詳報  やめて!!家族同意だけの「脳死」臓器摘出!緊急市民集会  2月19日、<やめて!!家族同意だけの「脳死」臓器摘出!緊急市民集会>が開催されました。参加者は172名以上にもなり、さまざまな方々から報告や意見がだされ、熱気に包まれた集会となりました。  2010年7月17日改悪された臓器移植法が施行され、臓器提供側(ドナー)が「臓器提供しない」という意思表示をしていないかぎり、家族が同意すれば「脳死判定」をして、「脳死」と判定されれば臓器を摘出することができるようになりました。しかし、「脳死」は本当に人の死だと言えるのでしょうか?「脳死」だと診断されても社会復帰している方もあります。集会では生還後に自分の「脳死」判定を聞いていたという記憶を語っている方の例も報告されました。  この法制度に対する反対や疑問の声がたくさん出てきています。市民が声を出し、継続的に粘り強く「家族同意による臓器摘出」条項の撤廃を訴えていきましょう、そのために、この集会と同じ名称で市民団体を結成したいという提案と加入の呼びかけが行われました。  この集会を出発点として運動を広げていくために、集会全体を振り返り、それぞれの「思い」を再確認していただきたい、また、参加されていなかった方にも、家族同意だけの「脳死」臓器移植の問題を知っていただきたい、運動に加わっていただきたいという思いで、講演、報告などを中心に発言された話を簡単に要約し報告します。   冠木克彦氏  開催にあたって この問題にとりくんで20余年になりますがこんなに沢山の人と集会ができたのは初めてです。先日、和田さんが亡くなりましたが、資料に追加して和田心臓移植について話をしたいと思います。和田移植は医療に対する信頼を根底からほり崩した大事件であり、「脳死・臓器移植反対」の運動もここからはじまりました。 ドナーとなった山口さんは21歳で海でおぼれ、「脳死」と判定されましたが、「脳波」の検査もされておらず、カルテも4枚しかありません。移植を受けた宮崎さんは、術後83日で亡くなりました。病名は心臓弁膜症で“(心臓移植の)必要性はなかった”というのがほぼ定説になっています。刑事告発が行われましたが、証拠不十分で不起訴となりました。札幌地検は不起訴にあたって、「医学界の壁は厚かった」と言いました。しかし「脳死」移植に反対する運動がひろがり、日本では長く行われなくなりました。 1990年に阪大の杉本医師が「臓器保存術」を開発しました。「脳死」状態の患者を救うのではない処置をし、「(摘出される臓器にとって)最も良い状態」で移植手術を行った、「9.5阪大事件」がおきました。私は人権救済申し立ての代理人となりました。 1997年、最初の「脳死」移植法が成立しました。このころ日大板橋病院の林医師が「脳低温療法」を開発したというニュースがありました。私たちは、「脳死」状態を救う道があると法に反対しました。しかし、“提供したいという人が居るじゃないか”という理由で法は成立しました。だから本人の意思表示があるということが前提でした。 今回はなんと、家族同意だけ。“本人の同意”はどこにいったのでしょうか。「家族同意」条項はもっとも不合理です。この条項をなくす運動をしていきたいと思います。しかし反対といっても法律になっています。身を守るには「ノンドナーカード」を持つことです。それを広めたいと思います。このような目的のために、一つの組織を創って継続的にやっていく必要があります。今日の呼びかけの趣旨に賛同いただき気軽に入ってほしいと思います。 小松美彦氏講演―「脳死は人の死ではない−その歴史的・科学的・思想的検討」 大変問題のある法改定がなされ、すでに本人の同意すらなしで、30何人かの脳死者から臓器摘出が実施されました。この由々しき事態をめぐって、科学としても「脳死」は人の死と言えないということを中心に、1時間くらいお話ししたいと思います。 全体の流れは次の通りです。T.脳死・臓器移植に関するテレビ番組から基本的な問題点の確認、U.法改定のポイント、V.脳死を人の死(の基準)とするようになった経緯と論理、W.その批判、X.脳死・臓器移植をめぐる現状を世界史の中に位置づける。 1つ目、2つのテレビ番組(「ママ、アメリカにはいついくの?」テレビ東京、98.10.21、「NHKスペシャル・脳死」90.12.15)を見て、何が見せられ、何が見せられていないか、何が語られ、何が語られていないか、を考えていただきたい。最も重要な点は、華々しい臓器移植の陰には、次々と臓器を摘出された生身の脳死者がいるということです。 2つ目、2010年の法改定のポイントは4点あります。その全体傾向は、臓器提供条件を大幅に緩和して移植件数を増やそうという点にあります。 3つ目、脳死を人の死(の基準)とするようになった経緯と論理についてです。20世紀初め、血管縫合技術が開発され、腎臓移植が試みられるようになり、1967年には南アフリカで心臓移植が行われました。他方、1960年代、「不可逆的昏睡者」の生きのよい臓器を用いると移植成績がよいという報告がなされ、1968年、「ハーバード大学脳死判定基準」が作られました。しかし、脳死判定基準の策定だけでは脳死者が「死んだ」とことにはなりません。そこで1981年、「米国大統領委員会報告−死の定義」が公表されました。まず、「人の死=有機的統合性の消失」と定義し、次に、「有機的統合性を司っているのは脳」と規定し、したがって、「脳死=人の死(の基準)」となる、としました。これが世界唯一の公式論理として、20数年間不動のものとなりました。 4つ目、脳死が人の死(の基準)とは言えないことを、いくつかの角度から説明します。第1に、意識の有無をめぐって、脳波の測り方に問題があります。脳波が出ていても頭蓋骨で妨害されて測定できない場合があるし、また、頭の表面で測れなくても、他の部位で脳波が測定できた症例も報告されています。そもそも、「反応がない=意識が無い」とされていますが、昏睡患者の社会復帰後の証言では、「意識はあったのに伝えられなかった」というものが数多くあるのです。それゆえ、脳死者に対しても重要なことは、あくまでも「意識があるかもしれない」という前提で対処することではないでしょうか。脳死状態から社会復帰したザック・ダンラップの証言が、その姿勢の重要性を物語っています。第2は、ラザロ徴候についてです。仮にそれが脊髄反射であっても、滑らかな動きをする脳死者を、はたして私たちは「死人」と受け容れられるのでしょうか。しかも、脳死者にはこのような生理状態がありますから、臓器摘出時にメスを入れると血圧が上昇し、のたうち回るため、麻酔や筋弛緩剤を使って動けなくしているのです。第3に、脳死になれば1週間位で確実に亡くなると言われてきましたが、長期にわたって生きつづける脳死者が少なからず存在します。最高21年も成長し生きた脳死者もいたのです。第4に、米国大統領委員会の先ほどの論理はさまざまな点で科学的な矛盾をきたしていますが、長期脳死者が存在するという事実一つをとっても論理的に破綻しているのです。なぜなら、脳死になっても有機的統合性が保たれて成長するということは、「有機的統合性を司っているのは脳」とする規定が誤りになるからです。 5つ目、法の力で「脳死者を死者とする」ことはもとより、脳死・臓器移植自体が、あのナチス以上のことを行っているのではないかということです。つまり、大げさに聞こえるかもしれませんが、歴史的に見るなら、私たちはナチズムの延長上にあると私は思います。これは、現代思想の最高峰のイタリアの哲学者たちも主張していることなのです。 (移植を受けないと助からないと言われたり、提供を受けると100点満点みたいな幻想もいわれていますがその点について、という会場の質問に答えて)移植によって長生きできるかどうかは、実はわかりません。心臓移植の順番待ちで9ヶ月以上内科治療を続けた場合、そのまま移植をしない方が1年生存率が高い、という論文すらあります。また、移植に代わる種々の医療がすでにあるのですが、あまり知らされていない上に、投資額が押さえられ、普及と改良進歩が遅れています。さらには、そもそも臓器移植には臓器をあげる人ともらう人がいる以上、必然的にさまざまな問題が生じます。一人の患者で完結する医療に戻るべきだと考えます。 冠木克彦氏からの報告 1997年、高知で「脳死」移植が行われた時、途中で麻酔をかけたという情報が伝わってきました。おそらく暴れたのではないかと思います。しかし証拠がありません。「脳死判定基準」がおかしいのではないかという話はしなければならないと思い、問題提起として特別報告を行います。 19年間意識が無かった土門拳さんが、家族が言った「死んでくれないかな」という言葉を聞いて涙を流した話、「脳死」と判定された柳田邦男さんの息子さんは父が面会に来ると血圧が上がった話、・・など、さらにザック君の話で、私はどうもおかしいじゃないかと、調べていました。そしたら林先生の論文がみつかりました。論文のなかで「反応できなかったが、周りのことは理解していたという患者があらわれた」と書かれてあります。深昏睡で瞳孔散大の人が・・・。しかも一人じゃないのです。さらに、「外からの刺激で意識を評価する意識の判定法が必ずしも正確でないことを認めざるを得ない」とも書かれています。   今まで知らなかったことが現れてきているのです。しかし、このような状態でも現在の「脳死判定」基準では、「脳死」と診断されてしまいます。「脳死判定」をするなと言っていきたいと思います。 「脳死」から生還したアメリカの事例報告  ザック君の映像と、翻訳したナレーションでの事例紹介。 2回の脳死判定が行われ、いよいよ臓器摘出のために最期のお別れというその時に、いとこ夫妻(看護師)がザック君に自動運動があることを確認しました。もし、いとこが居なかったら、意識があるままで臓器摘出されていたのです。この怖い状況を知らせていきたいと考え、報告します。 信貴野千里さんの話 筋肉の疾患を持って生まれた娘は、人工呼吸器のサポートのもと、自宅で元気に暮らしていました。2歳のとき、呼吸器がはずれ心肺停止に陥りました。一命は取りとめましたが、「脳死状態」と診断されました。医師からは、「延命治療を続けることで本人は苦しい思いをしているかも」と言われましたが、私たち家族は、心臓が動いている間は、娘の生きていたいという意思だと思い、娘がギブアップするまで積極的な治療をしてほしいと頼みました。 娘はその後、中心静脈の点滴が外せず脳ヘルニアをおこしていながらも、呼吸器管理のもと316日間生き続けました。その間に、お花見や大好きなアイドルのコンサートにも行きました。モニターの反応で、自分の意思や体調を教えてくれているようでした。 私には、無呼吸テストは、生死の境をさまよって必死に生きている人に対し、とどめを刺すような行為にしか思えません。これからも、娘は、「脳死状態」と診断されながらも一生懸命生きていたと皆に伝えていきたいと思います。 巽奈歩さんの話   人工呼吸器をつけた子の親の会(バクバクの会) 一生懸命生きていてくれることに“ありがとう”と言いたいと思います。はじめは、パニック状態で、考える余裕がありませんでした。“苦しむ姿を見たくない、生きている意味がないのでは・・”と今では考えられないことまで思いました。主治医や看護師さんが、“一生懸命生きている音が聞こえるでしょう”と言ってくれました。「受け入れること」は時間がかかります。励ましてくれる医師たちの力は大きいです。 臓器はその子一人一人のもの、親があげるとかあげないとか言うのはおかしいと思います。子供が決められないから親が決める、そんなことがあっていいことでしょうか。 「バクバクっ子・いのちの宣言」紹介 宣言はメッセージ集に掲載しています。バクバクっ子の平本歩さんが朗読してくれました。 ご挨拶 山口洋さん(医師) 川見さん(「臓器移植法」を問い直す市民ネットワーク) 松田さん(大本・人類愛善会) 冠木克彦氏より集会のまとめ 生命の大切さを十分に認識できました。「脳死」は人の死ではないということについてなるほどと確信をもって、この運動をひろげていくことができるようになったと思います。ぜひ継続的にやっていきたいと願っています。今日の集会と同じ名称の<やめて!!家族同意だけの「脳死」臓器摘出!市民の会>という「会」を作ります。ホームページもつくり、情報や、学習会等の取り組みを流していきます。年に一回は、集会をもち、更にこの運動を大きくしていきたいと考えています。「ノンドナーカード」をひろめていきましょう。 最後に、冠木氏より、「会」の事務局が提案され、代表に冠木克彦氏、そして副代表、事務局、会計の担当者が紹介されました。「家族同意による臓器摘出」条項を撤廃するまで続けようとの冠木氏のよびかけが、大きな拍手で確認され、集会は終了しました。