『電波メディアの神話』(12)

電波メディアの国家支配は許されるか?……
マルチメディア時代のメディア開放宣言

電網木村書店 Web無料公開 2005.4.15

あとがき

 電波メディア関連業界の動向と国際的および国内的な政策は、このところますますめまぐるしく変転している。

 なかでもとりわけ、マルチメディアをめぐる動きが激しい。財界と政府関係機関の確執や、政策的な調整作業は、本書の本文の原稿を印刷にまわしてから校正用のゲラが出るまでのごくごく短い期間にも、つぎからつぎへと変転の度を加えた。変転の理由の一つには急速なエレクトロニクス技術の開発もあり、それらのニュウズは業界の専門紙誌の紙面を連日にぎわしている。

 本文につけくわえたい情報も非常に多い。だが、ゲラ校正のさいに、それらをいちいちつけくわえていたら、本当にきりがなくなるほどの情報量である。いわゆる情報洪水時代の現在、そのまた基本となる情報を伝達する仕組みそのものに関しても情報洪水が発生するという、いわば現代の最先端の矛盾の集中点のような実状である。

 私自身もにわか勉強だが、この間、雑誌に寄稿したり、マルチメディアの勉強会を主催したりした。すると、私がマルチメディアをかじっていると知ったメディア関係の友人知人たちが、まさに「色をなす」というおもむきで、「いったいマルチメディアってのはなんなのかね」とせまってくるのである。渦中のメディア関係者にとっては尻に火がついたという感じの事態なのだ。まさにかつてない異常事態ではあるが、簡単にいうとこれは、電波またはエレクトロニクス技術によるメディアの世界に、急激な大変化が起きつつあることの表われにほかならない。いやむしろ、むりやりに政策的な大変化を起こすことによって過剰生産恐慌局面を突破しようとする暴走的な事態の表われ、と表現した方が適切なのだろうか。ともかく、本書の冒頭に記したような、椿舌禍事件発生直後の私の直感は当たっていた。

 これらの動きの有様は、また、目下の政治状況の典型的な表われでもある。

 電波行政の変更はつねに、言論の自由という憲法の基本にかかわる決定的な重要問題をはらむ。にもかかわらず、国会の逓信委員会での議論すらなしに、財界の要望にもとづく「規制緩和」などの措置がつぎつぎに実行にうつされている。まさに政財界の暴走というほかない状況だ。政局の混乱もあってか野党はまったくの無策である。民主主義もへったくれもあったものではない。これこそが、いわゆるテレポリティックス時代の最先端の現象である。これらの重要な政策的変更が、主権者たる市民の論議抜きの空中戦としてのみ展開されているという、いかにも現代的な支配構造の仕組みには、あらためて唖然とせざるをえない。

 大手メディアの報道の手法にしたがえば、近頃流行語の「政・官・財」、日本型の「鉄のトライアングル」または「鉄の三角形」の仕業だということになるだろう。「鉄の三角形」という造語を無造作に使用することによって、大手メディアは、みずからが支配構造の外側に立つ批判者であるかのごときポーズをとる。「学会」は、いくつかの無難な諸説をたくみに紹介し、あたかも客観的な議論の材料を提供するかのごとき「中立的」な立場を確保する。だが実際には、「大手メディア」と「学会」が完全に組みこまれた「鉄の五角形」が成立しており、議会をさしおく機能さえ発揮している。政府関係機関の何々審議会では、「大手メディア」と「学会」のそれぞれが「鉄の五角形」の一角として座を占めている。この「三角」と「五角」の関係は本書のテーマの一つでもあったのだが、この関係自体が、現代政治のまやかしを典型的に示している。

 郵政大臣の諮問機関、「電気通信審議会」の場合には、本文中にも記したように、日本経済新聞社会部長の新井明が審議会委員に加わっている。日経は今年一九四年)の一月六日にも、電気通信審議会が「三月にまとめる答申」をリーク報道した。その答申予定は五月末にのびたのだが、日経はまたもや、その五月末予定の電気通信審議会「答申案の全容」を五月十二日の夕刊で報道した。その翌日、郵政省で念のために「答申案」を請求したところ、やはり、門外不出のあつかいとなっていた。五月三十一日に予定されている電気通信審議会の承認をえなければ発表できないのだ。産業スパイだとか、国家機密漏洩だとか、きめつけるつもりはいささかもないが、日経のリークは、どういう資格でおこなっている仕事なのだろうか。

 このような何々審議会と財界御用の大手メディアが結託した議会無視のマルチメディア推進は、技術の進歩と人間個々人の人格と言論の尊重またはじゅうりんとの関係の、現代的な矛盾の象徴ともいえよう。まさに財界独裁を絵にかいたような事態の進展である。

 だが、企業の利益または国益を優先した巨大技術による事業には必ず無理が生ずる。もしかすると、アメリカのスリーマイルズやロシアのチェルノヴイリの原子炉爆発にも似た破滅的事態が、いますぐにでも、メディアの世界をおそおうとしているのかもしれない。

 最近の特徴的な事態のみを列挙してみよう。

 郵政省は今年(九四年)五月十六日に「マルチメディア時代における放送のあり方に関する懇談会」(略称・マルチメディア懇談会)を発足させた。この構想が明らかになったのは四月中旬であるが、それと同時に郵政省は「放送のデジタル化」推進の方針を再度うちだした。放送のディジタル化は欧米の動向とも関係するが、最新のディジタル化技術によって既存の放送用電波のチャンネル数を拡大するなど、周波数帯の利用度を高めることが可能になりつつある。通信衛星の場合には現在のアナログ方式で八チャンネルのところを約五〇チャンネル、地上波は三倍にふやして約二〇チャンネル、ともにディジタルで確保するのが郵政省の方針だという。「放送の秩序を根幹から変える内容を含んでいるだけに、注目を集めそうだ」(朝日94・5・12)という論評もあった。本文で紹介した日経一94・1・6一の「地上テレビを有線化」という観測とは異なる内容の方針だから、まさに変転きわまりない。

 同じく郵政大臣の諮問機関、電気通信技術審議会は、これと並行して、「テレビ用となっている周波数を移動通信と共用で使えないか検討する」(日経94・4・16)という内容を含む答申を発表した。移動通信の代表、携帯電話機は、リースから売り切り制導入もあって売行きがはなはだ良好。ポケベルも来春には売り切り制導入を控え、これも加入者急増。郵政省がまとめた通信利用動向調査では、現在は一般家庭で三パーセント台の携帯電話の利用希望が三二・五パーセントなど、潜在需要が強いという結果がでている。これよりもさらに安い簡易型携帯電話(PHS)の普及にむけて、郵政省は全国に約二万四千ある郵便局舎のうち立地条件のいい約二万をPHSの電波中継基地に開放する方針を立て、すでに国有財産の管理に当たる大蔵省の内諾をえた。

 通産省は、今年一九四年一五月十九日に「高度情報化プログラム」をまとめた。私の手元にはA4版で七九頁の本文と、七頁の「要約」、二頁の「ポイント」という三段構えの発表資料がある。「産業構造審議会情報産業部会」の二一人の委員がまとめたという形式になっているが、その委員のなかに「大手メディア」関係者として朝日新聞社論説副主幹の三露杉一郎が加わっている。「学会」関係者では、慶応大学と東海大学の教授、学術情報センター所長がいる。担当課員に聞くと、これらの政策は国会の商工委員会でも議論されないだろうという。これまた、議会無視の政策推進状況である。

 郵政省と通産省とは、マルチメディアや情報ハイウェイ問題で競合関係にある。「省庁間の縄張争い」という趣旨の報道もあるので、直接、若手の担当課員にたしかめてみたが、返事は無言の肯定のうなずきであった。さらにつっこんで聞くと、前述の五月十二日夕刊の日経で報道された五月末予定の電気通信審議会「答中案の全容」を、通産省は五月二十日現在、入手できていないということが判明した。民間会社の日経が入手して発表できる文書を、同じ産業分野を担当する別の国家機関が入手できないというのは、どういう事態なのだろうか。

 だが、郵政省と通産省の政策の中身は、ほぼ完全に重複している。「これじゃあ、税金の無駄使いといわれても仕方ありませんね。私らのような貧乏ものかきは情報洪水で苦労するばかりで稼ぎにはならないし」と冗談まじりでいうと、担当課員は苦笑するのみだった。

 NTTでは、「児島社長が続投」となった。本文でも紹介したように、NTTがマルチメディア推進をぶち上げた事情については、当初から「社長続投」と「分割阻止」のねらいが噂されていた。もう一つのねらいの「電話料金値上げ」に関しては、羽田政権の人気取り政策の結果、「公共料金値上げ」が一斉にストップとなったが、このような巨大企業のお家の事情のために言論の白由に重大な影響をもたらす政策変更が強行されるとしたら、それこそ由々しい事態である。

 いかな情報洪水状況といえども、なんとか目を見開いて真相の核心をつきとめ、解決への道をさぐりたいものである。最後になるが、私の勝手で性急な仕事を、無理を承知で引き受けてくれた緑風出版の高須次郎氏に感謝の意を表したい。

  一九九四年五月末日

        木村愛二


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