『本多勝一"噂の真相"』 同時進行版(その1)

東京地裁721号法廷「岩瀬vs疋田・本多」裁判開始

1999.1.1

 クリスマス・イヴの12月24日、時折街角でジングルベルとかホワイトクリスマスとかを耳にしながら、野暮もここに極まれり、霞ヶ関の裁判所まで出掛けた。

『ヴューズ』(97.1)「正義を売る商店・朝日新聞株式会社の正体」第1章「リクルートの『接待旅行』」を執筆した岩瀬達哉は、その仕返しに本多勝一から、「捏造記事」「パパラッチ」「講談社の飼い主にカネで雇われた番犬・狂犬の類」「売春婦よりも下等な、人類最低の、真の意味で卑しい職業の連中」「人間のクズ」「カス」などと言いたい放題の罵詈雑言を浴び、それらを名誉毀損で訴えた

 元を糾せば、岩瀬の記事を「捏造」と非難した側の方が、講談社と岩瀬を相手取って名誉毀損の訴訟を起こすのが筋なのだが、彼ら元朝日新聞著名記者らも朝日新聞社も、未だに訴訟を提起していない。この辺の裏の事情についての観測は、のちに詳しく記す。

 私自身は、本多勝一個人ではなくて、本多勝一が社長の株式会社金曜日と、その会社が発行する『週刊金曜日』の筆者二人を、名誉毀損で訴えている。詳しくは別途、わがホームページを参照されたい。

 当然のこととして、この「岩瀬vs疋田・本多」裁判の帰趨は、非常に気に掛かる。原告の岩瀬を応援したい。しかし、私の方の訴訟は、別途、やはりホームページ参照の「ガス室」問題をはらんでいる。岩瀬に「ガス室」まで背負わせるのは気の毒だから、少し離れて見守るしかない。

 早目に東京地裁に電話をして、口頭弁論の予定を確かめたところ、担当書記官は、「法廷はラウンドテーブルの524号で傍聴席は6-8。くつろいで議論ができる方が良いというのが裁判官の判断」という。「その主旨は分かるが狭い。取材にくる人が多いのではないか」と聞くと、「提訴の時の様子では傍聴者は少ないかも」などと言う。

 結果は、私の予想の大当たりだった。

 私自身としては、狭い傍聴席だと溢れて入れない心配があるから、「先んずれば人を征す」の格言に従い、開廷予定の午後4時20分より30分も早目に5階の524号法廷の前の中廊下に入った。ところが、普通のガラス箱入りの予定表とは違う「使用中」などと手書きした紙が張ってある。おかいしいなと思い、近辺の壁を見回すと、「岩瀬vs疋田・本多」裁判の「法廷は721号に変更」とある。

 急いで7階に行くと、案の定、すでに何人かの取材者風の男女がいて、予定表を見ながら、裁判官の名前をノートしたりしている。傍聴席は36人用の法廷だったが、都合22人の傍聴または取材者が現われた。

 被告側には、弁護士が3人も現われた。3人とも、なんと、旧知の「市民派」だった。詳しくは、のちに紹介する。

 あとから1人だけ、助手のような若者がきたが、その身分まで確かめる時間の余裕はなかったので、これは宿題として次回口頭弁論の取材予定に残して置くことにした。

 被告本人は、岩瀬がイニシャルでHとだけ記した内の一人、元朝日新聞論説委員で「天声人語」の執筆者だった田桂一郎が、法廷に現われた。本多勝一は欠席だった。

 私は、一番まえの左端、原告側の席に陣取った。この位置からだと、被告側を、ほぼ方面から見ることができる。口頭弁論の言葉だけではなく、しゃべる弁護士の表情、身振りまでも正確に記憶にとどめて置きたかったのである。

 原告本人の岩瀬は、当然、出廷である。私の前を横切る時に、丁寧に頭を下げた。

 なぜ、岩瀬が私の顔を知っているかというと、その13日前に当たる12月9日に会っているからだ。

 以下、『歴史見直しジャーナル』24号記事の増補版によって、その有様を要約する。


新宿情報発信基地:ロフトプラス1『噂の真相』presents.4

 12月9日、トーク酒場「ロフトプラス1」の一日店長は『噂の真相』岡留安則編集長。ゲストは本多を名誉毀損で訴えた『ヴューズ』記事執筆者の岩瀬達哉。

 岡留店長は、本多にも参加を呼び掛けたが返事なしと言い、客席は爆笑。

 私は、いささか厳しい質問を予定していたのだが、岡留店長に先回りの自己批判をされてしまった。

 実は、直接的に自分の意見としてぶっつけるのは気が咎めるので、『噂の真相』の本多勝一「老害」は誤りで、本多勝一は「一貫して便乗型の提灯持ち」だと断罪する『人民新聞』(98.11.15)「論壇のぞきメガネ」説を、質問の材料として用意して行ったである。

 ところが、すでに同様の批判が集中していたようだった。その場でも、客が「コラム提供」の共同責任を追及すると、岡留店長は非常に真剣な面持ちで低頭した。

「不明を恥じ、自己批判します」

 私には逆に、「学歴詐称問題」(後出)に関して質問してきた。

 これには、答えながら、むしろ気の毒にさえ感じてしまい、ついつい、「本多勝一も大手メディアの犠牲者」などと言ってしまったほどである。

 本多勝一は、初期の作品、通称「極地3部作」で、たとえば、朝日新聞社が1936年(昭38)に発行した『カナダ・エスキモー』初刷の場合、「京都大学農林生物科を経て」「朝日新聞社入社」と記していた。それらの作品の講談社文庫社版では明確に「京大農林生物科卒」となっている。

 ところが、『現代』「新聞記者・本多勝一の崩壊」(73.8)によると、京大は「中退」とあるので、朝日新聞社の人事部に問い合わせると、入社の経歴書には「千葉大薬学部卒業となっているから朝日新聞に学歴を偽って入社したのではない」とのことだった。

 被告・本多勝一自身は『貧困なる精神』第4集に収録した一文、「これも異色か」(初出60千葉薬雑誌)の中では、千葉大卒業後の京大への学士入学の経過を記しているが、そこには「中退」の「チュ」の字も見えない。

 このような「記事デッチ上げ」「経歴詐称」の常習犯が、朝日新聞の看板記者だったことには、やはり、驚く他ないのである。

 岩瀬は、岡留店長の質問に答える形で、法廷の予定を語った。

 当日の法廷で私の隣に座った若者は、どうやら、ロフトプラス1にもきていたらしく、最初は私に、「本多さんはどちらですか」と聞いてきた。きていると思い込んでいたらしい。私が「出てこれるわかはないだろ。あれだけ嘘がばれてしまったんだから。私の裁判にも本人が現れたことは一度もない」というと、「木村さんですね」ときた。

「岩瀬vs疋田・本多」裁判の次回口頭弁論は、本年1月27日10時30分から721号法廷。

 私も当然、続いて傍聴参加する。


 以上で(その1)終り。次号に続く。


(その2)騙された市民派弁護士たち
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