武蔵野版『不祥事隠し』独自捜査シリーズ(その6)

『元職員による横領事件資料』の縦横解読

2000.3.3

 前回の(その5)「42,733,100円へと横領額倍増の奇怪な展開」は、その展開の概略説明であった。大筋を確認すると、被害者6氏の内、刑事法廷で氏名が明らかになっていないのはF氏だけとなった。F氏は「法人」である。被害額も一番多いようである。

 今回は、この最後の大物「F氏」の存在を大いに意識しつつ、さらに詳しい個別の事情に関する当局側説明を要約紹介する。その矛盾の数々を指摘しつつ、かつ、それらの矛盾が暗示する背後の事情の可能性の数々についての、推測を逞しくする。

最後の大物「F氏」の「醜の御盾」が守秘義務?

 推測を組み立てる上での最大の障害は、前回指摘した通りの「守秘義務」を盾に取っての「情報公開」の渋り状況である。しかし、渋れば渋るほど、偉そうに「プライバシー!」とか「守秘義務!」とか叫ばれれば、叫ばれるほど、なおさらのことに隠れた部分を剥いで見たくなるのは、これ、人情の常である。しかも、何が何でも隠し切ろうとするから、いよいよ怪しく思えてくる。この際、「出歯亀」の非難は「下司の勘ぐり」と切り捨て、「真実の報道」なる錦の御旗も翻えろうというものである。野党議員の諸媛、諸彦も、山本ひとみの媛を先頭にして、議場での質問の鋭さを競い合い、実は陰では足を引っ張り合いながらも、ここを先途と突き進んでいる。段々と本腰が入ってきた。市民の側にも、この件の真相を解明するために、議会で過半数には達しなかったものの大いに市長の肝を冷やしたであろう「真相究明決議」に賛成した諸野党の議員の諸媛、諸彦を招いて、超党派の市民集会を開こうかとの気運が盛り上がつつある。

 その状況下、やっとこさ、2000年2月8日の武蔵野市議会全員協議会に、A4判の『元市職員による横領事件資料』なるものが提出された。これが何と、うんとこさで、市当局が「犯行発覚」と称する1999年5月17日から数えても、8か月と20日後のことなのである。同資料記載の「横領期間」の最初の日付は1995年(平7)8月9日、最後は1998年(平10)12月8日、つまりは、3年と4か月の長期にわたる継続的な犯行である。それをたったのA4判一枚の資料で説明し切れるわけがない。

 特に、最後に控えたF氏の場合は、なぜかまだ、「業務上横領」部分の追起訴にも至っておらず、従って、刑事法廷でも氏名が明らかにされていないのだから、単なる「イニシャル」表記ではなくて、謎の人のまま、本当に謎だらけの資料なのである。市当局は情報公開を拒み、刑事裁判でも「小出し」で被告を異常に長期勾留している。しかし、まさか、市民の疑惑の盛り上がりを期待しているわけではあるまいが、長引けば疑惑が広がるのは、誰の目にも明らか。となれば、もしかすると、何が何でも、最後の大物「F氏」の名前が出るのを、一刻でも先に延ばしたいのか、などと勘ぐってしまう。資料のどこを見ても、見ればみるほどに、説明、質問、答弁、再質問、再答弁のどれを聞いても、聞けば聞くほどに、ますます矛盾だらけとなり、疑問が膨らむばかりなのである。そこで、以下、いくつかの項目に分けて疑問点を指摘する。

横領額倍増が「分かった」経過報告への疑問

 前回は『朝日新聞』(2000.2.9)記事のみを紹介した。その見出しの主要部分は、横領金額の「激増」を目玉商品にしている。他紙報道の見出しも同様であった。確認のために、以下、見出しの中の金額に関係する主要部分のみを並べて紹介する。

「被害額2倍4200万円余に」(朝日)
「被害総額4270万円に」(読売)
「総額4273万円に」(毎日)
「横領総額4273万円」(産経)
「横領額は約4300万円」(東京)

 つまり、当然のことながら、横領金額の倍増が、最新の報道の目玉商品なのである。当初の発表の2,000万円に比較すると、2,000万円以上の増加である。では、これが、どういう経過で、「分かった」のであろうか。全員協議会での市長の報告状況を要約すると、市長は、横領金額が増えた理由について、大略、「警察の調査」、それを受けて行われた「市の独自の調査」、この双方の結果であると説明した。市は、H被告の担当地区の滞納者全員に手紙を出して、これまでに判明している以外の被害者が、「いないかどうか」を確かめたとも称している。しかし、結果としては、新しい被害者の発見には至っていない。つまり、被害者は、当初からの6人(内2は法人)だけらしいのである。だから、実質的には、6人だけの被害を再調査したのと同じことである。

 市の調査方法は実に単純である。被害者から、H被告が発行した領収書を見せてもらったと称しているのである。この方法の説明は当初から変わっていない。被害金額が増えたのは、その後、別の領収書が発見されたからだと言うのである。つまり、逆に言うと、当初に被害者たちが提出した領収書は、H被告が発行した領収書の半分程度であり、それらに記載されていた金額の合計が横領総額の半分以下だったことになる。

 何度にも分けて徴収したとも言うのだが、そうだとしても、1回分が数十万円から百万円単位の規模となるはずである。相当な金額で、しかも、滞納していた税金を直接手渡すという特別な行為なのである。税務部長に聞くと「現ナマの授受」らしいのである。それなのに、その曰く付きの領収書が、なかなか出てこなかったなどというのは、実に杜撰な、いやさ、実に怪しい話である。

「古い分」なら「業務上横領」のはずだが?

 市の税務部長に直接聞くと、最初は、「古い分が出てきた」と答えた。「古い分」ならば、H被告が納税課員だった時期の横領分ということになる。つまり、職務権限があった当時の「業務上横領」である。だから、「追起訴」になるはずである。刑事法廷では「追起訴の予定」となっただけで金額は不明であり、市長の報告でも金額には触れていない。ところが、これはなぜか『東京新聞』の記事だけなのだが、「今後の追起訴は約384万円」となっている。この金額について税務部長に聞くと、「誰が言ったか……」などと、とぼけている。東京新聞に聞くと、担当の立川支局長は、「取材記者がそう報告した」と答えるが、それ以上は言いたくないようである。いわゆる「取材源の秘匿」という問題があるから、しつこい追及をするわけにはいかない。市長の答弁では、「追起訴は市の調査で判明した分」なのであるから、少なくとも、市長、税務部長、納税課長は、その金額を知っているはずである。漏れても不思議はないが、市議会では秘密にしているから、しゃべったと認めれば、当然、議会でも問題になる。金額が正確かどうかも、4月10日15時30分の第4回公判以前には確定しようがない状況だが、もしも正確な金額だとすると、この金額は、いかにも少なすぎるのである。

 再度念を押すが、この追起訴は「業務上横領」である。ところが、一応、この「約384万円」を仮定に考えることとし、これまでの「業務上横領」の起訴額、8,836,900円と合計すると、約1,268万円にしかならない。2,000万円を超える増加分が「古い分」ならば、それは「業務上横領」のはずなので、「業務上横領」は、当然、2,000万円以上増えて、3,000万円程度にならなければ、おかしいのである。ところが逆に、このままだと、残りの「単純横領」または「詐欺」の方が3,000万円以上となり、「業務上横領」の倍以上の金額になる可能性があるのである。そちらは、まだ、起訴どころか、告訴も告発も、まったくなされていない。

告訴もせずに「単純横領も市の被害額」への疑問

 市民としては、当然、金額の多い方の取り扱いが気になる。しかも市長は、この「単純横領または詐欺」の部分については、これまで何度も野党から、「なぜ告訴しないのか」などと追及されながら、一貫して告訴の必要性を認めていなかったにも関わらず、突然、「単純横領も市の被害額と認識」と宣言したsのである。この宣言の周辺にも、実に怪しげな雰囲気が漂っているのである。

 警察と検察が行う「起訴」に対して、市民や組織の側には「告訴」「告発」という法的手段がある。そういう手段があるということは、市民や組織の側に、警察と検察の捜査、起訴、裁判による措置を「要求する権利」が保障されていることである。ハッキリ言えば、警察や検察が手抜きをしないように、「尻をひっぱたく」権利である。法的には、「告発」は、市民権があるものなら誰にでもできる行為である。「告訴」は、一応、被害者が行うことになっている。この場合、市当局が「単純横領も市の被害額と認識」、つまりは「被害者」と宣言しながら、「告訴」「告発」もしないのは、権利の放棄である。

 市長はまた、「業務上横領の刑は懲役10年以下で、単純横領は5年以下」と称し、暗に、業務上横領で処罰されれば、それで「よし」とするような説明をしている。

 その癖、「単純横領も市の被害額と認識し、何年掛かっても被告に払わせたい」などと、宣うのである。手元の安物辞書の「被告」の説明には、「刑事事件に関して公訴を提起され、その裁判がまだ確定していない者」とある。市長が自らの方針で告訴はせず、その結果かどうかは断定できないにしても、ともかく「単純横領」に関しての起訴には至っていないのだから、H氏はまだ、「単純横領」に関しての「被告」ではないのである。

 これだけ矛盾だらけなのに、あえて市長が、「単純横領も市の被害額と認識」するのは、なぜか。実は、この答えは非常に簡単なのかもしれない。犯罪捜査の基本として、利益を得る者は誰かを考えれば、「単純横領」の直接的な被害者となる。かなりの金額の「単純横領」分をH氏に渡したらしいD,E,F氏らは、この「認識」により、その分を市に「納付」したと同様に取り扱われるのである。

D,E,F氏の「差押年月日」は「10年10月16日」

 さて、ここからが、このミステリーの最大の山場となる。不祥事そのものよりも「不祥事隠し」、それも、1999年(平11)4月の市長選挙と市議会議員選挙が一緒に行われた全国一斉地方選挙、その「5か月前」に、この不祥事が判明していたのに、「現職市長に不利になるから隠蔽したのだ」という「匿名の市職員の告発」が、事実なのか否か、という一大政治疑惑、その最大のポイントが、「差押年月日」なのである。

 たったのA4判1枚の資料なのだが、それでも、これでにも何度か議会で議論の的となった「差押年月日」が記されていた。A氏の場合は「11年5月7日」で、その「解除年月日」が10日後の「11年5月17日」になっている。差押えの「物件」は「電話加入権」である。「5月17日」は「発覚」のきっかけの電話の日付であるから、その電話を受けて即日、「再押さえを解除」したことになり、筋書きに合っている。B,C氏は、揃って「分納に応じているため差押えはしていない」となっている。以上の3氏は、「業務上横領」のみの被害者である。いずれも「横領期間」の方は、H被告が保険年金課に配転になる前に終了している。

 D,E,Fの3氏の「差押年月日」は「10年10月16日」である。「物件」は3氏ともに「不動産」である。この日付は、H被告が保険年金課に配転になってから、半年以後である。西暦では1998年の「10年10月16日」は、翌年4月25日に行われた選挙から数えると、6か月余り前である。この日付は、また、6氏の「差押年月日」の中では、一番早い時期である。

 さらに興味深いことには、「横領期間」の方が、「差押年月日」以後も続いており、D,E両氏に関しては「10年11月30日」となっている。

 この日付けは、選挙の5ヶ月弱前である。たとえば、差し押さえ通知が来て驚いた被害者が、H被告に取りなしを依頼して現金を渡したが、念のために上司とか、または顔を利かせて市長などに頼み込み、それで着服が発覚したという可能性もある。ともかく、あまりにも出来過ぎと言いたいほどに、上記の「匿名の市職員の告発」の「5か月前」とピッタリ符節が合っているのである。

 F氏に関する「横領期間」は「10年12月8日」である。この方が遅いが、やはり、「差押年月日」以後まで継続しているのである。つまり、財産の差押えまで受けながら、D,E,Fの3氏は、揃いも揃って、H氏に現金の納付を続けていることになる。これは、いかなる状況なのであろうか。

 それを考えるためには、「差押」という行為の具体的な進行状況を知る必要がある。また、D,E,Fの3氏に関しては、「解除年月日」の項目に、全員が同じ(注3):「一部納付があるため換価措置は取っていない」とあることも、重要なヒントとなる。「換価」とは、競売に掛ける前の準備段階の財産評価のことだそうで、納税課長は、「いきなり競売に掛けたりはしない。差押えは納税を促すため」と説明した。「差押え以前に本人に連絡している」とか、「本人とは会えなかったが税理士と会った」などとも答弁した。つまり、H被告の配転以後に、引継ぎをした納税課員、または納税課長が、D,E,Fの3氏と、直接話し合っているのである。また、税務部長は、3氏の差押年月日が同じであることについて、「この3人だけ」と答えた。つまり、特別の扱いだったらしいのである。

 以上のような接触の事実までありながら、H被告による「着服」に関して、関係者が何も気付かなかったなどという「間抜け至極」の事態が、あり得るのであろうか?

以上で(その6)終わり。(その7)に続く。


(その7)検察への告発1.警察と癒着の起訴の疑惑
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