『本多勝一"噂の真相"』 同時進行版(その19)

続4:ヴェトム小説「改竄」疑惑で大川均が公開討論提起

1999.5.7

 以下は、前号に紹介した井川一久執筆の反論に対する大川均の再反論であるが、本誌15号で紹介済みの『人民新聞』記事にあった「公開討論」提起であり、いわば「挑戦状」もしくは「果たし状」になっている。

 大川は、その後の経過を『正論』平成11[1999]年1月号に「編集者へ」と題して寄せている。次回にそれを紹介してから全体の論評を行いたいが、とりあえず経過を要約すると、井川は、「詐欺師との同席は出来ないから、公開討論は拒否する」と答え、本誌前号で紹介し、今回も問題となる「バオ・ニン氏の大川均氏への公開書簡」の実物を見せようとしてない

 大川均による原書からの訳書は(株)遊タイム出版から、『愛は戦いの彼方へ……戦争に裂かれたキエンとフォンの物語……(原題『戦争の悲しみ』)』と題して出版された。


『正論』平成10[1998]年10月号
([ ]内は本 Web週刊誌編集部の注記)

「『戦争の悲しみ』の悲しみ」に答える

井川一久氏への公開書簡

製本会社経営・おおかわ・ひとし 大川 均

[著者紹介]大川均氏 昭和15年(1940年)和歌山県生まれ。大阪外国語大学中国語学科卒。青山学院大学大学院文学研究科聖書神学専攻修士課程修了。アジア福祉教育財団難民事業本部姫路インドシナ難民定住促進センター日本語講師をつとめる。同60年[1985年]、「べトナム難民漂流記」で朝日ジャーナル・ノンフィクション大賞奨励賞受賞。本誌昨年12月号に「『戦争の悲しみ』の不運」を執筆。

 公開討論を申し入れる

 井川さん、あなたの「大川氏の非難に答える」という1文はケッサクですね。恐れ入りました。

 F.フォーサイスのスパイ小説『騙し屋』か何かみたいですね。私があなたになりすまして原作者バオ・ニン氏を騙したのですって。あなたのかつての同僚、朝日新聞出版局の元編集委員S氏や発行部数日本一を誇る某大新聞のハノイ支局長C氏をたぶらかして味方につけたのですって。『週刊文春』誌の記者は丸め込んで口移しで記事を書かせたのですか。他かならぬこの『正論』誌の編集長にはガセネタの原稿を売りつけたわけですか。

 こんな芸当が、生身の人間に実際にできると本気で思っているのですか。築地書舘も欺いたのですって。岩波書店も。もっとも、これは未遂に終わったそうですが。

 これほどの高等トリックは超能力者ならともかく、並の詐欺師ではちと無理でしょう。あなたは「その巧妙さは、プロフェッショナルなものをすら感じさせる」とえらく持ち上げてくださいます。でもこれでは褒めすぎです。

 S氏やC氏や岩波書店に裏付け取材もせず、「友人たちの寄せた情報」によりかかって推測だけで書き散らすから、こうした荒唐無稽な「お話」が出来上がるのではないでしょうか。まさか、あなたのかつてのベトナム戦争報道にはこの種の推測記事がまじっているようなことはなかったでしょうね。

 私の底本が「ワープロでこしらえた偽造本だ」と「確信」されるのですって。270何ページかのベトナム語の小説を、どこの誰が何のためにワープロで偽造したりするのでしょうか。どうか、丹念に事実をあつめて「証明」していただけませんでしょうか。あなたが所持するベトナム語原本の本文と私のそれとが同じかどうかは、1つの机の上に並べて突き合わせをすれば一目瞭然となることではないでしょうか。

 あなたの言われる「事実」がどれほど事実とかけ離れているか、1つ1つ証拠をあげて論証するのば簡単です。しかしある程度の紙数が必要です。ですから、『正論』誌の貴重な誌面をお借りしであなたの作り話を粉砕するのは後日のことにいたします。

 かわりに私は井川氏に公開討論を申し入れます。双方に都合のつく日時場所をさだめ、形式をとりきめて、何が事実かを、お互い証拠・証人をあげで正々堂々、公開で討論しようではありませんか。その席には是非ともバオ・ニン氏をお招きしましょう。

 しかしせっかくの機会ですからその場を借りて、翻訳はどうあるべきか、過去のベトナム戦争報道にはなぜあのようにいいかげんなものがまじっていたのか、といった問題も議論しようではありませんか。そうすれば少しは日本の社会のためにもなるでしょう。

 ジャーナリスト、ベトナム語学・文学の専門家、翻訳家、文学者、各誌紙に井川訳本の書評を書いた方々、出版人、その他どなたにも参加していただきましょう。

 この問題にはすでに『正論』、『週刊文春』、それにたぶん『週刊金曜日』の読者諸賢も関心をお持ちだと思います。それら各誌の読者にも参加していただこうではありませんか。すでに井川訳本を買って読んだ読者の方々にも。

 翻訳書か、新たな創作品か

 ここで公開討論の前哨戦として井川訳本の翻訳の問題にふれてみます。

 先ず、底本について。

 ふつう翻訳書にはどの本の訳なのか、底本の表示があるものです。

 井川訳日本語版『戦争の悲しみ』の見開きページ裏には

 The Sorrow of War by Bao Ninh……English translation by Frank Palmos……

 とあります。あなたはどの本を翻訳したかについては何も述べていませんが、読者はこれが底本なのだと思うでしょう。

 ところがあなたは訳書「解説」に

 私はまず英訳本を訳し、これをヴェトナム語の原作と照合する方法を取ったが、その結果、英訳本にはかなり重大な誤訳と省略部分のあることがわかった。

 例えば、……。(369頁)

 と書いて4例をあげています。2例はあなたが英語を誤読したもの、1例は英語を曲げて読んだもの、まあ当っていると言えるのは残りの1例にすぎません。そして何よりも肝心の「英訳本の誤訳は訂正し、省略部分は補った」とは、どこにも書いていない。事実、井川訳本には訂正も補充もほとんどありませんね。

 英訳本の誤訳は、「重大な誤訳」もその他多くのこまごました誤訳もそのまま踏襲して日本語に置き換えた(ところがその英文をまた誤訳したところもある)だけですし、省略部分を埋めた箇所もほとんどありませんね。英訳者がせっかくうまく訳したのにあなたがあっさり削除してしまった箇所も多いですね。

 つまり、あなたが張り巡らせた煙幕を吹き払って事実を取り出してみれば、「底本はまちがいなく英訳本だ」ということですよね。これは大事なことですからしっかり確認しておきましょう。

 すると、そのような欠陥があるとはじめから分かっている英訳本をなぜ翻訳し出版したのかが問題になりませんか。朝日新聞のサイゴン支局長、ハイノ支局長をながく勤められたあなたが、なぜベトナム語原本から直接翻訳しようとしなかったのですか。英訳本と「ヴェトナム語の原作」とを「照合する方法を取った」と言うからにはベトナム語もよくお出来になるのでしょう。出来なければ「照合」もできないはずですから。なのになぜ原作からの直接の翻訳ではなく、「英訳からの重訳」という不完全な方法を取ったのですか。ひとつ分かりやすく説明してくださいませんでしょうか。

 次に、「加工」について。

 井川さんは「『戦争の悲しみ』の悲しみ……大川氏の非難に答える」(『正論』[1998]7月号。以下、井川文)で次のように述べられる。

 外国文学作品の内容、情調、香気、などを、異質な歴史と風土に生きてきた日本の同胞に翻訳を通じて伝えるには、原作国に関する平均的読者の知識不足を補い、原作の持つ論理やムードを日本の既成パターンに嵌入して、いわば消化しやすくするための加工(補筆、省筆、語彙変更、文節置換など)が多少とも必要となる。この加工の良否は、訳文の価値を大きく左右する。

 なじみの深い欧米の文学ならともかく、自然、歴史、文化、社会構造、生活様式、慣習、人情など一切が余り知られていないヴェトナムの文学を翻訳する場合、かなり大幅な加工は不可避の作業である。『戦争の悲しみ』原文には、平均的日本人に意味の通じない部分が極めて多い。だから私は、同書の翻訳に際して、原作の精神と情緒を損わないよう慎重の上にも慎重を期しながらも、バオ・ニン氏の同意を得て、そのような加工をためらわなかった。これは同氏によれば「越魂外文」であって、断じて「改竄」ではない。

 だが、こういう手法がどこまで許されるかは、外国文学翻訳という仕事の本質にかかわる重大問題だろう。私の手法を批判する声は当然ありうる。純粋に非政治的な批判ならば、私はこの道の初心者として謙虚に耳を傾けたい。(井川文291頁)

「翻訳の手法」についての批判に政治的、非政治的なものがあるというのも妙な話です。それはそれとして、井川さんはここに「『戦争の悲しみ」原文には、平均的日本人に意味の通じない部分が極めて多い。だから私は、同書の翻訳に際して」云々と書かれた。するとあなたの底本はベトナム語の原作ですか。違うでしょう。あなたが翻訳したのは英訳本でしょう。原作ではありません。

 それに英訳本にはあなたがやったような「加工」はありませんよ。英訳者は自分の読者を井川さんのようには見下していません。あなたは何を根拠に日本人読者の知的水準をイギリス人読者のそれより下だと言うのですか。しかもあなたの「加工」は、「平均的日本人」の、ベトナムの「自然、歴史、文化……」についての知識不足をたいして埋めてくれていませんよ。「加工」が北ベトナム軍を称揚し、不行跡を隠蔽し、米軍、南ベトナム軍を貶める目的でなされたことは明々白々ではありませんか。

 井川さんは改竄を隠すためにここに翻訳一般論を持ちこまれました。

 たしかに、小説の翻訳には、サイデンステッカーやドナルド・キーンの教科書を引くまでもなく、「補筆、省筆、語嚢変更、文節置換などが多少とも必要」となります。当然のこどでしょう。しかし問題は「量」つまり「多少」の「多」がどこまで許されるのか、ということですし、「質」つまり、それが原作を曲げる内容かどうかということでしょう。

「補筆」の分量が多い時には「訳註」を欄外や巻末につけたり、少ない時には文中に括弧でかこんで嵌めこんだりするのが普通です。それに原作の論旨が訳者の見解と異なる場合には、本文を「加工」したりせずに「解説」などで論及するのが翻訳の最小限の作法というものでしょう。

 小説の読者にとって訳註はじやまになります。しかし、原作者の筆と訳者の筆とが入り混じるのをできるだか防ぐためには、どうしてもこうした措置がいるのです。井川さんもこのことはご存じでしょう。井川訳本にも、訳註はちやんとあるではありませんか。それどころか英訳にも(原作にも)ない「ヴェトコン」、「ヴァルカン砲」「コブラ」「イコン」などの単語を必要もないのに書き込んだうえに、それに「訳註」を付けたりまでしているではありませんか。

 ところが井川訳『戦争の悲しみ』には翻訳の常識をはるかに越えた膨大な量の、野放図な本文への加筆があり、削除、歪曲があるのです。そしてその加筆の内容が読者の頭に英訳とも(原作とも)関係のない、翻訳者のベトナム戦争史観、つまり「井川ベトナム戦争史観」を注入するためのものなのです。それに削除された段落、行、単語の多くはこの史観に反する内容なのです。

 井川さん、あなたは「断じて『改竄』ではない」と力説なさいますが、あなたの言われる「加工」は「改竄」の同義語だというこどになりませんか。

 実例を上げましょう。

 あなたの「加工」の影は全編を覆っています。あなたの「訳書」の1ペ-ジから最後のページまで、実例は任意のどのページからでも取り出せます。井川さんは「加工」の例としで井川文 289頁で次の「北軍兵士によるタン・ソン・ニュット空港での略奪の場面」をあげられた。

 だが、この原文のままでは、日本の読者には何のことかわかるまい。だから私は、原作者の同意を得て、サイゴン陥落当日の私自身の見聞(住民による物品略奪や人民軍による防止策)を付け加えた。人民軍将兵による私的な物品略取事件が皆無に近かったことは、原作者も別の場面で強調している。(拙訳著106-107頁)

 これもまた「日本の読者」を愚民と見下げた驚くべき文章ですが、今は傍に置くとして、ここではこの「井川訳書106-107頁」を取り上げて「加工」の実態を見てみましょう。この箇所は「南から北に引き揚げる北軍兵士を乗せた機関列車」のくだりです。ここに文面はあげませんが、「訳書」106-107頁のこの2ページは全部で38行からなっています。そのうち原作を反映しているのは、わずか10行。残り28行は井川さんの加筆です。

 加筆部分の内容は、前線の兵士と銃後の市民の意識の違いとやらについての訳の分からない説明と、戦後にベトナムが陥った、見るも無残な状況を、内政外交にわたるハノイの失政の責任だとはせずに、国際環境=ベトナムに対する米中の敵意とソ連の放任=のせいだとする、ハノイが言いそうな言い訳と、「人民軍は勝った。その兵士たちは勇者の中の勇者だった。勇者は常に心優しい。また勇者は怨まない」云々の、気恥かしくなるような井用さんの人民軍礼讃の言葉です。

 しかも原作にあって「訳」にない、つまり原作から削除された、行もあります。削除された行の中にはこの段落の性格を決定づける「(駅ごとにスピーカーががなりたてる)歯の抜けた、どす黒い口の吐き出す、現実に目をつむった、硬直した言葉の羅列」という大事な1句をふくむものもあります。もっともこの句は英訳者も削除しています。しかし英訳者が加筆した「負傷兵、疾病兵、失明兵、手足切断の兵、マラリアにかかって白眼をむき唇を紫色にした兵」は、井川さんは削除しています。

 ちなみにこの2ページには『週刊文春』1997年11月27日号でとりあげられた「ある軍曹」の登場場面があります。

 つまり、……線部は原書にも英訳本にもない。井川氏が加筆したものなのだ。井川氏は人民軍の略奪行為がなかったことを、説明として書き加えるだけでなく、原作にはない、「ある軍曹」まで登場させ、それを強調する台詞をしやべらせている。(同誌45頁)

「原作者が強調しているとあなたが言うこの箇所は、井川さん、実は原作者ではなく、(英訳者でもなく)あなたご自身が勝手に強調している箇所なのですよ。「ある軍曹」を登場させてその口を借りてまであなたご自身の見解を強調している箇所なのですよ。英訳(や原文)と自分の加筆部分との見分かもつかなくなったのですか。

 このように「非政治的」で「文学的」な加筆部分が英訳(や原文)の何倍にもなる箇所が井川訳本の至る所にあるのです。

 それにやたら誤訳が多いですね。英語の単純な読み間違いやら、知識不足に起因するものやら、いろんな誤訳のオンパレードですね。

 あなたは「私は『戦争屋』だった。戦争が飯より好きな人間という意味ではない。戦争取材を専門とするジャーナリスト、いわゆる戦場記者ということだ」(訳本「解説」349頁)とカッコよく言われます。が、そのわりには兵器、兵種、戦場の理解が少しお粗末すぎはしませんか。

 ほんの3つだけ例をあげれば、お気づきかどうか、原作には徒歩で接近したと書かれている南軍降下部隊をパラシュート隆下させた英訳者の誤訳をそのまま踏襲したり(ここに描かれた状況下でのパラシュート降下はありえない)英訳の誤訳どおりに T54戦車の中に歩兵のヴァンやタインを乗せたり(T54戦車は窮屈な車内に乗員4人が詰め詰めに乗っていて、余計な歩兵などを乗せるスペースはない)、英訳では(そして原作でも)米軍空輸機動部隊がヘリコプターから降りてくる場面を、わざわざ「コブラの大群が着陸し、多数の海兵隊員を吐き出した」と書き変えたり(コブラば2人乗りの攻撃ヘリで多数の海兵隊員など遅べない。それに空輸機動部隊は海兵隊ではない)とひどいことになっていますよ。

「何のことかわからない知識不足の平均的日本人」を雲の上から教え導いてくださるのは、もう少し勉強して自分の知識不足を補ってからにしてくださいませんか。

いつくろうおつもりなら、せめてもう少しお上手に

 井川さんはまた、

 私は同年(1996年=大川)夏にバオ・ニン氏と翻訳方法について話し合い、(1)英訳本には重大な誤訳と歪曲があるため、なるべく原著に即して翻訳する(2)しかし原文のままではヴェトナムに関する知識の乏しい日本の読者に理解を強いる(事実上の誤訳となる)恐れがあるので、部分的に加筆その他の補正をする必要がある、という2点で合意した。(井川文286頁)

 と述べられた。

 鬼の首でも取ったみたいですね。これで白紙委任状を手に入れたというわけですね。たしか同趣旨のことは「バオ・ニン氏の大川均氏への公開書簡」にも出てきますね。

 しかしこういう「外国文学の翻訳という仕事の本質にかかわる重大問題」に、バオ・ニン氏は去年9月の私との会談の席で「井川氏の改竄」が問題になった時に一言もふれませんでしたよ)この会談の内容については証入も証拠もあります。公開討論の場ではっきりさせましょう)。

 それに井川さん、あなたは、こうした翻訳書の死命を制する重大事を、あなたの「訳書」の中には「解説」にもどこにも一言半句も書いていませんね。

 あなたはこれほど大事なことをなぜ書かなかったのですか。「解説」を書いた時点ではまだ「2点の合意」はなかった、からではありませんか。かりに、今は本当にあるとして、それば「翻訳」にとりかかる前の1996年夏にではなく、本ができた後、改竄がバレた後に、あなたの方から原作者に働きかけて大急ぎでこしらえたものではありませんか。あなたが「2点の合意」をさかんに吹聴しはじめたのは、あなたの本が売り出された後、私があなたの改竄を指摘した後、それもかなり後のことですよ。

 このように見てくると、つまり、こういうことになりませんか。

「『戦争の悲しみ』The Sorrow of War バオ・ニン著、井川一久訳 めるくまーる」と銘打って売り出された本は、「翻訳者の手になる一種の改定版」、実際には「大幅な加工をためらわなかった」井川氏の「創作品」なのだ、と。

 あるいは、「原作者の同意を得て」と、あちこちでさかんに言うあなたの言葉を額面どおりに受け取れば、「井川一久、バオ・ニン共著」の「新作」なのだ、と。

 とすれば、「バオ・ニン著『戦争の悲しみ』」の英訳本からの翻訳(重訳であるといっても翻訳)だとばかり思って買って読んだ人や書評を書いた人々は、似て非なる、まがいものを読まされたことになるのではないでしょうか。

「バオ・ニン氏の公開書簡」なるもの

 さて、終りに「バオ・ニン氏の大川均氏への公開書簡」なるものについて考えてみます。

 私は、『正論』平成9[1997]年12月号の私の文「『戦争の悲しみ』の不運……ベトナム戦争を描いた小説はかく改ざんされた」のコピーと、「朝日元記者にベトナム戦争文学『戦争の悲しみ』“改ざん”疑惑」という記事の載った「過刊文春」1997年11月27日号1冊を、それぞれが出たそのつどに手紙をそえてバオ・ニン氏に送りました。

 その後、彼からの返信もないままうちすぎて、今回の「公開書簡」となりました。

「公開書簡」の文面を読んで真っ先に感じたのは、これは私の知るバオ・ニン氏からの手紙ではない、井川さん、あなたからの手紙ではないか、ということです。「書簡」冒頭の「『正論』に掲載された大川氏の文章と写真は私を激怒させた」、「大川氏は、拙宅での私との面談と、私と並んで撮った写真を、私自身の知らぬ私の政治的意図の証拠として利用した。これは倫理に反する」という「親愛の情あふれる」出だしからしてまるっきり井川調ですが、つづく「この際、事実をまとめて略述しよう」以下の「事実」は井川さんご自身が言い張っている「事実」にそっくりそのまま、瓜二つですね。

 これが事実でないことはきたるべき我々の公開討論の席で明らかになるでしょう。バオ・ニン氏は正直で誠実な方です。その場にお招きすれば、何が事実かをはっきり語ってくれるでしょう。

 井川さん、この書簡の文言はベトナム語の原文の忠実な訳なのですか。「加工」のプロのあなたが「大幅の加工をためらわなかった」ようなことはないでしょうね。ミダス王の手がふれたものは何でも黄金に変じたそうですが、あなたの手のふれたものからは、ム~ッと、「加工」の悪臭が立ち昇るような気がするのです。

「その後、私は日本語のできる友人たちに井川氏と大川氏の訳文を比較してもらった。彼らは井川訳の方を高く評価した。私は井川氏に感謝している」

 ですって? バオ・ニン氏がこんなことを? まさか。

 井川さん、そもそも書簡なるものは実在するのですか。もしお手許にあるようでしたら、是非、現物を私にお見せください。でないとバオ・ニン氏に返答しようにもしようがありません。私は私の訳書を出版するつもりですから、このままでは困るのです。

 この1文が『正論』誌に掲載されましたならば公開討論開催の準備に入りたく思います。バオ・ニン氏を双方連名でお招きする具体的段取りもご相談しなければなりません。ご連絡いたします。

 今回の『戦争の悲しみ』改竄事件は、日本の翻訳史上、日越文化交流史上に残る出来事です。ベトナム戦争報道の総仕上げとしてマスコミ史上にも残るかもしれません。

 皆様の前で、ウソごまかしなしで正々堂々、何が事実かについて議論を戦わせようではありませんか。

 では、その時に。


 以上で(その19)終り。次号に続く。


(その20)続5:ヴェトム小説「改竄」疑惑問題、最後の誌上論争
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