂胆だな」

「ご想像に任せます」

「浅沼さん、浅沼さん」と長崎が急に猫撫で声を使って割込んだ。「どうせ遊びとしてしか認められないんだ。何か分ったら俺だけに教えてくれよ。記者会見で発表されちゃったら、スクープにならないからね」

「ずるいことを考えますね」といいながらも浅沼は満更ではない。「スクープですか。本当にそうなりますかね」

 田浦が渋い顔をした。

「いや、そりゃまずい。俺が特定新聞だけを優遇したと勘ぐられて、記者クラブで袋叩きになる。まずいな。……こりゃあ、無理してでも直ちに捜査員を大量動員して、浅沼巡査の抜け駆けが出来ないようにしなくちゃ」

「先輩、そんな無茶な。人手不足でしょ。相談もせずに勝手な命令を乱発したら、皆にそっぽを向かれますよ。ねえ、長崎さん、そうでしょ」

 浅沼はやっきになって、田浦の考えを変えさせようとする。

「ハハハハッ……」と長崎が笑った。「浅沼さん、大丈夫、大丈夫。田浦さんのは、意地悪癖の冗談ですよ。安心して遊んでらっしゃい」

「いや、半分は冗談だけど、半分は本気だよ。確かに、今日から大規模な捜査を始めるわけにはいかないが、おたくのスクープだけが飛び抜けちゃうと、一寸困ったことになるよ」と田浦は意外にも真顔だ。

「だれかに糾明されたら、今日の御一行様の顔ぶれもバレるぜ。そうだろ。ブン屋が嗅ぎ付けて現場に潜り込むのは、商売だから仕方がないにしても、浅沼巡査は説明が付かないよ。その上、死体を転がしたまま翌日まで捜査活動をさぼっていたのか、なんていわれてみろ。どたまに来るぜ」

「分りました」と長崎は受けて立った。「浅沼さん、私を衝立にして下さい。浅沼さんはいないことにしましょう。我田引水になるけれど、全て私の仕事にすれば問題はないでしょ。どうせ成功しても陰の仕事なんだし、浅沼さんの正式の手柄にはなりませんからね。私も一緒に新宿で降ります。それならいいでしょ、田浦さん」

「まあ、そうしてもらおうか」

 と田浦刑事は、寝不足の首を振り振り、仕方なさそうに同意した。


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