『電波メディアの神話』(6-4)

第二部 「多元化」メディアを支配する巨大企業

電網木村書店 Web無料公開 2005.4.7

第五章 「打って返し」をくう「公平原則」信奉者 4

弱肉強食政策でマスコミ企業をにぎる力強いアメリカ

 私のようなハグレ狼とは違って、国家公務員で官学教授の堀部は、同盟国の大統領にたいしていきなり牙をむきだしたりはしない。礼儀正しくつぎのように要約説明する。

 「八〇年代に入り、規制緩和論者のレーガン大統領のもとで、公平原則の撤廃論が台頭してきた。そのような時、連邦控訴裁は八六年、通信法の五九年の追加条項は、公平原則に法的拘束力を付加したものとは解釈されないとの判決を出した。これを受けFCCは、翌八七年、公平原則を違憲と判断し、廃止を決定した」(朝日93・10・27)

 私はこれまでにも、堀部の文章をいくつか読んでいる。論点を明確にするために、あえて真正面からいどむと、堀部はいかにも法学者らしく、「規制緩和」などのキーワードの表面上の概念をそのままみとめて思考する習慣らしい。だが私はすでに「規制緩和」の実態は「弱肉強食」だと指摘した。つねに、建前と本音、看板と実態のくいちがいを重視する。

 たしかにレーガンは、公約の一つに「規制緩和」をかかげて大統領選挙に勝利し、以後、二期八年間の政権を維持した。だが、レーガノミックスと呼ばれた経済政策の結果、貧 富の差はひろがり、財政と貿易の双子の赤字が急増した。唯一成功したのは「力強いアメリカ」を再現する軍拡政策であった。スターウォーズそのものはデタラメで詐欺同然だったが、それでも軍需産業をうるおし、軍事技術の発展に寄与した。地域紛争制圧向けの緊急展開軍(のち中央軍)体制と「低強度」軍事力は、グレナダ、リビア、パナマ、湾岸での戦争で威力を発揮した。

 これらの軍事行動のすべてにおいて、アメリカ政府と軍が、とりわけマスコミ対策を重視していたことは、最早、周知の事実だ。「フォード政権のホワイトハウス報道官室のスタッフは四十五人で、一九六〇年のアイゼンハワー政権当時に比較して七倍に膨れあがったとされているが、レーガン政権のもとではこれをはるかに上回り、最低百五十人、最大限五百人近くがなんらかの形で報道ないし広報の仕事に携わっていたという」(『アメリカのジャーナリズム』)。だが、そのマスコミ対策は、単に表面にあらわれたその時々の規制、演出、パフォーマンスの工夫のみにとどまるものではなかったのだ。

 アメリカの支配層と軍部は、ヴェトナム戦争でマスコミ対策に失敗した。その後の一九七七年には、ウォーターゲート事件で活躍したカール・バーンスタイン記者が、CIAが二五年にわたって、ピュリッツァー賞受賞者や有名なコラムニストを含む四百人以上のジャーナリストに情報提供などの協力をさせたと暴露した。買収総額は十億ドルと推定された。

 レーガン時代のマスコミ対策は、これらの失敗を教訓としたまきかえしであり、ねりにねった反撃戦略なのだ。だから、さきに概略を紹介した三大ネットワークの買収は、決して偶発的なできごとではありえない。今度は、マスコミ企業そのものを直接的ににぎったのだ。

 ネットワークのっとり計画にはあきらかな前兆さえあった。『ニュース帝国の苦悩/CBSに何が起こったか』では、そのありさまをつぎのようにえがいている。

 「一九八四年十二月、ノースカロライナに住む三人の男が『メディアの公正を要求する委員会』というグループを組織した。このグループは一九八五年に入るとすぐ、アメリカ証券取引委員会(SEC)に対して、CBSの経営に影響力を行使することが可能になるだけの株の買占めを開始することを通告する書面を提出した」

 同委員会は同州選出の「超保守派の共和党上院議員、ジェシー・ヘルムズ氏がバックに控えている団体で、ヘルムズ議員はアメリカ各地の保守派支持者に手紙を送り、CBSの株を買うように呼びかけた」のである。

 CBSのニュウズ番組は、第二次世界大戦以来の定評があり、イギリスなどからの現地戦争報道や、戦後もマッカーシズムの時期の報道などで知られるエド・マロー、ヴェトナム戦争のころのクロンカイト、当時は共和党のニクソンと対決したダン・ラザーなどのキャスターをえて、いわゆるリベラルの評判がたかかった。「メディアの公正を要求する委員会」の計画は「それ自体ずさん」だったので破綻したが、以後、買収さわぎがつづいていたのである。


(5)湾岸戦争報道批判でみずからの手抜き調査の告白と反省