『電波メディアの神話』(1-5)

第一部 「電波メディア不平等起源論」の提唱

電網木村書店 Web無料公開 2005.4.1

第一章 「天動説」から「地動説」への理論転換 5

厳重な監督」方針で当局が放送を一本化した真相

 この問題についてものちに再び別の角度からくわしく歴史的事実を検証するが、まずは基本的な事実を確認しておこう。天体ならぬ地上の俗世間の事実を、望遠鏡ならぬ資料探索で観測するのだ。

 現在、資料を見るまでもなく日本の首都圏では、米軍放送をふくむ七本の中波ラディオ放送局が免許をうけて営業している。さらに、ダイヤルをまわしてみればすぐわかることだが、チャンネルのすき間から近県のラディオ放送が聞こえてきたり、韓国語の放送がとびこんできたりする。確実に七本以上の、かなりの数のラディオ放送がおなじ地域で共存できるのだ。

 日本でラディオの本放送が開始される直前の貴族院の委員会議事録には、当局の「御意向」はとか、「米国におきましては(中略)ずいぶんと混線(ママ)」とか、「混信さえ防げればお許しになる」方針かとか、「そう数多く許可というわけには参らぬ」とかいう質疑応答が記録されている。当然、何本かの並存が可能だという前提の議論である。

 東京地区の放送免許出願件数は三〇以下だが、放送可能な周波数のわりあて数をこえていたことはたしかだ。この点からも、一本化は当局の「厳重な監督」方針によるものでしかなかったことが論証できる。

 国会では大筋の法律を決定するだけ。あとは官僚が省令、規則、実施要領などで「行政指導」というのが、あやしげな法治国ニッポンの長年の慣行なのだが、ラディオの場合には、なんと、法律さえつくらなかった。『放送五十年史』によると監督官庁の逓信省の思惑もはたらいていたようだ。「放送だけの特別な法律をつくると、放送番組の思想取締りなどの面で他の省との間に権限争いが起きることも予想された」からであった。

 法律上のさだめがまるでなかったわけではない。

 まずは用語の整理が必要である。本書の冒頭で「ラディオ」および「テレヴィ」という表記の理由を簡単にのべたが、最近、若い人が英語の発音にこだわって「レイディオ」と書いている文例をみて、大いに心がやすまった。

 日本では最初の東京放送局の本放送開始は一九二五年七月十二日だが、『読売新聞百年史』をみると、本放送開始から三ヵ月もたった十一月十日の読売新聞の社告に「二頁増大ラディオ版の特設!!」とある。説明では、四回の社告で「ラディオ」と「ラジオ」が交互に使われ、結局「ラジオ版」でスタートしたという。「ラヂオ」と表記した記事例もある。つまり新聞社は、つね日頃の手前勝手な字数倹約の悪習にしたがって、ファンが英語の発音をいかして「ラディオ」とよんでいたものを、「ラヂオ」または「ラジオ」に縮小してしまったらしいのだ。

 法律上ではラディオは「無線電信」の仲間のあつかいで「無線電話」とよばれた。「無線電話」という用語は、放送が実際に開始されるより十年も前に制定された無線電信法の第一条にでてくる。そこですでに、「無線電信及無線電話ハ政府之ヲ管掌ス」とさだめていた。後半の「政府之ヲ管掌ス」はまた、それ以前の一九〇〇年(明三三)に制定されていた有線による電信に関する「電信法」の条文そのまま借用しものであった。


(6)禁固十年の重罪でおどしつけた国家の電波ジャック