2017年3月18日にやめての会結成6周年集会
 「相模原事件からみえるものPART2」
 世界的に生命が差別化されていく現実に抗う
〜児玉真美さんと、あらためて生命の尊厳を考える〜


会代表(弁護士)のあいさつ

 相模原事件後、様々な団体が集会を開いている。私たちも,Part2として児玉さんを迎えて深めていきたい。2013年プログラム法が、社会福祉、障がい者や高齢者いわゆる弱者への攻撃として、さらに切り詰めていく流れである。地方自治体の権限を強めて病院から患者を追い出しにかかっている。世界では、恐ろしい状態が起こっている。私たちはどのように抵抗するのか。少しづつの負担やちょっとづつのサービス低下に一つ一つ問題にしていく必要がある。

会場の様子
<60名の参加者が議論しました>

第1部

児玉真美さんの講演

 相模原事件は、施設で暮らす重症心身障がい者の娘の親として、大きな衝撃を受けた。一部には、優生思想とは無関係な、突出した個人が起こした出来事に過ぎないとしてやり過ごそうとする人たちもいるが、決してそうではない。
 今、とても大事なのは、脳死・臓器移植の問題、高齢者医療の問題、医療と介護の制度改革、尊厳死の問題など、ひとつひとつの問題や議論だけを見るのではなく、それらを全てつなげて、そこから見えてくる本質的な大きな絵をきちんと見据えることだと思う。相模原事件から後、私は、どこまでも厳しい現実があるなら、それをまずきちんと直視し、きちんと絶望することが必要なのではないかと思っている。そうでなければ、いま誰が誰と連帯するべきなのか、なにに向かって戦うべきなのかという根本が見誤られてしまう。
 あらかじめ断っておくが、これから話すことは「恐ろしい話」ばかりだが、でも、みんな現実に起こっていることだ。
 世界の医療において「死ぬ/死なせる」という議論には、「死ぬ権利」をめぐる議論と「無益な治療」論がある。「死ぬ権利」をめぐる議論は、安楽死や医師による自殺幇助や尊厳死などの議論で、簡単に言えば、本人が死ぬと言っているからお医者さんが死なせるという話だ。「無益な治療」論は、簡単に言ってしまうと、本人が死ぬとは言っていないのに、中には生きたいと言っている人もいるのに、お医者さんが「この人は死なせる」と一方的に決めてしまうという話だ。
 私は、この二つの議論を10年間追いかけてきたのだが、気になってきた問題点が二つある。一つは、「死ぬ権利」論と「無益な治療」論が同時に進行していることの意味についてだ。誰に決定権があるかということでいうと、このふたつの議論は両立するわけがない対極的なもので、それが両立するのは、患者も医師も死ぬ、死なせる、という方向で一致した時だけ。つまり患者の決定権が尊重されるのは、死ぬという一方向にのみということであり、そんなものが果たして本当に権利なのかということだ。
 もう一つは、「無益な治療」論というのは、日本ではあまり議論になっていないが、医療現場には歴然として存在する。そもそも医師の決定権が圧倒的に強いのが日本の医療であり、そのような文化を前提に考えた時に、実は、日本の尊厳死というのは実態としては「無益な治療」論の方なのではないかと思う。
 「このような話を、これから具体的な事実を挙げながら、させてもらおうと思います」との前置きに続いて、欧米の安楽死をめぐる「恐ろしい話」が次々と提示された。


会場の様子
<児玉真美さん>

第2部

中小病院からの報告
 200床規模、生き残りのために地域包括ケア病棟。点数の高い急性期で過ごした後、ケア病棟へ。60日後には転院。なかなた見つからず困っている事例を紹介。
 診療報酬の点数による操作。安倍政権の一億層活躍社会の考え方が、生産できる人の価値高齢者は家族に迷惑かける、いつの間にか尊厳死が刷り込まれている。改憲24条で家族は助け合わなければならないとなり、社会保障の放棄。
 相模原事件の植松容疑者、障がい者の中でも重度障がい者と区別。
生きにくい社会にならないように社会保障を前提としたインクルーシブ社会を目指して発信していきたい。

脳死・臓器移植について
 救急現場での早期の治療打ち切りと、医師による臓器提供の誘導が進められている。もともとガイドラインでは、臨床的脳死診断がされた後でないと臓器提供の話はできないと定めていたが、現在、どんどん早い段階から臓器提供の話を持ち出す方向に進んでいる。
 例えば、「臓器提供施設における選択肢提示対応支援」として予算が計上されている。つまり、臓器提供の選択肢の提示を説明した施設には補助金を出して、これを奨励しようというものだ。
 また、臨床的脳死診断そのものの基準も大幅に緩められている。従来は「法的脳死判定における検査方法に準じた方法で行うことが望ましい」としていたものを「各臓器提供施設において治療方針の決定等のためにおこなわれる一般の脳死判定と同様の取り扱いで差し支えない」と改定している。

平本歩さん

 生後6か月で人工呼吸器をつけてから4歳で病院を退院し、幼稚園小学校、中学校、高校と地域で生活。お父さんの遺言「自立に向かって邁進せよ!」の言葉通り、24時間、365日、二人体制のヘルパー体制を勝ちとり、2011年から家を出て一人暮らしを始めた。9つの事業所の30人以上のヘルパーが来ている。  喀痰吸引の指導の講師をしたり、講演の仕事をしている。旅行が大好き。飛行機にも乗る。毎日が多忙。舌でパソコンのスイッチを使って文章作成している。
 一人暮らしの生活をスライドで紹介。
 参加者は、一人一人が抱えている介護の問題、障がい者の問題、行き詰っている思いを払しょくして、一歩前進できる思いになれた。

会場の様子
<平本歩さん>

弁護士から
 本日の講演集会で明らかにされた諸事実は、障がい者や高齢者、病者らの生きる権利が危険にさらされていることを示しました。
 ただ、権利は着実に進歩してきているのに、生命の危険が生じている原因はもっぱら「お金」を削減して切っていく方法です。しかも、その方法は「自らの意思」でそのようにさせられていく形でした。 締め付けられている人が声を上げにくい状況ができていますが、やはり権利の主張こそ私たちの武器です。個々の人たちがやはり勇気をもって声を上げれば、私たちも支援ができます。絶望的状況の中でも権利を主張して闘いましょう。



集会案内【3月18日】
 会結成6周年集会 相模原事件からみえるもの PART2

世界的に生命が差別化されていく現実に抗う
〜児玉真美さんと、あらためて生命の尊厳を考える〜

日時:3月18日(土)13時30分〜16時30分(開場13時15分)
場所:弁天町ORC200生涯学習センター(ORC200ビル2番街7階)(旧大阪市立弁天町市民学習センター)
(資料代500円)

講演:児玉真美さん
  「事件が起こる前に『すでに』起こっていたこと」

集会報告
 相模原事件からみえるもの 〜安倍政権の下で進む生命の選別〜

 11月23日「相模原事件からみえるもの」と題して、集会が開かれました。
 45名の参加者があり、4か月たってもまだ衝撃を忘れられない、重いテーマに向き合いました。 はじめに、事件の概要と討論集会企画の経緯が簡単に報告されました。
 7月26日相模原市の障がい者施設「やまゆり園」で、入所中の19名が殺害され、27名が重軽傷を負ったこと。容疑者は、「障害があって家族や周囲も不幸だと思った。事件を起こしたのは不幸を減らすため」「殺害した自分は救世主だ」などと供述していたこと。障がい者をターゲットにした、大量虐殺事件であり、やめての会としても看過することはできないと考えたという内容でした。

 冠木弁護士から基調の提起がありました。

会場の様子
 やめての会代表の基調報告

 一旦出来上がっていた基調だが、集会の朝まで悩んだ。それは、なぜか?あまりにも衝撃的な事件であったため、気分が負けてしまっている。それではいけない。という言葉からスタートしました。政権側からは、殺人はけしからんと言っているが、措置入院や、施設側が防げなかったこと等の問題での対応にとどまっている。障がい者差別という言葉が一切出てこない。マスコミも見出しの中に差別として一切出していない。新聞の立場としては、「意思が通じない」ということを解説しないといけない。
思想としては、優生思想に基づいていると思われる。そして、いまこの時期に実行したのか、明らかにすることが重要だ。
 傷つけられた人たちの気持ちを回復しなければならない、と、力のこもった話でした。

会場の様子
 集会のもよう

 次に、パネリストたちによる各論が展開されました。
 スライド参照してください。 PDF形式

2.生命の選別「脳死」・臓器移植とのつながり
3.生命の選別 終末期医療で、高齢者・重度の患者は・・・
4.生まれてくる生命の選別
5.公的な医療・社会保障切り捨て政策の質的な転換は2025年問題
6.相模原事件とアベ政治
7.生命の選別 安倍政権の医療政策の根底にある考え方
 参加者から
  • 精神障がい者のグループの方から、相模原事件後に仲間との話し合いの内容が報告されました。事件によって、当事者抜きの障がい者を閉じ込める方向への対策を取らないように、共生社会を作っていきたい。
  • 障がい者が社会の中で生きていたら、殺されなかったと思う。障がい者は、生きる先輩。だって、みんな最後は障がい者になるでしょう。
  • 一つ一つでは見えないことが、大きな円でみると見えてくるとして、海外の情勢の補完的意見が出されました。 今年になってアメリカのいくつかの州で「安楽死」や「医師による自殺幇助」の法制化が進んでいること、積極的安楽死が緩和ケアの一環としてつながっていること、ベルギーでは、安楽死後の臓器提供がつながっていること。日本では、報告があったように、現場で「尊厳死」を進める流れが作られていっている。
 まとめ
 多方面から議論がなされた。ナチスのやり方がずっと続いている。
 暗い話だが、私たちは未来を担うものだ。批判して克服していきたい。と力強いしめくくりで集会は終わりました。

会場の様子
 バクバクの会の方からの発言


相模原事件からみえるもの 安倍政権の下で進む生命の選別

日時:11月23日(水・祝)13時30分〜16時30分(開場13時15分)
場所:エルおおさか南館  734号室
(資料代500円)


 7.26相模原市の障がい者施設での虐殺事件は、私たちに多くの問題を投げかけています。容疑者に対する措置入院の問題、あるいは薬物依存症からくる妄想のせいだったとも言われていますが、本当にそうなのでしょうか?
 根底にあるのは「障がい者は生きていても仕方がない」「障がい者は税金をたくさん使っている」等の考えです。このような考えは容疑者だけではありません。安倍政権が戦争準備と大企業のための成長戦略を推進し、医療・社会保障や介護の切り捨て政策を進めていく中で、発生した象徴的事件ではないかと考えます。障がいを持っている人に対してだけでなく、高齢者や生活保護受給者、その他マイノリティーなど弱い立場にある人に対しての偏見や差別・憎悪の感情を流布し排除したり、攻撃するヒトラー的な思想が広がっています。それらは、今まで、私たちの会が取り組んできた「脳死」・臓器移植、終末期医療・「尊厳死」の法制化、出生前診断などの分野で弱い人を切り捨てる考え方と連動しています。医療・介護・福祉の分野で、この事件の背景について様々な方向から掘り下げ全体像をとらえなおしたいと思います。弱いところに向かって攻撃するのではなく、政府や行政に向かって公的な保障を求めていきたいのです。何よりも誰もが平等に生きることができるインクルーシブ社会の実現を求めていきましょう。相模原事件をいろいろな角度からとらえ、議論を深めたいと思っています。ぜひご参加ください。

結成5周年 シンポジウムの報告 2016年2月20日開催
 医療費削減と「尊厳死」−変質する現場の今を問う−

「やめて!!家族同意だけの臓器摘出!市民の会」結成5周年ということで、雨にもかかわらず、77名もの参加者で会場は熱気に包まれました。

会場の様子 会場の様子 会場の様子

 今回は、運営委員を中心に医療現場や福祉現場で働いている看護師や保健師、病院や老人施設で家族の治療や介護を受けた立場からの報告でシンポジウムはすすみました。

 テーマは、「医療費削減と『尊厳死』−変質する現場の今を問う−」。医療・福祉の現場で、ここ最近何かおかしい、何か前と変わってきていると感じることに焦点を当てた報告がありました。

 急性期病院で働く看護師からは、目が飛び出そうなほど高額な抗がん剤や肝炎の新薬の話、患者の状態ではなく診療報酬の関係で、早々に転院を余儀なくされることや、高齢者の肺炎では一生懸命な治療をしない方向に変わってきているのではないかと疑ってしまうようなことがある等の報告がありました。

 シンポジウム全体を通してのキーワードとして、「DNR(蘇生拒否の意思=蘇生するな)」の要望書を本人や家族に書いてもらっていることでさらに治療の差し控えと思われる状況も生まれているのではないかとの指摘がありました。この要望書を書いたがゆえに、ひとりで食事ができるくらいの状態で、突然の危険な不整脈を起こしても救命の処置がなされなかったという事例もありました。

 そして、このような「DNRの要望書」は厚労省のガイドラインにそって大病院だけではなく中規模病院や老人介護施設でも広く浸透していることがわかりました。

 さらに急性期病院の外来では、多くのがん患者さんが診察にこられていますが、印象に残ったのは金の切れ目が命の切れ目という多くの実態でした。抗がん剤が月何万円も自己負担しないといけない高額であり、仕事ができずに収入がほとんどない人にとっては、支払えなければ=「死」を意味するということ。非正規雇用が4割の社会では、病院を受診し、治療することそのものが、仕事をやめなければならない切羽詰まった人たちが急増していること、病状がすすんでしまってから救急車で病院に運ばれる人が増えていることなど、毎日無力さを感じながら看護師が働いていることを知りました。

 厚労省の医療政策の一環である地域包括ケア病棟を導入した中規模病院では、急性期病棟を地域包括ケア病棟へ移行したことによって、60日という入院の縛りが、患者さんを不安のまま在宅で看取る方向に推し進めているのではないかとの報告がありました。この地域包括ケア病棟は、病院が生き残るために選択せざるを得ない状況に追いやられていること、診療報酬の点数によって在宅に誘導せざるを得ないこと等、患者さんのため・・というよりも病院の収益を優先したシステムではないかという指摘がありました。現場の医師や看護師たちは、今は患者の状態に合わせて病棟の移動を考えていますが、このシステムで職員たちがお金のことを考えないといけなくなると、患者のためという気持ちが薄れていく危険があるとの問題が指摘されました。

 公的な市民病院が経営難で閉鎖になったり、儲ける病院が残っていくという現実が医療や社会保障の本来あるべき姿をゆがめているのではないか。それが、政府の推し進める社会保障費の削減計画や、急性期病床の削減計画であり、それによって現場が大きく変わっていっていることが資料を交えて報告されました。

 患者家族の立場での経験談では、弟が救急車で搬送された病院で、DNRの同意書を書くよう促され、家族がくるまではなんとか救命をとお願いしたが、手が足りないから心臓マッサージはできないかもしれないと説明され、結局弟の最期には立ちあうことができなかった。医師からは「最善を尽くす・・・」という言葉や姿勢を感じることができなかった、という話。

 義兄の介護施設での経験で、肺炎になってもすぐに病院に搬送してもられなかったことが悔やまれるという話。そこでも、DNRの同意書を書くことを促され、家族が救命を望むと書くと、医師が救命を望まない方が患者のためだと一生懸命説得にきたという話。

 全体を通して、DNRの要望書が、現場では当然のように書かされていたり、それによって治療をあきらめる方向にすすめられる原動力になっていることが浮き彫りになりました。

 福祉の現場では、年金生活の人、日給月給の人、家族が病気になったり介護が必要になれば共倒れ。生活保護の申請やサービス付高齢者住宅に住まざるを得なくなる人の事例が報告されました。安倍首相のいう「介護離職ゼロ」とは程遠い現実です。

 数々の現場からの報告は、一部に過ぎないことやまだまだ多くの見えていない実態があることを感じました。 そして、現場の医師や看護師が助けたいと思っても、制度や予算、ガイドラインによって縛られた医療機関のシステムでは助けられない、否むしろ助けてはいけない、ケアをしてはいけない状況も生まれているのだということがわかりました。

 救急医学会等の終末期のガイドラインに対しての批判が弁護士から報告されました。 救命処置をしても回復されない状態になれば、延命措置を中止する、そのために家族の同意が必要。という中味で、@医師が「終末期」と判断することA救命処置と延命「措置」と区別することで、患者を物あつかいし、延命は治療ではないとしようといていることB治療が尊厳を損なうから、治療を中止=「死」が患者にとって最善という論理であり、「尊厳死」の危険性が厳しく批判されました。

 まとめのスライドでは、現場の色々な悩みながら治療を選択していることとは別に、法制化されると、制度も予算も現場のガイドラインもすべてが強制されることとなり、助けたいと思っても助けられない状況が生まれてくる、それが医療の現場を荒廃させていくのではないか、だから「尊厳死」の法制化に反対しているという内容でシンポジウムは締めくくられました。

 そのあとは、会場からも色々な経験談が話され、「終末期」について参加者も自分の問題として考えることができました。これからの運動についてもどう進めていくかなどの意見もだされ、最後に、法制化、治療打ち切りの強制に反対するアピールを参加者で確認し終了しました。





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2月20日シンポジウムの報告