仰天!武蔵野市『民主主義』周遊記(その39)

借金火達磨・巨大政治犯罪都市

武蔵野でも9.11.アメリカ重大事件に典型を見る
偽善系左翼のぶりっ子癖

2001.11.4 『亜空間通信』より抜粋

『亜空間通信』77号(2001/11/04)【9.11.アメリカ重大事件に典型を見る偽善系左翼のぶりっ子癖が裸の猿の最悪の癌】

転送、転載、引用、大歓迎!

 この77号は、以下のように、昨日、土曜日に綴り始め、送信する予定であったところ、急ぎ転送したい最新情報が溢れたために、完成と送信が遅れたものである。

 執筆の主旨は、何度も言っていることではあるが、最早、堪忍袋の緒が切れ果てて、ばっさり斬ることにしたのである。具体的事例としては、地元の武蔵野市の市議会議員の媛たちに典型が見られる。

 今回の事件に際しても、「戦争反対!」を叫ぶ勢力の多くは、私が詳細に調査した限りで言えば、湾岸戦争、カンプチアPKO出兵、ユーゴ戦争と、すでに3度にわたる事例と同様に、事態の真相究明の努力をせず、特に、戦争屋の首魁、アメリカの謀略を疑うことを恐れ続けてきた。それは、なぜか。その深層の真相を具体例を挙げつつ論理的に解明することなのである。

 私の基本姿勢を示すと、英語の諺が最も厳しいが、「偽の友は公然の敵より悪い」、またはその裏返しで、「公然の敵は偽の友より良い」である。今回も、心情左翼とやらの読者が多い朝日新聞よりも破落戸ナベツネ独裁の読売新聞の方に、うがった記事が見られた。理由は簡単で、いわゆる右は平気で嘘も付くが本音の勝負もするし、基本的には主流の自然体であり、いわゆる左は丸暗記の優等生型の格好だけで不勉強の反主流、つまりは経営能力も経験もない偽善系の負け犬の群れだから、なのである。

 非常に簡単な結論を先に述べると、私が偽善系左翼と呼ぶ連中は、私とはまったく逆で、事態の真相究明を、目的にも手段にもしていない。彼らの動機は、自分達の勢力の拡張、いや、それが困難というよりも不可能に近くなっている現状の下では、実は、そこそこの勢力維持にしかない。比較的に大きな組織の専従幹部、いやさ、患部について、はっきり言えば、目的は飯の種の確保にしかない。動機が違えば、頭脳の働き方が、すべてが違ってくるのは当然のことなのである。

 以下は、昨日からの文章を増補し、本日までの合間を縫って仕上げたものである。冒頭の「本日」は、現在では「昨日」となってしまっている2001.11.03.である。

 さて、本日は土曜日だから、最近の裸の猿の一部が採用したり、なし崩しに逆戻りしたりしている労働休日の習慣に従えば、不健康な卓上玩具電算機と睨めっこするのは止めるか、あくまで仮想の超過勤務加算が不払いでもあえて残業をするか、いや、仕事ではなくて遊びなら積極的にすべきなのか、なかなかふんぎりが付かないので、中途半端な日記風とする。

 題して、「9.11.アメリカ重大事件に典型を見る偽善系左翼のぶりっ子癖が裸の猿の最悪の癌」。

「ぶりっ子」の基本姿勢は、今回に例を取れば、これもいつものように自分の頭を使わず、「テロ糾弾!」と「戦争反対!」の典型的な標語の暗記、お題目の太鼓叩きのテンツク、テンツクでしかないのである。

 おそらく、これを、いかにもどぎつ過ぎる表現と受け取る向きが多いと思うが、それほど大袈裟なことではない。単に、私が、これまでに何度も経験し、指摘し続けてきたことの簡略なまとめ以外の何物でもないのである。

 問題の核心は、戦で言えば、どこが天王山なのかを読み切れずに右往左往し、敗走を続けるの愚であり、その愚を、なぜ何度も繰り返して恥じない「偽善系左翼」の群れが、なぜ存在し続け得るのか、そしてその現象の歴史的意味についての考察である。

 私が「ガス室の嘘」を暴露し始めて以来、私のことを、舌っ足らずに「ネオナチ」とか、一般には「左翼」の反対側に位置付けられる「右翼」の肩を持つとか、体制に迎合するとか称して、足を引っ張った積もりでいる連中もいるが、そんな連中は私の眼中にはない。私が「偽善系左翼」として位置付けるのは、今は亡き日本社会党から始まり、凋落の一途を辿りつつある日本共産党などを最大集団とする諸々の党派の全体像である。

 今回は、アメリカで起きた事件を発端とする騒動なので、アメリカの元司法長官ラムゼイ・クラークを代表とする国際行動センターに関しても、いささか苦情を述べ、厳しい注文を付けざるを得ない。もっとも、その批判の一部は、すでに「ユーゴ戦争」に関する連載で述べているので、ここでは省略する。

 今回の「9.11.アメリカ重大事件」に関しては、私が「肝心なこと」と考える「敵の謀略」を見抜こうとする意欲が見られる個人は、少しはいるものの、集団としては、ほとんどないと言って差し支えない状況である。

 この問題点に関しては、ちょうどこの号を準備中に韋駄天掲示板に現われ、次号の78号に収めた文章に都合の良いのがあるので、以下、引用する。


 情報操作を研究している明治学院大学の川上和久教授によれば、第2次世界大戦当時、アメリカの宣伝分析研究所は情報操作の研究を行い「7つの法則」を見出したそうです。これを今回のテロ事件に当てはめてみると…

1.ネームコーリング:攻撃対象の人物や組織に対し、憎悪や恐怖の感情に訴えるレッテルを貼る方法
  ↓
 今回の場合、公の場で繰り返される「凶悪テロ組織アルカイダ」「非人道的組織タリバン」といったフレーズ


 最近では、この手法を「悪魔化」(demonization)と呼ぶ。この第1の法則的な戦時宣伝を打ち破らないと、「超法規」行動の必要性を論破できず、ずるずると戦争協力に引き込まれるのである。

 孫子も「謀を破る」ことの重要性を指摘している。その兵法の基本、「彼(敵)を知り、己を知る」努力と能力を欠く集団には、勝利の可能性がないばかりか、負け戦の保証しかないのである。ところが、現代では、負け犬でも、山に逃げ込む必要はなく、都会においてさえ、そこそこの宗派勢力を維持できる世相なのである。だから、何度負けても悪癖の除去が不可能なのである。

 私が昨年から本格的に開始した「カール・マルクス徹底批判序説」には、いくつかの論点があるが、ここでは、カール・マルクス自身の言葉として引用されることが多い「解釈ではなくて肝心なのは変革すること」を叩き台とする。

 私自身は、徹底した唯物論者を自称しているから、善とか悪とかの人為的な基準を固執はしない。運動会風の赤組か白組かの選択で結構と考えており、「変革」の立場を選び、その方法としては非暴力抵抗を選んでいる。

 その立場から端的に言えば、「変革」の際の「打倒」の対象となる「体制」に問題があるのは当然のことなのであるが、実は、さらに極端に言えば、その当然のことの研究は、最早、必要がないのである。

 むしろ、口を開けば、「変革」とか「革命」とか「世直し」とか「平和」とか「戦争反対」とか「出兵反対」とか、諸々の反体制的言辞を弄して「大衆」を組織し、小は集会やデモ行進への「動員」から大は「政治献金」に至るまでの「成果」を競う諸勢力の「欺瞞」または「自己欺瞞」の暴露こそが、「急がば回れ」の急所だというのが、私の論点の中心なのである。

 今回の事件に関しても、日本共産党を具体例に取り、その誤りを、以下、3つに分けて指摘する。

1. 日本共産党は、日本の大手メディア、またはアメリカに同調し、「同時多発テロ」という用語を用い続けている。

 ところが私は、今回の事件を、「9.11.アメリカ重大事件」と呼び、「テロを装おう戦争挑発の謀略」の可能性大と見て、情報収集と分析に努めている。

「テロ」という用語に関しては、アメリカの言語学者、チョムスキーが、いわゆる湾岸戦争を戦争ではなくてアメリカという国家が犯した「国家テロ」と規定しており、国際行動センターでも、アフガン空爆の方を「テロ」と呼んでいることなどを、まず議論すべきである。

 私は以前から、「テロ」の語源のラテン語では「脅す」の意味であり、言葉の脅しをも含めた物理的な強制行為を意味すると考えるべきであるが、歴史的経過により、一般には「戦争ではない非合法の暴力行為」の意味を帯びてきた旨、指摘している。現状では、抵抗運動の暴力を「テロではない」などと主張する向きもあるので、意味が混乱し、デマゴギーの材料になっている。この点の議論を抜きに「テロを糾弾する!」などと叫んで事実上体制を利する盲動に堕するのは、偽善系左翼の「ぶりっ子」僻の特徴である。

 なぜか。私の結論は非常に単純である。「テロを糾弾する!」と叫べば、多数派の無知な世論に迎合できることを感覚的に感知して、盲動しているだけなのである。

2. 以上から当然の結果として、「テロを装った戦争挑発の謀略」を疑う方向性は、まったく見失われる。

 以上の1.2.によって、日本共産党は多数派の大手メディアに騙され続けている「大衆」からの「孤立」を免れる。正しいか正しくないかが問題ではないのである。

3. 次には、「テロを糾弾する!」と叫んで、「お山の大将、我一人ごっこ」にふけっている。

 武蔵野市議会における今回の事件に関する決議、「自民党から共産党まで一致」と、「市民の党」のみ、の2つの決議を巡る午前2時過ぎまでの騒動に関しては、新聞報道の再録をも含めて、わが電網宝庫の日記風に記した。以下のURLに収めてある。(決議採択と否決の時の議事録は今月中には電網公開される予定なので、その後に掲載する)

 http://www.jca.apc.org/~altmedka/turedure-1-9.html

 以後の状況を記す時間が取れないのだが、以後、地元の日本共産党地区委員会は、もっぱら、「市民の党」が「テロを糾弾しない」とねじ曲げては、「糾弾」し続けている

 私は、この決議が揉めて議会が空転していた最中に、武蔵野市役所の7階の議会事務局に陣取り、議員をつかまえては大声で、事実上の演説をぶった。

 曰く:「どちらも間違ってる。テロかどうか分からないのにテロと呼ぶのはアメリカの犬だ。自民党が仕掛けた決議に社民党や共産党や生活者ネットワークなども加わる21民主が同調し、国際社会の対応の形容に『冷静』と加えただけで得意になって共同提案し、事実はアメリカの味方をしているなんて、実におぞましい堕落振りだ。野党は本来、ブッシュの報復攻撃と小泉の呼応に反対し、与党と個人を名指しで非難する決議を提案すべきだ」

 きたる11月10日には、武蔵野市役所横の市民公園で、何と、女性議員だけの呼び掛け、共産党が届け出責任者となって2媛、社民党1媛と生活者ネットワーク1媛だけを加えた4媛の主宰で、市民の党の2媛を排除した「戦争反対!」集会とデモ行進をやるのだそうだ。またもや、アメリカよりはむしろ、少しはましな決議を提案して敗北した市民の党の方への「糾弾」に精、いや、媛だから卵かな、を出すのであろう。すでに共産党は、ビラでも駅頭演説でも、それをやって、市民の党への名指し攻撃で、「少数野党」の中の「お山の大将ごっこ」を繰り広げているのである。

「漁夫の利」という諺もあるのだが、ああ、何をか言わんや。

以上で(その39)終わり。(その40)に続く。


(その40)本質的抜本的政治改革へ決起
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