『電波メディアの神話』(1-4)

第一部 「電波メディア不平等起源論」の提唱

電網木村書店 Web無料公開 2005.4.1

第一章 「天動説」から「地動説」への理論転換 4

「基本事項」=「放送事業ハ公共的性質ヲ有スル」

 このような「電波ジャック」の歴史の不当性を事実にもとづいてあきらかにし、市民一人一人の怒りをかき立てることこそが、今後の市民の電波主権確立への第一歩なのである。そのためにはまず、神話にもとづく「模範答案」のあやまりを明確にする必要がある。

「模範答案」のカラクリの基本構造を説明すること自体は、非常に簡単である。

 第一は、歴史的事実である。日本の場合、ラディオ放送の発足当時の技術でも数本の中波ラディオ放送が可能であった。だが、当局は放送内容の統制を最大の眼目とし、最初から一本化する方針で免許の調整にあたった。その口実の「基本的事項」の書きだしが「放送事業ハ公共的性質ヲ有スルモノ」(一九二三年の逓信省方針)となっていた。「電波は希少だから云々」という台詞は、どこにもなかった。つまり「模範答案」とは逆に、「希少性」という物理的条件ではなくて「公共的」という政治的性質の方が先に、しかもなんらの論証もなしに「基本」として前提されたのである。

 第二は、理論的可能性と外国の実例である。たとえ一本しか放送が可能な周波数がなかったと仮定しても、それは縦・横・高さの三次元空間を一時に占領する周波数が分割できないという意味でしかない。ところがやはり三次元空間的には一つの会場を時間的にかぎって分割使用することには、だれも疑問をいだかない。電波の使用に関しても時間的分割は可能である。主張のことなる団体が、そのメンバーの数に応じて放送時間の配分をうけ、交互に同じ周波数の電波を使って放送すればいいのだ。しかも、のちにくわしく紹介するが、日本でも戦後の一時期、この方法が提案されている。外国の実例ではオランダが一番典型的だが、アメリカにもイギリスにも立派な実例がある。放送時間の分割使用の可能性が無視された経過を、私は「希少性神話」の補助と考え、「時間空間の神話」ないしは「四次元空間の神話」とよぶ。

 おもしろいことに、本書執筆終了間際の今年(九四年)三月十八日、郵政省が電波監理審議会にハイヴィジョン放送の「拡充策」などを諮問したが、そのなかに「NHKや民放各社の放送日を曜日ごとに振り分ける曜日別放送」の実施がふくまれていた。ハイヴィジョン放送に利用できる衛星放送の周波数帯が不足しているため、さきに仮定した「一本しか放送が可能な周波数がなかった」場合に近い状態が生じたわけである。「NHKや民放各社」のみの既得権を当然視する政策はいただけないが、私の論証のてまをはぶいてくれた点に関してのみ評価し、「あの」でしゃばり担当局長の頭をなでてあげたい。ちこうよれ、江川とやら! なに、おぬしの考案ではないと、いや、かまわぬ、かまわぬ、遠慮すな。

 しかし、これだけの説明では、頑固な日本の「学説公害」の除去にはいたらないだろう。論理的な説明だけではなく、神話が成立した暗闇の事情、神話がはたしてきた犯罪的役割などをふくむ、完膚なきまでの論証が必要であろう。そのすべてをやりとげ、「学説公害」がたれ流した罪悪を世間にあきらかにすることによって、電波主権者たるべき市民の怒りをかき立て、巨大な大衆行動へと発展させなければ、現代の権力の神官たちはひきさがらないだろう。「電波メディアの神話」の数々は電波メディアによる思想支配を支える魔術であり、権力の維持のためにかかせない道具立の一つになっている。「天動説」の維持をはかるヨーロッパ中世の教会支配をゆるがした「地動説」の場合のコペルニクス(一四七三~一五四三)、ガリレオ(一五六四~一六四二)のように、手段をつくした観測と理論的追及が必要であろう。


(5)「厳重な監督」方針で当局が放送を一本化した真相