仰天!武蔵野市『民主主義』周遊記(その42)

借金火達磨・巨大政治犯罪都市

9.11. アメリカ攻撃「事変」に関する「むさしの市民の党」の怪し気な振る舞い

2001.12.9 mail再録

送信日時 : 2001年 12月 9日 日曜日 2:23 PM
件名 : [Ombuds] 9.11. アメリカ攻撃「事変」に関する「むさしの市民の党」の怪し気な振る舞い

 武蔵野市の木村愛二です。

 このところ、9.11.アメリカ攻撃「事変」に掛り切りで、この電子手紙広場向きの地方、いやさ、痴呆政治に関する投稿の時間が取れなかったのですが、先に報告した「議員報酬全廃と特別職体系廃止、一般職の役職手当廃止に関する陳情」で、明日、12月10日の武蔵野市議会総務委員会で「陳述」をします。

 その中では、「議員報酬全廃」の主旨に付け加えて、特に新情報として、後述の武蔵野公会堂で開かれた「飢餓と戦火のアフガニスタン/ペシャワール会・中村医師/三多摩講演会」に関する「むさしの市民の党」の怪し気な振る舞いに触れます。

 私はすでに武蔵野市議会における9.11.アメリカ攻撃「事変」に関する二つの決議を巡る深夜2時頃の議事録を紹介しました。二つの決議とは、賛成多数で採決された略称「テロ事件を糾弾する決議」と「むさしの市民の党」のみの提案で反対多数で否決された略称「平和的解決を求める決議」です。

 後者には前者に無い「今回の事件の真相究明および根本的原因の解明と平和的解決のためのあらゆる努力を強く求める」との文言があったので、そこは一応評価しておいたのですが、上記の集会を巡る経過の中で、やはりこれも、いつもどおりの「口先だけの票稼ぎの詐術」でしかないことが、判明しました。しかも、集会の案内チラシそのものが、主催者偽称のそしりを免れないものであることも、裏が取れました。ああ、呆れた「新」、いやさ、「珍」左翼の実態でした。

 我が家に届いたチラシは、明白に「むさしの市民の党」の名によるもので、主催者に関しては、単に「同集会実行委員会」となっており、市民の党が中心になって、地元の武蔵野市の市の施設である公会堂で開く画期的集会の雰囲気を漂わせていました。会場は超満員でした。

 ところが、この集会の実行委員会の裏方に聞くと、集会名にもある「三多摩講演会」として企画したのは他の市の「無党派議員」たちであって、場所は吉祥寺の武蔵野公会堂が最高の位置であり、武蔵野市には、しかるべき「無党派議員」がいないので、仕方なしに「むさしの市民の党」を加え、地元だから仕方なしに司会に「むさしの市民の党」の市議会議員、山本ひとみの媛を立てたら、案の定、いつもどおりに「乗っ取り」されたというのでした。「あの党は実にずるい。三多摩で嫌われている」というのです。

 この「乗っ取り」常習犯に関しては、私自身が、カンプチアPKO出兵反対運動の過程で体験していますから、間違いありません。実に図々しい連中です。しかも、いわゆるパフォーマンスで議員を増やして、議員報酬の中から党の資金を捻出するという日本共産党を真似た「公金横領党」の典型です。

 さらに、昨年、これまた私自身の体験として、1960年安保闘争40周年の新宿ロフトプラスワン企画の取材と出演者募集のために、いわゆるブント系集会を覗いた時、私があえて「半気違い」と批判する「よど号」乗っ取りの赤軍派の集会にも、市民の党関係者が多数参加しているのを確認しました。

 ブント系の鬼っ子を産み落とした日本共産党にも批判すべき点が多々ありますが、この種の怪し気な連中が痴呆議会を荒らしているのも、実に不愉快なことです。以下、上記の集会に関する私の通信を再録します。


なお、以下は、わが電網宝庫の『亜空間通信』抜粋と重複する。

『亜空間通信』116号(2001/12/05)【ペシャワール会・中村医師に典型を見る「現地」慈善型運動家の無意識の危険性】

送信日時 : 2001年 12月 5日 水曜日 7:19 AM
転送、転載、引用、大歓迎

 昨日、2001.11.04.(火)の出来事に関し、随想型の日記風にて、またしても仕方なしの「憎まれ役」を買って出た問題点と状況を記す。

 これは、いわゆる紛争地帯の「現地」報告に付きまとう「無意識の危険性」の典型と、それへの私の仕方なしの対応の一例である。ただし、表記の「ペシャワール会・中村医師」は、個人としては、この種の「慈善型運動家」の中では最良の部類と拝見した。それでもなお重要な問題に関しての「危険」な部分があったのである。

 具体的な問題点だけ最初に指摘して置くと、すでに本通信で報じた「ソ連侵攻より6ヶ月前の米アフガンCIA工作」に関する無知と逆宣伝、「同時多発テロ」用語使用、「現地の貧しさがテロの温床」発言である。以下、まずは経過から記す。

 昨日、午後4時頃、普段の日課の水泳をさぼり、別途配付予定の資料、『アラブ・イスラム解説通信』準備号(本通信既報の一部要約)のコピーなどを終えて自宅に戻ると、郵便受けに薄赤色でA4半のビラが入っていた。見ると、「主催:同実行委員会」による「飢餓と戦火のアフガニスタン/ペシャワール会・中村医師/三多摩講演会」の宣伝であった。

 会場は地元の吉祥寺、武蔵野公会堂だから、自転車で行ける。ビラの発行人は地元の「むさしの『市民の党』」だったから、事務所に電話をして会場からの質問時間があることが確認できた。そこで急遽、行くことにした。

 主題そのものは私の追及していることとは違うのだが、それでも行く必要を感じたのは、すでに電網情報で何度も見ていた同医師の発言内容を、自分の耳で確かめ、できれば「質問」形式で糺したかったからである。それらの情報では、同医師が「現地の貧しさがテロの温床」などとして、「鬢ちゃん主犯説」の論拠にされ兼ねない発言をしているようなのであった。

 簡略に記すと、実際に聞いてみて、やはり、そうだった。非常に「現地」に同情的であるが故に、むしろ、「テロ止む無し」の雰囲気を漂わせる発言をしたのである。電網情報に間違いはなかった。

 質問時間は押しに押して、なかなか指されず、最後に仕方なしに、司会が終了の挨拶に向かう瞬間、大声で「重要な質問」と叫んで、マイクなしに質問した。こういう時は日頃鍛え上げた声と度胸が決定的な武器となる。

 上映されたヴィデオの冒頭でも「同時多発テロ」という用語が使用されていたので、それも合わせて注文を付け、「アラブ・イスラム世界ではビンラディン説は少数、モサドかCIAの犯行説が圧倒的と聞くが、現地でどうだったか」と聞いた。

 同医師は、少し困った顔をしたが、素直に、朴訥に、「地下鉄サリン事件の犯人」と比較し、「パキスタン駐在のタリバン代表が証拠を示せば引き渡す」などと発言したことを引き合いに出し、疑問を表明した。やはり、この問題点に悩んではいたと見受けた。

 しかし、本当に「現地」を代表するのならば、これが最も重要な報告のはずなのだが、そこは、政治的立場を越えて多くのカンパを求める「ペシャワール会」代表としての「政治的配慮」と判断せざるを得ない。

「ソ連進攻より6ヶ月前の米アフガンCIA工作」に関する無知については、最早、質問ではなくて間違いの指摘なので、時間もないから割愛した。同医師が使った「ソ連軍正規兵」の群像や、同医師の口調は、「ソ連批判」の色彩が濃いものであった。これではアメリカの内政干渉の免罪になってしまう。

 以上の問題点は、しかも、同医師の「現地」調査による報告ではない。アフガンに関するメディア報道の「歪み」を、それこそ口を極めて批判する同医師ですらが、実は無意識に、メディア報道を自分にも聴衆にも刷り込んでいるのである。だから危険なのだ。怖いのだ。

 最後に、あえて「慈善型運動家」とした問題に関して、同医師を「最良の部類」と評価する発言を記す。同医師は、自らの自省として、「人助けと思ってやっていたが自分のためだった」と認めたのであった。この自省と自覚がない「慈善型運動家」は非常に多いし、そういう例の「現地報告」は実に危険なのである。

 その最悪の典型は、ユーゴ戦争で、モスクに並べられた死体をみただけで「虐殺死体と現地報告」してしまい、仕組まれたデマの「ミロソヴィッチの民族浄化によるラチャク村村民大量虐殺」を「事実」として日本国内の市民運動の集会で喋り、疑問を抱いた私の質問に怒って、「現場に行きもしないで!」と叫んだ若者の例である。しかも、同様の報告は、NHKのBS番組と、共同通信の現地派遣記者の配信記事によって、日本全国に流されていたのだった。この件は、わが電網宝庫のユーゴ戦争問題に収めてある。


以上で(その42)終わり。(その43)に続く。
(続きませんでした。)


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