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臓器移植法改悪1年 7月16日「いのちの尊さを問う緊急市民集会」に70名

講演「脳の機能を失った我が子を守り通した母親として」
内梨昌代さん

 7月16日、「やめて!!」の会は、2月19日の集会に次ぐ第2弾として、<臓器移植法改悪1年 いのちの尊さを問う緊急市民集会>を開催しました。参加者は70名で、熱のこもった講演に目頭を押さえる感動的な集会でした。
 2010年7月17日臓器移植法が家族同意だけで行えるように改悪され施行されて、明日で1年がたちます。
 この1年間で、49例(7月16日現在)もの尊い命が家族同意だけで奪われました。その中には、15歳未満の子どもからの摘出もありました。事例が進むごとに報道の内容も少なくなり、情報の公開もほとんどなくなっています。病院に運ばれてからあまりにも早い臓器摘出準備に救命治療が尽くされていないのではないかという疑義を抱かざるをえません。
 このような動きの中で、内梨さんの講演では、真帆さんとの闘病生活の中から、「自分の命も人の命も大切、治療をあきらめないで前向きに生きよう」というメッセージが、参加者の心に響きました。そして、一人一人が改めて医療の原点である、「医療は人を救うためのもの、最後まであきらめないことだ」と確信をもつことができました。そして、「脳死 」の問題だけでなく、人間としての生き方、社会のあり方をも問いかける貴重な集会となりました。
 最後に「家族同意だけの臓器摘出の中止を求める声明」を読み上げ参加者一同確認しました。以下集会の内容を簡単に報告します。

冠木克彦氏のビデオレター
冠木克彦氏のビデオレター
 急遽、脱原発弁護団全国連絡会結成会議へ参加すべく東京に行くことになり、ビデオレターでの挨拶とします。
 7月17日は臓器移植改悪法が施行された日です。7月1日現在で、家族同意のみで摘出された事例が48例もあります。7月1日の朝日新聞の記事に「子どもの臓器提供検討15件されたが、13件は家族が望まなかった」とあり、うれしく思いました。1月中旬静岡こども病院の事例では、「医師が、入院の2歳の女児の両親に『全力を尽くしましたがお嬢さんは脳死になりました。もう助かりません』と告げた。しかし両親は『臓器提供が大事なことはよくわかります。でも、臓器提供のために、この子とお別れする時期が1分でも早くきてしまうのは耐えられない』と提供を断った」とあります。その後、「1月下旬に兄姉と病院の屋上でシャボン玉をして遊ぶ時間を過ごし、翌日父親の腕の中で心臓は止まった。」ということです。この女児は約10日間生きていたのです。もし、1月中旬に家族が同意していれば中旬に臓器をとられてこの大切な10日間は生活できなかったということです。家族だけの同意が非常に酷い結果をもたらすのです。
 今日は内梨さんから真帆ちゃんのお話をしていただきます。真帆ちゃんが亡くなるまでの壮絶な闘いのお話です。「脳死」ではなかったので、脳死の問題は出てこないのですが、お母さんが臓器移植法反対の集会に呼ばれて多くの感動を与えています。これはなぜかと考えたとき、真帆ちゃんの生き方、治療してきた医療者の姿勢が、「脳死」からの臓器摘出をする行為と真っ向から反する姿勢であるということです。さらに最後の段階で意識を失っているが音楽を流してあげてくださいという場面で、「聴く」という機能が最後まであるという事実です。「脳死」と宣告されたザック君も、人の話を聞いて覚えていました。反応できなくても聴いたり理解はできることがあるのです。「脳死」と宣告されても可能性はあると考えています。
 救急医療の現場では救命治療を最後まで続けてほしいと強く思います。救命治療を尽くす前に、「このままでは脳死になるだろう」と、「なりそうな段階」で家族に同意をとって、臓器摘出の方向にシフトして臓器を利用しようとすることはやめてもらいたいと思います。

講演:内梨昌代さん−脳の機能を失った我が子を守り通した母親として
冠木克彦氏のビデオレター 冠木克彦氏のビデオレター
 伝えたいことはいっぱいありますが、真帆の生き方、生きざまを伝えたいと思います。最後には「脳死」になっても人は甦ることがあるという内容につながっていけたらいいなと思っています。
 真帆は、小学6年で、悪性の脳腫瘍を発病、余命1年と宣告されました。1か月で直径5〜6cmに増殖する腫瘍でした。何回も再発を繰り返し、手術をし、抗癌剤治療もしました。しかし小児科病棟に入院しているとき、「自分より大変な子がたくさんいる。泣いてたらあかんな」と言って強くなっていきました。そして、中学3年のとき、「赤ちゃんが癌になるのが許せない。医者になって救いたい。」と心に決めました。このころ初恋の渡部先生と出会い「おまえは医者になれ」とはっぱをかけられ、そこから猛烈に勉強を始めたのです。
 そして、このころ真帆は「泣いて解決するものはない。もう少し考え!泣かなかったら笑える。」といって私を激励しました。後にわかったことですが、「お母さんは働きなさい。私は死ぬけど、お母さん、仕事やめたら立ち直れない」と、日記に書いていました。
 高校生になってからの手術で、頚動脈が破裂して大出血を起こし、心肺停止の状態になったことがありましたが、血管をくくってバイパスを作ってもらって、一命を取り留めたことがありました。その時、本人は「苦しいけど生きててよかった。」と言っていました。私もどんな姿でも生きててくれてよかったと思いました。
 その後の顔面神経の根元の腫瘍を摘出する手術のとき、私は、18歳の女の子の顔が歪んで瞬きができなくなるということで動揺しましたけれど、真帆は「顔はいらない。生きていたい。」といって、手術を受けたのです。渡部先生も「同情はしない。現実に向かってその時を生きていけ。歪んだ顔に乾杯!」と励ましてくれました。
 その後、「私には来年があるかどうかわからない。」といって自分の残った機能をフルに使って勉強して、みごと大検に合格しました。私は、勉強しないでほしいと思っていましたが、真帆は「夢のない人生ね。自分はやり続ける。どこか機能が残っている以上は。」といって、大学受験を目指しての勉強を続けたのです。
 しかし、病気は進行し、1カ月後に歩けなくなるだろうとわかったとき、歩けるうちにどうせ行くなら北の果ての宗谷岬まで行きたいということで、2日半の日程で渡部先生と旅行をしたのです。本当に行ってよかったです。結局1カ月後に歩けなくなって車いす生活になりました。
 19歳の秋、喉頭部に腫瘍ができました。もう治療法がなかったのです。真帆は「死」が近いことを感じていました。その時「死ぬことは怖くない。痛いのを乗り越えてきたし。でもお世話になった人と別れるのがいやだ。」といっていました。
 その後、気管切開して喉にチューブを入れました。声は出ません。そして失明、その頃はわずかに右手の機能が残るのみでした。それでも筆談があるといってチャレンジしていました。
 その頃とったMRIは脳が真っ白で、ほとんどが腫瘍で侵されていました。医師も、「物事を考えて伝えていけるのが理論上ありえない」というほどでした。しかし、この時も計算もできていたしメッセージも書き続けていたのです。真帆は亡くなる2日前まで意識はしっかりしていました。
そしてとうとう2005年1月23日、喉の腫瘍が静脈を破って大出血し亡くなりました。
 ・・・
 子どもの脳は未知です。医師からだめと宣告されても考えています。あきらめてはいけません。真帆は蘇らなかったが蘇ることもあります。可能性のある子どもの臓器は絶対とらないで、といいたいのです。

   −このあと、真帆ちゃんのビデオが流れました。
 真帆ちゃんからの、最後のメーッセージは「ママ産んでくれてありがとう」でした。
 多くのメッセージが会場の参加者の心をとらえ、深い感動を与えました。−

報告:看護師大野さん
冠木克彦氏のビデオレター
 脳外科の病棟で働いています。
 真帆ちゃんは、エネルギーを与えてくれる、あたたかい気持ちにさせてくれる患者さんでした。自分が大変だったのにいつも笑っていました。いつも私たちをやさしく受けとめてくれる笑いでした。いつも勉強していて、「早く寝なさい」と叱っていたことを覚えています。手術の朝も英語を聴いていて、努力の姿勢がスタッフにも伝わってきました。
 病棟には真帆ちゃんだけでなく脳の機能を失っていく患者さんがいます。麻痺になって、医師がもう無理かもしれないなと言っても、病院を変わってからリハビリをして、歩けるようになる患者さんもおられます。そんな方を見て、「ここまでしかあかん」とか、「これ以上は無理」はないんだなあと思うのです。
 「脳死」を考えたとき、「脳死」だからだめですといわれても刺激で反応することがあるのではないかと思うのです。
 私の話をします。私の家族が心肺停止状態で救急搬送されました。心拍が再開することなく、医師から「もうだめです」といわれました。最後の面会という事で、近くに行って声をかけると心拍が再開したのです。その後脳低温療法もしました。医師に「今日はもうだめ」といわれても私がそばにいったらなんとなく聴いている感じがするんです。そして11日間ICUで治療を受けたのです。ICUにいる間に「脳死」になっていたかもしれません。
 家族同意だけの臓器摘出には問題があると思うのです。もし、家族の臓器が摘出されていたら、11日間はなかったのです。そのことは自分には耐えられないと思います。静岡のこども病院の事例もそうです。シャボン玉をとばした10日間はなかったのですから。
 人間は生まれてきてその人なりの生き方して、人生を全うすることが大切です。どんな姿であっても生きていくことを全うしたいと思います。
 真帆ちゃんから教えられたことはたくさんありました。この活動を通じて話をしていくことで返していきたいと思います。

会場からの意見
(近藤孝さん:脳外科医)
 今日はいい話をありがとうございました。真帆さんは自分が大変なのに優しい心が保たれるという事が不思議です。
 僕の後輩の先生たちが一生懸命治療してくれていることに胸がいっぱいになりました。
 脳死の話をすると、「脳死」はありえない。アメリカは早くあきらめているのです。今まで、ごまかして通ってきているのです。
 「脳死」は脳が全部やられることはないのです。医者を目指す人にぜひ聴いてほしいと思います。

(新聞記事を見て参加された方)
 子どもの母親として精一杯やってきたから、そんなあなたの後ろ姿をみているから真帆さんもがんばれたと思います。

(バクバクの会:藤井さん)
 11年前に17歳で亡くなった娘と重なり合って、胸がいっぱいになりました。その間8回も人工呼吸器を付けたり外したりしました。難病の子の親は、言葉が話せなくてもいっしょにすごすことで意思がわかりあえるし、子どもから気づかされることがいっぱいあります。娘が亡くなって一番感じることは娘に人が集まってきていたこと、できないことの素晴らしさ、できないからみんながどうやったらできるかを考えて、つながっていくのです。いろんな生き方があることをみんなにもわかってほしい。医師からも説明してほしいです。
 臓器提供する子どもは、突然の事故が多いです。現実を受け止められない、考えられない状況で話を聞きます。医師の言葉が全ての中で、決断をせまられるのは間違っていると思います。
 臓器移植法が改悪されて、「脳死」=人の死にかたむいて一斉に一つの方向に走って行っているのが怖いです。

(バクバクの会:平本歩さん)
 呼吸器をつけて自宅で生活しています。いろんな話を聞いて「脳死」でも命は大切です。みんな精一杯生きているので。

(医療を考える会 藤岡さん)
 真帆ちゃん、お母さん、医療チーム全体が生きるために治療に取り組んでいることに、感動しました。人は生きるために生きる、死ぬまで生きる存在なんだと思いました。医療従事者としてどうあるべきかを考えさせられました。どの命も大切だと、あらためて感じました。
 子ども専門の病院で働いていましたが、脳神経が障害されていても空気がわかるし、全身で感じるんだなあ、人間ってすごいなあと思っていました。
 これから新たな医療人として出発したいです。

報告:岡本さん
冠木克彦氏のビデオレター
 4例について情報公開請求したことの報告がありました。
 39例目の15歳未満の事例では、法的脳死判定の3日前に主治医が「回復は困難」と告げ臓器提供の選択肢を伝えています。ガイドラインに反した拙速な家族への宣告です。臓器提供への早めの打診を行っていることの問題点が指摘されました。

 最後に声明文を参加者一同で確認し、終了しました。尚声明文は近じか厚生労働大臣と2名の副大臣、2名の政務官に冠木代表から送り状をつけて郵送されます。

いのちの尊さを問う緊急市民集会(7月16日)

講演:内梨昌代さん
脳の機能を失った我が子を守り通した母親として

 内梨昌代さんは、今年3月10に衆議院会館で開かれた「市民と議員の勉強会」でもお話しされました。
 貴重な体験を今回は地元関西で語っていただきます。内梨さんの長女真帆さんは12歳の時悪性の脳腫瘍に罹患し、8年に渡る闘病生活を送りました。その間、娘、真帆さんは、20回もの手術を繰り返しながらも、恋にも大検にも前向きに取り組み力強く生き抜きました。壮絶な奇跡の8年間を内梨さんは高校の養護教諭としてのお仕事も続けながら、母親として真帆さんを見守り続けました。内梨さんは、徐々に機能が失われていく娘の姿から、"いのち"の尊さを教えられたと言われます。最後まで生き抜いた真帆さんの生と内梨さんのお話から、"生きること""いのち"についてぜひ考えていただきたいと思います。(著書:「真帆−あなたが娘でよかった−ウィンかもがわ」)
日時:7月16日(土)13:30〜   資料代:500円
場所:エルおおさか(府立労働センター)研修室2
 報告:共にいた看護師から・大野恵子さん
 時事報告:「救命」より「臓器」に目がいく臓器摘出について
  冠木克彦弁護士
案内文  PDF版

(詳報)やめて!!家族同意だけの「脳死」臓器摘出!緊急市民集会

 2月19日、<やめて!!家族同意だけの「脳死」臓器摘出!緊急市民集会>が開催されました。参加者は172名以上にもなり、さまざまな方々から報告や意見がだされ、熱気に包まれた集会となりました。

 2010年7月17日改悪された臓器移植法が施行され、臓器提供側(ドナー)が「臓器提供しない」という意思表示をしていないかぎり、家族が同意すれば「脳死判定」をして、「脳死」と判定されれば臓器を摘出することができるようになりました。しかし、「脳死」は本当に人の死だと言えるのでしょうか?「脳死」だと診断されても社会復帰している方もあります。集会では生還後に自分の「脳死」判定を聞いていたという記憶を語っている方の例も報告されました。

 この法制度に対する反対や疑問の声がたくさん出てきています。市民が声を出し、継続的に粘り強く「家族同意による臓器摘出」条項の撤廃を訴えていきましょう、そのために、この集会と同じ名称で市民団体を結成したいという提案と加入の呼びかけが行われました。

 この集会を出発点として運動を広げていくために、集会全体を振り返り、それぞれの「思い」を再確認していただきたい、また、参加されていなかった方にも、家族同意だけの「脳死」臓器移植の問題を知っていただきたい、運動に加わっていただきたいという思いで、講演、報告などを中心に発言された話を簡単に要約し報告します。

詳報       PDF版 ・ テキスト版
アンケート(1)  PDF版 ・ テキスト版
アンケート(2)  PDF版 ・ テキスト版

(速報)やめて!!家族同意だけの「脳死」臓器摘出!緊急市民集会に172名

緊急市民集会の様子
緊急市民集会の様子1
小松美彦氏の講演
緊急市民集会の様子2
報告する冠木克彦氏
緊急市民集会の様子3
ノンドナーカードの紹介
緊急市民集会の様子4
日時:2011年2月19日(土)13:30〜16:30
会場:大阪府商工会館7階第2講堂