『本多勝一"噂の真相"』 同時進行版(その24)

井川はヴェトナム小説を英語から重「誤」訳

1999.6.11

 前回までに本件に関する主要な公表資料のすべてを紹介した。手元にはまだ、井川一久が関係者に配布した文章などが沢山ある。これらには、大川均に対する「恥を知れ」「詐欺師」「豚に真珠」などなどの侮辱的表現が、まさに溢れるほど盛り込まれている。これが私ならば、直ちに名誉毀損の訴訟を起こすに十分な材料である。

 今回は、しかし、本件の世間的な意味での決定的な疑問点、または争点、つまり、果たして井川は、ヴェトナム語の原本を「参照」したのか否か、「読めた」のか否か、に関する象徴的部分についてのみ、判定を下すことにしたい。

 すでに紹介済みの「井川文」『正論』1998.7)の中で、井川は、大川が批判する原本の「改竄」の事実を否定し、最後に、「ついでにいえば」と付け加え、「英語の能力があやしいだけでなく……訳者失格」という大川の批判表現を「罵倒」としつつ、「この非難はそのまま同氏に返上しよう」と記している。

 この部分の中心的なキーワードに関する論争を要約すると、英語訳のlifeを、井川は「命」と訳し、大川は「生活」としているのである。

 翻訳に関して私には、わずかな経験しかないが、この問題は実に簡単である。およそ異種の言語には、お互いに、意味の範囲が違うことが多い。「語訳は誤訳」という同音のダジャレの警句があるほどで、ましてや、「洋の東西」というような典型的に違う歴史を負った言語同士の場合、一方の意味だけを機械的に当てはめる「直訳」は、危険極まりない。だからこそ、コンピューターの翻訳ソフト作りが難航しているのである。

 英語のlifeには、大きく分けて「命」という意味と「生活」という意味がある。英語から日本語への翻訳の場合、そのどちらの意味であるのかは、前後の事情によって判断する他ない。だから、この場合には、実は、ヴェトナム語の解釈以前の問題でもある。

 井川訳(『正論』1997.12)では、「『ごらんよ、ひどいじゃないか』とキエンは胸を締め付けられる思いでフォンに言った。『学校をめちゃくちゃにするなんて、もう誰もってものを大切にしなくなったのかなあ』」となっている。

 それを批判する大川訳(同)では、「『学校をこんなにして!』彼は嘆いた。『よくも壊したもんだ。連中は、生活を大切にすることを知らないのか!』」となっている。

 両者に共通する状況認識は、「学校」が「めちゃくちゃ」とか「壊した」とか、ともかく、壊れていることである。「学校」が壊れていても「命」には別条はない。しかし、広い意味での「生活」、さらには意訳すれば、「人間の社会的生活」における「児童教育の場」が破壊されているのだから、「生活」または「暮らし」の上では重大な問題である。当然、ヴェトナム語が分からなくても、「命ってもの」などという日本語訳は、まるで意味をなさないから、「誤訳」に決まっていると判断できる。井川、または、よくある例の下訳者は、英語からだけの重訳で、lifeという英語の意味を取り違えたに違いないし、その上に世間常識を欠いている。「訳者失格」というよりも「文筆家失格」というべきところである。

「なぜ、この点を詳しく追及しなかったのか」という私の質問に対して、大川は、「ヴェトナム語を知っている人にはすぐ分かることですから」と笑っていた。しかし、それでも、私は、この実に鷹揚な大川に迫って、辞書の関係箇所のコピーを送ってもらった。

 原文のcuoc song (ヴェトナム文字の髭は省略。以下同じ)には、越日辞典では、「生活」の訳語例しかない。「命」の訳語例はない。これは、大川によると、日本語の「大和言葉」に当たる。大和言葉には「暮らし」があるが、これにも「命」の意味はない。

 songだけであれば、生、生きる、の意味もあるが、cuocには「場」の意味がある。「生きる場」、つまり、「生活空間」という意味の限定が行われているようである。

 井川は、「『生活はsinh hoat」(『正論』1998.7)と主張しているが、越日辞典で確かにそうなってはいるものの、その項の下にsinh menhがあり、こちらが「生命」となっている。こちは両方ともに、大川によると、日本語の「漢語」に当たる。中国語からの借用である。日本語の生活、生命と、全く同じである。

 日本語でも、「命」と書いて「大和言葉」の訓で「いのち」と読めば「生命」に意味が限定されるが、「命」(めい)ならば「命令」であり、「命」(みこと)でもあり得る。多くの場合、熟語または複合語にして意味を限定する必要がある。つまり、原文がsinh minhになっているのであれば、「いのち」と訳すべきであろうが、原文は、そうではなくて、cuoc songなのである。

 越中辞典には、cuoc song の熟語記載がない。cuocは「局、場、次」、song は、生、活(死之対)、生活、などとなっており、越日辞典と同じく、cuocによる「生きる場」への意味の限定が推察できる。

 越英辞典には、cuoc song の熟語についての記載がないが、英越辞典のlifeの項の中に4.Cuoc song があり、これの英語訳例としては、We are buildin a new life. the struggle for life.が載っている。どちらのlifeも、日本語では「生活」の意味である。

 以上により、私は、井川の反論を却下し、この点に関し、まず、大川勝利の中間判決を下す。上述のように、超大手新聞社の著名記者、井川は、「訳者失格」であるばかりか、「文筆業失格」である

 以上で(その24)終り。次号に続く。


(その25)地裁で本多・疋田側が「情報源を明かせ!」
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